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ブッダのことばコミュのブッダの言葉

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タンマダー訳の「学生のためのブッダの伝記」の中に、ブッダの言葉という章があるので、ご紹介します。


 国王の息子だったブッダは、さまざまな王宮の作法が身についていたので、王や大王から、修行者、高度な学問を積んだ学者などの中で、楽に討論や会話をすることができました。それらの自由人たちはブッダから、深遠で明確なタンマの知識と満足を貰って帰りました。そればかりでなく、一般の人々との討論や付き合いも、ブッダは、深遠なタンマに理解と満足を感じている人たちとも、同じように上手にすることができました。ブッダがいろんな田舎を歩いて旅するとき、出会う人誰でもと会話し、その人を喜ばせる準備がありました。米や果樹を作る百姓であろうと、鍛冶屋や馬車造り職人や床屋であろうと、ブッダと会話する気持のある人なら誰でとでも。(363)  
 この例としては、ブッダがあちこちの田んぼで百姓が作業をしている集落に行ったときのことです。足をとめて彼らの仕事について話し掛けました。「私もあなたと同じ百姓だとお知りなさい。稲作に使うものは何でも、種籾までそろっています」。その百姓は信じられない様子で叫びました。「お前さま、何が百姓だ。本当に百姓ならお前さまの牛はどこにいるんです。鋤はどこにあるんです。その他いろんな道具はどこにあるんです」。(364)
 ブッダは穏やかに答えました。
「私はそれらのものすべてを身に付けています。これから一つ一つ話しますから、良く聞いてください。私の種は、生きとし生きるものを救いたい願いとそれらに対する哀れみ、ブッダになろうという強い信念と決意、それに菩提樹の木の根元で悟ったことすべてです。私の稲を美しく育てる水は、大悟するまで続けた忍耐努力という偉大な善。智慧が頚木と鋤。心が牛を繋ぐ縄。心を罪から遮る罪を恥じることが、私の美しい鋤きの刃。悪を追い出し善にすることができるタンマは掴むための柄。あなたが田を耕すとき、害になる草を切って埋めるように、四聖諦を知っている人は、心の中の不善を切って埋めます。(365)       
 日が暮れて昼の仕事が終わると、あなたが牛を自由に開放するように、智者は純潔を確信しているので、純潔でないものは捨ててしまいます。牛は、田んぼに種を蒔ける状態になるまで良く耕すために、大地に立ち向かわなければなりませんが、智慧のある人は、涅槃に到達できるように清潔にするために、全力で自分の性分を清める努力します。百姓は田んぼを稲にとって良い状態にするために辛い仕事をしますが、智者も輪廻の害を取り除くために非常な努力をします。(366)                      
 しかし稲作をする人は、しょっちゅう収穫が少ないという不満や失望に遭遇しなければなりません。時には腹が立って眠れないこともあります。涅槃に到達するために智慧の乾いた田んぼを作る人は、そのような不満を受け取ったことは一度もありません。彼らは自分の仕事の結果は確実に十分に受け取れます。結果、つまり涅槃を見ることができれば、十分に幸福で、十分に満足します。バラモンよ。こういう形の、私も同じ百姓なのです。そしてこれが私の米作りです」。(367)                            
 ブッダの言葉を聞いたバラモンは非常に満足して、ブッダ式の百姓の一人に加えてくださいとお願いました。そして生涯ブッダの弟子になりました。(368)                                 
 あるとき、一般人が最も素晴らしい最も吉祥である幸福に到達する方法について、ブッダに質問する人がいました。ブッダは次のようにアドバイスしました。
「愚かな人たちの仲間に加わってはいけません。智慧のある人と親しくしなさい。尊敬するべき人には、敬意を表しなさい。自分の性格と能力にふさわしいところに居なさい。善をたくさんしたことのある人になりなさい。未来の明るさのために、絶えず善行をしなさい。必ず知識にすることができる「聞くこと、見ること」に満足しなさい。害ではないすべてのものを学びなさい。良い手本と規律のある人になる練習をしなさい。本当のこと、可愛げのある言葉、役に立つことだけを話しなさい。両親を扶養しなさい。妻子を気に掛け養育しなさい。仕事に関する移り気を避けなさい。施しをしなさい。良いことだけをしなさい。助けるべきときには友達や親戚を助けなさい。
 後で後悔することは控えなさい。道徳的に禁じられていることはしてはいけません。酔う水を飲むことを控えなさい。その時が来たのに善を行なうのをためらってはいけません。誰に対しても身を低くしなさい。傲慢で威張ってはいけません。あるものに満足しなさい。他人の恩を知りなさい。機会があるごとにタンマを聞きなさい。忍耐我慢をしなさい。微笑んでいる人になりなさい。しばしば聖人を訪ねなさい。機会がある毎にタンマの会話をしなさい。奮闘努力をしなさい。純潔な行動をしなさい。心に四聖諦を銘記しなさい。常に涅槃を心の目標としなさい。さまざまなものに妨害された時にも、恐れてはいけません。悲しんではいけません。欲情してはいけません。そして正常でいなさい。このように完璧にできる人を、悪が覆うことはできません。その人は最高の吉祥があり、継続して完璧な心の幸福を受け取れます」。(369)         
