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過去日記図書館コミュのI put a spell on you

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http://www.youtube.com/watch?v=BCUVQb1ENJA
http://www.youtube.com/watch?v=xeXqtzusIU0
CCR「I put a spell on you」

恋をしたとき、その相手の心を思いのまま操れたら…
学生の頃にはそんなことを思ったものだ。

誰かを、例えばクラスメートでも、好きになったとして、今ほど通信手段は発達していなかったから、その想いを伝えるのは簡単ではなかった。

携帯電話もメールも無い時代、電話といえば各家庭にあった固定電話であり、文字で気持ちを伝えるには手紙しかなかった。
もちろんワープロも無かったので、辞書を片手に何度も書き直しながら想いを込める作業は恥ずかしくも心踊ることだった。
電話で話す時、固定電話である以上約束でもしていない限り、本人が直接電話を取る可能性は低い。
大抵は母親だったり、兄弟姉妹だったり。
最悪なのは勿論、父親だ。ダイアルして呼び出し音が鳴る間の逃げ出したくなるようなドキドキ感(笑)。
期待に反して父親らしき男の声で繋がったら反射的に電話を切ったこともある(笑)。
運良く電話を取り次いでもらえても、電話は大抵リビングか玄関にあり、家族に話の中身を聞かれる覚悟が必要だった。
コードレス電話が普及したのは僕が大人になってからだった。

だから電話をかけるときは公衆電話を利用した。
高校生の頃、僕の自宅周辺には公衆電話があまりなく、駅まで出ていって電話ボックスを利用することが多かった。

10円玉をたくさん用意し、夕方相手の父親が帰宅する前を狙って電話した。勿論、家族には内緒だった。恥ずかしいし、そんなことに小遣いを遣うなんて冷やかされるのがオチだった。

そもそも僕はナンパな嗜好のわりに生活パターンは体育会系だったから、クラスメートでも親しく接する女の子は稀だったし、気になる女の子は余計に話せるものじゃなかった(笑)。

そんな僕でも恋をしたら勇気を振り絞り電話に頼るしかない(笑)。

最初は、ぎこちない会話しか出来ないものだけど、何度か電話をするうちに相手の女の子も慣れてプライベートな話もしてくれるようになる。

そうなってやっと2人で会えるようになる。でも、そこからもけして簡単では無かった(笑)。

喫茶店にでも呼び出せて会って話せるのは、相手も「その気」になっているケースで、そうでなければ、例え公園でも2人きりで会って話すのは難しかった。

だから、手紙というのはとても大事なツールで、表現・言葉の選び方も大切だったけど、字の綺麗・汚いも無視できない要素だった。僕は習字やペン習字を習ったことは無かったけど、字は書き慣れていたのでそこは幸いだった。

クサい台詞やキザな言葉を書くのはカッコ悪い(笑)。さりげないけど心に残るフレーズを使いたくて小説やラブソングの言葉を研究した時期もあった(笑)。

今どきのメールでそんなことはしないだろうし、普段から言葉に敏感になることも少ないだろう。

まして誰もが…今どき中学生ですら…携帯電話を持っているのが当たり前の時代には、僕達が感じたドキドキをもう感じることはないだろう。

それは便利だけど、幸せな事なのかどうか…。

甘酸っぱい緊張感は冷や汗が出たけど、そもそも液晶画面で読む文章・言葉には体温や行間に込めた想いが感じられない。

手に取ることは出来ないし、涙で文字が滲むことも勿論無い。

それは僕にはつまらない事に感じられる。

http://www.youtube.com/watch?v=mQZmCJUSC6g
http://www.youtube.com/watch?v=iYRzES2ejcU
Carly Simon「You're So Vain」

冒頭に書いた「心を操れたら」というのは特別な意味はない。
最初に紹介した曲「I put a spell on you」、「貴女に魔法(おまじない)をかけて…」というフレーズが頭に浮かんで書いたもの。
女性を口説いたり、その気にさせる経験値も方法論も持たなかった学生時代、好きになった女の子にあっさりフラれて泣きたくなるような気分の中で考えたことがあったのを思い出した(笑)。

