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夜とスージーと文学とコミュのフランス人はみんな彼女のことをおもって泣いた。

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フランスが統治していた時代のヴェトナムに育った娘は、貧しさのなか、兄を溺愛する母への反感、そしてろくでなしの兄への殺意を抱いている。彼女の家族は問題を抱え込んでいた。彼女の母はもういい歳だというのに、サイゴンで「美しいフランス語」を教える学校を開く。学校のために手に入れた土地は、海辺の「塩漬けの土地」といわれるようなろくでもない土地であり、騙されてつかまされたたのだった。兄たちは親のカネを盗んでアヘンをやったりしている。



彼女は、作家になろうという意思を持っている、母はそれを笑う。出口のない孤独のなかで、15歳の彼女は中国人の愛人になる。彼女が通うリセの校門の前に、黒塗りのリムジンが彼女を待っている。彼女はかれに愛されたが、彼女はかれの内面を見ることはない。しかも華僑のカネで、彼女の家族全員が食事をしたりする。母は、ろくでなしの兄たちを愛している、母はどこか狂っている。生まれつきなんだ。母は狂気を健康のように生きている。フランス領、ヴェトナム。「あの国には季節の違いがない、いつも同じ、ひとつの暑い、季節。ここには春はない、季節の甦りはない。」



やがて彼女はフランスへ旅立ち、長い人生の時が経ち、彼女は人生の暮れ方にいたるのだが、それでも彼女は自分の思春期、そして自分を形成していったすべての要因について、煩悶は続いている。あまりに複雑なおもいだけがいまなお生きている、ただし、かつての中国男からの自分の美貌への賛辞は、わずかに彼女を慰める。そういう物語である。





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マルグリット・でュラス『ラ・マン 愛人』(清水徹・訳、河出文庫 原著1984年)。その物語は不意に始まる、「十八歳でわたしは年老いた。誰でもそんなふうなのだろうか、尋ねたことは一度もない。人生のもっとも若い時代、もっとも祝福された時代を生きているうちに、そのような時間の重圧に襲われることがあるものだ、そんな話を聞いた覚えがある、この老化は容赦なかった。老化が顔の線をひとつまたひとつ劫掠してゆき、顔だちのなかの関係を変化させ、眼は大きくなり、まなざしは悲しみをたたえ、口もとはきっぱりと変わりようのないものになり、顔に深い亀裂が刻まれるのを、わたしは見た。顔の老化がこのように進んでゆくのを見ながら、それに怯えるどころか、たとえばなにかの本で物語がしだいに繰り広げられてゆくのにのめりこんでゆくような気持ちを、わたしは味わった。」(p8)



そして物語は始まる、メコン河を一隻の渡し船が通ってゆく、十五歳半の「わたし」が乗っている、有名な映像から・・・。



「十八歳のときなにかが起こり、そのためいまのこの顔が生まれたのだ。あれはきっと夜起こったことだ。わたしは自分が怖かった。わたしは神が怖かった。(・・・)わたしは殺したかったのだ、上の兄を、かれを殺し、一度は、せめて一度は兄を支配するようになりたかった、兄が死んでゆくのを見たかった。それは、母の眼前から、母の愛の対象であるこの息子を奪い去るため、母がこの息子をあんなに強く、あんなに下手に愛しているのを罰するため、いやとりわけ、下の兄を救い出すためだった、」(p12)





彼女はすでに男たちの視線を意識している。「美しいということがみんなの望むことならば、美しい、あるいはかわいいと言ってもいい、(・・・)わたしについて、みんながこんなふうであって欲しいとおもうなんにでも、わたしはなることができる、(・・・)いささかも良心に恥じることなく、わたしは魅力的であることができる、たとえ兄を処刑しようと考えに取り付かれているわたしであろうと。」(p30)



彼女は幼い娼婦のような格好で外出する。彼女の母親は娘の素行に気づいているが、止めはしない。娘の自分がおカネを求めている限りは。


彼女は作家になることだけを考えている、望むことは書くこと、それだけ。母親は娘の考えをコドモじみた考えとしてあざ笑う。




「男はドレスを剥ぎ取り、それを投げる。白い木綿のちいさなパンティを剥ぎ取り、裸にした娘をベッドまで抱えてゆく。(・・・)娘は、男の服を脱がせ始める。眼を閉じて、それをやる。ゆっくりと。男は娘を助ける仕草をしようとする。娘は、動かないで、と男に言う。あたしにやらせて。あたしがやりたいの。娘はそれをする。男の服を脱がせる。(・・・)皮膚は華奢なまでに滑らかだ。身体。身体は痩せていて、力強さなどすこしも感じられない。筋肉がない、病気だったのかしら、治りかけなのかしら、ひげがなく、セックス以外には男らしいところがない、とても弱弱しく、ちょっとした侮辱にも苦しみの声をあげるように見える。彼女は男の顔を見ない。さわる。セックスの、皮膚の滑らかさにさわる、金色を、未知の新しさを愛撫する。男はうめく、泣く、男はおぞましい愛のなかにいる。」 (p62)


