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クンダリーニとチャクラの真実コミュのとんぱ「特集チベット?」に寄稿した文章を掲載します。

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 このトピックは寄稿文の掲載に使っているので、書き込みが終わるまで、書き込まないでください。
この雑誌(専門誌)は、僕以外は層々たるメンツです。 一度、廃刊されたのですが、復刻したと聞きました。  実際はどうなのか解らないので、自分の文章をここに書き込んでおきます。
覚醒の心理的プロセスが描かれているので、参考になるかと思います。


精神世界専門誌出帆新社の「とんぱ」というマニアックな専門誌に寄稿したのですが、その出版社がつぶれてしまい、前巻のチベット?には、ゲシェー・ソナムが「ロジョンの瞑想」やミラレパの足跡の記事や、チベット密教の身体観等も出ていて面白かったのです。

僕が書いた「チベット?」には、ボン教の解説や福田洋一さんのツォンカパの縁起と空の存在論や、ナムカイ・ノルブ・リンポチェの前世の話しや、ブラバッキーの『シークレット・ドクトリン』の訳文が掲載されていました。


その中の、僕の寄稿文を載せます。  文章が永いので、いくつかに分割しますが、内容は当時のままのものになっています。


文章UPの時に、サーバーのトラブルがあって、スムーズにいかず、番号が滅茶苦茶になってます。
順序はあってますが、大分数が飛んでいます。

1999年10月に発行されたもので、寄稿きたのはその半年位前のものです。


内容がクンダリーニと言うより、仏教的内容ですが、クンダリーニの本覚醒後のバルドーヨーガの話になっていきます。

コメント(37)

カギュ派(口伝相承)の瞑想法とその体験




慈悲深い全てのグルに頂礼します。

はじめに―活仏からの手紙

抜けるような青い空の中を飛んでいる飛行機に、白銀に光る山脈の尾根が見えてくる。
 ああ、なんて綺麗なんだろう。飛行機はヒマラヤ山脈の東側、バングラディッシュ側の上空か

ら見るヒマラヤの絶景である。 私はインドのデリー空港からソナダという村に向かっている、

紅茶の産地で有名なダージリンの隣にある小さな村だ。


もう十年くらい前の話なのですが、カギュ派にカル・リンポチェとう優れたラマがいた。
死去するまでは当時最高の瞑想者として知られておりシャンパ・カギュ派の座主であり、カルマ

パ16世亡き後、カギュ派の四人の摂政を上回る徳の高さで知れ渡っていた。

このカル・リンポチェが日本に来た折に幸運にも二日間御一緒させていただいたことがあり、そ

の後二年くらいしてリンポチェから1通の手紙が届いた。なんとその内容には、リンポチェは、

あと三ヶ月くらいで肉体を捨てるというもので(註2)その前にインドのソナダに来ないかとい

う、誘いの手紙だった。

 チベット仏教の修行を求めていた私に、誘いを断る理由は何もない。 即、リンポチェの居る

ソナダに通訳共に飛んだ。

 リンポチェの下に着いて、リンポチェが最初にされたことは、私の修行階梯のチェックだった

。私の手を握り瞑黙している。少し前に派遣された日本人はリンポチェが望む修行階梯に至って

いなかったらしく、代わりに呼ばれた私が合格ラインに至ったのかどうかは定かではないが、贅

沢を言って時間はリンポチェの身体にはもう残されていなかった。
 家事全般を引き受けてくれる人とラサで育ったというチベット語を教えてくれるラマをつけて

いただいた。

 暑かったインドの首都とは違って標高二千メートル近くもあるここソナダの地は小春日和の、

のんびりした滞在となった。 シッキムからも度々ラマたちが訪れて来てくれたり、礼拝行をし

たり、訳の分からないままプジャに参加したり、瞑想したりして、あらゆる精神性をエゴの肥や

しにしながらもリラックスする時間を満喫する事が出来た。

 エゴを満足するだけの”旅行”に終わりそうだったこの滞在だが、リンポチェは大きなお土産

をくれた。 教わったことよりも後に大きな影響となったのはリンポチェの”存在感”だった。

 いつも人を気遣い、人のみならずあらゆる生命に対し慈愛溢れる眼差しと、溫かい存在感を持

つリンポチェの姿は、生涯忘れることの出来ない光景として脳裏に焼きついた。

 この慈愛溢れるリンポチェの周囲に漂う雰囲気を、知らないうちに伝承されたのではないか?

