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夜とスージーと文学とコミュの3番目の読者のための、『ロリータ』

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ファザコン女子にとって、永遠のマストアイテム、それは『ロリータ』。もしもあなたがファザコン女子ならば、この小説を再読三読して、満月の晩に、そっと目を閉じ7つ数えて目を開いたなら、あらあら不思議、あら不思議、あなたの肩ごしに、少女を愛するエロおじさんが立って、優しく微笑んでいることでしょう。ファザコン女子にとって、少女系女子を愛するおじさんの愛をゲットするための最強のマニュアル、それが『ロリータ』。あなたの顔立ちにもよりますし、年齢制限もありますが、ま、だいたい27歳くらいまではいけるんじゃないかしら。さ、ファザコン女子のあなた、『ロリータ』読んで、心優しいエロおじさんを手玉に取っちゃえ。




と、同時にロリコン中年男にとっての永遠のマストアイテム、それもまた『ロリータ』。もしもあなたがロリコン中年男なら、この小説を読み始めたとたん、あらあら不思議、あら不思議、たちまちあなたは「4フィート10インチの背丈で靴下を片方だけ穿く」ニンフェットに、下腹部に熱い毒を煮えたぎらせて、淫猥な炎を燃え立たせていることでしょう。老婆心ながら、どうぞ夢想は夢想に留め、まちがっても犯罪など犯して社会の外側に出てしまわないように気をつけてくださいね。




おやおや、なんですか、この書評、愚かですねぇ。ファザコン女子や、ロリコン中年男は、嶽本野ばらでも富士見書房のロマン文庫でもお読みになれば良い、わざわざ『ロリータ』読むことはない、また読んだところでどうせ途中で投げ出してしまうでしょう。むしろナボコフの『ロリータ』は、文学を愛し抜いてきた読者のためにこそ、書かれているんです。そしてこの小説に読むべきは、<主題と記述の情交>なんです。そう、ナボコフは少女についての愛を語りながら、それについて語る叙述にも愛を隠せない。むろん<少女への愛>と<言葉への愛>は、ほんらい次元の異なったもの。しかし著者ナボコフの『ロリータ』にあってのみは、ほんらい次元を異にしたふたつの愛が、鏡のように互いを映し合って、無限に増殖してゆくんです。ここがナボコフの『ロリータ』が世界文学最高傑作のひとつと目されている所以です。



お、あなたは3番目の読者、文学マニアですね、では、文学マニアのための文学のマスターピースとしての『ロリータ』の魅力を、語ってゆきましょう。







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順を追って語ってゆきましょう。世界文学のアイドル、ドロレス・ヘイズ、そう、ロリータ。ハイソックスに包まれた彼女の両足は、ふたつの世界の上に跨って立っています。一方は、「文学を愛する中年男が、少女に愛を抱き、まず少女のシングルマザーに近づき、母親と結婚を獲得、その後、母親を殺害し、遺された少女とふたりでアメリカを逃避行する」という物語の上に。他方は、「あらかじめ信用できない存在として陳述の場に立つ文学好きの殺人容疑者が、なんとか陪審員の関心を引き寄せ、なろうことなら自己の罪状を軽くすべく、熱弁を繰り広げる、さぁ、かれが語りに費やす努力はかれの目的を達成できるだろうか」という物語の上に。



なんだかぞっとしませんねぇ、ふたつとも陳腐なドラマ、いずれも深夜のテレビにお似合いで、いずれも視聴率2パーセントを切っちゃうでしょ。そ、ふつうだったらそうなんです、超陳腐。しかしね、この小説『ロリータ』において著者ナボコフは、それらふたつの陳腐な陳腐なドラマを、二重奏のように同時に語りあげてゆくことに拠って、未知の、文学の可能性を知らしめたんです。え、いったいどこにどのような未知の、文学の可能性が生まれていますか? 



