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システマティックに創作文芸コミュの小説家・脚本家・詩人をめざす生活・思考・行動を討論形式で分析し、発想を生み出すトピック

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このコミュニティで最もコメントが多いトピック、「元栗彩太郎ストーリー」は、エンジニアを中心とした元栗会社の社員と、作家をめざすリアル・アイクラブという架空の人物が語り合い、共に行動するというトピックだが、「作家をめざしつつ趣きのある、風情を味わう生活」というほのぼのした部分と、「作家をめざしているリアル・アイクラブの人生そのものの深刻な問題を深く論じる」という部分とで、内容的にかなり統一感がないトピックになっていた。

「元栗彩太郎ストーリー」が1000に近づいたことを機会に、深刻な問題を議論するトピックと、ほのぼのと風情を味わう趣きトピックを、分裂させることにした。

このトピックは、システマティックに小説家・脚本家・詩人・作詞家・エッセイストをめざすリアル・アイクラブが、元栗会社の創作文芸センター社員・特許開発センター社員と、生活する上での様々な局面の問題から、人生の指針・方針にいたるような大きな問題まで、真剣に、深刻に、深入りして討論・議論して、新たな発想をし、ブレイクスルーを図ろうというトピックである。

2022年10月22日土曜日

コメント(467)

「中学生のときにくもん式に通うべきだったように、高校生のときに両国予備校の文系コースに通うべきだったように、コツコツやって大きな結果を出せるようなことをするべきだ。現在は何をなすべきか。リアル・アイクラブ君がトップに立てるようなことは創作文芸だ。創作文芸の学習は、コツコツとするべきだ。中年になってから楽しい、趣きがあると思い出せるようなこととして、アイドルなどのコンサート、郊外施設関連の行動。現在やるべきことは、現在思いつくのはこういったことである」

「読書、知識を得る、学習というのも、どんな分野をどのような形でやるかという詳細によって趣きや懐かしさはだいぶ変わるでしょうね」

「夜寝る前の読書も、創作文芸系を1冊入れるだけでもかなり変わると思われます」
今日は日曜日だが、リアル・アイクラブは実家に用事があり、午後4時頃に終えてノーベル賞対策室に向かった。現在、午後6時になろうという時間だが、ノーベル賞対策室で何をすることもなく過ごしている。
対策室には2人の田町オフィスの元栗中年社員が来ている。

「リアル・アイクラブ君の親族は死に瀕している。たとい、好きではなかった家族でも、死なずに回復してもらいたいと思いますね」

「もう口を利くこともできない。といっても、まともに会話できた頃もほとんど話などすることはなかったので悲しみはない。おそらく、間違った人生だったのだ。他の職につき、他の人と結婚するべきだった。死に直面している今ではなく、おそらく、リアル・アイクラブ君が産まれた時点で人生の間違いは確定していた。まちがいが確定してから50年以上たって、実際の死に直面したということなのだ。実は、”人生の終わり”は、55年くらい前の時点だったのだ」
「インターネットを見ていて、横に表示される資格試験スクールの広告で、何々で何々試験に合格などというのを見ると、やはり今でも多少心が動かされますね。まあ、検定試験マニアは今でも続けているし。・・・ただ、合格までに何か月、何年とかかるような国家試験を目指して時間・労力を費やすならば、創作文芸の学習、あるいは日常生活や現在の自分の全生活における実利的な行為に費やすべきだと思いなおします」

「なんとなく思って、なんとなく資格試験スクールに入って無駄な受講料を使ってしまったのが以前のリアル・アイクラブ君でした。もう受講料を支払うようなスクールに入ってはならない。創作文芸の学習をするべきだ。労力や時間は、日常生活やリアル・アイクラブ君のパートナー関連などの全生活における実利的な行為に使うべきだ。時間は限られているし、肉体的・心理的エネルギーも限られている」
「ふと思ったのですが、やはり、30年後に創作文芸がマスターできていればいい、作家としてデビューしたり受賞しなくていいなんていうのは、自分で自分に嘘をついていましたね。プロ作家になりたいし、文学賞も欲しい。30年後ではなく数年以内になりたい。これが本音ですよ」

「30年後とか、作家になることを目指さず創作文芸をマスターできればいいとかいうのは、25年間も目指していてまったく作品を書くどころか学習すらやらなかったことからきている。どうせ何もやらないなら目指さずに淡々と学習していればマスターできただろうということだ」

「ただ、気づいたのは、淡々と、作家を目指さず気負わずりきまずに学習していて25年かけて創作文芸をマスターしたら、まちがいなく、プロ作家としてデビューしただろうし文学賞も目指しただろいうということだ」
「30年計画を考え出したのは数か月前だと思いますが、りきまず、気負わず・・・といいつつ、りきんだり気負ったりはしていませんが、結局創作文芸の学習もしていませんよ。ポイントは、りきまないとか気負わないという部分ではないのかもしれない」

「日常生活や、日常ではない生活で、りきんだり気負ったりしてかえって失敗することが多かったので、様々な生活、行動においてりきんだり気負ったりするべきではないというのはいえます。ただ、創作文芸については、りきまず、気負わずというだけではまったくやらないのだということがこの数か月の結果です」

「創作文芸を学習するのだ、マスターするのだということについて、意識はするべきなのではないか。かつては、意識する時点でりきんだり気負ったりしたことでかえってできなくなった。ただ、りきまない程度に意識をするべきではないか。さらにいえば、25年間の自分と現在の自分はだいぶ変わった。りきんだり気負ったりしてもできる状態なのかもしれない」

「ただまあ、りきんだり気負ったりするのは望ましくないと現時点では考えるべきだろう。創作文芸を学習しよう、作家デビューを目指そう、文学賞を目指そう、ただし、りきんだり気負ったりせずに目指そうというのを意識するべきだ」
「数か月前に完全に中止したと宣言した作家をめざさないとか文学賞をめざさないとかいうのは撤回する。創作文芸を学習し、作家を目指し、文学賞を目指す。30年などという長大な計画もなしだ。数年後のデビューを目指す。ただし、りきんだり、気負ったりせず、日常生活の延長のように創作文芸を学習する」

「このように”再転換”したのは明確な理由があるのだ。作家を目指さないとか文学賞を目指さないという方針にしたが、何か月たっても、”りきまない創作文芸の学習”などということをちっともやらないのだ。さらに、おそらく本質的にはこちらがメインの理由というか、薄々自分で気づいていたことだが、やはり、本音の部分では作家デビューしたいし文学賞も欲しいし数年程度で世に出たいということなのだ」

「あと数年で小説家デビューし文学賞を取り、シナリオを書いた映画を大ヒットさせたい。創作文芸によって名誉も金も得たい。・・・これが本音なのだ。25年間うだつがあがらなかったのは、このような本音を、全部ではないが半分くらい抑圧していたためかもしれない。自分の心の中の本音を100%自覚するべきだ。自分で自分に嘘をついてはならない。自分の本音を認識し、自覚するべきだ」

