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虐待死ネグレクト防止対策協議会コミュの母性本能の湧かない場合の育児について

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育児をするうえで、やはり母性本能はとても大切なのだと思います。
もちろん最初から子供が好きで好きで…と言う人もいるだろうし、逆に大っきらいだったけど子供を妊娠して好きになるという人もいると思います。
でも母性本能は好き嫌いとは別に命がけで守りたい、何かしてあげたい…と言うか自分よりも先に…と言った気持ちが、ある意味勝手に湧いてくる、育児をするうえで、この母性本能ってとても助かる部分だと最近思い始めました。
そこでみなさんにも一緒に考えてほしいなと思うことがありトピックを上げました。
読み物トピックではなく、みなさんも一緒に考えて欲しいなと思います。



こんなふうに母性本能について私が考え始めたきっかけをお話します。
唐突ですが私はTVの「痛快ビッグダディ」と言う大家族のドキュメントがとても好きです。

基本的に大家族物は好きなんですが、この大家族は父親を中心に子供たちがとてもまとまっていて、うちの子たちもこういう感じに育ってほしいと思うのです。
しかし最近離婚した元妻が戻ってきたりと、かなり波乱が続いています。
私はこの元妻が大っきらいでした。
そんな時、このビッグダディの書いたらしいブログを拝見しました。
ご興味があって読んでみたいなと思われた方のためにアドレスを載せます。http://blog.livedoor.jp/techno33/
あくまでも半分はフィクションだということを前提に内容を書くと、奥さんとの馴れ初めから子供たちが生まれて、不倫、育児放棄、離婚、離婚後別の男性との間に子供ができるんだけどダディが引き取る事になると言うような内容です。




今回このコミュでこのブログについてトピックを上げたのは、このブログについて議論したいわけではなく、同様の場合の育児について、どう向き合っていくか、もしくはどうやって母性本能を引き出すかの方法についてお考えいただけないでしょうか。



ビッグダディの日記の最初に書いてありますが、この元妻は、決定的に母性本能が欠落していました。
この言い方が一番適切なくらい母性本能が薄いのです。
しかし元妻もとてもとても努力しています。苦手な家事を何とかやり、その反動で寝込むように見えます。でも大家族なので寝ているだけでなまけ者とみられます。あえてTVの演出と言う事はあるでしょうが。

それほど母性本能が欠落しているにもかかわらず、不思議な事に、この元妻は子供が嫌いではないのです。


子供が好きなのに、育児が苦痛で仕方がない。


そんな経験をすることは育児をしていれば誰でもあると思います。
それって、もしかして母性本能が減ってしまう(この表現は適切ではないですが)のかもしれないと思いました。



でも元々我が子に対して母性本能に目覚めていれば、たとえば抱きしめたり子供と関わる事で、もしくは寝顔を見守るだけで母性本能は補充できるかもしれません。



しかし決定的に母性本能が欠落している、もしくは母性本能に目覚めていない人が育児をするのはとてもとても苦痛で仕方がないのではないでしょうか。育児に充実感や幸せを感じられないとしたら、これほど辛いことはないと思います。


人は責任や倫理に縛られて生きているので、幸せを感じられないからと言って子供をすぐに虐待する人は少ないと思います。でもママが幸せでなかったら子供も本当の意味で幸せになれないと思います。これって虐待の連鎖にも共通しますよね。



自分自身に照らし合わせて考えてみると、初めての妊娠の時はとても不思議な感じでした。
生まれてみて、看護婦さんに触ってみてと言われてどうすればいいのかとてもとてもと惑ったのを覚えています。
こんなに時間がたってもあれだけ鮮明に覚えているほど、何か体の奥から湧きあがってくるものがありました。



今思うとあれが母性本能だったのかもと思い当たります。


その後、息子を死産し、今思うとこの時点で私の中で母性本能が完全に覚醒したように思います。

では、上記したビッグダディの奥さんのように、子供を何人産んでも、子供を流産しても母性本能が目覚めなかった人はどうすればいいのでしょう。
そのヒントを見つけられたら、育児が苦痛だと思う人の気持ちに少し近づけるのではないかな?と思いました。