と思えるほど自分の中に寛容さが生まれていることに気付き始めたのは帰国して暫くの月日が経

ってからだった。


ラマとの出会い


 一般的に、チベット仏教の修行をするなら先生(ラマ)につき、その宗派の教えを授けていただき修習していくのですが、まず心掛けからスタートします。 この修行に対する取り組みと心掛けは非常に重要なのですが、それと共にラマとの関わり方がとても重要なのです。

 心掛けに関しては本誌でラマ・ソナムが「ロジョンの瞑想」について書いてくださっていると思うので、そちらを参考にしていただくとして、先生(ラマ)についいて考えてみましょう。

 ラマと関わり、教えを学んで行く上で、私たちは沢山の荷物を持ちすぎています。 過剰な期待、教えの物質主義的な捉え方、自己欺瞞、等がそれに当たります。

 私たちは教えを授けてくれるラマを探すことから始めますが、最初っからラマや教えに過剰な期待があり、私たちの教えに対する取り組みを自ら阻害します。 修行を深めていくとラマを通じて仏教の教えが目の前に顕現することを知りますが、最初に私たちはラマに偉大な存在であることを求めます。

 全知全能的で、神々の様に神秘的で、高貴で老賢者の様で、安心して私の全てを委ねることのできる人でなければ、私は信頼して自分を開くことは出来ないと考えてしまいます。

 そんな期待感を持ってラマを探し、説法会やリトリートや勉強会に参加し、ラマを観察していますと、段々失望感が生まれてきます。

 「自分が想い描いていた人物像とは違う。 実際にはそんなすばらしいラマなどいないのではないか? 

説法会では威厳を持ち、優しさに溢れていていつも微笑んでいると思ったけど、一緒に食事をしたり出掛けて見ると、極普通のおじさんではないか。 こんな普通のおじさんに全てを委ねることは出来ない。」

 また次のラマを探し始めるい。 しかし、今度も期待通りではなかった。 幾人かのラマに会っても、身近に接すると自分のイメージに合った人はいない。「海外にはダライラマの様な人がきっと沢山いるのだろうけど・・・・」

 この失望感はラマ探しのゲームに転化します。
「自分はピンとこなかったけど、あのラマの評判はすこぶる良い。 きっと自分がそれを見抜けなかったんだ!  段々自分の判断に自信がなくなっていく。

 しかし、教えの内容は伝統的な素晴らしいものだ、お近づきになって修行をしていればラマは本当の素晴らしい本性を現して、私の判断が間違っていたことを証明してくれるに違い無い。 しかし、何ヶ月してもラマはその偉大な本性を現してくれない。」

 ラマ探しは神経症的なゲームとなって行きます。
 「きっと私の功徳が足りないのだ、修行が足りないのだ、帰依が足りないのだ」と自分の信念や選択の正しさを証明出来るものを探すことに懸命になっていきます。

 一生懸命に修行するけど、すべてが自分の正しさの証明を得るための代償行為になっていきます。  当然、段々修行がつまらないもの、ひどく退屈なものに感じられてきだします。
 十分に精神性に関わってきたラマなら、なおさら弟子集めの為に弟子に媚びたりしません。

 開かれた精神に利他の押し売りは不要です!  ラマには広い土地や豪華な家よりも、人間が本来持っている歓喜や平安が素晴らしいことだと知っているのです。

 ラマは常に開かれているのです。 我意識(註3)の囚われのない人には、守るものが内のです。 プライドも名誉も所有物も”捨”の実践(註4)を修習している人には、守るべきものはなくなっています。
 心を閉じ、開かれた関係性が保てないるのは私たちの方に問題があったのです。 もし私たちが真に心を開く事が出来るならば、自然の状況としてラマとの真の関わり方が始まっていきます。

 教えを受けていく中で、日常の人生の価値観と仏教の提示する価値観に違いやズレを少しずつ感じていきます。

 ラマから授かる教えはトロフィーの様に陳列棚のコレクションになり、日常の自分は全く教えとは関係のない生活を積重ねていきます。

 自分が仏教を学んでいることを意識するのは勉強会やプジャ等のイベントがある時だけになってしまいます。 教えは、本来私たちは非常に豊かな存在であることを教えてくれているのに。私たちは自分自身の心の中身には見向きもしません。 そしてネガティブな思考が起こり自分の心が貧困であることを認識するだけで終わってしまいます。