「本音をいえば、芥川賞もアカデミー賞もノーベル賞も取れると思っている。大ヒットもさせられると思っている。甘い考えを・・・などと恥ずかしがって抑圧させてしまっていたのだ。考えるだけならタダだ。いくらでも、都合のよい、大言壮語でかまわない、デカすぎる夢想と思えるような内容だろうが自分の本音は本音として自覚するべきだ」
「学生時代をやり直すとか、とり戻すということが我々の議論のこの20年来のテーマですが、これまでの議論では、前提として『平成元年から平成5年までの実際の大学時代は暗黒だった、暗闇だった、19歳の2月に戻れたなら、愛知県の大学に入学してバラ色の4年間を過ごすか、京都の大学に進学しても愛知県ほどではないがそこそこバラ色に過ごせた』というのがありました」

「つまり、実際の大学生活が100%の暗黒だったという前提、100%否定するべきものだったという前提で議論していました。・・・しかし、ポイントとなる場所でことごとく間違った選択をしてしまったとか、学生生活で重要となるパートナーを得られなかったとかいったことで、たしかに暗黒、暗闇だった部分はあるが、たとえ愛知県の大学に行って”超バラ色”の生活をしようが、京都の大学に進学しても受け身で正しい選択の生活をして”そこそこバラ色”の生活の生活をしようが、変わらなかった部分はあるのではないか」

「愛知県の”超バラ色”、京都の”バラ色”だろうが、ローカルテレビ局を見るとか、郊外を意味もなく訪れるとか、京都文化博物館で古い映画を見るとか、資格試験スクールでの学習とか、そういった部分はまったく同じだったのではないか」

「実際にできなかったことを実現させるという視点しかこれまでの議論で触れていませんでしたが、実際にやっていたことで、たとえバラ色の生活でも同じことをやっていただろうということは、2024年現在に、同じことをなぞってやって懐かしむことはできるのではないでしょうか」

「やれなかったことを今になって実現させるのと並行して、当時やっていたことで、たとえ愛知県の大学や、京都の生活をバラ色に変更させた生活だとしてもまったく同じ行為をしていただろうということは、2024年の現在も、なつかしむためにやればいいのではないか。やれなかったことを今になって実現させるのは難しいし、苦痛も伴うかもしれない。しかし、”暗黒”だったはずの実際の大学生のときになにげなく日常的にやっていたことなら今でも簡単にできるのではないか。簡単にできることをなつかしみながらやれば、多少というか、かなりの部分の大学生活を取り戻せるのではないか」

「さらにいえば、当時はやらなかったが、たまたまやらなかっただけで、たとえやったとしても簡単にできたし、苦痛などなく労力もなくできたということはあります。京都文化博物館で、普通のレンタルビデオにないような作品を見まくることはできたでしょう。30歳くらいで実現したアカデミー賞全作品を見るとか、芥川賞全作品読破もできたでしょう。京都市立中央図書館が大学に近いところにあり、しばしば行っていたのに、芥川賞全作品読破をなぜ思いつかなかったのか不思議ですが」

「これまでの”暗黒に過ごしてしまった大学時代を取り戻す”議論で抜け落ちていた、たとえバラ色の4年間になっていたところで変わらなかっただろうという部分で、2024年の現在、同じことをして懐かしさ=趣き・味わいを感じることはできるのではないか。さらに、当時はやらなかったことで、パートナーのことなどとは次元が違うような部分で、やろうと思えばできたことで趣き、味わいを感じるようなことも2024年の今やるべきではないか」

「大学時代だけでなく、小〜高・浪時代についても同じことがいえます。中学生の頃に夢見たローカルテレビ局を見ることは、高校3年でケーブルテレビで見られるようになった頃にはもう見たくもなかったのですが、今やるべきではないかというのをしばらく前・・・数か月前かさらに前かあるいは1年くらいたっているのかもしれないが・・・に議論しましたが、かつての夢で、今なら簡単に実現させられることを実現させるべきなのです」
「パートナーのことなどとは次元が違うような内容のことで、”暗黒”の大学生当時でも簡単にできたが、なんとなくやらなかった、できるけどもやらなかった行為、経験をするべきではないか。できるけれどやらなかった、2024年の今では決してできないことはあるだろう。ただし、この年齢でなければできないこととか、関西に住んでいなければできないことは、思ったより少ないのではないか」

「むしろ、大学生当時ではできなかったことで、2024年ならできることは意外と多いのではないか。20代前半の若僧だとやりにくいが、中高年なので普通にできることは多いのではないか。あるいは自分自身の年齢だけでなく、世の中の状況もだいぶ変わった。昔ならできるが現在はできなくなったことはまちがいなく存在するが、インターネットとかスマホとかを筆頭に1990年代にはできなかったことで現在できることは多いだろう」
「リアル・アイクラブ君は、同じ職場組織の、30年来の友人に、”絶縁”されましたね。さぞかしショックだったことでしょう」

「明確に、ドラマやマンガみたいに、絶交だ!と宣言されたのではないのです。まったく連絡がつかなくなった。連絡といってもこれまでもメールだけだったが、メールを出しても返信がなくなった。黙って絶縁されたということです。友達ですので多少心理的依存はあったのでしょう、やや落ち込みますね。理由は知りたいような知りたくないような。まあ、これ以上、深堀りはするべきではないと判断し、なぜ縁を切ったのか追求するのはやめました」

「これもいわゆる、天のおぼしめしだと前向きにポジティブに考えるべきなのかもしれません。リアル・アイクラブ君は、今回絶縁された友達とは長い友人関係にありながら、ケンカらしいケンカはしたことがなかった。本格的な口論もなかった。・・・まあ、考え方はだいぶ違うが、違うものとして受け止めていた。おそらく彼は、他の友達、知り合い、あるいは親から、リアル・アイクラブ君のような人間とは縁を切れとそそのかされたのでしょう」

「もう、彼とは、現時点で”友達ではなくなった”と認識します。もう、彼は自分の人生にとって過去の存在だ。これまでの何人かの絶縁した友達と同じように」

「リアル・アイクラブ君は、意外と近い将来に作家デビューなど、”世に出る”のだと思います。リアル・アイクラブ君にメールをするような友達は、今回絶縁した1人しかいなかった。”世に出る”段階で、メールをしてくるような友達が完全に断ち切られている、ゼロだというのは、おそらく良いことなのです。ただ、今後リアル・アイクラブ君が同じ職場で結婚した場合、妻の側の人脈はあるが、ダイレクトにリアル・アイクラブ君につながる人脈と、間に妻がいるのとではだいぶ差があるだろう。ダイレクトにリアル・アイクラブ君にメールしてくるような人間と断絶したのは、おそらく良いことなのです」

「1人しかいないので寂しくて友達づきあいをしていたというのはある。様々なところで考え方も違う。1人がゼロになった。友達ゼロは中学生のなかば以来、約40年ぶりといったところか。ただ、友達がいたときも1〜3人程度だった。今回絶縁された友達とは、20代後半以来約30年くらいのほとんど唯一の友達だった。途中、ほんの短い期間に友達だったのは数人いるが。ゼロになった。・・・しかし、これで良かったのでしょう」