一応注意しておくと、母性本能が無いことが必ず虐待につながるということではないと思います。
母性本能があっても虐待する人はいると思うし、愛していても手を上げる人もいます。
今回の場合のように愛情があるのに母性本能が無い人もいます。


でも育児放棄や虐待傾向に、母性本能が一切湧かないという話もあります。
育児をするうえで、母性本能がある事、愛情がある事って大切な2つの大きな柱だと思いました。どちらか一本でも立つことはできるけど一本だけだと折れた時に崩れてしまう。だから2本ないと危なっかしいなと考えました。



動物の話ですが、ひどい難産で出産した母親は、せっかく生まれてきてくれた我が子をその場で虐待死させてしまうことがあります。
何故でしょう?
本来なら大変な思いをして生んだ我が子にこそ母性本能が働きそうなものです。


ほんの些細なきっかけで母性本能のスイッチが入る人もいれば、とてもとても時間がかかる人もいる。


少なくとも母性本能についての何かしらの傾向が分かれば、もう少し気持ち的に救われるお母さんもいるのではないでしょうか。



このトピックでは、広く母性本能について考えてみませんか?
直接的な虐待防止にはすぐにつながらないかもしれませんが、悩んでいる母親に対して少し近付けるような気がするのです。
ご意見お待ちしております。

コメント(17)

以前、別のトピでも書きましたが、私が2人出産した産婦人科は、カンガルーケアや添い寝など、母子の絆を第一に考える病院でした。
その中で妊娠中から勉強する「ソフロロジー出産法」というものがありました。
フランスで考えられた、陣痛を味方にして母子で出産をがんばろうというようなもので、妊娠中からの語りかけなども勧められます。「薬を使わない無痛分娩」とも言われるそうです。

何度か勉強会みたいなのにも出席しないといけないような産婦人科でした。ソフロロジーのイメージトレーニングをするCDも貸し出され、ある意味マインドコントロールかな、とも思いました。

何にしても、母子の絆、母性を大事に考えるものでした。
先生が言うところの「お母さんスイッチ」つまり母性のスイッチは、誰でも持っているので、妊娠中からイメージしてみよう、というものでした。

ソフロロジーについては以下のサイトを見てみてください。
http://www.sophrology.jp/top.html


私は「子どもが嫌いではないけど…」なタイプの人間でしたが、ソフロロジーを勉強するうちにだんだん「お母さんスイッチ」が入っていくのがわかってきました。だいたい妊娠中に赤ちゃんにおっぱいをあげる夢を見る人が多いそうです。
出産した瞬間から、「これぞ母性」と特に感じました。少しさんの言うように、湧き上がってくるものがありました。

「子どもが好き」と「母性」はまた違うと思います。私は「子ども」という年齢層の人が好きではないんじゃないか、と思うことはありますが、我が子は溺愛していますし母性がなんたるかは身をもって感じています。

まんまとソフロロジーにハマった私なのかもしれないし、同じソフロロジー法の産婦人科で出産したからといってみんながお母さんスイッチをうまく入れられるかと言うとわかりません。
(私も陣痛については痛くて痛くて、何が無痛じゃ、と1人目のときは少しパニックでした)
でも、お母さんスイッチを入れる手段の一つになるとは思います。

「妊娠したけど私は子どもが好きじゃないから母性が沸くか心配だ」
ともし悩んでいる人がいたら、ソフロロジー法を取り入れている産婦人科を選択してみるのも一つの手かと思います。


余談になりますが、母性が強ければ良いというわけではない体験をしました。
1人目出産直後、その夜から毎晩、娘が危険な目に遭う夢を見始めました。
でも実母に話すと、親になったからじゃないの?自分もそういうことがあった、と言われ、母性のせいかな、みんなこんなもんなんだな、と思っていました。