 "私にはこれは実践出来ない""この教えは理解出来ない""戒律が守れない"と。 しかしラマの身・口・意、つまりラマの行為すること、話すこと、考えることは、たとえばどんなことでも教えの実践そのものなのです。 ラマには教えと生活が別のものではないのです。

心掛けで提示される教えは、私たちの世界観を形成する最も重要な教えの部分です。

その心掛けの教えには苦・集・滅・道といった仏教の基本的な考え方や、私たちの、ものごとを認識する基準となる仏教認識論である量論や、先にあげた四無量心の心掛け、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧といった六波羅蜜の実践を踏まえた日常生活、利他心や帰依、慈悲と空性、つまり自分との関り方とエゴの非実在、といった様々な仏教の基本的な教えが網羅されています。

ラマはその教えの体現者として存在し、釈迦牟尼仏陀から、若しくはもっと根源的な存在から脈々と続く教えの伝統を担っているのです。 ですからラマ(先生)は、仏陀であり、教えであり、アドバイザーであり、法友であり、精神の友なのです。


慈悲


慈悲心とは・・・

「空性」と「慈悲心」とが不可分の状態が菩提心と言れます。

シャーンティデーヴァ(寂天)の『ボーディチャルヤヴァーラタ(入菩提行経)』という論書があります。 この『入菩提行経』は十章から成り立っていて、その内第一章から第四章には菩提心に関する記述が中心的になっています。 この論書は、教えを学ぶ喜ばしい機会であることを忘れてしまうことがある私たちに、常に励ましとエールを贈ってくれています。

慈悲心とは本来、感情的な心のあり方を指しているものではありません。

同情したり、自分の優位性から生じる哀れみを感じることではなく、非暴力の状態を指しています。 非暴力とは自分の守るべき領分が無いから攻撃の必要性がない状態で、完全に開かれた精神性を指し、更に状況に対する積極的な関与が慈悲心のあり方だと言われています。

ですから慈悲心の顕れとは、開かれた精神性が持つ、状況に対する自然な行為として展開します。
「捨」の実践

しかし私たちは「私」に守るべきものがないとは中々気付けません。  というより守るものが沢山あります。 自分の価値観、プライド、社会的地位、生活、財産と、それが有身見(註5)と言われる誤った認識(見解)の持ち方であると上座部でも中観派でも唯識派でも、常に問題とされていたテーマなのです。 「一切の煩悩は有身見より生じ・・・・」と言われているように、煩悩は「私」と「私のもの」という誤った認識から生じ、そこから苦悩が生じると認められているのです。

ですから私たちは、先ず「私」という意識と「私のもの」という意識から派生する、自分の価値観、プライド、社会的地位、生活、財産等といったものを捨てていくことが肝要なのです。

 それは四無量心とよばれる四つの計り知れない利他の心の実習プロセスとも関係があります。

 四無量心の実践で最初に意識される徳目は、この「捨」の実践と言えるのです。

「捨」の実践によって、守るものがない、自分のテリトリーに侵されるものがなくなった人の心境は、守る為に戦う必要がないので、それは非暴力の心境となります。

タイピングが苦手だなあと思っていたら、出帆新社が復活したと聞きました。

ネットでも注文出来るらしいので、興味のある人は、そちらで入手してください。

これで、本筋のクンダリーニのことに言及出来る様なりました。
情報ありがとうございます。

状況に対する関心


非暴力の境地に安らいでも、それだけでは慈悲心が自然な状況として展開していきません。
状況に対して積極的に取り組もうとする動機が必要なのです。
目の前に広がる様々な状況に対する興味と言い換えることもできますが、自我意識の働かない境地で状況に関わる事が自然な関係性のフィールドを形成します。
 そして幸いなことに、無理な動機付けをしなくても、私たちは苦しんでいる人に対して、哀れむ心を自然と持ち、どうにかしてあげたいと思う気持ちを持つ事が出来ます。 それは誰しもが有している「仏性」の性質でもあるのです。

「慈悲」というのは慈・悲・喜・捨という四つの無限大に豊かになる感情、これを仏教では、四無量心と言いますが、その内の慈と悲の複合語であり、「慈」―慈しむ気持ち、つまり親が子の成長を願うものと同じ物です。そして「悲」―哀れむ気持ち、対象の苦しみを何とかしてあげたいと想う気持ち。 この二つが人間が本来持っている豊かな感情を指しています。

一般的なことで分かりやすく慈悲と縁起観で喩えて話しますと――



仮にここに貧困で飢えて苦しんでいる人が貴方に、一切れのパンを請うて来たとします。 貴方はその時、どの様に考えますか?  気持ち悪から係わり合いになりたくないと考えますか?