お答えします、なるほどナボコフは、一方で陳腐な陳腐な犯罪ドラマを語ります、文学趣味のろくでなしの中年男が、少女を愛し、彼女の母に接近して結婚した後に邪魔になるので殺し、その後、少女とふたりで愛の逃避行を愉しむ。と同時にナボコフは、この物語を、文学好きの犯罪者の供述として、語ります。すなわち作品の冒頭から読者の前に現れるのは、あらかじめ信用できない文学趣味のろくでなしの犯罪者です。その犯罪者が懸命に自己正当化のための陳述を繰り広げるわけです。かれの陳述は、無駄に饒舌で、その弁論は陪審員の共感を引き出すどころか、おそらく陪審員をうんざりさせ、かれについての心象を悪くさせることにこそ貢献するでしょう、しかし忘れてはなりません、これはフィクションであり、小説という言葉のプレイグラウンドの上でのファンタジーなのです。そしてこの言葉のプレイグラウンドにおいては、いつのまにか<少女への愛>と<言葉への愛>のフーガが生まれ、そのフーガは、歪んだ真珠のように美しく輝き始めます。これを文学の奇跡と言わずして、いったいなんと呼べばいいでしょう!






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さて、この奇跡は、著者ナボコフの数奇な運命にアクセントを置いて見るとき、また別の見晴らしを開きます。著者ウラジーミル・ナボコフはロシア人、1899年の生まれ。ペテルブルクの貴族に生まれ、幸福な思春期を過ごしたかれは、しかしロシア革命に危機を感じ、20歳かそこらで亡命し、しばらくパリでテニスのコーチや翻訳などをして暮らした後、覚悟を決めアメリカへ渡りました。アメリカでは蝶の研究家として教壇に立ち、また文学講師としても教壇に立ちます。そんなか、かれは『ロリータ』を母語ロシア語ではなく英語を使って書き、1955年に発表しました。『ロリータ』はその題材のスキャンダルのゆえに、大ベストセラーとなって、がぜんおカネ持ちになったナボコフはさっさと教壇を降り、専業作家となってスイスに渡って、その後は執筆に専念し、優雅な晩年を生きてゆきます。




さて、このような著者の略歴を考慮したとき、小説『ロリータ』は、がぜんポップマニエリスムにアレンジされた『不思議の国のアリス』のように見えてきます。いいえ、この比喩にはもう少し説明が必要でしょう。20代後半でアメリカに渡ったロシアの亡命貴族ナボコフの目に映ったアメリカは、コカコーラとハンバーガーとハイウェイとモーテルでできた、奇怪な夢の国に見えたことでしょう。時は、1950年代、ラジオからはキュートで脳たりんなポップスが聞えてきます。「ローリパップ、ローリパップ、ローリパップパップ!」女の子の花のように開いたスカートが、きれいな形を描いて、揺れています。







しかしながら目の前に現れたアメリカの少女は、いつしか著者ナボコフの夢想のなかで、ペテルブルクで過ごした失われた思春期、その幸福の象徴としての少女と重ね合わされてゆきます。ナボコフはそのかれのファンタズムを具現化すべく、英語を用いて記述してゆきます。かれの記述にしたがって、ほんらい非和解的なふたつの世界、そう、追憶に霞むペテルブルクと現在の消費国家アメリカ、失われた思春期のなかで微笑む記憶のなかの少女と現代のアメリカンガールが、魔術のように融合してゆきます。非現実と現実はもはやさかいめなく繋がり、すべては言葉の輝きのなかに収斂されてゆきます。ナボコフは、一方に『ロリータ』(新潮文庫)、他方に、追憶のなかに佇む美そのもののような散文『記憶よ、語れ』(晶文社)、この2冊のなかに、その美質のすべてをを収斂させてゆきました。



ナボコフを読むこと、それは文学を愛し、人生を慈しむこと。とりわけ3番目の読者にとっては。



ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』
若島正:訳。
新潮社刊 文庫
原著 1955年
文庫版初版 2005年

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