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ブッダのことばコミュの日本の覚者

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管理人さま

トピずれでしたら、削除お願いします。


今、日本に覚者がいます。

今まではそのように公表していなかったので、知らない人もたくさんいるかと思います。

岡田多母さんという方です。

先日公表してもいいとお聞きしたので、関連があると思うコミュに書き込ませていただいています。


岡田多母さんにはいつ悟りを開いたというのがありません。

生まれたときから、開いていたからです。

多母さんを見ると、悟っているということがどういうことなのかわかります。


聖者をもとめて、海外に行く必要はありません。

埼玉の秩父にいらっしゃるので、本当に道を求めているかたは尋ねてみてください。


それでは失礼します。

コメント(57)

清衡さん
はい。


今この瞬間の形(絵師)さん

>涅槃寂静「煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す」
をその後、その方が目指すかどうかすらその方の意思の問題でもありますから、
それが必ずしも良いとか、上の位だとかとは僕は思っていません

はい。私もそのことがいいとか悪いではないと思います。
意識の深みなだけですから。
小学生と大学生、どちらがいいとか悪いとかではないですね。


>それと、涅槃寂静「煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す」は、確かに、いごこち良いなと思いますが、
真理や悟りは、観察とか実感の事ですが、
涅槃寂静は個人差でもあり、特にそれを望まなくても良いとも思う。

それは何も知らない人の言葉です。

「一切空」と言った釈迦と「満ち満ちとした愛」とキリストが言ったものは同じものです。

近くで完全開花した人を観ているとその深みに圧倒されます。
人はこれほどの境地に至ることができるんだと、とても励みになります。

>まあ、どうせ死ねば誰でも涅槃寂静「煩悩の炎の吹き消された波風の立たない状態」になるわけだから、

違います。涅槃は意識のステージなので、死ねば誰でもそのステージではないです。
もし、涅槃に至るなら、生まれ変わってきません。
一定の段階まで到達した者が死ねば涅槃に至るというならわかります。
次回生まれ変わってくるときは、同じ意識のステージなので、その考え方は問題の先送りのような気もします。

もう一度生まれてきたくなければ、生きているうちに、生まれ変わってこないというラインを超えないとまた生まれ変わってきます。

>人は人である生き方の中で、悟り、修正を繰り返しながら
悪事を働かず、煩悩まみれで、醜くならず、人に迷惑をかけず、
出来る限りの争いを避け、出来るだけ怒らず、欲しがらず、
なんて、事が、まあまあ実践出来たら、それでいいのじゃないの?

そうですね。なにを望むかは本人次第だと思います。
でも、それって、私は絵を書くのが好きだから、うまくなくてもいいって言っているような感じです。
描いてればそのうちうまくなるよ。みたいな。
何も研鑽しないで?
絵をうまく書くには、努力が必要ですよね。

それもせずに、ずっと趣味で絵を描いて、いいんじゃないのって言っているような感じです。

もちろんいいけれど、趣味の絵と、絵師の書いた絵は違いますよね。


>神のような人には成れないから人。人は決して人以上のモノには、成れない事も
覚悟して、その中で日々過ごす。

花は完全に開いて花なのではないでしょうか。
なので、人も自己を完全に開花させて始めて人だと思っています。

>それで充分『目覚めた人」だと思います。
それでも、煩悩は行きている間、決して消滅する事は無いが、煩悩に支配されない認識や、訓練くらいは可能だと思う、そんなもので充分じゃないのかなあ?と 僕は思います。

それってリンゴを食べたことの無い人が、リンゴってこう言う味じゃないかな〜って言っているような感じです。

>何も特別なスーパーマンは、必要ない。出来ない。
釈迦も人として亡くなって行かれた。スーパーマン(超人)ではないから。

はい。覚者は普通な人です。
悟りって普通の人になることです。



団子さん

ありがとうございます。
気をつけます。
>>悟りって普通の人になることです。>>

うーん
というか、だれも、普通の人でもあり、たったひとつの存在の特別でもあり、
ただの自然に過ぎないと認識する事だと思います。
普通であるか、特別であるかは、
人の勝手な都合による ふんべつ でしかないから
ぜんさん
>>近くで完全開花した人を観ているとその深みに圧倒されます。 >>

完全開花したかどうか、なぜあなたが判るのです?
その根拠は?
その基準は?
完全開花の「完全」とは?