ほぼ毎晩、娘に関する怖い夢を見て、名前を叫んで飛び起きる。寝顔を見て安心する。その繰り返し。
そのうち夢以外で妄想のように昼間にも変な想像が頭をよぎるようになり、子どもが被害に遭う虐待や事件、事故のニュースを見ては恐ろしくなり、わが子を抱きしめないと落ち着かなくなりました。
人に子どもを預けることにすごく抵抗がありました。旦那でも一時保育でも、信用できないわけではないけど心配で離れられませんでした。
でも、みんなこうやってわが子は心配になるし、こうして親になっていくんだと思い込んで過ごすこと8ヶ月。

市でやっている健康相談で何気なく話したら保健師さんがカウンセラーさんにつないでくれて、産後うつという診断を受けました。

私はずっと母性の影響だと思っていました。ある保健師さんからは「母性が強すぎていたずらするんだろうね」とも言われました。
母性も産後うつも結局ホルモンの影響だと思いますが、「母性が強い」ということで自分の異変を納得しようとしてしまい、自分を犠牲にしてしまう場合もあるんだな、という体験でした。

悪夢は卒乳と同時に嘘のようにピタリと治まりましたが、その後育児ストレスで復活、カウンセリングと精神科に1ヶ月通い、自分なりに吹っ切れました。
2人目出産後は特に異変はありませんが、まだ悪いニュースを見ると妄想が暴走して動悸がして我が子を抱きしめたくなります。
これは母性なのか、産後うつなのか…わかりません。あまり考えないことにしました。あまりに苦しくなったらもう我慢しないでまたカウンセリングに行こう、と学習したので。

話が逸れてしまい申し訳ありませんでしたが、
私にとって「母性」って言葉はポジティブなイメージだけではないので、広く母性本能について考えるトピということで、書かせていただきました。
あやこねぇさん素晴らしいコメントありがとうございます!!
とてもとても勉強になりました。
我が子が危険な目に合う夢、私もありました。
私の場合は我が子をなぜかこの手で殺す夢。それも悪気なく…恐ろしい事に、手に感触が残ってて自分自身が怖くて怖くてこの子のそばにいちゃいけないんじゃないだろうかと…でも見えてないと怖くて…。いつこの子が突然息を止めてしまうんだろうかと毎日怖がっていました。

あれって、産後鬱だったんだ…
今まで知らなかったです。
私は母性が強いというよりは、常に深層心理で自分自身は親として不適格だと思ってるからそれが夢に現れるのではないかと今は思っています。実際その気持ちと今は向き合いながら育児してるので。


母性とか、女性的な事とか、本能とか…
とっても難しいものですね。

私も母性が至上とは思わず、広くみなさんどう思うかな?と疑問だったので。
母性に対するネガなイメージの情報があまりないので、そういう情報を発信してもらえてとても助かりました。勉強になりました。



全然なくても、多くてもいけないんですね。
どうやったら上手にコントロールできるんだろう?
そもそも母性本能は錯覚でそんなもの存在しないんだろうか?
そんな風に疑問ができるほど難しいものなんだなと思います。
少しさん
ものすごい悪夢ですね。みんなそれぞれ、本当に悩みながら育児してるんだと改めて思いました。
もちろん「悪夢」=即、産後うつではないと思います。私にも他にいくつか症状がありましたし。

「産後うつ」=「ホルモンの影響」ですし、一般的なうつとちょっとメカニズムが違います。
育児ノイローゼとも違うので、もっと母親たちや社会の認知が必要と感じます。
虐待とも無関係じゃないかもしれませんし、私ももう少し勉強したいことの一つです。

