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霊的共同体コミュの「義認」の諸理解

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パウロは、キリストによってもたらされた「新しき時代」(the new eon)における律法の克服を強調した。

律法ではなく、キリストを信じることによる「義認」である。しかし、「信仰による義認」はあっても、世界全体の恩恵による「義認」にはまだ至っていなかった。


アウグスティヌスにおいては神の恩恵は実体であり、人々の中に注入されて愛を創造し、歴史の最後の時代を確立する。

教会がその時代を迎える。教会はキリストが支配し、そして、神に至る。

教会に結びついている限り、罪の赦しがあり、神の愛が注入される。「義認」は愛の業へと発展する。

即ち、「義認」は教会における赦し、愛の業が条件となり、やはり、何がなくともただ恩恵による「義認」という区別に至っていない。


ルターにおいては、「義認は罪に対する神の怒りと、神との人格的関係に導く神の赦しの個人的体験であって、

パウロやアウグスティヌスにおけるような宇宙論的・教会論的枠組はない」。これがルターの義認論の限界である。

個人的主観の発見だから、改革派教会にどうしてもそれが知的正統主義と情緒的敬虔主義をもたらした。

彼においては、主観主義に均衡(バランス)を与えるものがなかった。

これによって現代の教派はほぼ知的教会また情緒的教会に造られてしまった。たとえば、教団と単立教会。

ここにも、勿論、客観的な神の恩恵による「義認」はない。知的理解か情緒的理解かに偏ってしまう。

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