勿論、今はそんなこと考えることは無い(笑)。

ある年齢、社会人になって、からその気にさせる過程…口説く過程…が楽しい時間と感じるようになったし、アプローチの仕方も随分変わった。


そして、年齢と環境、何より社会意識の変化が大きいけど心(愛情)と肉体(快楽、好奇心)の関係も変化した。

必ずしも愛情が肉体関係の必須前提条件とは限らないし、良好な肉体関係無しに愛情も維持出来ないというのも認知されている。

そういう意味では「口説く」という行為のハードルはかなり低くなっているし、逆に一度関係を持ったからといって恋愛が成立する保証もない。

心も身体も思いのまま操る…

今やこの言葉はまるで「主従」のようだ(笑)。

そこに僕の歓心はないし、欲望もない。

全く無い、と言い切れば嘘になるけど、無くて構わないし、拘りも無い。


http://www.youtube.com/watch?v=-btv-7GkVk0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=XonFZjuyc6E&feature=related
Badfinger「Day After Day」

女性は「求められる」ことで安心感を得る。

性の構造的違い…形状としての凹凸、あるいは機能としての違い…妊娠・育児という性の成り立ち…
異性に求められることで存在価値を実感し、安心感や幸福感を得るのは、潜在意識に生殖機能が与える影響は大きいのかもしれない。

出産という機能を持つ女性は本来、男に比べて「痛み」に強いとされている。
出産時に伴う苦痛は男にはけして耐えられないと言われる。事実そうなのだと思う。

そして、出産に伴う痛みは大きな喜びを生む。
我が子を授かるという喜びであり、子孫を残すという種の喜びもあるのかもしれない。

求められ、痛みに耐え、喜びを得て安心感を得る…

女性に強いM性が宿り易いのは必然なのかもしれない。

男と女が性として対であるのは疑いがない。
一般的にM性に対してS性も対であると思われている。
ならば「対」として男にS性が多く顕れたらバランスがいい…。
mixiのコミュニティでもMを求める「自称S男」が圧倒的に多い。

それでは、S性は男に宿り易いものなのだろうか…?

残念ながら、僕はこの問にYESという根拠を持ち合わせていない。

「Sを気取りたがる」要素は持っているかもしれない。

それは「支配欲」であったり、自分勝手な「幼児性」に因るものであったり…。
幼児性は論外として「支配欲」は愛情や性癖の発露としてなのか…?
残念ながらそうでもない。それは単なる「雄(♂)の生き物としての野心」かもしれない。

そうなると疑問が生じる…。

この宇宙の全てのものは「対」で生まれ、存在する。
「対」のそれぞれは、ほぼ「同数」存在し、互いの存在は絶対的なモノであり、相互に作用し合う。

事実、多少の誤差はあっても毎年男女は、ほぼ同数産まれる。


では、S性もM性も「ほぼ同数」存在するのだうか?

少なくとも僕はそんな統計は聞いたことが無い。
むしろ圧倒的にMが多いと言われている。
「7割の人間はMである」という説もあるくらいだ。
これは「MとSが対」つまり「ペアの存在」であるとしたら、明らかに矛盾しているように思う。

「S=サディズム」の名称は広く知られるように「サド公爵」に由来している。一方、「M=マゾヒズム」は「マゾッホ」という人物に由来している。

ところがこの2人は接点が無い。
交流もなければ関わりすら無いらしい。
そんな2人の性癖や嗜好から生まれた概念…本当にSとMは対の存在なのだろうか…?
そう信じている人が多いと思うけれど…そうでは無いかもしれないと僕は感じる。

「たまたま正反対に見える性癖・嗜好」が、「偶然」存在しただけ…だとしたら?

対か対でないか…この違いの意味はとても大きい。

もし「対の存在では無い」のだったら、お互いがパートナーになる必然性はあるのだろうか…?

