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野口修一の社会活動レポートコミュの悪戦苦闘の自宅建設騒動記 ?1

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19.悪戦苦闘の自宅建設騒動記 ?1

 1)九州に大型台風襲来で、自宅建築計画が持ち上がる

 今回は、社会活動から少し話題がそれますが、我が家の自宅騒動記の話をします。

 始まりは、13、4年前、九州に大きな台風がいくつも上陸しました。台風17号、19号、13号と大きな被害も出ました。最後の13号台風は、鹿児島西岸に上陸し、阿蘇山に抜けるコースを取ったので、我が家の北斜面の所有林の杉・桧が吹き返しで百数十本が、根こそぎ倒れる被害を受けました。この13号は、熊本・鹿児島だけでなく、九州全域で多大な被害を残しました。
 その年の秋、地区の共同草刈作業の後のお疲れさん会で、先輩から、「修一、お前は山の倒れた杉を見て何もお思わんかい? 家でも建てようとおもわんか!」と話がはじまりました。
「家を建てろて言うこと?、金も無いし、どうやって?」と言い返すと、
「金は、誰かが貸してくれる。要は、親父に自分の家をつくらせんかて、言いよっとたい。」父は、大工で当時年齢が六十八歳。既に、棟梁の仕事から離れ、後輩の建築会社の手伝いをしていました。父の仕事仲間が地区おられ、息子である私に、「最後に自分の家を自分でつくらせんか」とアドバイスだったのです。
 それから大変でした。建てる時期、建築資金、どんな家を作るか、色々考えた末に、「金は無いが、来年だったら建つかもしれない。」と思いました。なぜかと言うと、老人保健施設や先輩事務所の応援で、その年の売り上げが大きかったこと、当時の住宅金融公庫は、前年度の収入を基準の全額融資でした。そこで、前年の最後の入金をその年に、次年の入金の一部をその年に集金し、その年の売り上げを大きくして、資金を調達(融資)が可能になり、工事費の準備が整いました。


 2)技術者豊富で、間取り決定が混乱

 それからの問題が、時間と根気のいるもんだが山積します。何せ、父は大工、子は建築士、妻は建築士でインテリアコーディネーター、更に4世代8人家族と要望、考えがたくさん出ました。

 最初の意見の食い違いは、台所を2ヶ所問題で数ヶ月議論が続きました。次に風呂を2ヶ所問題にで数ヶ月、和室の部屋数で1ヶ月の議論があり、最後は「私の友人知人に見せる家だから、間取りと外観は私の考えで作らせて欲しい。」と押し切りました。
 父も我々の要望を組み入れ、完全2世帯(玄関は一つ)を聞い入れたのですが、親父の最後の要求は「和室8畳2間」でした。葬式や法事は、まだ家出する地域で、これは飲むしかないと思い、縁側付きにし、雪見障子、書院付き床の間と純和風の8畳2間で決着しました。

 日常業務の設計とは違い、身内は容赦なく要望が出て来て、1番最後の要望はなんと6才の娘から、それも建設途中で要求がありました。これには、親父も私も参りました。それは、娘2人だから16帖のワンルームにし、家具で仕切る予定でした。
 長女が、「姉妹別々の部屋が欲しい!」と聞かない。とうとう二部屋と小さなプレイルームに変更しました。「我が家でも思い通りの家はなかなか作れない」言う先輩の言葉を実感しました。家造りは、当事者(施主)が一番大変なのだと痛感しました。実体験に勝るものはありません。(実感) 

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