 その人の苦しみを取り除きたいと考え、直ぐにパンを施しましか?

 それとも感謝されたくて施しをしますか? 若しくは、その人が何故飢えているのかを考察し、その原因となっている収入を得る手段を考えますか?
 はたまたその人が何故そのような苦しみを生起させているのかを考え、一時的ではなく根本的にその人が飢えの苦しみを回避できる方法を考えながら、今ある飢えの苦しみ取り除こうとパンを施しますか?



現実に起こった問題として考えてみると、まさに人それぞれの反応や考えがあると思います。

その違いは何によって起こるのでしょう。それは状況に対する認識の違いによるものだと言えます。 その状況を考察して見ましょう。私たちはどんな状況であれ、自分との関係性においての視点を持っています。


気持ち悪いと考えた場合は、自分の身体及び生活を脅かすかも知れない状況から自分を守らなくてはならないと考え、また苦しみを取り除いてあげたいと考えた場合は、その相手に自分も同じ様にそういった状況になったら自分も苦しいであろうと、自分を助けようとするがごとく、手を差し伸べるでしょう。 また苦しみ原因の解明と解決方法を吟味しようとする場合は、物事には必ず原因があり、変化するものだという視点が働いているということを物語っています。


 しかしそれだけでは因果律の見解だけで、哀れみの感情が伴っていません。

 状況全ての中で起こっている出来事との関係性に於いて、自分の価値観や幸せとは何なのかといった見解によって色々な視点を生み出します。 
 
 この様に自分の価値観や領分と言ったものを基準としていますので、全ての仏教修行者は「捨」の実践を通じて利他の心構えを深めて行く事がポイントになるのです。


【行の相承】

カギュ派の空性

空性に対する認識の違いは世界観の違いを生み出す程大きな問題です。

空性理解は各宗派の思想・道論を形成するのですが、カギュ派は「行の相承」という別名がある様に、行を重視し、理論をあまり重視しなかったと言われる要素があるのと、私自身が不勉強なために詳しいことはいえませんが、ミラレーパは「勝義諦(註6)」において全てのものは存在しないが、「世俗諦」においては、縁起した存在が形象された世界に認められるとし、中観派的な見解を示しています。


 カルマ・カギュ派ではカルマパ第三世・ランジュンドルジェ、第八世・ミキョドルジェの小誌や簡単な瞑想と、大印契(マハームドラー)の教え、そこから受け取ることのできるのは、如来蔵思想と他空説が目に付くことです。

「全てのものごとは心に拠って生じ」と言っているように唯識的な見解が多く目に付き、「私たちの本質である無垢法身が、客塵の汚れが淨化かされることによって目覚めだす」といった如来蔵思想が教えの源流になっていることを示す掲示を多くの瞑想法の中に見いだすことが出来ます。

 そして「決して虚無ではない、空の中に、つまり、あらゆる現象が自由に湧き起るこの虚空間の中に・・・・」と真実の空間(ダルマダーツ)に対するリアリティを想定し、光明や悟りも真実の空間として、実体視をする見解が随所に散りばめられています。

 しかしこれを修習する者は、これを吟味するものとしてではなく、大印契を実現させるための当然の見解として理解されます。


 ここまでは、寄稿した原文のままです。

 この先がクンダリーニの本覚醒後に起こるバルドーヨーガの話しです。

 バルドー・ヨーガとは、臍の部分にある幻身(変化身)がクンダリ−ニの霊的な覚醒の力によって、動き出すのです。

 スワデースターナ・チャクラの部位に存在する身体は、「幽体」なのですが、幽体は行ける世界に制限があって地獄・餓鬼・畜生(動物)、人間の世界にしか行けないのです。 恨みやつらみが支配するネガティブな感情や、友情、愛情などの情を根本とした人間の世界までで、綺麗なリゾート地の様な阿修羅界には行けないし、その上の天界にも行けません。  霊能者が見ているのも、この幽体の身体で感じる知覚です。