「今後、リアル・アイクラブ君は、寂しさから同じような友達を求めるのはやめておきましょう。次は、結婚しましょう。次に自分とつきあうのは同姓の友達ではなく、妻になる女性とですよ。思わぬところで惰性で続けてきた人間関係をリセットです。リセットして、新しい人生のスタートですよ」
「・・・検索すると、20年、30年と友達だと思っていた人間から、あっけなく縁を切られた人は世間で多いようです。リアル・アイクラブ君と同じで、予兆などはなく、最後に友達として接したときも、バカ話を普通にしていた感じだったが、突如、返事が来なくなった。リアル・アイクラブ君は電話はあまりしませんでしたが、世間の友達どうしはけっこう電話はするようです。まあ、かつてリアル・アイクラブ君が、高校・大学と友達だった”クソタチ”と絶縁したときも、電話でした。今回も、電話ならばかなり傷つくようなことを言われたかもしれない。436でも議論したように、深堀りをするのはやめましょう」

「ところで、約40年ぶりの、原発ゼロならぬ友達ゼロだと言いましたが、ふと、よく考えると、大学時代も、東京には高校時代からの友達がいましたが、大学にはいなかった。そして、大学で同姓の友達がいなかったことを後悔などしていない。むしろ、同姓の友達がいないのに婚約者(しかもおそらく大学で一番の美人)ができるという奇跡まであと一歩だった。さらにいえば、大学で同姓の友達を持たないだけでなく、東京の友達、”クソタチ”とも、”クソタチ”が大学に入学してしばらくした頃、縁を切るべきだった」

「”クソタチ”と縁を切るのは大学3回生の終わり頃がタイミングとしては良かったでしょうか。実際、当時、夏休みや春休みに延々と東京に帰っていたのですが、『脱東京宣言』と称して、3回生と4回生の間の春休みには東京に帰らなかったのです」

「大学で同姓の友達がいなかったのは正しかった。それどころか、東京の友達とも、『脱東京宣言』と称した3回生の終わり、東京へ帰らないだけでなく、人脈的にも断ち切るべきだった」
「率直にいえば、今回、縁を切ってきた職場組織の30年来の”元”友達が、なにごともなかったようにまた連絡してきたら会うでしょう。しかし、一旦、絶縁した上での付き合いは、これまでとは変わるでしょう。・・・とにかく、現在いえることは、縁を切ってきた”元”友達に未練など持たず、人間関係リセットのチャンスなのだ、これから、友達ゼロで生活するのだと認識することです」

「大学3回生の終わりに”クソタチ”と縁を切るのをやるべきだったというのは実際寄りの話で、さらにいえば、大学4年間、友達などいなくてよかった。大学に入学直後に東京の友達とは縁を切ってもよかった。愛知県の大学だろうと、京都の大学だろうと、友達などつくらず、婚約者との交際はする。一番正しい大学時代だろう」

「”一番正しい大学時代”を、まさに今、実現させようじゃないでしょうか。やり直しの大学生生活。平成元年、大学入学と同時に東京の友達とは縁を切り、大学でも同姓の友達はつくらない。理想的な大学生生活を、35年後の今、実現させようじゃないですか」
「平成元年、5月の連休。当時も、わずか数日のゴールデン・ウイークに東京に帰ってしまった。しかし、あのときが分かれ目だったというか、分かれ目にできたのだ。ゴールデン・ウイークに東京に何も考えずに帰るべきではなかった。大学に入学後、4月中くらいに、東京で2浪に突入した”クソタチ”や、赤羽の”チック”とは縁を切り、手話サークルを選ぶべきだった。これは京都の大学に入った”世界線”の場合、つまり実際と同じように京都を選んでしまった場合だが」

「アパートは、あの嵐山のひどいアパートではなく、実際に住んだあのアパートあるいは他のアパートという”世界線”にしましょう。7月に”赤羽のチック”が来ようとしたときは、いま前期試験中(実際そうだったのだ)だとか言って断る。8月、9月に来たらまあ仕方がない。少なくとも、7月、手話サークルの合宿に行ったり、アパートで1人過ごしていろいろ考えたり、せっかく京都の大学へ行って1人くらしをしているのだから、じっくり過ごすべきだったのだ。寂しさから、むしろ、東京の友達と強固に付き合ってしまった」
「あのときが、人生の重要なポイントだったと、後から気づくのです。これまでは。平成元年の5月、東京の友達とは、明確に絶交しなくとも距離をおく。京都に来ようとしたら断る。手話サークルに入る。まさに、35年前のちょうど今頃、4月下旬〜5月は、重要なポイントだった」

「そして今、おそらく重要なポイントなのです。今回、絶縁してきた友達は、ときどき飲んで雑談する程度の友達だった。友達だった年数が長いので多少心理的依存をしていたのでショックはあるし、精神的ロスは、多少は今後も続くだろう。これまでの友達関係における心の傷が何十年たった今も続くようにに、一生続くかもしれないがやむをえない。・・・とにかく、ここで、絶縁されたことは仕方のないことだと受け止めて、彼との関係はリセットする。しばらくたったら、なぜ絶縁にいたったかを、インターネットで検索して事例を読んだりして分析し、創作文芸活動に生かすことを考えよう。今はまだそういう精神的な余裕はないけれど」

「・・・むしろ、あのとき、よくぞ絶縁してくれた、”絶交”する”絶好”のタイミングだったと、後から思うにちがいないのです。ここで、寂しさからしがみつこうとしてはならない。去る者は追わず。1989年を、ようやくやり直す”絶好”のチャンスが巡ってきたのだとポジティブに考えることです」
「ところで、話は変わりますが、というか話を変えたいのですが、港区に住んでいた25年間は、年齢的にはリアル・アイクラブ君の人生のメインとなるはずの歳月だったのですが、25年間、延々と悪夢が続いた感じでした。25年間の悪夢とほぼ併走していたのが、今回、絶縁してきた友達でした。まず、悪夢の家が無くなり、約1年後、友達も立ち去った。家も友達もリセットされた。これは、まちがいなく天のおぼしめしです。天というのは、自分の潜在意識かもしれないが。ふと気づきましたが、25年も住んでいたあの家にも家にある場所にも、なつかしさをほぼ感じない。1日だけでもあの家で暮らしたいとか、まったく思わない。今回縁を切られた友達も、趣味とか考え方もかなり違うし、他に友達もいないのでたまに気晴らしで飲んでいたにすぎない。25年も住んでいた家に1ミリもなつかしさを感じず、取り壊して更地になったのを見てせいせいした気分しかなかった。絶縁された友達も、去年の7月に取り壊された港区の家と同じように考え、感じるべきだろう」
「大学1回生の原点に戻った。大学1回生、5月、19歳からやり直すのだ。”児童研究部”などといううだつのあがらないサークルに入らず、手話サークルに入る。4月にさびしさから”クソタチ”に電話することはせず、”赤羽チック”が京都に来ようとするのも断る。5月のゴールデン・ウイークにも東京には帰らない」