妄想ですよ、思い込みでしかない。
完全だの開花だの、そういう、たいそうなモノなどどこにも無い。
そんなものなどふんべつに過ぎないという教えが 釈迦の教えであり
それを『仏教」と呼ぶ。
般若心経は、ただそれだけを書いた書である。
妄想を捨てよ、空想をすてろと、仏教は叫び続けるが、
逆に妄想してしまう人を生んでしまう事もある。

あなたが、ハーバード大や、東大の物理学の教授を
「完全に開花しましたなあ」と言えるとしたら、
それは、あなたが、その教授以上にある時のみに言える言葉だ。
なぜなら、完全かどうかは、
それか、それ以上の者でなければ、理解出来ない事だからだ。
それを安易に
『完全に開花した」と表現してしまうのは、
自分が空想や妄想の世界で判断している事に気が付いていないからに過ぎない。
そもそもこのトピックはマルチポストですね  
違反トピックです
>うーん
というか、だれも、普通の人でもあり、たったひとつの存在の特別でもあり、
ただの自然に過ぎないと認識する事だと思います。
普通であるか、特別であるかは、
人の勝手な都合による ふんべつ でしかないから

はい、そう思います。

>完全開花したかどうか、なぜあなたが判るのです?
その根拠は?
その基準は?
完全開花の「完全」とは?

ココで言う完全開花は真理に開かれた者のことを指します。

なぜ私にわかるのか。

絵師さんには、他の方の絵を見て、私のような素人よりいろいろとわかることがあると思います。

同じように、探求者、サニヤシンなどで、ある程度の進みがある者には、相手がどの辺りにいるのかはわかります。

なので多母さんを観て

>>近くで完全開花した人を観ているとその深みに圧倒されます。 >>

という思いになります。


>あなたが、ハーバード大や、東大の物理学の教授を
「完全に開花しましたなあ」と言えるとしたら、
それは、あなたが、その教授以上にある時のみに言える言葉だ。
なぜなら、完全かどうかは、
それか、それ以上の者でなければ、理解出来ない事だからだ。

まったくその通りです。
ただ、釈迦にしろ、今までの覚者にしろ、誰がこの人は覚者だと言えたのでしょうか?


絵師さんは、本で読んだり、人から聴いた知識を自分の知っていることにあてはめただけですね。

絵のことを何も知らないのに、私が絵のことを語るようなものです。
>そもそもこのトピックはマルチポストですね  
違反トピックです

すみません、何のことかわかりませんでした。
違反行為だったんですね。

二つのコミュにトピを立てて書き込んだのですが、片方が掲示板の停止になったので、こちらのみにします。

不愉快な思いをさせて本当の申し訳ありませんでした。
ゴータマブッタは、時代等に関係のない真理に気が付かれた方ですから、
現代におられたら、現代の人を救った事でしょう。

純粋とかいう表現は、あいまいなものですし、
崇高だと思うかどうかも、個人差ですし、
ましてやゴータマブッタ本人が自分を崇高だと思う訳が無い
それほど凡人ではないですから。
よほどですよ、自分の事を崇高だと思っている人がいたら、
それこそ俗人、凡人です。

団子さん、妙な注意の仕方は止めたほうがいいと思います(^.^;
キリスト教であろうと真理は一緒と仰る段階でキリスト教の事を全く
理解されていません。
他宗教を持ち出すのならば、その宗教を知ってから発言して頂きたい。
キリスト教は人間の悟りなんて入る余地はないんです。
ただ、全能の神の栄光を讃え、イエスの死を人間の身代わりと信じて
救済されるという教理なのです。
いいですか?
聖書を読みました?
イエスはキリスト教上、神の子であって、覚者でもブッダでもありません。
キリスト教をインチキだと考えたとしても、史的人間イエスは全能の神に
従う改革派ユダヤ教徒、ユダヤ教指導者であって、これまたブッダでは
ありません。

中途半端に他宗教をいっしょくたに考えるべきではありません。
仏教とキリスト教の共通点やら共通真理を見出そうとしたりするのなら
仏教の各宗派の僧侶レベル、キリスト教の牧師/司祭レベルの教理を知ってから
仰ってください。
途端に胡散臭くなりますよ。
ヨガでは、サハジャということがあります

生まれつき、悟っているのですが、封印されて生まれてくるそうです
でも、そういう人は、まれで ブッダやキリストなど
歴史に残るような別格の存在のようですよ

何千年も、その人を尊敬する人がでるような人
そのような人なら、最初から悟ってる と言えるとは思いますけどね・・・

 釣りのトビ?何を持って覚者と云うのか明確でない、岡田多母が覚者と云う意味判らない・明確でもない。
 先日公表してもいいとお聞きしたので…とトビに有るが…どの様に聞いての返答か判りませんが…自分を覚者として公表して良いと岡田多母が云ったなら偽善者で…偽者としか言いようが無い…覚者の意味も判らないのでは…
 富山で新興宗教の生き仏と呼ばれて平然としている金儲け主義の団体の代表も居るけれど狂信の集まりと感じた、岡田多母をネットで調べたが…売名行為か?商売の宣伝かな?
はじめまして。
興味があるので、質問させて下さい。

岡田多母さんという方は、ぜんさんを悟らせる事が出来ましたか?

