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みやざき中央新聞コミュの「たった一度っきりの人生だから」

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先週、みやざき演劇祭の一つとして上演された『ダディがいた街角』を観た。
 
俳優養成所にいた頃、一緒に訓練を受けた若い子たちが出演しているというので、
素人に毛がはえたようなものだからあまり期待はしていなかったが、
意外や意外、感動の余韻が今も続いている。

物語はこうだ。


結婚して間もないさくらは、夫が仕事で中国に行くことが決まったことで怒っていた。
自分に相談もなく決めたこと。
しかも中国で仕事をすることは彼の夢であり、
自ら中国行きを会社に申し出たことを知っていたからだ。


そんなとき、さくらは母・桃子の1周忌の法事のため、
単身東京から故郷の宮崎に帰った。

法事の後、さくらはお母さんの友人たちから
自分が生まれる前の話を聞いた。
ここから舞台は昭和50年代の風景となる。


桃子は、新聞記者として宮崎支局に赴任していた清志と知り合い、
恋をし、そして結婚した。ここまではよくある話。


その頃、10年以上続いていたベトナム戦争が終わった。
清志はジャーナリストとして自分の目で
戦後のベトナムを取材したくなった。
妻に相談した。
 

桃子は「行かないで」と言いたい気持ちを抑えて、
彼の夢を叶えてあげたいと思い、背中を押した。
清志が日本を飛び立った日、桃子は妊娠していることに気づいた。


数ヵ月が過ぎた。最初ベトナムから頻繁に来ていた手紙が来なくなった。
しばらくして彼がラオスとの国境付近で消息不明になったという連絡が届く。
しかし、そのことは身重の体だった桃子には伏せられた。


出産後、桃子にも真実が告げられる。
薄々感じていた桃子だったが、
愛する夫を失ったこと、そして父親を失った生まれたばかりの娘、
さくらのことを思うと、深い悲しみに打ちひしがれた。

しかし、桃子はその一方で、夫が自分の夢に向かっていったこと、
それを応援したことを後悔していなかった。
むしろ彼のやりたいことをやらせてあげた自分を誇らしくさえ思っていた。


さくらは、自分と同じような年齢のときの母親の心象風景を想像した。
このとき、BGMにさだまさしさんが1975年にリリースした
『フレディもしくは三教街〜ロシア租界』という歌が流れる。


この歌は30年以上前から知っていたけど、
「三教街」とか「ロシア租界」とか、
馴染みない言葉が多くてあまり詩の中身を深く味わうことがなかった。

第二次世界対戦前、中国・揚子江沿いの漢口は世界最大の国際都市で、
そこには各国の人たちが造った街があった。

ロシア租界、フランス租界、イギリス租界等々。

さださんのお母さんは当時、漢口にあった海軍系の商社で働いていた。
そこで兵隊だったお父さんと出会ったという。


さださんのお母さんはロシア租界にある三教街という街が大好きだった。
お母さんから当時の思い出話を聞いたさださんが、
想像を膨らせて作った歌が『フレディもしくは…』という歌になった。


それはこんな歌。


一人の女性が漢口で一人の男性と出会う。
三教街を抜けてフランス租界をデートした。
アームチェアでパイプをくわえた素敵なおじいさんがいた。
夕暮れの街で教会の鐘の音を聞いた。


長い年月が過ぎ、女性は当時を振り返る。

「あなたも年老いたらあんな素敵なおじいさんになると思ってたの」
「本当はあなたと私の為にもあの鐘は音は響くはずだった」
「そんな夢のすべても、そしてあなたさえも戦争は奪ってしまった。
あなたは素敵なおじいさんになっていたはずだったのに…」と。


舞台の中でさくらは、「漢口」を「宮崎」に、
「三教街」を「一番街」に替えて、ベトナムで亡くなった父と、
その父を思いながら自分を育ててくれた母を思って、
『フレディもしくは…』の替え歌を口ずさむ。


誰の思い出の中にも愛した人は生き続けるのだ。
感動したぁ!


『みやざき中央新聞』の社説より。

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