「ふと今思いつきましたが、近畿地方の博物館巡りもいいですね。まず、京都市内の博物館を制覇してはどうでしょう。さらに、京都文化博物館のビデオブースで映画を見るのを、1回生の時点でスタートさせるべきです」

「高校生のとき、フィルムセンターに行ったりしながら、京都文化博物館のビデオブースに”通い詰める”ということをなぜやらなかったのか不思議ですね」

「丸太町七本松の中央図書館へ、無意味に行くのではなく、芥川賞全集を読破しましょう」

「資格試験スクールの公務員講座も1回生から通いましょう。さらに、小・中・高の学習のリメディアルもやりましょう」

「大学の授業の英語や、ハングルについては、まともに学習して、単位を取りましょう。体育は、テニスを選ぶのはいうまでもありません」
「過去の、友達付き合いについての失敗を思い出すと、寂しさからついついやってしまったことが多いですね」

「ただまあ、寂しさを感じるというのはありますよ。寂しさを我慢するというより、『寂しさエネルギー』を、良い方向に向けて使うのが良いでしょう」

「良い方向へ向けて使うのがベストだ。ただ、良い方向に使うのが難しい場合も、少なくとも間違ったことをしてはならない。寂しさからかつての”宇宙人”と深入りして付き合うような間違った行為をするのではなく、寂しいならばアイドルグループなどでまぎらわすべきだ」

「寂しいときに”ささやいてくる悪魔”と契約をしてはならない。寂しいときは読書をしたり、インターネットを見ればいい。生身の人間と触れ合いたいならアイドルグループのイベントに行けばいい。自分の青春時代を奪った、”宇宙人”のような人間とかかわってはならない」
「今回の、長年の友人との絶交事件により、リアル・アイクラブ君の心は傷つきました。・・・ただ、精神的にこれほど揺れ動くことはないし、幸いなことに、個人的な友達に関することです。家族のことでもなく、公的な要素はない。まあ、友達がたまたま同じ職場というのはあるが、公的な関係とはいえない。心が揺れ動いた、日常生活を送っているだけなら起こらないような感情を味わった。・・・これは、プラスに作用させようじゃないですか」

「この喪失感、寂しさを、エネルギーにしましょう。2年前の漏水事故のときに、恐怖をまぎらわせるために映画を見続けたりしました。普段なら飽きて見るのをやめるような長時間の映画を見ることができた。この喪失感、寂しさをまぎらわすために、アイドルヲタ活動をしたりしましょう」
「今回”絶交”された友達は、実際に会うのは1〜2か月に1回くらいだったが、心理的・精神的には、リアル・アイクラブ君が思っていたよりも大きかったのではないか。ふざけた言葉とはいえ、ひとりごとで彼の名前をリズミカルに無意味に繰り返すことが、おそらく1日で10回以上あっただろう」

「ついさっき気づいたのだが、彼の存在は、自分の行動や思考を縛っていたと思う。縛っていたという表現をするのはこれまでなかったが、縛っていたのだ。何かするとき、何かを深く考えるとき、多かれ少なかれ、どこか、彼に話したらどう反応するだろうかとか、彼を意識していた。さらに、彼に受けるようなことを話そうとか考えていたと、今ならはっきり断言できる。彼の存在を意識し、彼に受けることを目指してしまって、自由な発想をおさえこんでいたと思う」

「絶交された友達の存在が、リアル・アイクラブ君の思考や発想にかせをはめていた。気づくべきことに気づかず、考えつくことを考えつかなかったことが、この30年間にだいぶあったのではないか」

「お互い、意見に相違があることは承知していたはずだが、なんと、自分自身の内面的なところで、彼に媚びていたのです。頭の中だけで媚びたところで、彼には感謝も何もされないのだが、頭の中で彼に媚びていたのです」
「彼は、リアル・アイクラブ君を絶交し、立ち去った。決して、追ってはならない」

「ふと思ったのですが、リアル・アイクラブ君がなにげない雑談だと思いながら話していることの中に、彼にとって都合が悪いことが含まれていたのかもしれません。彼も、話していることがすべて真実だったのではないでしょう。嘘も言っていたでしょう。嘘とか、隠していることに触れるような、都合の悪いことをリアル・アイクラブ君がしばしば話すのを、ヤバい、まずいと思っていたかもしれません」

「絶交されたことに気づいてから数日たち、冷静に考えられるようになって気づきました。なにか、話が進むとヤバいようなことを、リアル・アイクラブ君が気づかずに話していたのかもしれません。そうなると、ますます、縁を切って行った彼を追ってはならない。これを機会に彼にかかわらないようにしたのは正解だったと、後になって明らかになるような事態が起こるかもしれないのだ」
「30年来の友人から絶交され、喪失感はあります。・・・ただ、絶交に気づいてから数日たった今、解放感も感じるのです」

「445で論じましたが、彼の存在は、意外と大きくリアル・アイクラブ君の思考・行動を縛っていたのです。むしろ、喪失感だと思った感覚は、解放感を錯覚しているのかもしれない。彼から解放されたと考えるべきなのかもしれません」

「彼とは1〜2か月に1回会う程度だったので、時間的・労力的にはゼロに近いため、かつて、毎週土・日に延々と会い続けた”クソタチ”のような、時間や労力を奪われている感は感じていなかったのですが、むしろ、時間や労力を奪われているという感覚がなかったために、精神的、心理的に縛られていたことに気づかなかったのでしょう」

「親が意識不明になってから、読書が進むようになった。読書を悪いことのように否定していた親が住む実家から出て四半世紀もたったにもかかわらず、親の読書否定は、リアル・アイクラブ君を縛り続けていたのです。同じ家に住んでいないとかはまったく関係なかった。読書否定の親が存在しているだけで、読書ができないように心理的に縛られていたのだ。意識不明になってから、小学校6年生のときに親に否定されてからトラウマになって買えなかったギネスブックを買うことができた。親が読書を否定することなんか関係ないと強がっていたが、親の読書否定によって、ドカ買いした本を読むことができなかった。なぜ買うのは買えたかというと、インターネットでポチッとすれば買えてしまうからだ。買えたが、罪悪感みたいなものは感じていた。罪悪感みたいなものを感じながらドカ買いをして、結局は読めない。親が植えつけたトラウマのためだ。親のせいで読書ができなかったというのは、ギネスブックを買うことができなかったことで証明されている」

「精神的・心理的な縛りというのは、気にしなければ平気だという軽いものではない。意外と大きな悪影響があるのだ。精神的・心理的な縛りを、今後は、意識して無くすようにしよう」
「親からも、友達からも、”解放”された。喪失ではなく、解放なのだ。親は回復するかもしれない。友達も実は絶交ではなかったのかもしれない。しかし、いずれにせよ、一旦解放されたら、もう縛られることはない。これまでは、縛られていることに気づかなかったのだ」