もし、出来ないのであれば、悟ってないのではないでしょうか?

簡単な理屈ですので、試してみてはいかがですか?
多母さんではなく、ぜんさんが悟れば良いと思いますよ。
 33のレスの通り、この、トビ主が関係した・宣伝・釣りトビですね…、生き仏も現実にありえない、もし、本当で団体が有るならば…カルトに変る可能性あり、危険な思想の団体としか言えない。

 ネットで調べてもその様な書物も出てこない、覚者で無いのは明らか…唯の宣伝、覚者の意味も知らないのでしょう、馬鹿らしくて話にも成らない。
28キリスト教であろうと真理は一緒と仰る段階でキリスト教の事を全く
理解されていません。
28の言うとおり、どちらも知らないから言う言葉と思います。
初コメントします。悟ったにしろ、今生きてる以上は、菩薩の可能性もあります。菩薩か仏かの区別は、その死の瞬間まで、判別はできないのです。これは、絶対的な事です。
>> 38

自分の身が、やがて死の瞬間を必ず迎える事実を、認識することです。他に悟りの概念はありません。
はひろさん。

悟るとは、世界には「これが自分だ」「これは私のものだ」と言えるものは何もない、ということを知ることです。

通常生き物は体を自分と捉えています。自分の体と考えています。体から始まって、自分の親、自分の子、自分の恋人等々、自分の物が限りなく増え、それに執着することによって苦が生じます。世界のあらゆる苦の原因は、執着であり、無明(無知)である、とブッダは言っています。

「自分」と考えているものは、幾つもの要素、あるいは元素が集まって生れ、いろんな要素によって変化し、滅びて行く自然界の物質の一つでしかありません。
その真実を知ることを「悟る」と言います。悟れば無明でなく、明と言います。

「自分」という気持ちがなくなれば、すべての苦が消滅するので、悟ることは苦の消滅であり、世俗からの解脱であり、涅槃とも言います。そして悟った人を阿羅漢と呼びます。
>40 タンマダーさん
なるほど。簡にして要を得てますなあ。私の地元『大釈迦』っていうんですけど、釈迦知らずでした(いまも)。
忘れていました。

生き物が通常「自分」だと考えているのは、「身体と心」です。
身体はいろんな元素の集まりで、心は、身体の各器官がそろって働いたときに生じるものです。

生き物が執着するのは、体と心ということです。
タイのプッタタート比丘という方が次のように言っています。

『人は当然自分の考えを信じています。だから個人の真実は、その人がどれだけ見えるか、どれだけ理解しているかを表しています。真実と呼ばれるものは人によってみんな違います。

境遇の違い、智慧のレベルにもよりますが、自分に理解できないものや、能力を超えるものを真実と認めることはできません。他人に同調して「真実だ」と言ったとしても、内心では自分にとって真実でないことが分かっています。

ひとり一人の真実は、日に日に増していく智慧と理解にしたがって最高の真実に達すまで進歩していきます。人はそれぞれ知識の質、量が異なり、判断基準も異なります。だから異なる智恵で仏教を見れば、それぞれ違った考えが生まれることになります。仏教も宗教としての多面性をもっているのですから。』

ですからどれが正しいというのではなく、どれもみな最高の真実に到達するまでの、「その人にとっての真実」ということにしませんか。
日に日に増していく智慧と理解によって、より高い真実に持ち替えていければ良いと思います。
>> 40

人は、自分の(生)に執着して生きています。ですから、(死)の瞬間にならないと、自分が、自分の(生)に対する執着を克服できているのか、本当の所は、わからないのです。
>> 44

様々な考えをもった人々が、おりますが、すべてに共通しているのは、生きて死んでいくとゆう、事実です。そして、みな一様に、生きる事にこだわり、あるものは、努力し、あるものは、あきらめるとゆうことです。

みな一様に、死が怖いのです。これだけが、真実です。最高とか最低とか、あまり関係ないです。
悟った人について、もう少し説明させていただきます。
悟った人「阿羅漢」には、普通の人には必ずある生老病死もないのです。

