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夜とスージーと文学とコミュのアインシュタインは、ぼくらのアイドル!

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「熱いオーブンに一分間、手を置いてみなよ、それは1時間に感じられるだろう。可愛い女の子と一時間一緒に座っていてごらん、それは1分にしかおもわないだろう。相対性とはそういうことさ。」



アインシュタインは、みんなのアイドルだ。この本は、豊富な写真と図版と文章で、20世紀のスーパースターの生涯を追いかける。評伝? いや、ファン・ブックだ。ロックンローラーや、映画スターに夢中になるように、さぁ、アインシュタインの人生に夢中になろう。



はじまりは、「曲がる光を予言した天才」「軌跡の年、1905年」「アインシュタインの大旅行時代」、それまで無名だった若い学者が3つの発見でいちやく世界のアイドルになってゆく。世界中がかれに拍手を送る。



では、いったいアインシュタインはどんなコドモ時代を送り、どんなふうに育ったんだろう? おとうさんはドイツ南の実業家、おかあさんはピアノが得意。そしてかれ、アルバート・アインシュタイン少年には、マヤという名の妹がいた。アルバートは、トランプで14階の高さの家を作ったの!



学校ではラテン語ギリシア語は苦手で暗記が嫌いだったそうな。しかし数学と物理はらくらく学校の授業を追い越し、12歳のとき平面幾何学に出会い昂奮したそうな。そしてアインシュタインは工科大学に進み、卒業後は特許庁に勤める。
アインシュタインの初恋、最初の結婚の失敗、2度目の妻との幸福な結婚、いや、それだけじゃなく、なかなか隅におけない恋するアインシュタイン。かれは言いました、「恋に落ちることは人類最大の愚行などではなく、またその責任を重力に負わせるわけにもいかない。」 どうです、恋に「落ちる」と、「重力」の対比、なんておちゃめなアインシュタイン!




さて、本書は、アメリカ亡命を経て、そして、ハイライトは大正時代のかれの日本滞在記へ。かれはすでにラフカディオ・ハーンの幻想的な日本エッセイに魅了され、ハーンの愛した日本を自分もまた愛でたいとおもって来日しました。かれは日本で城を見て、能を見て、茶の湯をたのしみます。江戸の名残を味わいます。アインシュタインは、この滞在をつうじて、日本文化をそれはそれは慈しみます。



本書は、豊富な写真と図版の、アインシュタイン・ファンのマスト・アイテム。アインシュタインは、ぼくらのアイドル!!!





第1章 ありのままのアインシュタイン(曲がる光を予言した天才の出現;奇跡の年、一九〇五年;アインシュタインの大旅行時代);第2章 アインシュタインの生涯(幼き日のアルバート;若きアインシュタイン;恋するアインシュタイン;アメリカ亡命);第3章 大正日本を揺るがせたアインシュタイン・ショック(パワーみなぎる大正日本;訪日への道程;講演と交歓);第4章 アインシュタインの日本滞在記(アインシュタインの日本観;人間アインシュタイン;船上のアインシュタイン);第5章 天才科学者が残したこと(科学者アインシュタイン;アインシュタインの発明;世界平和とアインシュタイン)



(かねこ・つとむ)/著者は、読売新聞記者、中央公論社編集者、大阪府立大学教授そのほかを経て、現在、大阪府立大学名誉教授。著書に、『江戸人物科学史』(中公新書)、『アインシュタイン・ショック』(1〜2/岩波現代文庫)、ほか。



金子務・監修、千葉透・著『図説 アインシュタイン』河出書房新社 ふくろうの本 2007年


コメント(5)

アインシュタインは五歳ごろまでしゃべられなかったと、聞いたことがあります。それが奏効して異常なまでの空間把握能力を発揮できるようになったんじゃないかという説らしいです。これを聞いてなるほどそれでDV夫だったのかなあ、なんて想像してたりしますが、歴史になってみればそれは大した問題ではなく、やっぱりぼくらのアイドルであることにかわりありません。
ウィキペディアにもこんなことが書かれていますね、アインシュタインは「5才頃まであまり言葉を話さなかった。そのことが、かれの頭脳の働きを単なる記号的ではない、全体を把握する能力を養ったという意見もある。」

「小学生のようにスペルを間違えることがままあった。”R”の大文字を生涯鏡字で書き続けた。」

「ヴァイオリンの演奏を好んだ。しかしピアニストで友人のアルトゥール・シュナーベルとアンサンブルを行った際、何度も拍の勘定を間違えるため、シュナーベルから”きみは数も数えられないのか”と呆れられたという。 」