「親の回復はあるかもしれませんが、まあ、友達は絶交したのでしょう。絶交でかまわない。喪失したのではなく解放されたのだ。彼を基準に思考したり、彼に自分の内面で媚びたりという意味のないことはもうやらず、縛りをかけずに思考し行動するべきなのだ」

「本のドカ買いなど、たいしたことではない。1000円の本を1000冊買っても百万程度ではないか。本を保存しているのは床が抜けないようなところだ。しかも分散している。いよいよ多くなったら資源回収のときに集積場に置くだけのことだ。あるいはブックオフに売るのだ」
「よくよく考えると、やはり、心の奥底で、常に、彼に媚びていたのです。媚びるというのは、本人に面と向かってやる以外は意味がないと思うのですが、まったく本人が気づかない、心の中で媚びるような思考をしていた。というか、思考そのものを、彼に媚びるような展開になるようにうながしていた。彼に媚びるというかせをはめた思考をしていた」

「まったく、本人には伝わらない、心理的媚び・・・こういうことが存在するというのは大発見かもしれません。考え方、思考の仕組み自体を、彼に媚びるように悪い意味で操作していた」

「もう彼に、心の奥底で心理的に媚びることはやりません。思考を操作せず、自由に考えて発想します」
「絶交された友達に、心の中で媚びていたと論じましたが、まず、心の中で彼と”対話”していたのです。なんらかのテーマなどについて、まず心の中で彼と対話し、そして、彼に媚びるような形で実際に話せるような形にしていた。ある意味、”心の友”(笑)だったのです。いわば、何を考えるにしても、常に彼を”横目で見ながら”考えていた。彼のご機嫌を伺うような方向に、思考を操作していた」

「考え方が違うというのはお互いわかっていたはず。ならば、喧嘩するとか口論するとかではなく、やんわりと、考え方は違うが・・・という話し方をすればよかっただけの話だ。媚びたり、ご機嫌を伺ったり、しかも意識するのではなく、無意識に、根本的な思考を操作していた。表面的に媚びるとかご機嫌を伺うのは悪いことではない。今回明らかになったのは、心の底で、思考自体を無意識に操作してしまっていたことだ」

「実際に考えていることと違うことを言うのはたしかに抵抗があるかもしれない。しかし、まったく対立するような意見でも、喧嘩ごしでもなく、やんわりと言うことはできるはずだ。ましてや、彼の考えに合わせて心の底の考え方自体を操作しようとしていたのは間違いだった」
「すっぱいぶどうみたいに思われるかもしれませんが、30年来の友達だった彼は、悪い奴ではなかったが、良い奴でもなかった。まあ、普通だった。すごく親しくしていたわけでもない。・・・まあ、昔の友達とネッチリした付き合いをしていて失敗したのであえてすごく親しくならないようにしていたというのはあるが。30年という歳月の重みはあるが、さほど惜しくはない。25年間住んだ家が取り壊されても惜しくなかったように。買ってに心理的に媚びていたといった点で精神的にややロスとかやや傷ついたというのは現時点ではあるが、これは年月がたてば修復される傷だと思います」

「リアル・アイクラブ君が勝手に心の中で媚びたり、自分自身の心を操作していたことで、多少傷ついたとか喪失感はあるが、さほど失って惜しい友達ではなかったというのはまちがいない」

「友達だった期間が長かったとか、たった1人の固定化された友達だったとかいうことで思い入れや心理的依存による喪失感はあるが、さほど惜しくはない。むしろ、30年も友達で、1人しかいない友達のわりには、意外と惜しくないとすらいえる」

「失っても惜しくない友達だったのです。これも、良心の呵責みたいなのがあって表面的な意識では考えないようにしていましたが、30年前に友達になったときから、失っても惜しくない程度の友達だと、潜在的には思っていたのですよ。すっかり忘れていましたが、20年前か、10年前か覚えていませんが、彼とは無縁になってもかまわないとかチラッと頭をかすめたときがあったような」

「心理的に依存したとか、媚びるように無意識に自分を心理的操作したとかいうのも、何か彼個人の資質などの理由があったのではなく、固定的な友達が1人しかいなかったので、そういった心理的投影みたいなのも彼に対してやってしまったのでは。1人しかいなかったら1人にやるしかない。むしろ、彼の場合、心理的投影を見透かして利用しようというずる賢さが無い人間というかそういうことに鈍感でおそらく気づきもしない人間だったのが、リアル・アイクラブ君にとっては幸いだった」

「リアル・アイクラブ君が心理的に依存しているとか、心の底で媚びているとか、気づくような人間でなおかつ、利用しようとする悪い奴だったら、リアル・アイクラブ君はひどいめにあっていたかもしれない。絶交してきた彼が鈍感で幸いです」

「つくづく自分は甘っちょろい人間ですね・・・自分を利用してくれといわんばかりのことを心の底でしていたとか。つくづく彼が鈍感で幸いでした。もしかして、逆に、心理的依存をされるのが嫌になったのかとか思いかけましたが、そういうのもないだろうな。そんなことにも彼は気づかないだろう」

「失っても惜しくない友達だった。これで終了です。25年間住んだ家が取り壊されてもひとかけらも惜しくなかったように、30年間の友達だったが絶交しても惜しくない。さらにいえば、『25年間住んだ家にも絶交された30年来の友達にも、想い出はさほどない』」

「年月が長かったわりに想い出はないですね。家については悪い想い出はあるが。絶交された友達については、悪い想い出はまったくといっていいほど無いのですが、良い想い出もほぼない。彼との付き合いはたまに飲む程度で、多少の気分転換、多少のストレス解消になったにすぎない」

「友達を失ったことによりリアル・アイクラブ君がやるべきなのは、絶交された友達と飲むことに替わる、気分転換・ストレス解消です」

「ふと思いつきましたが、これまで趣味は4趣味と称してオタク的な趣味に、いわば偽悪的に絞っていましたが、絞る必要がないのではないか。アニメだけでなく映画やドラマやその他映像全般、アイドルやボカロだけでなく音楽全般、VTuberだけでなくインターネット上の様々なコンテンツ全般を趣味にすればいいのでは」

「『全・文化』を趣味とする。これは、以前提案した全方面の知識を得るということにも共通します。あらゆるカルチャーを味わう」
「思い返すと、やはり、何をするにも、今回絶交された友人のことを意識していましたね。いつも意識していたので、意識していることに気づかなかったのだ。25年間住んだ家も、常に、川が溢れることを意識しなければならなかった。今も、大雨のときにふと以前の家の感覚を持ちかけて、そうだ、もう浸水は意識しなくてかまわないのだ、高台なのだと思う。高台の家に住んで、大雨のとき
に川が溢れることを意識しなくてすむように、彼に絶交されて、今後は何をするにも彼を意識しなくてすむというか、これまでも意識する必要はなかったのだが、とにかく物理的に友達はいなくなったので、考えようがない。大雨のときに浸水でおびえなくてすむのはかなり精神的にプラスだ。あらゆる行動のときに彼を意識しなくてすむのも、かなり精神的にプラスになると思う」