母性についても「母性」=「ホルモンの影響」とは思います。

まさに目に見えないものですし、強制もコントロールも難しいものでしょうね。

私も、母性が強すぎたと言われたってどうしようもなかったし、本当に母性が悪者なのかというとそうは思いません。
ただ、治療中は「とにかく休みましょう」「自分の時間を持ちましょう」ということを言われました。
「自分が何もかもやらなければ」と、肩肘張ると、きっと母性は悪者になってしまうと思います。
無意識に子どもを優先したい本能、責任感のようなものは大切ですが、それに押しつぶされるくらいなら母性なんて言葉、悪者になると思います。

でも、これは自覚的に「母性が強いなぁ、私って」と思う人へのアドバイスですね。

「母性ってなんだろう。私って母性ないなぁ」と思う人には…
やっぱり妊娠中からのイメージが大切じゃないかと思います。

母性がない、少ないなんて、恥ずかしいように聞こえるかもしれないけど、自分じゃコントロールできない問題だもの、しょうがない部分ってきっとある。
だからこそ、「少ないなぁ」と感じた人がどうやって育児をこなしていったのか、そういう苦労をされた方からのお話があれば、ぜひ聞いてみたいと思いました。
あやこねぇさん。
そもそも産後鬱について積極的に対処しようとする地域と、産後鬱自体にあまり取り組んでいない地域があると思います。地域と言うか行政と言うか…
私はたまたま産後鬱にあまり認識のない地域にいたので、実際自分があの時産後鬱だったのかどうかはもう解らないんですが、とにかく意味もわからず苦しんでいたのは事実です。
産後鬱でなくとも、保健士さんなどが積極的に話を聞いてくれる環境があったらよかったなと、それだけは残念でした。同じ税金を払っているのに、住んでいる場所が違うだけであれだけ格差があるのは、いつも平等ではないなと思っています。



話がそれましたが、母性が無いってこと、多分自信を持って言える人は乗り越えられた人なんですよね。
自分が今苦しんでいたら多分認めることもできないと思う。

だから私も、みなさん一人一人の自分自身の母性についてどうお感じか知りたいなと思います。



全く母性が湧かないなんて事が本当にあるんだろうか???

上記した方の例は、ご本人も認めている通り全く母性に恵まれなかったようで、何人も何人もお子さんを生んでいるのに、どこでもスイッチが入らなかったようで…。


育児で躓いたら、ママ友達とかに聞いたり専門家に聞いたり、ああしたら良いこうしたら良いっていうアドバイスも実践しやすそうですが、母性の場合は…
ホルモンの影響らしいっていうのは、確かに聞きますね。
でも、だとしたら全くないなんてことはないのではないかと思うんですが…ホルモンの影響が無ければ妊娠継続も難しいし。

突然消えてしまったと思う時もあって、そういう時って可愛く思えなくなる?かな?



生まれる前からのソフロロジーはとても大切なんですね。
元々子供ができたことに戸惑っている人には、そういう勉強会を積極的に…
いや、この核家族化の社会では、こういう教育はもっともっと積極的に取り入れてもらう必要がありそうですね。

でも、ソフロロジーを受けても母性が湧かなかった人、既に子が生まれていて母性が湧かない人にはどうすればいいんだろう。

にゃもさん。とても勉強になるお話ありがとうございます。

実際、私もあまり問題視していなかった部類の人間です。
実際に世話をすれば、抱きしめてさえいれば愛情が湧いてくるだろう…と。
もしくは他のママさんと話せば、子供関係のTVを見ればと漠然と考えていました。


でも、それでも愛情が湧かず苦しんでいる人がいる事を知り、浅はかさに少々戸惑っています。



お話の、
>「愛せない」と自分の心にレッテルを貼ってしまっている人には、甘やかしてその気持ちを正当化させてしまうのは危険だと思いますし、
という言葉には、かなりドキッとしました。


確かにおっしゃる通り、苦しんでいる人にはまず肯定を…とばかりも言えないですね。


愛せないという状況は多分に思いこみの部分も強いんでしょうか?
いろいろ複雑な問題を内包しているので一概には言えないものなんですね。


うちの子もNICUに入っていたんですが、その担当看護師さんにも同じような例をお話しされました。



子供を愛せるか愛せないかは、精神的なものじゃなくもっと動物的な感覚なのかな?