「私」あるいは「自分」という感覚や考えがなくなると、生きている自分も、病む自分も、死ぬ自分も無くなります。もちろん「生きていること」や「体の病気」や「肉体の滅亡」はありますが、悟った人にとっては、自分でも自分の体でもないので、自分の生や、自分の病気や、自分の死ではありません。ただどこにでもある自然の現象です。

だから死を恐れる自分も、死の恐怖もありません。そのように「苦」の原因になる物が一切なくなることを悟る(普通は悟るという言葉より、滅苦とか解脱と言いますが)と言うのです。
少しでも恐怖があれば、まだブッダの仏教でいう悟りや解脱ではありません。

のぶりんまんさんがおっしゃっているのは、まったく普通の俗人の状態です。

ブッダの原則では、自分の考えに固執すれば、かならず苦が生じます。
自分の考えや自分が支持する考えに執着しないで、ブッダがどう言っているかについて、話し合いましょう。
>>47 48

生、老、病、は、生きてる間に体験できますが、死だけは、一度きりですので、その時になるまで、克服してるかどうか、仏といえども、判断つかないのは、当たり前の事です。
まだ、訪れてない事は、断言できない。のが、道理とゆうものです。
自分の生にとらわれずに、尚且つ、一所懸命生きるのが、理想かと思います。そして、自分の人生に未練を残さず死んでいった魂は、もし、来世があるとすれば、自由自在ではないでしょうか?
ブッダの言葉ではないと誰でも分かるものは、思わず噴飯してしまう人や、あるいは不愉快に思う方がいるかもしれませんが、それ以上の害はありません。

しかし、千年も二千年前にブッダの経典の中に混入された当時の長老の創作経は、初心者が読んでもブッダの言葉ではないことに気づきません。だから何千年もの間、ブッダの言葉だと信じられて読まれ、継承されてきました。本物でない物を本物と誤解して満足していれば、本物の言葉に触れる機会が阻害されますから、この方がはるかに問題だと思います。

ブッダの言葉は初めにはマガタ語で語られ、その後パーリー語で伝承され、文字として記録されたのはブッダの死後数八百年か千年後だと見られています。原始経典を学ぶ人の多くは、「ダンマパダ」は、数百年後にサンスクリット語に翻訳された頃に書かれた経典だと言っています。「スッタニパータ」もその内容から、ヒンドゥー教の経典が混入されたものと見られています。

つまりこの二つの経典は、ブッダの言葉でない可能性が非常に高いということです。
これを機会に、このコミュミティは、「正真のブッダの言葉」を基準にするのか、それとも真偽は問わず「ダンマパダ」や「スッタニパータ」の言葉にするのか、その点もお考えいただけたらと思います。


http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30075062&comm_id=683880
(非仏説の見分け方)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37988107&comm_id=3876435
(プッタタート比丘の見解)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23621892&comm_id=683880
(スッタニパータに関して)
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/index.html
(スッタニパータに関して)
>>[053]
>原始経典を学ぶ人の多くは、「ダンマパダ」は数百年後にサンスクリット語に翻訳された頃に書かれた経典だと言っています。「スッタニパータ」もその内容から、ヒンドゥー教の経典が混入されたものと見られています。つまりこの二つの経典はブッダの言葉でない可能性が非常に高いということです。これを機会にこのコミュミティは、「正真のブッダの言葉」を基準にするのか、それとも真偽は問わず「ダンマパダ」や「スッタニパータ」の言葉にするのか、その点もお考えいただけたらと思います。


「正真のブッダの言葉」というものが果たして現存する経典の中から選り分けられるものか、
長老方が口承によって伝えてくる間に、微妙に解釈の言葉が加わったり、わかりやすく付け足したりしながら、ようやく文字化されたものから、
一体、厳密に生前のブッダがおっしゃった通りの言葉だというものを発掘することなどできるでしょうか。
私はトピ主さんの紹介している自称覚者については詳しく存じてはいませんが仏教の解脱論から言って生まれたときから覚者(解脱の完成者)であることは不可能です

もしこの方が前世で阿羅漢果を覚られていたならばそのまま涅槃に入られて人間には生まれ変わってないはずだからです

阿羅漢ではなく預流者や一来者が人間に生まれ変わった場合には今生で残りの解脱を体験しなければなりませんから生まれたときから覚者であるとは言えませんから生まれながらの覚者は仏教の解脱論とは矛盾しているのです(^人^)

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