「再開発と浸水という、ダブルで重荷だった家はなくなった。心理的にセルフ操作させてしまっていた友達とは絶交した。重圧、悪い意味での気がかりだったことが無くなった。これからは、『全・文化』を趣味として、リアル・アイクラブ君の生活は、新段階に突入だ!」

「現在は気づかないだけで、おそらく、余計な悪い意味の気がかりはさらにあるような気がしますが、いずれ気づくでしょう。とにかく、現時点で二大気がかりが無くなった。新しい人生の幕開けはまだ先だと思いますが、リアル・アイクラブ君の人生は、これまでにないような新しい段階に入ったのはまちがいないです」
「まあ、心に傷を負ったし、ショックですよ。これはまちがいない。・・・やけにポジティブなことを言おうとしているのも、必死でいいきかせようとしている感があります。・・・ただ、心の傷を治すため、必死でいいきかせようとしているが、内容的には間違っていない。心理的依存、心理的にみずからの思考を操作させていたのはまちがいない」

「むしろ、必死で心の傷を治そうとしたり、喪失感を埋めるために、良い方向にエネルギーを注ぐべきではないか」

「友達に対して功利主義で考えるのは嫌なものだが、あえて功利主義的に考えると、30年の間の彼との対話の中で、職場については知り尽くした。残りの10年間ほどで、新たに知るようなことはほとんどなく、30年間に知ったことの応用パターンとしての出来事だろう。彼は新しいことを開拓するような気力はもうないようだ。むしろ最近は懐古的になっているとすら感じていた。功利主義的な視点から考えても、もう彼から得られるものはない。30年の間、彼から得たものはあった。しかし、これ以上得るものはないだろう」
「なんといっても、認識しなければならないのは、彼が自分と絶交した理由は、”不明”なのだ。推測はいくらでもできる。ただ、リアル・アイクラブ君は過去にも推測をして、これはまちがいないだろうと思っていた推測が見事なほどはずれた。あくまでも、理由は現在のところ”不明”なのだ」

「まったく予想もしないようなことが起こったのかもしれない。そうなると、ますます、今後絶対にこちらからメールなど出してはならない。彼と接触しようとしてはならない。推測すれば、昨日5chでいろんな人からアドバイスを受けたが、普通に考えれば、第三者から、あいつはヤバいやつだから関わるなと吹き込まれたといったあたりだろう。ただこれも推測にすぎない。はっきりいえるのは、こちらからメールを出して2回返信がなかったのだから、これ以上のこちらからの接触を図ることはやめるべきだ」

「第三者から吹き込まれたという説が濃厚だが、決めつけてはならない。不明なのだ。まったく他人の影響などなく、自分1人で考えて縁を切ろうと思ったのかもしれない。まあ、思い込みが激しい人間なので、まったくの誤解に基づいた思考かもしれないが、だとしてもどうにもならない。考えて決めるのは彼だからだ」

「実は、絶縁されたかどうかも確定ではない。こんどの正月、年賀状が届かなかったら絶縁確定だ。絶縁だとして、理由は不明。まちがいなくいえるのは、もうこちらからメールを出してはならない」
「『失って惜しいといえるような友達ではなかった』・・・これは、薄々気づいていたことなのです。しかし、良心の呵責から、意識するのをおさえこんでいた。悪いやつではなかったが、面白くはなかった。リアルな話は役に立つ面もあるが、ただ、日常や職場でのリアルな話など、誰でもできる話だ。つまらないありきたりな話でも、たった1人しか職場での友達がいなかったので貴重ではあったが、まあ、30年間聞いて様々なパターンを知った。これ以上聞いたところでこれまで聞いた話のバリエーションのような話だけだろう。一言でいえば、たいした友達ではなかった」

「いいきかせるように言うとすっぱいぶどうみたいですが、彼は、たいした友達ではなかった。失って惜しいといえる友達ではなかった。人間的に、まあ普通といえば普通だが、つまらない人間だった。カルトや詐欺商法にはまっているとか、やばい業界の人間につながっているとか、金を借りようとするとか、そういった部分でこちらに害をもたらすことはなかったのは幸いだったといえるが。以前の友達は金を借りて踏み倒そうとしていた。今回の彼は、人畜無害だったのは幸いだったといえる」

「人畜無害であるうちに縁を切って正解だったのかもしれません。実害はなんら受けていない。口論などもなく、平和にさようならができて、絶縁としては望ましい方法だったかもしれません」
「心の奥底で、今回絶交された友達に縛られていた。常に、心の中で彼と対話していた。今も、ついつい、対話してしまいます。・・・ただ、30年間に彼から得られた知識は、生かせばよい。現在のことで対話するのは意識的に止めましょう」

「昨日、今日と、彼を失ったことでいろいろ議論しましたが、大学1回生の5月に戻ってやり直そうなどと話しましたが、なぜか、高校生の頃の感覚が戻ってきたような感じがします。まあ、高校生の頃に戻れるならいいだろう。数年前、しきりに、高校1年生のときに日本史の参考書・・・と議論していたためだろうか。まあ、大学1回生の5月に戻ったという設定を続けましょう」

「原則は大学1回生の5月だが、ときどき、高校生や中学生の感覚になってもかまわないだろう。小学生の感覚になってもかまわないだろう。小学生〜大学生にいたるまで、若い頃の自分は、立場的には決して不運ではなかった。ただ、生かすことができなかった。考え方とか判断力が間違っていたのだ」
「今回絶交された友達と、心の中で対話してはならない、内面化して自分の心理を操作させてはならないと議論してきましたが、ふと気づいたのは、ならば、中学〜浪人時の友達だった”宇宙人”、高校3年生〜20代前半の友達だった”クソタチ”と、”クソタチ”と同時だが大学生なかばで実際には会わなくなっていた”チック”。これらの”昔”の友達とも、友達ではなくなってから20〜30年たった今まで心の中で対話し続け、内面化して自分の心理を操作させ続けていたのではないかという衝撃の事実です」

「一瞬、それらの元友達たちとの心の中ので対話、心理操作を許してきたのだから、今回絶交された友達もかまわないのではと思いかけましたが、それらの元友達は、なぜかそろいもそろって偏った考え方をし、思い込みが激しく、明らかに間違った思考、間違った思考に基づく実際の行動をしていた。特に、”クソタチ”のゆがんだ考え方はひどく、友達だった当時から”クソタチ”には思い込みが激しいのではとかなり強くリアル・アイクラブ君は言っていた。友達だった当時から明確に気づいて明確に口に出して言っていた、リアル・アイクラブ君の人生では珍しい例だ」