「母親は悦楽を知らなかった」(p63)


「身体の上をあちこちキスされると泣けてくる。まるでそのキスで心が休まるかのようだ」(p74)


母親は言う、「シナの百万長者なんていうひどいクズにね、なにさ、若い銀行家気取りでダイヤの指輪なんかはめて」そう言って彼女はさめざめと泣く。(p147)





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この物語は、ヴェトナムを舞台にした物語でありながら、登場するのは、フランス人少女と、彼女の(崩壊寸前の)家族、そしてフランス人少女の華僑の愛人。ちなみに華僑の愛人は、紳士的であり、かつまた少女の性に溺れる。華僑の愛人はベッドのなかで泣くことはあっても、小説のなかで、かれの内面が考察されることはない。この小説のなかにヴェトナム人はほぼ登場しない。主人公のフランス少女は、母親に敵愾心を持ち、兄を殺したいとおもっているが、どこまで本気かはわからない。彼女は、作家になることだけを救いと考えているが、母親はそれを子供じみた考えと笑う。彼女に、心を打ち明ける友達はいない。植民地のなかのよるべないフランス人、その根拠なく高いプライドと底なしの孤独。出口はどこにもない。彼女は長じた後も、思春期の自分が植民地で過ごした季節を、自分を形成していっただろうさまざまな出来事を、飽くことなく考察してやまない。ひとつの病癖がここにある。




植民地で植民国の娘が、思春期に貧困のなかで華僑の愛人になる。こうした物語は、植民国側の物語として似つかわしくない。この物語を読んだフランス人読者は、自分たちの同胞である女性が植民地で降りかかった不幸をおもって、泣くだろう。だが、アジア人の男は、この物語を読んで、彼女をおもって泣きはしない。傲慢で、いじらしく、気丈で、かわいそうなマドモワゼル、とおもいこそすれ。


だが、その散文は、異様な美しさを放っている。それが決して、自分のための美しさでないにせよ。
この優れた書き手のなかには、傲慢で、いじらしく、気丈で、かわいそうなマドモワゼルが棲んでいる。





マルグリット・デュラス(Marguerite Duras  1914年 - 1996年)
『愛人 L' Amant』は、1984年、彼女の70歳のときの作品。
彼女は、フランス領インドシナ(現ヴェトナム)ギアダン生まれ。

コメント(6)

フランスを代表する女性作家(ロマン派)に、デュラス,ユルスナール、コレット、ジョルジュ・サンドがいるが、その中でもデュラスが好きです。
Yann,Andre'a が書いた「Duras 閉ざされた扉」を読んで デュラスを深く
理解できるようになりました。
その本の中に、彼女と非常に親しい俳優のジェラール・ドパルデューが、
デュラスのアルコール中毒に関して奇抜な意見を述べている。
このドパルデューの手紙の圧巻は、彼がデュラスの「精気溢れる老人学」に触れた件である。

  F・トリュフォーが不良少年であるのと同じように
  あなたは非行少女であり、与太者グループのリーダーだ。
  あなたの仲間のゴダールも一種の非行少年だが、彼は
  金色の革ジャンを着ている(不良少年のことを「黒い革ジャン」
  と呼ぶのを踏まえて、金色の皮ジャンは「裕福な家庭の不良少年」を指す)
        中略
   
  [死の病]から[青い眼・黒い髪]に至る変化は、ヤン・アンドレア、
   デュラスに対して抱く無意識的殺意をバネに展開されていったが、
   デュラスの作品世界では、そういう殺意こそ、なにものにもまさる
   愛の証であり、「人恋わば人をあやむる心」の妖気が蕩揺する。
   

 こういう手紙を平然と書くドパルデューももちろん、れっきとした不良少年
 である。
  
そう言えば、ヤン・アンドレアの本の書評を
むかし書いていました。紹介しましょう。




さぁ、書いてごらんなさい。
「私はデュラスの文章が…」と
 

それにしてもかれは、いったいなんという女を愛してしまったんだろう。マルグリット・デュラス。かつてフランス領だったヴェトナムに生まれ、一途にフランス語を教える(処世の下手な)母親のもとで美しく育ち、思春期に華僑の青年の愛人になって、その後のアンビバレントな人生を決定的にしてしまうそのエピソードは『愛人(ラマン)』で知られるとおり。かわいそうなマルグリット。植民地ヴェトナム生まれの、宗主国の国民であるにもかかわらず貧しいフランス人は、その後政治的な錯誤の上に自分の精神が育ったことを知った時、いったいどうやってその精神を、もう一度築き上げればいいだろう? 彼女は〈書くこと=飲むこと〉とともに、その溶け合った世界のなかに、自分の場所を探し続ける。探し続ける行為が続くあいだかろうじて彼女は、自分自身が存在し得ていることを知る。その、いかにも壊れやすく、不安定きわまりない生。彼女の作り出すテクストのように――。他方、(やはりまたかわいそうにも)そんな彼女を愛し、彼女の執筆を助けさえしたブルターニュ生まれの男、(38歳年下の)、ヤン・アンドレア Yann Andréa (ふたりは1980年出会う。いいえ、出会ったときかれはまだヤン・アンドレアではなく、その名はその後デュラスに拠ってつけられた名なのだ)。