幻身は、六道全ての世界に、比較的自由に行けます。
それがバルドーヨーガになるのですが、この時に重要なのは、ルン(エネルギー)のコントロールなのです。
それもあって、仙道の小周天は有効だと思っています。



本文にはその解説を入れませんでしたので、解説を入れました。


ナーローパの六法


カギュ派には双璧となる二つの修道体系があります。

一つはマハームドラー(大印契)(註7)とナーローパの六法である。 
ナーロ−パの六法とは、
トゥンモ(熱)のヨーガ(註8)、バルド(中有)のヨーガ、ミラム(夢)のヨーガ、ギュル(幻身)のヨーガ、オェセル(光明)のヨーガ、ポワ(転依)のヨーガという六つのカテゴリーに分けられた行の体系です。


 ルン(生気)をコントロールして、意識の深層に入り、内的な熱や光の体験を通して意識を解き放つ技法です。

 ディクン・カギュ派のアヤン・トゥルク・リンポチェやカルマ紅帽のラマ、シャマル・リンポチェ(註9)の流れを汲む西欧人ラマ、オレ・ナイダルによって、度々日本に於いても「ポワ」のリトリートがなされています。

 ポワには「凡夫のポワ」「応身のポワ」「法身のポワ」があり、日本で行なわれたのは「凡夫のポワ」です。

 これはラマの指導の下、行の説明と灌頂を受け、基本的な心掛けとマントラと瞑想をし、阿弥陀仏の浄土へ意識を移し変えるようにする特殊な観想とマントラを用いるものですが、この行によって、ポワの成功の証しとして頭頂に血が出たり、体液の様なものがしみ出たりします。 はっきりしたものでは頭頂の頭蓋骨の縫合部に穴が開く人もいて、そのショッキングな経験と殆どの参加者に”徴”が出るとあって、死ぬ前に一度は受けておくべきだと言う風評も手伝い、様々な国で多くの参加者が集って来ています。


バルド(中有)の経験


ある瞑想(註11) ティク・レ(心滴)を観想し、ルン(風)を使い中央脈管に導き、ティク・レと自分を同一化させる観想に安住していると、身体に強い微細な振動が起こり始めます。 全身が振動している様にも感じますが、実際に振動している訳ではないようです。 身体と意識が分離している感覚があり、自分の身体空間にも淒い質量を持ったルン(エネルギー)が瀑布の様に上がってきます。 すると、この意識が身体の容器に閉じ込められているような違和感を感じてきます。

 ところがこの肉体の枠から出るのは困難だ、まさに”固定”されているという言葉がぴったりの状況だと気付き始めます。 その時、意識は特殊な状態にあるようで、特に音に対する知覚が増大しています。 風を切るような轟音、ちょっとした物音が凄まじい音量を伴ない、肉体はグニャグニャと溶解したものの様に感じ、普段感じている様な身体感覚ではありません。

 この時、肉体に意識が固定されているように感じている違和感は、不自然さとして感じられてきます。 なぜ閉じ込められなくてはならないのか? という自問が生じた瞬間に、なぜ意識が固定されているのかを、覚ります。

「ああ、これは肉体に対する執着や生命に対する執着が原因となっているんだ!」という洞察が生まれたのです。 そしてこの肉体も、今生の生も無常であると観じ、もっと真実がを知りたいという欲求出てきたその瞬間! 意識は肉体の固定から解放され、怒濤のルンの流れに乗り、もの淒いスピードでチューブの中を流れるように上昇していきます。その時、上空からこの世の楽器では出し得ない、きらきらと透明で精妙で荘厳な美い音が聞こえてきます。しばらくすると眼下に様々な風景が広がってきます。

楽園をイメージさせるような情景が見えたり、物淒く巨大な山を上昇していく途中、神々しい人がいたりしますが、普段よりも聡明な意識で観察しています。 
やがて肉体に戻る時間だという思いが生じ、肉体に戻って来るのです。


 この経験は何度もします。 美い世界、混乱した世界、苦痛や恐怖に満ちた世界と様々な世界を経験します。 が、ここで注意しなくてはならないのは、これは単なる経験なんだ、と言うことです。 
 世界旅行と同じで、これによって何かが変わるのではないのです。
 それは単なる六道世界の経験で、その経験で何を悟るかが問題なのです。