自分の性癖がMだからといって「Sを求める」必然性があるのだろうか?


http://www.youtube.com/watch?v=vy-QmgdUVTI
http://www.youtube.com/watch?v=Un35T2TQ0EY&feature=related
Pat Benatar「Heartbreaker」


SとMが「対」とは「似て非なる」存在だとしたら、互いの組み合わせに拘る必要はない、ことになる。

「偶然存在する」2つの性癖・嗜好の相性が「ペア」として都合良く、故に同時に語られ理解されただけ、なのだとしたら…。

ましてや、圧倒的にMの数が多いのなら、組み合わせに拘るのは不自然だし、不幸なことかもしれない。

MのパートナーはMでも構わないし、深く理解し合うには都合が良いかもしれない。精神性を求め、繋がるには深い理解は包容力を生む。

果たして「SとMは対」なのか?「MとM」は求め合えるのか?

「SとS」は無理な組み合わせだと思うけれど、数の論理からも必要性は無いだろう(笑)。


「ずっとM(従)としてS(主)を求めてきたけれど、そうではない相手と知り合い、付き合って初めて安心感を得て幸福を実感した」そう日記に綴った女性がいた。
読んだ僕もホッとしたし、心から祝福したいと思った。

彼女はノーマルな相手と交際する過程で、M性を失ったのだろうか?
おそらく、そうでは無いでしょう。

ではM的願望はポッカリ穴が空いたまま隠れているのか…?

これも違うと思う。そんな穴は無いと思う。
従に徹することで得るものは「欠落感」を埋める感情。
彼女の「欠落感」はサディズムによって埋められたのではなく、優しさという包容力に埋められたと思う。

「全ての人間は程度は違ってもM性を持っている。」
マゾッホはそう考えたし、精神構造学的にもそれは自然なことかもしれない。

「程度の差」が嗜好となって顕在化し、性癖として自覚される。

そして、ここが重要なのだ、と思うこと…
「一般的意識より強いM性の覚醒」が「対の意識」として「S性」を生む(サディズムを覚醒する)のではないだろうか。

つまり、一部の強いM性がS性を伴い(対…表裏の存在として)存在する。
どちらも同じもので別々には存在しない。

MとSはパートナーとして出逢い、求め合うものではなく、本来は出会った結果、マッチングとして表裏が決まっていくのではないのか…?

単なる肉体的快楽を求めるならば、それは「プレイ」だから表裏と考えるよりは嗜好で楽しめば良いのだろう…。

精神世界を土台に置いた「純愛」としてのS/Mの関係と、プレイを土台にした享楽的奉仕関係に因る主従関係も「似て非なる」なのかもしれない。
勿論、精神世界から派生する愛の行為に於けるS/Mの関係性は単なる性的嗜好の主従感とも違うだろう。
僕はS・Mプレイヤーではないのでそこの差異には言及出来ない。

http://www.youtube.com/watch?v=3Al9blQOhNw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=EPOIS5taqA8&ob=av2e
Kim Carnes「Bette Davis Eyes」


プレイに因らず精神的な包容力で「欠落感」を埋められた彼女は、けして「プレイヤー」としての肉体的悦楽は無かったのかもしれない。
「求められた」悦びが強い脳内麻薬物質を発生させ、痛みや苦痛に対して麻痺させたとしても、即ち快楽と感じるとは限らない。
苦痛に対して「耐性」が出来て、脳内麻薬物質によって陶酔感を味わえるかどうかは個人差が大きい。

真に快楽を得られる女性は少ないかもしれない。
そもそも単独で「S性」が存在しないのであれば、Mを自覚しない自称Sは単なるプレイマニアでしかない。つまりは自己満足。

そこに救いや愛なんて求めても得られる確率は高くはないだろう。
男女問わずプレイ愛好家が多いのかもしれないが…。
プレイ愛好家は自由に求め合えば良いと思う。

でも、心に隙間を感じている人は安易にプレイに走るのは危険かもしれない。
お手軽にSMが語られている風潮は疑問に感じる。

心と身体、自由に操るのは不可能だし、出来たとして覚悟がいる。

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