ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

豊臣一門コミュの豊臣秀保

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
天正7年〜文禄4年(1579〜1595)
実父:三好吉房
実母:日秀(とも)
実兄:豊臣秀次・秀勝
養父:豊臣秀長
叔父:豊臣秀吉・秀長

辰千代→豊臣秀保
従三位権中納言

紀伊・大和100万石。

正室:おきく(秀長娘)

略歴
天正7年、秀吉の姉ともの末子として生まれる。
叔父秀長の養子となり、秀長が1591年に没すると13歳にして郡山豊臣家を継いだ。朝鮮出兵(文禄の役)では兵15000を率いて参加するが自身は渡海せず、名護屋に陣を張り2年間滞在。家老藤堂高虎(紀伊国紛河城主2万石)と桑山重晴(紀伊国和歌山城代1万石+但馬国竹田城主2万石)が補佐した。文禄4年、病を得て大和十津川にて療養中謎の死を遂げる。享年17歳。
秀保には嗣子がなかったため、大和豊臣家は絶家となった。

コメント(1)

・秀保戦歴
秀保は秀次の末弟であり、若くして大和豊臣家を継ぎ、しかもその頃には日本は秀吉によって統一されていたため、秀保には戦歴といったものが全くない。唯一、戦番として出陣したのが朝鮮出兵(文禄の役)の名護屋城在陣であった。

[羽柴秀保陣屋]
名護屋城の南ほぼ1?(串浦湾に面した位置)に位置し、陣城群の西端で、串浦からの外敵も意識した重要な役割を持つ特殊な陣城だったという。一郭、二郭に分かれ、合計3万?と最大の陣城で「名護城図屏風」にもはっきり描かれている。
現在の佐賀県鎮西町周辺に所在し、国の特別史跡に指定されている。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

豊臣一門 更新情報

豊臣一門のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。