私は誰にでも、子供を愛せて子供を愛していることの喜びを感じられるようになってほしいなと思うんです。漠然となんですけど。それにはやっぱりなんで愛情を感じられないんだろうっていう事を突き詰めて考える必要があるのかなと思いました。
にゃもさん。
厳しいな…と思いつつ、おっしゃる通りだとも思います。

特に、
>●機能不全家庭で育った。もしくは虐待された。=自分は人を愛せない。子供を愛せない。

については、ネットの中で結構頻繁に前ふりのように聞きますね。
私自身言われたこともあります。


愚痴と真剣な悩み…判断が難しいところです。
文章だけなので判断がつかない時もありますよね。



育児で悩んでるから愛せないのか…なるほど。。
もう少し考えてみます。
にゃもさんの
>少なくとも、旦那が手伝ってくれないから子供を愛せないって、変じゃないですか・・・?
に、すごく納得しました。

もしも旦那が手伝ってくれない、急に入院した、いなくなった、そうなったら
逆に子どもを愛しているからこそ自分一人でもがんばれる、そう思いますよね。

育児ストレスなんて誰だって抱えてます。イライラして当り散らし叱り飛ばす、そんなこと人間だもん当たり前です。
それを即「愛せていない、だって周りが支えてくれないんだもん」は、確かに甘いですね。

確かにストレスで(一時的にも)「愛せない」と思う人も、悩む人もいると思いますが、にゃもさん、少しさんの話から考えたら、そこにはきっと母性はあると思います。

愛情の反対は、嫌悪ではなく無関心だ、と聞きます。
にゃもさんのおっしゃるように、悩みもせず、子どもが不快な状況にあっても心が痛まない人が、「子どもを愛せない人」「母性が沸かない人」なのかな、と思います。

ストレスで悩んでつぶれてしまいそうな人には、「愛しているからだよ」という何らかのフォローやサポートがあれば、解決の糸口はあるんじゃないかと思います。
間違ったレッテルは剥がしてあげたいですね。にゃもさんのお話を読んで勉強になりました。

だけど、いくら世話をしても、抱いていても、一緒にすごしていても情がわかない人のケースは、私は直面したことがないし、難しいんだろうなと思います。
何度も書きますが、ソフロロジー、いいと思いますよ。(協会の回し者ではありませんよ、私)

30時間を越える陣痛の後、一人目出産したのは夜の9時過ぎ。その後カンガルーケア。
基本、添い寝の病院なので、生まれたその晩から同室で構わないんですが、
2300gくらいの低体重児だったのでその夜は預けることにしました。
でもいざ預けようと離れたら、言いようのない不安感が沸いてきて、新生児室に入った我が子を再び連れてきてもらい、自分の部屋へ移動する間だけ抱かせてもらいました。
思えばあの時から母性が沸いていたのかもしれないし、ホルモンのせいで非常に不安になっていたのかもしれません。

どちらにしても、生まれて2時間で「離れられない」と思うくらいの感情を沸かせることもできるんです。
ソフロロジー効果か、カンガルーケア効果かわかりませんが、あの産婦人科で出産したおかげかなと思っています。
あやこねぇさんにゃもさんご意見ありがとうございます。


にゃもさんのおっしゃってる通りなんですけどね…。
過敏…確かに。


わたしもにゃもさん、あやこねぇさん同様、夫が参加してくれないから愛せないというのは甘いと思っています。正直な話ですが…。でも「あなたそれは甘えてるよ!」ともなかなか伝えられないですよね…。



夫が育児に参加しなかったから、夫に愛されなかったから…
そういう理由で愛情を感じられないという書き込みは多いです。


私が厳しいと言ったのは、じゃあ文字の世界だけでどういうふうに相手に伝えられるだろう?と思った時に、厳しい事を言えば逃げて行くし反発も買うし、「あなたの言っている事は甘えなんだよ?」なんて、マイミクさんでも伝えるのは難しいですよね。
おまけに、伝わるだろうか?とも思います。