この経験で先ず認識し得るのは精神状態とルンの状態によって行く世界が違うということです。

 この経験をしていると、最初はただ流されるだけの瀑布の様なルンをある程度コントロール出来るようになってくるのですが、ルンのコントロールによっても精神状態が変化する事も分ってきます。

 そういった中で全ての善も悪も識別によって生起しているものだと体験的に認識されていきます。 また日常で感じている現実も、体験世界も、全ては心に依って形成されている世界だと知ることによって、認識されるすべての対象は虚妄であり、何でも出現しうるものであると実感していきます。 それがダルマ・ダーツ(註12)を「あらゆる現象が自由に湧き起る虚空間」として認識させ、空間と取り組める視点を提供してくれます。

 空間は自分の心のスペースであり、そして空間と取り組むことは、心に空間的な開放感とゆとりを作り出します。  あらゆる状況を空間の中の戯れと見る事により元々私たちに内在する要素、つまり、心に多くの彩りと多面性と豊かさと広がりに気付いて、その心境に安住し、深めて行くことにより原初の境地へと還っていくのです。




瞑想のやりはじめと退屈



摩訶止観、ヴァジュラサットヴァの瞑想、グル・ヨーガ、チュウの瞑想、様々な瞑想があり、いろんな秘儀があります。 

 そういったものは、とても効き目のある薬の様に私たちの人生を変えてくれるとても素晴らしいものであるという期待があります。

 特効薬を飲む様に瞑想を始める。
 きっと素晴らしい体験や精神的効果があるはず、私たちは希望を胸に座を整え一日三十分、一時間の瞑想をします。「きっと私は素晴らしい体験をするはずだ」と。

 三日、五日、一週間と続けると気持ちに変化が現われ始めます。
 「もしかして効果はないかもしれない」
 「私には才能がないかも知れない」
 希望が絶望に変わっていきます。 とてもユーモラスなエゴの働きです。

 一ヶ月程頑張ってみると、呼吸法にも馴染み、一時間程度なら肉体感覚も消失するくらいの集中も出来るようになり、瞑想中に精神的に明らかな変化を感じ始めてきます。 「ああ、やっぱり瞑想っていいなぁ」と感じてきだし、また希望が出てきます。 心はある程度の静寂感と、思い通りに変革できない心の堅さを意識しだします。

しかしこれがやっと瞑想の入り口。 はじめて自分の意識と取り組む為に自分の感情を見つめることが出来始めただけです。 ここからは瞑想が非常に退屈なものとなってきます。

 しかし、瞑想修行における退屈さは非常に意義あるものです。
 この退屈なくして真の意味での瞑想は成り立ちません。 退屈と向き合うことが<感情>の持つエネルギーと取り組みやすい視点を提供してくれるのです。

 ただ退屈なだけの瞑想。 日常生活の中で退屈な感情と向き合う時間はなかなかありまあせん。 よく思い起してくださしい。 私たちは退屈感に対してかなりヒステリックに対応しています。 テレビ、映画、音楽、食べ物、ドライブ、お喋り、性的感覚の満足、ギャンブル、ショッピング、読書、時には仕事さえ、退屈感や苛々を紛らわせるためのとなり得ています。 便利で物が豊富なご時世で単純に「退屈感」と向き合うのは難しくなっています。

 瞑想で退屈と向き合っていると、エゴはいつもの様に、この退屈さと取り組むことを自分が精神性と関わっているんだ、崇高なことをやっているんだと、安心や精神的満足の道具にしてしまいます。 「私は、深い精神的アプローチをしているんだ!」とね。 

 自分を正当化させるこの種の傾向は更なる自己欺瞞の混乱を導き出します。
教えのコレクションと空性を御旗に煩悩的な思考や行為までも自己正当化の工具として使い、自分がレベルの高い精神的アプローチをしていると欺瞞の魔の手に自らを委ねていきます。

 ところが、日常生活ではものごとが上手くいかないと、苛々したり、いきり立ったりというナンセンスが生じる。 精神の高みにあると思っていたのに、日常生活ではイライラしがちです。

