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みやざき中央新聞コミュのどんな人にも人間として接していこう

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(株)イエローハット相談役 鍵山 秀三郎

 感情をむき出しのままで生きている人がこの社会に増えてきました。利己心と利己心とがぶつかり合いますと、すぐに争いごとになったり、大きな事件になったりします。これはこのまま放っておいてはいけない、と常々私は思っています。

 そこで、かつての日本の優れた民族性をもう一度呼び戻し、胸の張れる国にしたい、こう思っているわけですが、もちろん、私一人では何にもできません。しかし、私の思いに共鳴してくださる方々が、この世の中に多くなれば必ず大きな力になると確信しております。 

 私は、今日まで掃除というものに熱心に取り組んで参りました。掃除をすると何が良いのかといいますと、まず、自分の暮らしの環境や職場、あるいは学校をきれいにすると、そこにいる人の心が落ち着いてくる。そして、みんなが自分の周りをきれいにしていけば、社会全体がきれいになっていきます。そうするとみんなの心がきれいになっていくに違いない。私はこういう確信をもって取り組んで参りました。

 一人でコツコツと掃除をしている頃は、冷たい目で見られたりして参りましたけれども、ありがたいことに平成3年に出会った方が、「私も一緒にやりましょう」と手をあげて下さって以来、15年の間にポツポツと私の活動に共鳴をして下さった方が全国に増えて参りました。そして「日本を美しくする会」が誕生しました。その下に、たとえば宮崎県であれば「宮崎掃除に学ぶ会」という会が誕生しております。

 今では国境を越えて、台湾、中国の北京、上海、内モンゴル、青島、桂林、遠くはブラジルのサンパウロ、それからアメリカのニューヨークと、掃除の活動が広がっています。

 かつて私がただ黙々と、時には暗たんたる気持ちになったりしながらやり続けてきたことが、このような社会的な活動になり、世の中に認められるようになったことは、本当に嬉しく思っています。
 

 私は昭和8年生まれで、今満73歳を越えたところです。20歳で東京に出てきた時は、学歴も学力もお金も、何もありませんでした。ただ、あったのは強いこの体と、少々のことではへこたれない忍耐心、この二つだけでした。

 この二つだけを持って20歳の時に上京して以来、53年間、東京で過ごして参りました。
 今日まで、いろんな災難に遭い、時には人に騙されたり、いろんな不運な目に遭ってきましたけど、それでもそういうことに押し潰されないで、今日までやってこれたのは強い忍耐心のお陰だったと思います。

 そこで皆さんには、どんな財産よりも、強い忍耐心を持って頂きたい、これが私の第一の主題でございます。

 この忍耐心を養うにはどうしたらよいか。急に身に着けることはできません。毎日の暮らしの中でちょっとした小さなルールをきちんと守っていくということです。

 たとえば信号でも、深夜とか早朝には全く車が通らない交差点もありますよね。そういう時でも、赤であればちゃんと止まって青になるのを待つ。そういう信念を貫き通して参りますと、忍耐心はだんだん強くなって参ります。

 反対に、これくらいいいじゃないか。車も来ないし、警察もいないし、何も危険はない。赤だけど行ってしまおうと、この小さなルールを破ると、そのたびに忍耐心は弱くなっていきます。
 ですから、小さなルールを甘く見ないことです。これが忍耐心を培うコツでございます。


 私は、昭和36年10月10日、今から45年前に、今のこの仕事を始めました。最初は自転車1台の行商でした。自転車の荷台に商品を積んで遠くまで商いに行っていました。

 体は丈夫でしたから仕事そのものはきつくなかったんですけど、行商というのは辛いこともあります。それは、行った先々で人間扱いされないということでした。本当にもう散々な目に朝から晩まで遭うんです。歓迎されるところは1軒もありません。50軒歩いても、100軒歩いても、「用はないから二度と来るな」と言われるんです。

 その「来るな」って言われたところへまた行きますと、「この間、もう来るなって言ったのにまた来たのか」と、また怒られる。またそれでも行くと今度はホウキの枝で追い出されたり、時にはそこにあったバケツの水を頭から浴びせられたり、そんなことも度々ありました。

 でも私は、ありがたいことにそういうことに耐える力を持っていました。そんな目に遭っても、訪問し続けて、やがて先方さんが望んでいることを私が叶えていくということにも巡り合うようになるんですね。
 まぁ、そんなことから少しずつ仕事の窓口が開いて参りまして、自転車で歩かなくても仕事が入ってくるようになりました。

 そういう体験を通して私が学んだことがあるんですね。それは、どんな人にでも「人として」接していこうということです。このことを私は生涯守ろうと思いました。

 ですから、行商時代、私に冷酷な態度で接した方は私にとっては「先生」なのです。そういう厳しい修行のような日々の中で、本当に親切にしていただいた人もいました。そういう人からは「人間はこうしなければならない」ということを学んだわけです。

 ですから、誰からも私は学ぶことができたのです。

 
(10月18日、「お菓子の日高」創業55周年記念文化講演会にて)

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