 ブッダが小さな集落に泊まっていたある時、ブッダに会いに来て尋ねる人がいました。
「ブッダさま。私たちはブッダさまがタンマを公開された教祖で、とても良いことをお弟子たちに教えていらっしゃると聞いています。お弟子たちは家を捨て純潔な行いをして、あなたに付いて勉強なさっています。ですが私らは出家になることはできません。私らはまだ俗人なので、女房と子供に囲まれ、稲作や牧畜などの仕事をし、俗人として幸福にありつくために金銀を使い、時に応じて花や高価な装飾品で飾ることが好きで、俗人としての満足のために、香りの良い物を体に塗ったりしています。ブッダさま。あなたの教えの中に、私たちみんなが現在も将来も、死んでも幸福でいられるものがあったら、どうかお願いです。教えを実践してその結果を得るように、私たちにその教えを聞かせてください」。(370)                         
 ブッダは言いました。「さてみなさん。私のような説教者が、みなさん方のような在家の方が知って実践するために教えるべきタンマは四つあります。みなさん聞いてください。お話しましょう」。
「一つめ。あなた方の仕事を、継続して勤勉に、最善を尽くし、そのことが真の能力になるようにしなさい。もし稲作だったら、勤勉で賢く、良い百姓になって、あなたの田んぼから最高の収穫が得られるようにしなければなりません。もし商人だったら、広い目と耳を持って一生懸命向上しなければなりません。もし雇われ人だったら、主人から仕事で頼られ、正直と忠誠で信頼される人にならなければなりません。どんな仕事でも、あなたがすることが十分に実を結ぶように、いつも元気で行動的でいなさい。このように行動すれば財産を蓄えることができ、その財産を良い事に使う事ができます。つまり自分で使うばかりでなく、助けを必用としている人を助けることができます。もし真面目に働いて財産を蓄えなければ、他人を支援するものが何もないのですから、善行や他人を支援することはできません」。この教えはパーリー語でウダダーナサンパターと言い、義務に対する勤勉な心得という意味です。(371)                         
「二つめは、自分で集めた財産を維持するために、特に正しく注意を払って、愚かな浪費をしないことです。穴の開いている水がめに水を注いでも、ただ疲れる以外に何の利益もありません。財産があるのは良いことですが、あらゆる愚かなことで使い尽くさないように、隅々まで気を配らなければなりません」。この教えはパーリー語でアーラッカサムパターと言い、維持することの心得という意味です。(372)         
「三つめは、在家の人は、良い人だけを友達、あるいは関わり合う人として選ばなければなりません。通常私たちは付き合った人のようになります。善い人と付き合えば、善い人になるチャンスですが、もし悪い人と付き合えば、簡単に悪人になります。自分の手を汚さずに汚い物を掴むことはできません。在家の人は善い人、善いものを好み信頼し、寛仁で賢い善い人だけと付き合うべきです。そうすればその人も簡単に、寛容で賢く、善いものを好む善い人になれます」。この教えはパーリー語でカンラヤーナミタッタターと言い、善人と付き合うという意味です。(373)                                         
「四つめは、在家の人は中道で平坦な生き方をするべきです。有り余る生活、あるいは欠乏しすぎる生活をするべきではありません。自分の収入以上の消費、あるいは収入以上の布施をするべきではありません。もしそうなら、財産は流れ込む水より流れ出す水の方が多い池のようで、遅からず池の水は枯れ、残りはありません。しかし注意深く財産を使い、自分と家族を養い正しい布施をし、自分の収入を超えなければ、池の水、つまりその人の財産が枯れることはなく、水は残って、つまり急な何かが起こったとき使うための財産が残っています。しかしこの項目は、財産を十分有効に使わないという意味でも、有効に使わないでこっそり貯めておくという意味でもありません。そのようなことをする人は、庭にどっさり実をつけた果樹をもっていても、熟した時に食べないで箱に詰めて土に埋めておくようなものです。その人は後になって、果物は全部腐っていて、何も役に立たないことが分かります。持っている良い物から何の利益も得られないのです」。この教えはパーリー語で、サマチーヴィッターと言い、正しい生活という意味です。(374)       
 ブッダは最後にまとめて言いました。
「在家のみなさん。これが、みなさんが実践すればこの世で安楽に暮らし、成功をもたらす四つの実践項目です。これから、あと四つのタンマを言います。これは将来非常に良い結果を生みます。四項目のタンマとは、
1) 善いことをすれば善い結果がある。そして悪いことをすれば悪い結果がある。
2) 殺すこと、盗むこと、他人が愛しているものに過ちを犯すこと、真実でないことを言うこと、酔う水を飲むことなどの悪い行ないを避けて、善いことだけを行ないなさい。
