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賢次牢コミュの哲学の巫女はΩだったのか?

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言わずがな読んだことはない。

哲学の巫女こと(初めて知ったぞ)池田晶子という女史の物語だ。

ネットでの風評と断片化したテキストを読むと何のことはない。ありふれた哲学性という程度の印象を抱くだけである。存在が存在することの不思議とか、埴谷らしいが、分析哲学的にはトートロジーに不快を抱くただの分からず屋だろう。

ということは置いておくとして、ウィキペディアには「夫とは、子供は絶対に産まないという条件で結婚したとされる」とある。出典元を辿ると「子供は絶対に産みたくないといわれ、跡継ぎの途絶える知人はビックリしたとのエピソードも話してくれた」とある。
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/988

Ωであれば子供は「絶対に産みたくない」ではなく単に「産まない」だ(個人の意志など関係してこない)。また、「子供は絶対に産みたくない」という表現は性行為そのものを否定するものではないことが見て取れる。検索してみたが、池田晶子女史がなぜ出産を否定したのかその理由がつまびらかになることはなかった。
(一般的に、彼女の結婚が公になったのはその死後であり、それを伏せておこうという意図はあったようだ。)

翻って、哲学の巫女はΩだったのか? 君達(Ωの徒達)に尋ねてみたい。

コメント(11)

 池田女史をΩ的に感じるのは、中島義道よろしく謂わば世間的な安直な価値観(肯定的にせよ否定的にせよ)に対して懐疑的或いは批判的だからだろう。

 勿論、その常識批判の一つに出産否定もあるのだろうが、池田女史が既婚であり、且つその事実を公表していなかったことには何らかの意図(思想的後ろめたさでもいい)を感じないわけにはいかない。例えば、サルとボーのように契約結婚であり、養女をもらうという形式(公表)でもよかったはずだ。熱烈な読者でもファンでもないんで、単に弱さと切り捨てるのが適切だろうが。

 ところで、愛美ちゃんは大変な読書家らしく(一方おれは殆ど読まなくなった)良本を山ほど抱えてるらしいんでベストセレクションを無償でおれに譲ってくれるように。おれもなんかブックオフで漫画でも仕入れて代わりにやる。
>愛美

じゃあ、名指しでフルーチェ(?)の『チャラ雄虎かく語りき』をもらおう。おれからはワンピースの199巻をやろう。
>終言

>2に名の挙がった中島義道及び哲学の巫女は共に既婚者であり(中島には子はいるが子の有無は問わない)、よって両名ともΩに非ず。
>6

 デマだ。その上で言っておくが、孤風さんは「出産に準ずる結婚に対して否定的」ではない。もはやそんなことは取るに足らないことだし、孤風さんにとっては出産に準ずる結婚でもなければ結婚に準ずる出産でもない。

>一般的な経緯として結婚に準ずる“お付き合い”の関係にあることは、Ωにとって許されるのでしょうか?
 Ωに許されるも許されぬもないが、一般的には非性交もしくはpcを処置しておけば問題はない。また、結婚及び出産に該当した時点でΩではなくなるだけことだ。
>8

 特に結婚という言葉を毛嫌いしているわけではない。そうではなく、子は結婚せねば設けられぬもの、或いは子が設けられたら結婚するもの、というこの二つのテーゼを同時に引き受けるなら、現実的に殆ど結婚と出産は符合するということだ。

>子供を作らないことを信条として結婚をする夫婦もいれば、結婚をしていないけれど子供を作るカップルもいれば、子供を作れない夫婦(同性愛・不妊症)もいる
 殊日本に限れば、君のこの三つの規定は非現実的なんじゃないか。確かに「子供を作らないことを信条として結婚をするカップル」も可能性としては有り得るかもしれない。しかし、法的な結婚の定義(義務云々)を考えると、特別な理由がない限り「わざわざそんな結婚する意味なくね」で終わるだろう。同じように、「結婚をしていないけれど子供を作るカップル」はショットガン・マリッジを考えればごく普通のことだ。しかし、「結婚をしていないけれど子供を作るカップル」は子供ができた後も結婚しないのか? 最後に「子供を作れない夫婦(同性愛・不妊症)」だが、そもそも日本では同性婚は法的に認められていない(そんな結婚の形態はこの国には存在しない)。問題は「不妊症」だが、これも事前に一方が解決不能な不妊の原因を持っていることが明らかになっていた場合そもそもその結婚が成立しかどうかも疑問だ。要するに(無論君の言うようにこの結婚への拘泥は本題ではないのだが)、君の持ち出した例は非現実的な特殊な事例にすぎないということだ。

>出産の問題について肝心なところは、結婚をしたかどうかではなくて、子供を作ったか作らなかったかというその一点にあるように思います。
 勿論君の言う通りだ。そして、実際過去にはおれも君と同じように考えていた。しかし、上記に書いたように実際には結婚と出産が強く結びついていること、この現実の様相が問題だ(ゆえにおれは結婚を否定する)。第二にΩは自力本願だ。Ωは一人立ってあるものだ。結婚のように、長期継続的な性的関係や、一つ屋根の下に共に恒久的に暮らすようなことはしない。この極めて個人的であるΩと、共同体形成(例えば家族)という意味合いをもった結婚はそもそも相容れないのだ。(君には後者の考えを明確にしていなかったので、不理解を生んでしまったのだろうが。)ゆえに、「中島義道及び哲学の巫女は共に既婚者であり(中島には子はいるが子の有無は問わない)、よって両名ともΩに非ず」という判断は妥当なのだ。判断に迷うのは、サルトルとボーボボ(?)のような極めて合理的な結婚の形態だろう。
>>[10]

 素人ならΩと言って差し支えないだろうが、この巫女玄人なんで非Ωと断ずる他ないな。要は言動の不一致でさ。「夫とは、子供は絶対に産まないという条件で結婚したとされる」って馬鹿すぎだろ。Ωなら、「夫にPCさせた上で」か「(自分が)子宮をもぎとった上で」結婚したとされる、だろ。

 他方、「この宇宙をやがて破壊する思惟」って具体的に何なんだろうな? たまたまΩ風に書けたポエムな気がしないでもない。

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