この小説のなかには、二人の真摯で奇妙に倒錯的な、しかもこの上なく激しい関係が描かれている。そう、たしかに倒錯的だ。なぜって、〈書くこと〉を三番目の存在として、たがいに三角関係に陥っているように見えるから。「もしも私が文章を書いてなかったとしたら、あなた、私を愛した? さぁ、書いてごらんなさい。私はデュラスの文章が大嫌いですって」と、かれにくってかかるデュラスの、この上ないかわいらしさよ(そしてこの上ない面倒くささよ)。もちろんかれはそんな文章を書けるわけがない。かれは、彼女のつむぎだすテクストと彼女自身とを、ともに愛してしまったから。 なんて奇妙な痴話喧嘩だろう、しかもじゃれあいの域をとうに超えた、危なげ・・・。



かれには彼女の執筆を、たとえば口述筆記で助けることへの至上のよろこびと自負があり、他方で、彼女が自分のことを充分には認めていないのではないかという昏い不安を生きている。この(二重の意味で)奇妙なダンスが破滅へと至らなかったことは奇蹟的だ。この本を読み終えた時、あなたはこうおもうだろう。たしかにこの男は愚かかもしれない、けれどももしそうだとしても、なにかに熱狂することのない人生など、生きるに値しないだろう、と。いいえ、彼女の姿は、いま、私たちにもまたありありと見えることでしょう、そう、デュラスは生きている。ちなみに原題は"Cet amour-là"  訳題はなんともかんとも・・・。



ヤン・アンドレア著『デュラス、あなたは僕を
本当に愛していたのですか』
村上香住子訳河出書房新社刊
少女時代の彼女の愛人は、ほんとうは中国人ではなく、ヴェトナム人だった!??


興味深い記述が、鈴村和成『アジア、幻境の旅ー日野啓三と楼蘭美女』(集英社刊 2006年)のなかにあった。その本は、日野啓三が1934年5歳から、1945年16歳まで、当時大日本帝国であった朝鮮に住み、敗戦とともに日本に引き揚げた出自に着目し、他方で、日野啓三が旅したアジア各地を訪ねるルポルタージュでありエッセイである。話題は多岐に渡るのだが、そのなかに日野は、引揚者であるデュラスを身近に感じ、かつまた自分自身読売新聞のサイゴン特派員時代を持っているがゆえ、関心もひとしおだったという章がある。さて、問題はここからなのだ・・・。


鈴村さんは、p80で、ロール・アドレールに拠る評伝『マルグリット・デュラス』(ガリマール 1998年)に引用された、デュラスの未刊行日記を紹介する。


日記に拠るとデュラスは、レオという名のヴェトナム人青年と関係している。そしてそのレオのキスを、実におぞましそうに、けがらわしそうに書いている。嫌悪の極みと言うように。そしてこのキスが、娼婦マルグリットの誕生である、と鈴村さんは書き、しかもこのヴェトナム人のレオが、『太平洋の防波堤』では、ジョーという白人になり、『愛人』では中国人になる、と書く。


しかも鈴村さんは書く、「ジョーはこっけいなほど醜い青年だが、中国人はなかなかハンサムなようである。/三人の”愛人”のなかでは、中国人が一番美化されている。たぶん日記のレオが実像に近いのだろう。/デュラスは『愛人』を書く段階で、およそ五十五年前の体験を思い出しながら。『太平洋の防波堤』の白人ジョーを消し、ジョーのモデルであったベトナムひとレオを消したのだ。」


ほんとうなのだろうか!??


にわかに信じがたいエピソードだが、もしもそれがほんとうだとしたら、なぜ、デュラスは、自分の作品『愛人』のなかで、文学的には(!)、ヒロインの愛人は決してヴェトナム人であってはならず、むしろ中国人でなければならない、と判断したのだろうか?


それはそうと、大作家はたいへんだ、同情しちゃう。
なんと、奥泉光といとうせいこうが、この『愛人』について、漫談をやっていたましたね。今年の一月。そして、今月号のすばるにも掲載とか。いったいどんな内容でしょうか。文体だとか、ディテールを論じるのではないかと思いますが。
へぇ、それは未読。
なんでいまさら『愛人』なんでしょうね? 
池澤版世界文学全集効果?


奥泉さんはね、知的で、巧く、おもしろい作品を書く人ですよ。
もっとも、ぼくは『モーダルな事象』しか読んでいませんが、
たいそうおもしろがった。どう見ても現代文学の人でありながら、
その書き方には、エンターテインメントのたのしさに通じるものがありました。


http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23389314&comm_id=83940

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