ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

「おんなたちの非戦・不戦の会」コミュの母子像裁判とは?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
現市長の伊藤一長氏と本島等もと市長が召喚された、母子像裁判の論点が掲載されていますので、ご紹介します。URLが消滅するかもしれませんので、全文掲載としました。

http://www.nagasaki-np.co.jp/box/ronten/2003/08.html

爆心地と偶像 


2003長崎の 論点
 
 爆心地。それは原爆の犠牲者を追悼する祈りの場所であり、同時に世界に核兵器廃絶を訴える原点ともなるべき場所である。

 だが、長崎市爆心地公園を訪れる被爆者の心に、複雑な感情を引き起こす物がある。一九九七年に市が建てた母子像である。そびえ立つ人物像を前に困惑し、その意味を理解しかねるという声は今も消えない。

 一段高い丘の上の平和公園には五五年に建てられた平和祈念像もある。被爆地長崎で最も重要な爆心地に巨大な偶像が二つも立ち並ぶ。これが、公共の祈りの場として本当にふさわしいのかどうか。議論が続く。

 平和を希求する議論にタブーがあってはならない。出来上がった現実に目を奪われることなく、本来あるべき姿を考え続ける義務が、われわれにはある。爆心地は世界が共有する場所であり、人類の未来のための場所でもあるからだ。

 そうした趣旨で、爆心地と偶像をめぐる議論を紹介する。

(編集委員・高橋信雄)



人類共通の祈りの場に  人物像批判 今も絶えず





長崎市が1997年に建てた母子像。台座を含め高さ約9メートル。制作者は本県出身の彫刻家、富永直樹氏。富永氏は北村西望の弟子として、平和祈念像制作にも参加している=長崎市松山町の爆心地公園

■新旧市長の対決

 十一月七日、長崎地裁で伊藤一長長崎市長と本島等前市長が“対決”した。

 母子像撤去訴訟の控訴審。福岡高裁が長崎に出張しての尋問だった。対決といっても、直接顔を会わせたわけではなく、現市長、前市長が別々に証人として出廷しただけだが、両者の主張は鋭く対立した。

 原告側弁護人の「母子像には宗教性があり、市の公園に設置したのは憲法違反ではないか」という問いかけに対し、伊藤市長は「市は、制作者に宗教性のないものをと条件を付けて依頼した。実際に出来上がった像にも宗教性があるとは思わない」と強調した。

 一方、本島前市長は自身が設置した平和公園聖域化検討委員会が、爆心地公園整備について二通りの案を提示していたと説明。「ともに抽象的なイメージで整備を図る点で共通しており、人物像が出てくる余地は全くなかった。それが、新市長の下で突然、人物像の計画が出てきたのは意外だった」と話した。

■ローマ法王来崎

 前市長の本島氏が平和公園聖域化検討委を発足させた目的は、爆心地公園の整備にとどまらず、平和祈念像を中心とする爆心地の在り方を根本的に見直そうとするものだった。

 本島氏はローマ法王来崎がそのきっかけと言う。一九八一年二月に来日した法王ヨハネ・パウロ二世は、広島では平和記念公園で祈りをささげた。だが、長崎では本島市長の来訪要請にもかかわらず、平和公園を訪れず、市営陸上競技場で野外ミサを行った。

 「それまで、長崎を訪れた外国の要人で誰一人、平和公園に足を運ばない人はいなかった」と本島氏は指摘。「キリスト教は偶像を否定している。法王が平和公園に行かなかったのは、平和祈念像という偶像があったからではないか。クリスチャンの私はそう推測している」

 「そのとき、気付いた」と本島氏は言う。「平和公園には世界中から、さまざまな宗教を持つ人が訪れる。ところが、キリスト教、イスラム教などの世界宗教は、いずれも偶像崇拝を禁じている。平和祈念像という巨大な偶像が周囲を圧する公園では、心穏やかに祈りをささげることのできない人が大勢いるのではないかと。公共の祈りの場はいかにあるべきか、真剣に考える必要があると痛感した」

 だが、検討委は結論を得ぬまま市長交代となり、伊藤新市長の下で出てきた結論が「母子像」という新たなる偶像の出現だった。本島氏は「公共の祈りの場に偶像はふさわしくないと問題提起したつもりだったのに、巨大な偶像をさらに追加する結果に終わった。極めて残念だ」と語る。

■公共の空間とは

 長崎市は当初、原爆落下中心碑を撤去して、代わりに母子像を据えようとした。その計画が明らかになったとき、長崎の宗教界からも批判の声が上がった。キリスト教、仏教、神道など宗教の違いを超えて噴出した批判は、「公共の祈りの空間はいかにあるべきか」という問いを含んでいた。

