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ブッダのことばコミュの六根清浄て⁉︎

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ある漫画に
少女の能力で心情そのものを顔として見えてしまう
例えば
若い頃の心のままの人は若い頃の顔に見えてしまう。
そんな風に見えていることを知った時、一人が皆に質問
自分が見えているものと人が見えているものは本当に同じなのかと思ったことはないか?と

皆さんはどう思いますか?
仏法に六根清浄と言う教えがありますね。
確かにその少女のようなオカルト的全く違うものに見えるなんてことはなくても(普通は…)感じかたはそれぞれ違う、六根清浄はそれ示してます。
例えば同じ雨でも一般の人は迷惑でも農家や傘屋さんにとっては恵の雨です。
全く同じ人が同じ景色を見てもバラ色のように見えたり何でもない景色に見えたり。

昔、日蓮正宗の総本山へ行って皆を誘導する仕事を奉仕で行った後に
帰った時寄ったサービスエリアで見た景色がいつも見ているのに初めて見るかのようにとても綺麗に感じずっと見惚れていた覚えがあります。
それはやはり命が浄化され山々の景色が輝いて見えたのかなと思います。

その六根清浄していくとどう変わるのかがよく分かる体験発表を聞きました。
私も同じような経験をしたので涙無しでは聞けませんでした。
六根清浄していくとこんなにも変われるんだと通感します。
同じ日蓮正宗で得た経験です。

幼い頃より父親から兄弟と比べられレッテルを貼られてきたことで自分に自信のなかった方の信仰を通して自分が変わることで人の苦言と思っていたものが助言と感じるようになったという話です。

信仰したきっかけは
一度研修で入った会社に本採用されずに痛い思いをした後に入った就職先に凄く頼れる先輩に出会た。
その方は皆に優しく親しみ易い方だったので相談に良く乗って貰っていた。
そして、お寺に連れて行ってくれ御僧侶に自分が変わらなければ何も変わらないと言われたことや幸せになって欲しいと自分のことのように泣いて言ってくれることでそこまで親身になってくれることに感じるものがあり入信した。

しかし、上司にはいつも怒られクビにされた前の就職先の社長に感じが似ていることもありいつクビになるかびくびくしながらの会社生活で
いつも給料分働いてないから会社のお荷物にしかならないと言われ、
耐えられず部署を変えてほしい
とお願いしてもどの部署欲しがらないと言われた。
先輩に相談したところあんな親切丁寧に教えてくれる良い上司はいないよ!と、言われ、憧れだった先輩とも実は価値観が違ったのだと感じ、さらなる絶望感でお寺も通うのを止めてしまった。
会社に行きドアを開ける時震えと焦りと吐気を感じるプレッシャーの毎日に耐えらなくなりとうとうリストカットしてしまった。

これではダメだとの思いから再度お寺に通うようになり、気持ちが少し楽になったが、限界を感じ会社を
辞めようと思った頃その上司が辞めることとなった。
その時、辞めると知ってふと、その上司も実は私と同じかもしれない。
厳しい家庭環境で育ち上から色々言われて苦しんでいたようだと思った時、上司は実は怒ってばかりではなかった私を気遣い優しい言葉もくれていたと思いだし、上司か辞めるまでに何か恩返しをしたいとの気持ちになり毎日上げる勤行で上司の幸せを御祈念しようと思った。
御祈念している内に時々心の底から感謝の念がふっと湧いてくるのを感じられるようになり、自ら初めて積極的に求めて信仰をするようになった。
そして、一生懸命お題目を上げている内に先輩のあんな親切丁寧な上司はいないよとの言葉を実感でき、お別れの際には心から感謝を述べることができた。
上司は
あなたも成長したね
もし、会社が嫌になったらあなたは若いし可能性はいくらでもあるのだから我慢しなくてもいいのよと
厄介者と言われていた私を初めて認めてくれたとのこと。
人から褒められた経験もこれが初めてのように感じるとのこと。

そして、今は仕事に詰まった時には上司ならどう言っていただろうと思いだし実行していると色々な方から仕事がやり易くて助かると言われるようにまでなった。
今まで、やっかいものだった私がひっぱりだことなり、結婚で辞めた先輩の代わりという大任を任されているとのことです。

これは同じ言葉でも
ある人には苦言
ある人には助言であり
同じ人が聞いたとしても
その人の状況の変化で
苦言にも助言にも変わるということのとても分かりやすい体験談だと思います。

仏法では五感というセンサーで感じたことを意識で判断され初めて識別されると時、その意識は無意識的な意識より更に奥にある業という過去から積み重ねてきたもの、平たく言えば癖のようなものに左右され判断されると、説きます。
だから、苦言と感じる人は苦言と感じるだけの癖を持っているから、そして癖は意識して簡単変わるものではないことは皆様承知なことですね、だから状況は早々変わらないのですね。

しかし、その更なる奥に仏と同じ純粋無垢な命が眠っている、即ち皆様ご存知の仏性がある。、
彼女のように仏に縁しているとその眠っている仏の命が湧き上がり心が浄化さら今まで苦言もっと言えば難癖だと思っていた言葉が助言と感じならるようになるのですね。

本当にすごいことだと感じました!

コメント(4)

毎日の一つ一つすべてのことが、とても意味ある有難いことだと深く静かに受けとめられるようになれたら、
私たちの人生は毎日が輝いてやまない宝物になりますね。
その通りですね!
でも、それが頭で分かっても
実際は実行できないのが人間の性ですね。

そこに正しく導いてくれる仏様が
必要なんですね。
実際に自分の心において、自分の身に降りかかるすべての現実を、一つ一つ執着するでもなく、嫌悪するでもなく受けとめられるようになるには、
何よりも実際の人生の中で、一瞬一瞬自分の心を自ら見つめ、そのありようをありありと点検し、不断に生まれ変わる意志と活力が大切ですね。
似たような教えに顕益と冥益と
いうのがあります。

顕とは字の如く現れる利益
目に見て一目瞭然な利益です。
例えばお金が儲かるとか
試験に合格するとか
良縁に恵まれるとかです。

冥とはこれも字の如く隠れてい利益です。
隠れている?ですよね。
隠れていると言っても死ぬまで
全く現れない利益と言う意味では
ありません。
例えていうならば赤ちゃんが
大人になる過程に似ています。
赤ちゃんは一日一日を比べれば
全く変化がないに等しいです。
しかし三ヶ月一年三年十年と
月日が経てば必ず大人へと
近ずいていきます。
それと同じで数日では信仰しても
大した変化はなくても
本当に功徳のある教えならば
教え通り正しく実践するならば
必ず数ヶ月後、もしくは数年後には
必ず変わっていくという功徳が
冥益です。

そして、その教えは実は顕益は
まだまだ小さな利益でしかない
本当に尊いのは冥益であると
説いてます。

私は確かだなとつくづく思います。
今の私の境涯を二十歳の私が
絶対に想像できません、
それほど劇的に変わってます。
そして、自分の欠点にしか思えなかった
性格が長所に変わってきたのも
驚きでしかあります。

日々心の底から仏様に感謝する
毎日です。
涙暇なしです!

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