にゃもさんもおっしゃっている、フォローしつつ愛せないという思いこみをはずして…と言うのは私も常に思っているので、この前提で考えた時に、事実(ある意味事実ですよね)である、甘えや思い込みだよっていう事を伝えるのは難しいな…と。
でも伝えないと、自分自身と向き合わないと結局根本からの改善は難しいですよね。

そこのところはどうお考えでしょうか。
あ、でもあくまでもネット前提だととてもややこしくなりますよね。。
やっぱりここまでのケアは実際に会ってということが前提になるんでしょうか…

せっかくネットと言う誰でもつながれる環境があるだけに、そこで流れている主流の意見とあまり逆行するのも受け入れられがたいだろうし、かといって主流の意見にこのまま流されても本当の解決にはならないですね。



もう一つ考えたいのが、実際に本当に母性本能の湧かないというタイプの人もいるようです。
甘えではなく、子供を育てることが苦痛で仕方がないという人もいるようで…

これも産後鬱や育児ストレスによる育児ノイローゼの一部になるんでしょうか?

あやこねぇさんのご提案の、ソフロロジーは出来るだけ多くの機関で取り入れてもらいないなと思いました。
私自身は母子分離型の産院だったので…離れているのが本当につらかった。。
母乳なのに3時間おきと決まっていて、うちの子は4000gあったので鳴き声も大きいし(泣くと病院が屋鳴りしました)あの体で足りるわけがないし(医療マニュアル的には足りるんですが)大体2時間くらいすると欲しがって大泣きしました。病室にいてもなぜか我が子の泣き声だけはすぐに聞こえて、聞こえるととても寝てなんていられないのでナースセンターに行くんですけど決まって「泣いてないですよ」と言われ、それでも泣いてるからと食い下がって見に行ってもらうとやっぱり泣いていると…。抱っこだけでもさせてくれないかと頼んでも、深夜なのでと断られ…。
泣きに泣いてやっとありついたおっぱいは毎回産後1日目から100CCを軽く超える量を飲んでいたので病院には驚かれましたが、あれだけ泣き続ければ…と言う、何とも言えないもどかしさが私にはありました。
母子同室だったら…

話がそれてしまいましたね。



兄弟の中で一人だけどうしても愛せないという状況の虐待もありますよね。
同じ状況ではないにしろ、子供達みんな可愛いのに一人だけちょっと違和感がある…なんて事を、私の周りの子供の多いお母さんの大多数が口にします。母性とは違う話になるかな?私はこれも母性と関係があるのかと思っているのですが。
子供の何番目と言う傾向もなく、子供の性格にもあまり関係が無く…

某占い師に言わせると星の周りが悪いから相性がそもそも合わないなんて聞くんですが、そうなるとその親子関係はどんな努力をしようとも、もう救われないですよね。それじゃ悲しいなと思うんです。


これらの話は全く同じ世界では考えられないのかもしれません。
分けて考えるべきかな?




どういう方向で見て行ったらいいでしょうか。
母性と言うものを大きくとらえて話しているので、これらの事は分けてトピックを上げたほうが話し易いでしょうか。
にゃもさんはとっても厳しくて、それ以上に温かい人だなと思いました。
新年からほっこりとさせていただきました。ありがとうございます。


結局、本人が変わろうとしなければこちら側からは何もできないんですよね。。
それが残念だと思います。

でも、やっぱりここが限界ですね。


変わりたいと言っていても結局本心では変革を求めていなかったりして、伝わらないもどかしさをかなり感じていました。



愛してなければ悩まないか〜。全くその通りですね。
憎しみと愛情は表裏一体なんでしょうか。


そういう視点から見ると、最も非常な虐待はネグレクトですね。
無関心無感動。世話もせず食事もさせない。


肉体的な暴力の方がまだ改善点があるのでしょうか。
愛情があるだけ、イライラする?