 母子像撤去を求めて裁判を起こした原告は「母子像は、キリスト教の“幼子を抱く聖マリアの像”、いわゆる聖母子像を連想させる」として、「特定の宗教色がにじむモニュメントを公共の場に設置するのは憲法違反だ」と主張する。だが、「キリスト教色が濃い」と疑問が出る母子像に、実は当初から強く反発していたのが、ほかならぬキリスト教関係者であった。

 当時、浦上教会(長崎市)主任司祭として、中心碑撤去・母子像建設に反対した川添猛神父は「爆心地に母子像はふさわしくない」と言い切る。「爆心地は被爆者にとって神聖な場所。その神聖な場所に、人間の造った像は必要ない」

 神父は母子像だけでなく、平和祈念像にも「違和感を持つ」と言う。

 本島前市長は「ローマ法王が平和公園を訪れなかったのは、平和祈念像という偶像があったからだ」と推測している。川添神父は「法王が平和公園に行かなかった理由は、私には分からない」とした上で、「ただ、私自身は平和祈念像の前には決して行かない」と付け加える。

 その理由を神父は「巨大な芸術品の前で祈りをささげることなどできない。いくら像の名前に平和を冠していても、被爆者として、あの像とは相いれない」と語り、「あの像の前でお祈りをするクリスチャンがいるだろうか」とも言う。

 そして川添神父は「平和公園も爆心地公園も、見てくればかりが整備され、結局、祈りの場所がない。そのことが被爆地長崎の深刻な問題だ」と指摘する。

■宗教色にじむ 

 神道関係者も母子像を批判的にみている。

 当時、諏訪神社(長崎市)宮司として中心碑撤去・母子像建設に反対した上杉千郷氏(現皇學館大学理事長)は「特定の宗教にかかわるような印象を与える物を公的な場に設置することは避けるべきだった。公共の慰霊の場は、誰もが、わだかまりなく心からお参りできるようにしなければならない」と強調する。

 上杉氏は母子像について「どう見ても被爆者の姿ではない。明らかに天から降りてきた姿をイメージしている。キリスト教のマリア像を連想させると言われても仕方ない」と話す。

 そして上杉氏は「長崎市は、建前では公共の公園だから宗教的な作品は置かないと言いながら、現実には多くの人が特定の宗教色があると感じるような像を設置した」と指摘。「無宗教であるべき像が、仮にも宗教的な意図が隠されていると感じさせたり、宗教的な押し付けを感じさせたりするようならば、誰がその前で心から慰霊ができようか」と批判する。

■被爆者の反発 

 爆心地の母子像には、被爆者団体がこぞって拒否反応を示している。

 県被爆者手帳友の会の深堀勝一会長は「爆心地に偶像はふさわしくない。平和公園の平和祈念像も、爆心地公園の母子像も、ともに撤去すべきだ」と言う。「両公園には、さまざまな宗教の人が訪れる。そうした場所に偶像を建てるのは避けなければならない」

 長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長も「あの母子像に一体、原爆の何を語らせようとしているのか、全く理解できない。爆心地にふさわしくない。あのような物が公園の中で主役のような位置に置かれているのは目障りで、早く撤去してほしい」と言う。



1955年に建てられた平和祈念像。高さ約10メートル。制作者は本県出身の彫刻家、北村西望。平和祈念像建設協賛会が全国から集めた募金で造られた=長崎市岡町の平和公園

■見る者を支配 

 長崎大教育学部の井川惺亮教授(芸術表現)は「野外モニュメントは、どのような場所に置かれるかで、その作品の印象が全く違ってくる。だから制作者は、最も目立つ場所に、しかも正面が見える位置に作品を置きたいと思う。場所性と正面性を非常に意識するものなのだ」と指摘する。

 その観点で言えば、巨大な人体像である平和祈念像は爆心地公園では目立たず、一段高い丘の上の平和公園でなければならなかったし、その向きも、稲佐山をにらみ、公園に上ってくる人々に正対する現在の位置である必要があった。

 母子像も、当初計画通り中心碑の位置に据えれば、爆心地という場所性と、公園中央という正面性を同時に確保するはずだった。

 ただ、井川教授が重視するのはこの先の問題だ。

 いったん作品が場所性を獲得すれば、そこに権威が生じ、今度は見る者を従えてしまう。「人間というのは弱いもので、行政が形を決めてしまうと、何が正しく、何が悪いのか、分からなくなってしまう。しかも、“長崎で最も重要な場所に、非常に権威ある芸術家の作品がある”などと言われると、知らず知らずのうちに、それを受け入れてしまう」

 その結果が、今の平和公園の状況だ。全国から訪れた観光客が平和祈念像の前で、「右手は、左手は」と言うガイドの説明を聞き、それで原爆を理解した気持ちになって帰っていく。

