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従軍慰安婦Q&Aコミュの慰安婦政策は有効な政策だったか?

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これは瀬戸山さんの依頼により立てたトピです。
以下は瀬戸山さんからの0ポスト用文章です。


 上海ではじめてできた陸軍慰安所は防諜、防疫、治安維持の三つの目的を持った政策の実践第一号でした。

 ここでは戦争の遂行や日本軍が不完全な交代制しか取れなかったなどの点には触れず、当時の状況を許容した上で、上述の防諜、防疫、治安維持を達成するために慰安所政策以上にバランスの良いやり方があったのかどうかを話し合うトピックとしたく思います。

コメント(6)

 強姦についての軍の姿勢は変化しています。
 昭和12年の日中戦争勃発当時は、軍は強姦などあまり気にしていなかった様子がうかがえます。

「一時我が将兵のより少数の掠奪行為(主として家具などあり)強姦などもありしごとく、多少はやむなき実情なり」
(松井石根大将陣中日記)

「七月十五日正午、私は南京においてこの日から第十一軍司令官として指揮を執ることとなり、同十七日から第一線部隊巡視の途に上り、十八日潜山に在る第六師団司令部を訪れた。着任日浅いが公正の士である同師団長稲葉中将は云う。わが師団将兵は戦闘第一主義に徹し【豪勇絶倫なるも掠奪強姦などの非行を軽視する】、団結心強いが排他心も強く、配営部隊に対し配慮が薄いと云う。
(『岡村寧次大将資料』(上)「第四編 武漢攻略前後」

 しかし中国では貞操観念が高く、また強姦が少なく、婦人を強姦すると一挙に敵愾心が高まるということが分かり始めたので、翌昭和13年にはじめて慰安所が設けられました。
 では、慰安所設置は強姦防止に効果があったのでしょうか。

1.『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』

 戦争開始から3年も経た昭和15年11月、『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』が作られました。
 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110762000
 原文に適宜句読点を加え、カタカナを平仮名に直し、読み仮名を添えて転記します。

「事変勃発以来の実情に徴(ちょう)するに、赫々(かくかく)たる武勲の反面に、掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とする所なり」

 このように、慰安所をつくっても強姦が多発しているようです。
 同じ年月に作られた『事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)』にも、同じ悩みが漏らされています。
(アジア歴史資料センター Ref.C11110759600)

「抗命、辱職、逃亡、殺人、傷害、強姦等依然減少せず」

 『軍紀振作対策』には、開戦後、約1年半で略奪+強姦致死傷で罰せられた兵が420人。
 強姦致死傷だけで罰せられた兵が312人。
 合計で732人と載っています。
 対象となっているのは「強姦」ではなくて「強姦致死傷」ですから、強姦はまだ軽い罪とみなされてか、取締対象にすらなっていません。
 罰せられなかった数は遥かに多いと思われます。
 しかもこの当時、強姦は親告罪。
 脅して口止めしたり犯した後で殺してしまった例もたくさんあると聞きますので、実数がどの程度なのか皆目見当が付きません。

 対策として『軍紀振作対策』はもっと慰安所をつくるべきだという提言をしており、慰安所作りに拍車がかかることになりました。

2.『陸支密大日記 第9号』

 さて、大量の慰安所をつくった結果、強姦事件は減ったのでしょうか。
 そういう統計資料があったはずなのですが、焼却されたのか、現存していません。
 しかし、様子を知る手がかりがないではありません。

 昭和17年 「陸支密大日記 第9号」です。
 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04123725700

 開戦以来5年目、対策は功を奏したのでしょうか。
 どうもそうではなさそうで、業を煮やした軍隊司法当局は陸軍刑法に「強姦罪」を新設し、非親告罪にしました。

「戦地における強姦は軍紀を破壊し、軍の爾他の宣撫工作を一切無効ならしむ。又被害者において御難を恐れ告訴を躊躇する場合極めて多きをもって、非親告罪として処分するの要あり」

3.『陸軍軍事警察月報』
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06030009400

 つぎは昭和20年の資料です。
 慰安所を作り、刑法を厳しくして、それでどうなったでしょうか。
 『陸軍軍事警察月報』は冒頭で「多発犯罪左の如く」と上げる中に、逃亡、掠奪、窃盗と並んで、やはり戦地強姦が並んでいます。
 巻末にグラフがついていて、昭和18年、19年に較べると昭和20年の犯罪が群を抜いて多いことが分かります。 
 表れている件数がすごく少ないのですが、これは逃亡も同様です。
 敗戦前、混乱した最前線で逃亡が多発したことは各種の戦記物に見られますが、そのことが統計に表れていないのです。
 中央レベルでは情報収集がまともに出来ていないことを示しているようです。
 が、傾向としては戦局の悪化と共に犯罪が増加していることがわかるので、断言はできませんが強姦も増えたのではないでしょうか。

 日本軍は戦争中の強姦多発に悩まされ、沢山の慰安所を作りました。
 しかし作っても作っても強姦が減らないので、ずっと「慰安所が足りない」、「慰安所をつくれ」、「慰安婦を呼べ」と言い続けていたような気がします。
 強姦防止に関して、慰安所が効果的だったのか、私としては疑問に思えます。
 戦地強姦は性欲にかられるから起きる、ということではないんじゃないかという気もします。
> マッピーさん

なるほど。
納得できました。
有難うございます。
>>[2]
もう亡くなってるから返信ってのも変だけど、『軍紀振作対策』には
「支那事変勃発ヨリ昭和十四年末ニ至ル間ニ軍法会議二於テ処刑セラレシ者ハ掠奪、同強姦致死傷四二○、強姦、同致死傷三一二、賭博四九四ニ達シアリ」とあるので、約1年半で732人だけで良いかと。

掠奪+掠奪強姦致死傷=420
強姦+強姦致死傷=312

ノルマンディ上陸やベルリン陥落ではそれぞれ万単位で強姦事件があった事を考えると少なすぎますけど、現代でもアジアは欧州に比べて強姦が少ないので、これ位なのかも知れないですね。

「中国では貞操観念が高く、また強姦が少なく」
これは屠城話好きからすると斬新な表現でしたw

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