正直、子供に対してイライラしている自分を客観的に見ると、子供以上に子供だなと感じます。
時として子供の方がよっぽど大人に見える時も…

そういう時は、育児を通して私は子供に育てられているんだなと感じます。


自分時間と、子供時間って流れているペースが違いますよね。
自分時間に慣れていると子供時間に合わせるのがとっても苦痛で…

でも合わせるとか合わせないとかそんな難しい事を考えないでただ流されてみると結構ストレスなく生活できたり…難点はその分忘れ物(あれしなきゃこれしなきゃがたまって行って一つ二つ忘れる)が多くなってしまうことでしょうか。




虐待している人は、これでいいんだとは思っていないと思うんです。
そんな時、にゃもさんのように子供にするようにしかりつけ、時には抱きしめてあげて愛情を実感させてあげられたら救われそうですね。そういう存在に、私もなれたらいいと思うけど…言葉で言っているのと実際にするのでは大きな開きがあると実感します。

某コミュで、近所で親にひどく叱られたり食事を満足に与えられていない子供がいて手をかけ目をかけてあげていた近所のママさんがいたんですが、食事をさせてあげたりしていたある時に、自分の子供をひどく叩いているのを見て自分の子供をとっさに守ったそうです。それ以来その子を自分の子供に近づけるのが怖くなってしまい、気が付いたらその子を無視する大人の一人になっていたと…そうしたら、その子は今までやさしくしてくれたママさんの家の窓ガラスを割ったりひどいいたずらをするようになってしまったと…
ああ、私もあり得るなと思いました。
安易な憐れみでは逆に子供を傷つけてしまう…


どこまでできるかなと言う事を考えた時に、自分自身がちゃんと立ててないのに実社会でどこまで手をかけられるだろうと思います。


だから実際に手を差し伸べてらっしゃるにゃもさんはとても素敵だと思います。
とてもとても色々考えさせられるお話でした。
自分の中で色々とぐるぐる考えていました。


特に、大阪の事件ですよね?下村早苗容疑者の事をそういう方向から見たことが無かったので、とても勉強になりました。
あの人にもほんの少しの愛情があったんだと思うと、正直私自身が救われます。。

あの事件は、今でも私自身とても痛い事件です。
このコミュが立ち上がるきっかけでもありました。

どんな虐待事件も、未然に防げたのではないかと思う人間です私は。


でも、幼い子供を家に残して、殺して、無感動にいられるだろうか?


本当に、自分自身の事すら分からないものです。
私自身もいつか、下村早苗容疑者の踏み込んだ穴に踏み込むのでは?と言う気持ちがあります。
だから、いつでも自分自身が誰かの最後の砦になっておきたいと願います。

情けは人のためならず。
いずれ私がとんでもない馬鹿な道に踏み込もうとしている時には、誰かが私の顔を思い切りぶってほしい。しかり飛ばしてほしい。
でも自分が誰かにとってそういう存在になるというのはとても難しいですね。



虐待事件を起こした犯人を許すことはできないけれど、背景を学ぶことはとても大切なことだと実感しました。


目の前で衰弱して死に瀕している子供を…
たまに聞きますね、直前で救急搬送される虐待事件。。
そこまで放置しても、最後の最後に?命を奪うまでは進まなかった。

ああ、やっぱり理解はできそうにないです。。

でも私が思うには、そういうことができる人は、きっと本当に飢え渇いた人ではないのだろうなと思うのです。
死ぬほどの痛み、死ぬほどの飢え渇きを実体験している人は、同じ状況になっている人を見ると自分自身の体験を思い出して苦しくなる…と思います。そしてきっととても心が辛いんでしょうね。。
辛くて苦しくて、自分自身を傷つけたくて仕方がないのではないかと思います。


とても悲しいです。

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