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従軍慰安婦Q&Aコミュの文玉珠さんの2万円は価値があったのか?日本円に換金出来たのか?

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 「慰安婦は高給をもらっていた?」で触れた文玉珠さんの「高額な報酬」についてまとめて置く。

1.文玉珠さんの貯めたお金は「報酬ではない」

 文さんは敗戦後の混乱の中で貯金通帳をなくしてしまったのだが、日本国内に原簿が残っていた。
 慰安婦の証言がウソだとよく言われるが、文さんの場合はたまたま物証が残っていたので、信憑性が裏付けられた希有な例だ。

 原簿には文さんが26,145円を預け入れた記録がある。
 彼女はこれを「兵隊からもらったチップ」だと証言している。
 文さんの軍事郵便貯金原簿の記録を確かめよう。
 文さんが稼いだという26,145円のうち、昭和20年4月4日から5月23日まで、2ヶ月足らずの貯金が、なんと20,560円である。
 彼女はビルマのマンダレーにいたのだが、ここが陥落したのが昭和20年3月。
 「大金」を預け入れたのは、その翌月と翌々月。
 このことから、彼女が日本軍将兵から受け取ったのは、敗戦で紙くずとなった軍票だったことがわかる。
 いくらがんばって稼いでも、2か月で2万円稼ぐのは無理だから、ここは文さんの証言が正しいだろう。

 彼女の証言を裏付ける傍証がある。
 元日本兵の人が、当時のビルマの様子を書き残しているのだ。
 2万円や3万円は本当に紙くずだったのがよく分かる。
【資料1 ビルマ敗走記? 敗走モールメンへ】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69378271&comm_id=5973321

 慰安婦が内閣総理大臣以上の高級取りだったという俗説は、こうして否定された。

2.文玉珠さんは5000円を送金したのか

 文さんは朝鮮に5000円送金したと証言している。

『強制連行と従軍慰安婦』(平林久枝編)
>ビルマに行ってからの名前「文原吉子」名義の通帳は、お金に替えることもできずになくしてしまった。
>貯めたお金の一万五千円の中から、手紙と一緒にタイから大邸の実家に五千円を送った時、下士官に「故郷に全部送れ。おまえはバカだ」と言われた。

 文さんがいう「なくした貯金通帳」のことも、原簿に表れている。
 昭和19年5月18日と6月21日に預金した900円分について「19.8.18亡失届出」と記載されているのがそれにあたるのだろう。
 原簿は「文原玉珠」名義だが、他に「文原吉子」名義の通帳があり、そこに900円を預金していたのだと思われる。
 文さんの証言だけ読むと、まるで15000円を通帳に貯めていたように取れるが、そうではなく、通帳にあったのは900円。
 15000円はこれとは別に、軍票をタンス預金していたのだろうと推測するしかない。

 軍事郵便貯金から為替で送金したのなら原簿に記録があるはずだが、記帳されていないから、為替送金ではない。
 預金から5000円引き下ろして送金したのなら引き下ろし記録があるはずだが、
 文原玉珠名義の通帳は引き下ろし記録がない。
 文原吉子名義の通帳は、送金したアユタヤに行くまでに昭和19年になくしているから引き下ろせないし、そもそも中身は900円しかなかった。
 
 しかも日本政府の規則で、内地に5000円も送金できないことになっていた。

【資料2 1942年2月18日 読売新聞「大東亜経済建設の指標」】
【資料3 「南方占領地域における為替管理関係」】 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69378271&comm_id=5973321

 資料2には、内地への送金は禁じられていると書かれている。
 資料3には、為替送金できたのは、「軍人・軍属が軍より支給を受けたる俸給、旅費、その他の給与」に限ると書いてある。
 慰安婦の収入は「軍より支給を受けたる」ものではないので、「軍関係のもの」に当たらない。
 それ以外の送金は「1か月200円相当額以下」に制限されているので、5000円を送金するのはシステム的に不可能だった。

 すると、文さんが送金したというのは、軍票をそのまま送ったのだろうとしか考えられない。

3.送った軍票は使えなかった。

 「円」と言った場合、二種類あるので注意が必要だ。

 ビルマでは「ドル軍票」と「ルピー軍票」が発行されていた。
 円の軍票は発行されていない。
 一般に「円」や「銭」と呼び習わしていたのは、ルピー軍票のことである。
 1ルピーを「1円」と呼んでいたのである。

【資料4 1942(昭和17)年12月16日 東京朝日新聞 「南方軍政の展開ビルマ篇」】 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69378271&comm_id=5973321

 上に紹介した元日本兵が「20万円」などと言っているのも、20万ルピーの軍票のことなのだ。
 文さんが5000円と言っているのも、ルピー軍票でしかあり得ない。
 こんなものを送っても、実家で円に換金できたはずがない。
 そもそも軍票は現地のインフレを内地に波及させないために発行したものだ。
 現地から送られてくる軍票を円に換金できるようでは、何のための軍票だか分からなくなる。
 そういう仕組みを文さんは知らないから、「朝鮮に送金したのに、家も買わずに兄が下らないことに使ってしまった」と誤解しているのだ。
 
【資料5 1942(昭和17)年2月18日 読売新聞 「大東亜経済建設の指標」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69378271&comm_id=5973321

4.貯めた「2万円」には、まったく値打ちがなかった

 ?現地ではインフレが酷くて、「2万円」は紙くずだった。
 ?貯金通帳に記された「2万円」は軍票ではなく日本円だが、1945(昭和20)年8月までは政令が効いていたので、1か月100円以上の送金ができなかった。
 ?運よく通帳を持ち帰れたら、日本円として引き出せた可能性がある。
ただし、帰ることができなかった。
帰れたら、1日30円、1か月100円以内だが引き出せたかもしれない。(「アジ歴Ref.C01000669700、昭和17年 「陸亜密大日記 第43号」)
しかしつぎに述べる通り、すぐにインフレで価値を失った。
 ?1945(昭和20)年9月以後、敗戦により戦時中の政令の効力がなくなると、政府は「金融緊急措置令」を出して預金を封鎖してしまったので、やはり換金できなかった。
 ?預金封鎖が解かれた頃には、ハイパーインフレ対策で新円に切り替えられており、額面どおり払い戻されても二束三文の値打ちしかなかった。

【資料6 金融緊急措置令】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69378271&comm_id=5973321

 こうして、どのような面から見ても、文さんの2万円には価値がないことが論証されたことになる。

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