「”クソタチ”を筆頭に、ゆがんだ間違った思考を持ち受験や恋愛などでも実際に間違った行動をして大失敗していた元友達と、心の中で対話を続け、内面化して自分の心理操作をさせていたことが、別宅を買うときの選択の間違いや、パートナーを獲得しようとしていた頃など、リアル・アイクラブ君のこれまでの人生の選択の間違いをメインとした失敗につながっていたのではないか」

「まったくこのことに気づかなかったのではなく、これまでも薄々気づいていたのですが、パートナー獲得の際の失敗の仕方とか、別宅を買うときの選択の誤りとか、”クソタチ”の間違え方をまるでなぞったかのような感じだとは思っていたのです。魔が差したようなあの間違え方は、まさに”クソタチ”そのものだ。内面化した”クソタチ”の心理操作によって間違えたのです」

「9月に、淵野辺セミナーハウスに行った後、海老名に行ったことはこのトピックに書いているのでまちがいないのですが、9月以来行っていないこともまちがいないのです。なんと8か月も行っていない。9月に行ったときは、今後は1か月に1回くらいは訪れるだろうと思っていましたが、結局、半年以上行っていません」

「今週の土曜日、18日土曜日は、淵野辺に行きましょう。淵野辺も給湯器の交換、さらに電気エアコンを取り付けなくてはならない。船橋・淵野辺は、どちらも、せめて書庫や、散策の足場としては使えるようにしなければならない」

「なにか、あまりにも過大な役割を、郊外の別宅に負わせようとしていた。郊外の別宅には、頻繁には読まないような本の書庫、そして、郊外の散策の足場とする。これらの役割を果たしてくれたら”おつりがくる”くらいの考えでいるべきだった。2015年の船橋、2016年の淵野辺、8〜9年前のそれぞれの部屋の取得時から、”書庫”と”散策の足場”の二つの役割しか求めないと割り切っていたら、とっくに二つの部屋は整備され、活用されていただろう」

「横浜の部屋が、横浜中央研究所であることに変わりはない。横浜の部屋が、船橋・淵野辺という2つの郊外部屋と違うところは、平日でも行けることだ。平日といっても、2日前の5月10日のような金曜日の夜だけでなく、普通の平日にでも行って、2〜3時間滞在して、自宅に帰ってくることができる。かつて、横浜のアーチェリースクールに平日でも通っていたときの経験・感覚が生かされる。職場から平日に戸部に往復する。行きは450円ほど、帰りは350年ほど、800円といったところだ。平日に800円かけて戸部に行き、2〜3時間の作業をして帰る。これは今後やるべきではないか」
「横浜・戸部の部屋の今後について議論しましょう。現在はひとつとして書棚は組み立てられず、段ボールが積み上げられて放置してある状態ですが、部屋が整備されたら、やはり創作文芸の研究所としての利用がメインになるでしょうか」

「郊外の2か所のように、遠すぎて平日には行けないという部屋ではない。金曜日の夜は横浜に行き、創作文芸の学習をするということにしてもいいかもしれない」

「ノーベル賞対策室で学習すれば800円はかからないが、現状として、ノーベル賞対策室では学習はできないのだ。自宅がある人がわざわざ有料自習室に行ったりするだろう。しかも、東横線から京急は必ず横浜で乗り換えなくてはならない。かつてアーチェリースクールに通っていた頃は、横浜駅の中や周辺をある程度知ることができた。郊外の部屋に行ったときのように散策する時間はなくとも、横浜駅の中や周辺だけでも知ることができるのは意味があるだろう」
「2004年〜2006年、横浜のアーチェリーレンジに通っていた頃は、まあ、なつかしいです。もし今、タイムリープして2004年の3月に戻れるなら、通わないですが。さらにいえば、当時通っていた資格試験スクール、たしか大原だったと思いますが、基本情報の講座も通わないです」

「横浜に、平日も通っていたということがなつかしいです。今度の金曜日は、2005年頃を再現してなつかしさを味わいながら、仕事が終わった後、横浜へ行きましょう」
「〇〇しましょうというのは実現しないことが多いですが、460の仕事が終わった後横浜へ行きましょうというのは、予定していたよりも良い方向で実現しましたね。なんと、仕事が終わった後、淵野辺へ行った」

「横浜、船橋は先週行っていたので、しばらく行っていなかったのは淵野辺だった。土、日に行こうかと思っていたが、とにかく行って郵便受の中身を片付けるのが目的なので、金曜日に行くに越したことはなかった」

「最後に行ったのがおそらく5年以上前だと思いますが、菊名に中華屋があって、唐揚げ定食をいつも食べていたが、菊名もかなり変化していて、以前の中華屋はなく、おそらく同じ場所だと思われるところ(1〜2軒場所がずれている気もしたが)に、大阪王将があり、唐揚げ定食を食べた。わずか2日前のことですが、懐かしいですね」

「郊外3部屋の郵便受の中を片付けるのが完了したので、今後3部屋に行くのは、部屋の中の整理と、郊外の散策のためということになります。整理は一気にできるレベルではない。往復の過程や、散策を楽しみつつ整理するということです」

「部屋の整理は、力まず、無意識に実行するという方針にしましょう。なんとなく、思いつきで実行する。どんな方法だろうとやっていれば終わる。無意識にやるというのを”意識”するべきです」

「ノーベル賞対策室も整理された状態とはいえない。無意識でりきまずに整理するというのはノーベル賞対策室も同じはずだ。あるいは現在暮らしている、すでにホコリだらけになり、1年半前の引っ越し時のダンボールが放置されている寮も同じことだ」

「たかが部屋の片づけ、整理を”大事業”と考え、りきんだためにかえって実行できなくなったのではないか。たかが部屋の中、家の中の整理だ。無意識に、なんとなく、思いつきで実行すればいいのではないか」
「リアル・アイクラブ君が長年の友達から絶縁されたことは、いまだに後遺症が残っているようですね。昨日、昼寝というか、午後5時頃に夕寝をしていて、友達関係を復活させる夢を見たらしいが」

「復活というか、そもそも、絶縁は誤解だった。機械が壊れたと言っていた。つまり、機械=パソコンあるいはパソコンの通信関連機器ということだろう。絶交されたかと思ったぜと言ったら、いつもの調子で無言だった。クリスマス会やろうぜ!と言った。明日あさってが頭に浮かんだので、おそらく夢の中では金曜日あたりだったのだろう。といったあたりで目が覚めた。横向きで寝ていたので壁が見えた。夢だった!?・・・つまり、彼が絶縁したのではないというのも夢だった!!・・・しばらく落ち込んだ」

「すでに夕方だったというのもあるでしょうが、そんな落ち込んだ状態ではノーベル賞対策室に行く気分にならないのは当然ですね」

「金曜日の夜に淵野辺に行っておいたのは正解でした。今回は金曜日には淵野辺に行きましたが、金曜日の夜は戸部に行くのを定例にするべきかもしれません。土曜日にはノーベル賞対策室に午後に行きました。日曜日は例によってどこも行かず。睡眠負債を解消するからいくら寝て過ごしてもかまわないと思っていましたが、さすがに、せっかくの土・日を無駄にしてしまっている感があります」

