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霊的共同体コミュの「主の祈り」

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 「主の祈り」は、主イエス・キリストが弟子たちの求めに応じて答え、お教えになったものです。その原型は、マタイ福音書6.9〜15とルカ福音書11.2〜4にあります。

人間が祈るべき祈りの要約であり、祈りがここに集約されました。わたしたちがそれぞれの事情を抱えた祈りがあったとしても、祈りはこれに尽きるのです。

これはユダヤ教の祈りである「シェマー」(聞け)に対応するものだと言われています。

申命記の「シェマー」は少し長いのですけど、その頭にこうあります。
   6:4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
   6:5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

これはまず、主を主として覚えるための祈りです。それに続いて子孫(人間)のための祈りが続きますが、全体としては「主を主とする」ことが「シェマー」の目的であると言えます。

主イエス・キリストが弟子たちに教えた「主の祈り」の内容もこれに似ていますが、要点がより鮮明になっています。「主の祈り」を「行」にしますと、8行からなります。前半は神のための祈りです。1行目は神への呼びかけです。

「天にまします我らの父よ」の「天」とはどこでしょう。「マタイ 3: 2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。」、これが主イエスの宣教の第一声です。これに従えば、天の国は近付いてくるものであり、空間的であり、場所的です。

ユダヤ人クリスチャン対象に書かれたマタイ福音書ではユダヤ人に分かりやすく「天の国」という表現でしたが、主に異邦人クリスチャン対象に書かれたルカ福音書では「神の国」という表現が使われています。

ルカ福音書ではこう言われているのです。「17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」と。

ここでは神の国は空間的・場所的ではなく、神を信じているわたし、わたしと共に、わたしの中に神の国はあるのだ、ということです。「共在的」な表現です。

わたしたちは「天の国」(神の国)が空間的・場所的な存在であり、且つ共在的な存在であることを認めます。

「天国」と言うと、わたしたちはどちらかというと空間的・場所的にのみに考えてしまいます。それは大きな間違いです。

「クリスチャンが死んだら天国に行く」という信仰が強いからでしょう。主イエスは「あなたがたの間にあるのだ」とも言われました。

実に、生きている今、わたしたちのうちに、信仰に生きている者の内に神の国はあるのです。今、神の国に生かされている、神の御支配のうちにある、これがわたしたちのダイナミックな活ける信仰です。

生きている今、信仰によって神の国に既にいる、神の国には死んでから行くところではありません。神の国の御支配に生きている、これがキリスト者の信仰です。

しかし、「天の国」は既に来ていますが、未だ完成はしていません。すると、「天にまします」とは、共在的に理解して、「わたしたちを支配し、わたしたちのうちに働いておられる父よ」と言うことが出来ます。

「父よ」という表現は、神を三位(さんい)一体の神として、その第一位格を呼んでいます。
 
 第2行目は、「御名があがめられよ」です。本文は命令形で、強い願望を表します。何よりもまず、わたしたちは神の御名を賛美します。

究極の祈りはこれに尽きます。一言だけ祈れと、言われれば、わたしたちは御名があがめられることを祈るしかありません。

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