3) 世俗的な財産に強く執着しすぎない明るく澄んだ心になれるまで、寛容に他人を支援できるようになる練習をしなさい。
4) 涅槃につづく道を知り、実践する智慧を生じさせなさい」。この四項目は、順に、信、戒、施、慧と言います。(375)                                                        
 これらはすべてブッダが、まだ在家であり出家して修行者になることはできないけれど、現在と未来に善いものに到達するために実践したいという、一般の人に説いた説法です。そのときブッダが説いた明確な教えに、誰もが非常に満足しました。(376)                                     
 ブッダが説いた非常に長い説法の中に、マガタ地方のアジャータシャトル王に説いた説法があります。一般の人や比丘に対してだけ説いたものばかりではありません。このアジャータシャトル王は悪人で、つまり人を殺した人です。臣下に命じて自分の父であるピンピサーラ王を無残にも餓死させ、不正義によって自ら王位につきました。(377)                                           ある満月の夜、アジャータシャトル王はバルコニーに座っていましたが、何をして楽しんだら良いか分からず、その時アーチヴォック医者がブッダと比丘たちの住まいにと寄進した、マンゴー園に滞在しているブッダを訪ねる決心をしました。アジャータシャトル王がブッダの住まいに到着すると、集会堂で比丘たちに囲まれたブッダが静かに座っているのが見えました。 ブッダと適当に挨拶を交して馴染んでから、出家して比丘になることの利益と功徳について尋ねました。(378)                           
 王は尋ねました。「ブッダさま。出家として生きる人は、どんな利益があるのですか。私はいろんな教義の出家者たちにこの問題を質問したのですが、誰からも満足できる解答が得られません。彼らは、ジャックフルーツのことを聞いたのにマンゴーのことを答えるように、私が尋ねたことではないことを答えます。ブッダさまからこの問題の答えが得られれば、私は非常に満足できます」。(379)                   
 ブッダはアジャータシャトル王と親しむために適宜な言葉を交わし、それから出家として生きることの偉大な利益について長々と話しました。ブッダが明確に話したので、聞き終わったアジャータシャトル王は、真実正しい答えであり、そして出家して良い比丘になること、ブッダのような良い教祖の教えを実践することは、この世界のすべての善より上の善であると信じられると、その答に非常に満足しました。そして生涯ブッダの弟子となることを願い出ました。アジャータシャトル王が帰った後、ブッダは居合わせた比丘たちに言いました。
「比丘たちよ。王は私が話した内容に深い信仰を感じた。もし王が悪いカルマを作っていなければ、つまり自分の父を死なせていなければ、この王は私が明確に話したタンマを、ここで見ることができ、王位を捨てて出家して、法律の下の比丘になり、阿羅漢の一人になったであろう」。(380)                
 ブッダが話した最も長いお経は、経蔵のディーカニカヤの中に見られ沙門果経と言います。出家として生きることの利益についてとても奇妙に語られています。詳しく知りたい人はその経で読むことができます。(381)
 ブッダが語られた最も短いお経の見本は、次のようです。あるときブッダに次のように尋ねる人がありました。
「何を与えるのが一番良いものを与えることですか。何の味が一番味の良いものですか。何の喜びが一番の喜びですか。何が煩悩と苦をすっかり抑えるものですか」。ブッダはこの四つの質問に、「タンマ」という一言で答えました。(382)                                                 
 質問者は、もう少し詳しく説明してくださいとお願いしました。ブッダは説明しました。「物を与えることは良いことには違いないが、貰った人が涅槃の道を歩くようにさせることはできない。タンマだけが涅槃の道を歩かせることができる。だからタンマを教えることは、教える人は多少大変かも知れないが、それこそが、ここで言うタンマを与えることこそが、他の何を与えることよりも良いことなのです」。(383)           
「タンマを知れば、そのとき心は明るく爽やかになり、そのタンマの最高の味に満足します。そのタンマはその人を苦しめるいろんな煩悩をすべて攻撃するので、最後には涅槃と呼ばれる苦のない状態に出合います。だからタンマは他のどんな味よりも素晴らしい味です。そして他の何よりも深い喜びをもたらします。そして煩悩を絶滅させる世界でもっとも素晴らしいものを、みなさん、他の多くの人に知らせることです。この世と極楽のすべての人に与えることより、もっとも素晴らしい与える人と呼ばれます」。(384) 

シーラーチャーラ比丘が書いたもの(英文)をプッタタート比丘がパーリー語経典と翻訳語(サンスクリット語)と照合して修正し、タイ語訳したものです。

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