「20年前、30年前に絶縁した友達のことは、リアル・アイクラブ君は毎日、四六時中思い出しています。心の傷も後遺症として一生消えないでしょう。ただ、絶縁した友達と友達だった頃の経験は、知識として今でも役立っています。今回絶縁された心の傷も一生消えないとは思いますが、友達だった頃の経験は、あえて無理に忘れようとするのではなく、知識として生かすべきです」
「・・・ただ、冷静にこれまでの彼との関係を思い返すと、どこか、仮の関係というか、なにか、つなぎの関係という感覚を持っていた。薄々思っていたが、なるべく考えないようにしていたという面がある」

「男2人でいつも会うとか、かつての”クソタチ”との関係と同じで、精神的同性愛的な部分があるのではないかというのは思っていた。ただ、そのあたりは、普通のサラリーマンも同僚と2人で飲んだりするのはよくあるだろう、テレビに出てくる芸能人も誰々と夜を通して飲んだと言っているじゃないかなどと思って正当化していた」

「高校生や浪人の頃はともかく、大学生〜社会人にかけて、ひたすら”クソタチ”と2人で、男女のカップルのように一緒に行動し続けたのは間違っていた。最近も論じたように、大学1回生の5月の連休に東京に帰らないことをきっかけにして、徐々に”クソタチ”とは疎遠になり、2回生くらいで友達関係をやめるべきだった」

「これは直感ですが、今回、彼と絶縁したのは、後々から考えると良いことだったと思えるんじゃないかと思えます。50代で、まるで高校生のように2人だけで行動するとか、良いことだとは思えないのです」

「彼とは、友達だった期間は長かったが、深い関係ではなく、たまに飲んで雑談する程度の関係におさえていたのは、結果論だが正しかった。たまに会って雑談する程度の友達すら1人しかいなかったので、1人失っただけで0になってしまったことが大きく思えるのだ。・・・雑談なら、友達ではなくてもできる。大学のときのサークルのように、友達ではなくとも雑談したり一緒に行動できれば特定の友達などいなくて平気だろう。今後、リアル・アイクラブ君が”世に出る”にあたって、そういう雑談はいやというほどできるようになるだろう」
「いまでも、彼と”復縁”するためにメールを出すかとか、絶縁した理由を問いただすとかしようと思うことがありますが、やめておくべきです。リアル・アイクラブ君は、受け身が原則です。リスクが無ければ積極的行動・・・などという理屈も考え出しましたが、まあ、積極的に行動せずに受け身なのがリアル・アイクラブ君の原則なのです」

「パートナーのことでいえば、中学生や高校生の頃、積極的に言い寄って来る同級生と、素直に交際していればよかったのです。大学に入って、まったく言い寄ってくることがなくなった1〜2回生は、『現状打破するために積極的に行動』など絶対にせず、Y子が登場するのを待っていればよかったのです。おそらく、最初からそういう姿勢ならば、1回生でラッキーなことがあったのです。よしんば、1〜2回生でまったく何もなくても、これまで繰り返し議論した、関西の大学生として日常生活を楽しめばよかったのです。決して、東京に帰省したりせず」

「大学1〜2回で重要なのは、東京に決して帰省せず、”クソタチ”とは友達ではなくなるということです。ここは重要です。『当時、パートナーを作れなかったのは、”クソタチ”が足をひっぱっていた』という事実です。具体的には、彼女ができたらすぐに紹介しろ、紹介しろ、紹介するのが当然だという”クソタチ”の言葉がプレッシャーになって、結果的に、足をひっぱられている形になっていた」

「これまでこのことを論じなかったのは、いわゆるねたみ的に、足を引っ張るのとは違うので、妨害とは違うということだった。・・・ただ、紹介しろ紹介しろという言葉が、ねたみによる妨害的な言葉とまったく同じ効果で、リアル・アイクラブ君を精神的に縛っていたのは、結果的にはいえることだ」
「まあ、今回絶縁された友達は、かつての”クソタチ”のように、紹介しろ紹介しろと心理的プレッシャーになるようなことを強要してくるわけでもなく、『無害』だと思えるのですが、無害だと思える友達とすら絶縁というのも、『無意識・潜在意識』という名の神のおぼしめしだと考えるべきなのでしょう。彼そのものは無害でも、彼の人脈にいる人物がヤバいやつかもしれないのだ」

「人脈にはヤバいやついそうですよ。そう考えると、やはりここで絶縁されておくのは正解だったのでしょう」

「彼とは復縁するかもしれない。あるいは、リアル・アイクラブ君が世に出て有名になったとたんにメールしてくるかもしれない。・・・しかし、今回、一旦こういうことを考えたので、彼の人脈のヤバいやつに注意しろという発想もできます」

「リアル・アイクラブ君は、芥川賞どころかアカデミー賞を取るかもしれない。君の名はレベルの大ヒット作にかかわるかもしれない。そういうとき、彼の人脈にいる悪い奴には注意しなければならない。彼との関係を切られたことは、おそらく良いことだったと、将来思えるだろう」
「絶縁され、メールをしなくなった。・・・これでもし、有名になったとたんにメールをしてきたら怪しいと考えられる。友達を続けていたら、メールをしてきてもまあ普通なので、怪しいかどうか気づかないかもしれない」

「絶縁したはずなのに有名になったらメールをしてきたら怪しいが、さらに、だれかと会わせようとしたら完全に怪しいですね。絶縁していたので、怪しいという言葉をはっきり使えるだろう」

「・・・とにかく、これまでは彼は”無害”だった。彼と何十回と2人で飲んだが、すべて、淡々と雑談を楽しんだだけだ。ここで終わりにしたら、すごく楽しかったわけではないが、ほのぼのと楽しんだ想い出ですむ。彼と”復縁”しようとしてはならない。30年間にわたって、時々、軽く飲んで雑談をして、すごく楽しかったわけではないが、小さな楽しみだった。・・・これでいいだろう。彼は、去った。追わない。小さな楽しみよさようなら。今後は、大きな楽しみを味わいたいものだ」

「そういえば大きな楽しみなんて感じたことはほとんどないですね。少なくとも就職してからは無いかな。大きな楽しみを感じたい、味わいたいです」

「小さな楽しみは、今後は、買うばかりで読まなかった本を読み、だいぶストップさせていたアイドルヲタ活動を再開させるなど、いくつか考えられます。郊外施設へ行き、郊外を散策するのも小さな楽しみにできるでしょう」
「彼と時々飲むことは、小さな楽しみにすぎなかった。逃した魚は大きいと考えてはならない。『逃げた魚は小さな雑魚にすぎなかった』。他のことでいくらでも代替できる小さな楽しみにすぎなかった」

「しばらく前にも議論しましたが、彼の存在を常に頭のどこかで意識していて、思考に縛りをかけていたのはまちがいない。自由な発想ができなくなっていた」

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