 そのナンセンスに気付かない。 自己欺瞞を成就しているのです。


しかし、瞑想時と日常のギャップを感じはじめて、そこでやっと日常生活にも重要な取り組むべき課題があることに気付きます。  そしてその日常生活に現れる感情をエネルギーの戯れとして取り組んだり、心を空間として取り組むことが出来る状態になってくると、私たちの散漫な思考や、思考の単純なカラクリがハッキリとしてくるのです。



五体投地



聖地カイラース山や、観自在菩薩の住まいという意味のチベットのポタラ宮に向かって何年もかけて五体投地をしながら進んでいるチベット人の影像をテレビでご覧になったことはあるでしょうか? 心に集会樹・諸仏・緒菩薩を想い、口には真言や誓願を唱え、手は蓮華の蕾のような形にして合わせ(合掌に似た手印)、肘、膝に防具をつけ全身を大地に投げ出す様にひれ伏す。 心・言葉・身体における帰依の行為を修習し、堅固な帰依を培う礼拝行です。 これが私たちの意識や欲求の方向性を形成します。


まず五体投地を十一万回。 チベット仏教の教えと取り組むならば、最初に直面する行です。 仕事を抱える現代の日本人にとっては大変な回数ですが、これをやらなければ次へと進めないのです。
 一日千回やっても百十一日、つまり四ヶ月近くかかってしまいますし、仕事をしながら一日に千回というのは結構きついものです。

 これはチベット仏教の各派共通の加行で、一部のトゥルク(転生活仏)以外は必ず修めなければならない行です。 チベット仏教の教えと関わりたい思う人にはこれが辛いのです。 何故辛いかというと、もっと魅力的な瞑想や行法がちらつき、そちらをやってみたいという欲求が募るからです。 実は一見過酷そうに見える五体投地の真のつらさは精神的な葛藤にあります。 最初はきついが肉体はやがて慣れてきます。 しかし心は、この単調な行為に嫌気がさして来ます。


 西欧や日本で時々開かれるチベット仏教の瞑想会の多くは、最初に比較的簡単な瞑想を伝授して華やかさダイナミズムをアピールします。 確かに五体投地を終えなければ次の階梯に行けないのでは教えを広めようにも、実践する人が殆どいなくなってしまいますから。 しかし「ポワ」にしろ『カーラチャクラ』や『ヘーヴァジュラ』の灌頂や実際の瞑想の時に、堅固な菩提心がない者が「ポワ」をして本当に大丈夫なのかという懸念がありました。

 ゲルク派のラマであるゾパ・リンポチェ(註13)とご一緒させていただいた時に改めてお聞きしたところ、やはり、「シャマタ」も「ヴィパッサナー」も加行(グンドゥ)が終わってからにすべきだと言われました。 それはわかる気がします。 加行によって帰依や心掛けの修習がなされ、心が悟りたい欲求し、つまり心が悟りに向かう方向性を持った時に、私たちの取り組むべき課題が明確になり、ただ漠然と「シャマタ」と「ヴィパッサナー」という取り組み方をするより、ずっと明確に心やあらゆる状況に取り組んでゆけるからなんでしょう。


未だ続きがあるんですが、ちょっと休息しています。

まだ書くのでお待ち下さいませ。
ウゲン・ティンレー・ドルジェ(カルマパ17世)のカルマパ相続問題は、世界規模の暴動に繋がり、もう1人のカルマパ17世候補は、結婚して還俗しましたが、最後はダライ・ラマの認定で決着したんです。

カルマパ問題の前にはオウム問題は、政府機関の混乱で心底大変でした。
それらが両方とも決着し、両方とも責任者の立場を降ろさせて頂きました。
そしたら今度は、ダライ・ラマからの要請で、奈良仏教界が纏まって、高野山の僧侶を派遣して、僕の所に、ダライ・ラマが「チベットハウスとは別に教育と科学と経済の研究所」を日本に作りたいから責任者になって下さいとメッセンジャーがやって来たのです。 それは余りに責任が重いとお断りさせて頂きました。
しかし、ダライ・ラマからの要請をお断りしたのがいつまでも心に巣付いている所、修験の修行者がちゃんと瞑想が出来るようになりたいとやって来たのです。 そうやって世界の頂点にカル・リンポチェに教わり、その後継者と目されているイギリスのサムイェ・リンの責任者である、イェシェ・ロサル・リンポチェにカギュ派の日本の責任者に抜擢されたのもあって、瞑想をちゃんと伝えようと決心しました。

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