「幼年時の学習状況、成人してからの振る舞いなどから、アインシュタインには何らかの障害(アスペルガー症候群、学習障害)と共通していることが指摘されているが、医学的な検証はなされていない。」


同じくウィキペディアに拠ると 、アスペルガー症候群である(だった)とされる著名人っていうのがまたゴージャスで、アルバート・アインシュタインのほかに、

アイザック・ニュートン、
ジェレミ・ベンサム、
グレン・グールド、
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、

ですよ。超興味深い。






脳は、耳の系統(時間)と、目の系統(空間)という、ほんらいまったく異なった系統を、言語という両系統にまたがる記号を用いて、見かけ上の統制をおこなう(ということらしい)。なんとなれば、言語の習熟が不十分だと、時間と空間の認識がそれぞれ別個におこなわれて、非和解的な世界が知覚されるでしょうね。

ニュートンにしても、万有引力って、天体「間」の重力というような発見でしょ。いったいどういう関心から、そんなものが発見できたのかしら?

ベンサムについてはなにも知らなかったけれど、ウィキペディアには、「功利主義の立場から実定法を批判的に論じた。法典化を推奨し、後世の国際法学に影響を与えた」なんて書いてありますね。「かれが「誤魔化しの悪魔」("Demon of Chicane")と呼んだ英国の法典の複雑さを深く不満に思い、かれは法律の実践の代わりにそれについて著作することを決め、かれの人生を現存する法律の批判とその改良の方法の提案に費やした。」


たとえば、グレン・グールドのピアノ演奏なんて、すべての声部を(優劣をつけず)ぜんぶ明瞭に聴かせようとするから、聴かされるこっちは、ともすれば気が変になります。メロデイーもひとつの言語と考えるならば、もしかしたらグールドには、なんらかの、障害があったの「かも」しれませんね。ただし、その「障害」とともに、異様に魅力的な表現が達成されている可能性が高く。

ヴィトゲンシュタインがまた言語と現実のズレへの畏怖から、論理哲学へ進んだ、凶暴な知性。

たしかになんらかの共通性を感じますね。しかも、みなさん、実存の不安と結びついているところがぞっとしますね。
ウィキを調べなかったのは怠慢かもしれませんが、こうやって例示されたものを見るとたまりません。
アスペルガーの方には、他にも著名な方がいらっしゃいますよね。
今ちょうど、グレングールドを聴いていますが、勉強不足でまだよく分かっていない所が多いと思います。
ただ、細部や終わり方など、ああ、お洒落だな・・・・と。
それはとても哀しげで、はっとさせられます。
kei さんへ


西洋音楽は、音楽という時間芸術を、楽譜というグラフィックデザインのような空間の言語で、コントロールしますね。ほんらいものすごく脳のバランスを要求されるジャンルなのかもしれませんね。ぼくには音楽家の人が眩しく見えます。


時間と空間というそもそも脈絡のないものに、脳内で統一を与え、音楽として表現するわけですから、そのバランスの取り方は、演奏者それぞれさまざまに固有のバランスがあって、さまざまな偏差があるように感じます。


たとえばコルトーの、あの人懐こい物語のようなピアノ演奏をぼくは愛してやみませんが、かれが(あれだけの名演奏家でありながら)左手をやたら間違えることは、どういう脈絡から起こることなのか、たいそう興味深くおもいます。推理するに、コルトーは音楽の物語(=時間)にあまりに魅了されるあまり、どうしても縦の側面の一部が、振り落とされ気味になってしまうんじゃないかしら???


グレン・グールドは、楽譜を建築の設計図のように扱い、いかにも理解が透明になるまで徹底的に読く様子が見て取れます。表現もまた、いたって透明。そして対位法に対する愛着。すべての音楽を、「広義に」対位法として表現したいという意思さえ感じます。たとえば19世紀の曲に対して、グールドは、和音を「高速アルペジオのように」かすかに分解したり、よくやりますね。・・・かれの演奏は、さまざまな横(メロディ)が、交差し、発展してゆく、そのプロセスを愉しむような音楽。そのプロセスのなかに深々とした奥行きある空間が堂々と開示されるような。


そう言えば、高橋悠治さんの演奏も不思議な演奏ですね、線が描く歌をところどころあえて止め、弱い緊張感をいつも導入し、持続させるような演奏。音色はモノトーンで、和音はぎざぎざしていて、丸まってなくて。音楽が描き出す空間は、墨絵のように「いたって薄い空間」で、そこにはいつも雨がしとしと降っています。

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