 「平和祈念像も母子像も、とても原爆の悲惨さを表現しているとは思えない。にもかかわらず、そこが長崎で中心的な平和教育の場になっていく。その現実を私は怖いと思う」

 そして、そのような現実を被爆地の市民が黙って受け入れていることにも問題があると指摘する。「黙っていることは、了解したことになる。おかしいと思ったら声に出すべきだ」

 井川教授は「爆心地という人類の歴史に重要な意味を持つ場所は、世界に広島と長崎にしかない。われわれはその重みを考え続けるべきだ」と訴える。

■民主主義不在 

 「被爆者が望みもしない像が、被爆者の反対を押し切ってまで爆心地に建立されたのは、なぜか。そこに被爆地長崎の政治風土の問題性が浮かび上がる」と指摘するのは長崎大教育学部の高橋眞司教授(哲学)。「それこそ、母子像を通じて市民が考えなければならない最も重大な問題だ」

 高橋教授は「確かに母子像建設は諮問機関や議会を経て決定され、民主的プロセスを踏んだようにみえる。にもかかわらず、被爆者の民意を反映しない結果となった。民主主義が真に機能しなかった政治の現実がそこにある」と言う。

 では、なぜ、そのような像の建立が可能になったのか。「被爆者の声に謙虚に耳を傾けながら決めれば問題は起きなかった。だが現実には、行政の一部で郷土出身の著名な彫刻家に依頼すると決めてしまい、その方針を押し通した。一部の人々の私的な発想によって公的な空間の在り方が決定されたといえる。それを世論も覆すことができなかった。真の意味の民主主義が欠如していた」

 そして、高橋教授は「この母子像は、被爆地長崎の政治風土の限界を、後世に語り継ぐ役割を果たすことになるだろう」と言う。



 母子像裁判 長崎市が1997年7月に同市松山町の爆心地公園に建立した母子像について、市民4人が同8月、伊藤市長を相手取り、「宗教性のある像を市が建立するのは、政教分離の原則を定めた憲法に違反する」として像の撤去と制作委託費1億4700万円の返還を求めた。原告側は一審敗訴の後、福岡高裁に控訴した。今月25日結審の予定。来春には判決が出る。




2003年12月23日長崎新聞掲載

-------------------------------------------------------

コメント(6)

経緯が書かれていますが、この母子像裁判の傍聴に行ったとき、現役の市長伊藤一長氏が召喚されるとあって、マスコミが大勢裁判所の玄関で待ち受けていました。

一方、母子像裁判の原告団は本島等さんとにこやかに会場内に既に入場しており、雑談をしていました。始終笑顔に包まれていました。

伊藤一長氏が車から降りてくると、一斉にフラッシュがたかれました。原告団とは裏腹に彼の表情は青ざめ、足早に中へと入っていきました。

裁判の争点は母子像が「偶像崇拝にあたるかどうか?」というより、伊藤市長の市長としての違法性があるかどうかに終わり、核心的な「偶像崇拝にあたるモニュメントの是非を問う」ことが軽く扱われたという感想です。

市長決裁できる公費が1億5000万円だったことから、それ以内で収まった公共事業として裁判の判決は、伊藤氏に無罪を言い渡したということです。

しかし、平和のモニュメントは他の公共事業とは異なり、市民の声、被爆者遺族の声、世界へ平和を発信する都市として考えなくてはいけません。そのような市民の声の代表者が市長なのですから、市長として伊藤氏が建設した母子像は今後も批判を浴びることではないかと思います。
ぴーちゃん、今、少しずつ書いて説明しますね。

まっててチョンマゲ。
広島に行ってもそうだけれど、いつも、どこかで、新しいピカピカの何か、が、建っていますよね。そんなに作るより、もっと大切に育てるものがあるだろうに、と思いました。去年、うちの都立高校の少年が、広島に修学旅行に行きましたが、戦争体験を聞く会の、資料館の中の会場が、すでに予約済みだそうで、街中の他の場所でした。で、資料館見学の時間が大幅に減りました。先生は、旅行会社のポカだ、と怒っていましたが。

一方で、こんなのも、建つそうですよ。
原爆ドーム見下ろすマンション/世界遺産ゾーンに建設中
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-07/2006040714_02_0.html
なんで裸の女の人があちこちあるのかと思ったら電通の仕業だったんですね。【artscape 2018年04月15日号(フォーカス)】彫刻を見よ——公共空間の女性裸体像をめぐって|小田原のどか http://artscape.jp/focus/10144852_1635.html

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

「おんなたちの非戦・不戦の会」 更新情報

「おんなたちの非戦・不戦の会」のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング