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システマティックに創作文芸コミュの常識的な知識・教養的な知識

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創作文芸全分野での受賞をめざす自分が、小説・詩・演劇・作詞の知識を得ようとしたり、日本語の基礎知識を勉強したりしようとするのは当然だ。
ただ、例によって書籍の購入をしまくっているのにちっとも読まないのは悪い癖なので、今後、どんどん読み進めていかねばならない。

ところが、今日、ふと思った。

いま述べたような「作家関連知識」について得よう、マスターしようと思いつつ、「無駄なことをはぶいて学習内容を絞る資格試験スクール」的な思考をしているつもりで、他の分野についての「教養」をあまりにもおろそかにしていたのではないかということだ。

特に、自分が手薄だと感じたのは、歌詞の無い音楽、歌詞はあっても自分が作詞するとは思えない分野の音楽、その他楽器などの音楽全般、美術史・美術作品などの美術、そういった「アート系」の教養である。

要するに、「創作文芸に直接関連がない分野のアート系の知識・教養」がほとんどないのではないかと気づいた。いや、初めて気づいたのではなく薄々思ってはいたし、「いろんな分野の入門的知識を趣味として得たい」という行動の一環でアート系知識の本を入手してそれらの本はノーベル賞対策室にも船橋倉庫の書庫にも並んでいる(まったく読んでいないが)。

「創作文芸に関連する分野にしぼって学習しよう」と思ってそういったアート系教養はほったらかし状態だったが、結局のところ、創作文芸に関連する知識も学習していない。

しかし、作家というのは、創作活動において人間のすべて、世界の森羅万象のすべてを書きうる存在のはずである。
自分が趣味として細々とやっていこうと漠然と考えていた、「全分野における知識・教養の取得」も、創作文芸計画作業と同じくらいのウエイトでおこなうべきだと今日考えた。

コメント(14)

「アート系の教養」の圧倒的な不足についてまず今日思い立ったが、さらに、これは作家をめざす計画に組み入れたこともあったが、やはり基本的な実用常識知識についても自分はかなり欠けている。
自分自身がふだんは常識はずれな行動をとるのはかまわないだろうが、人間生活そのものを描く文学作品を書くにあたって、常識としてはどういうものが正しいのかを知らねばならないし、少なくとも何度かは常識的なことを経験しておくべきだろう。
たとえていえば、「旅行が嫌いだし趣味として旅行をすることは今後もないだろうが、海外旅行に1度は行っておくべきだ」といったことだ(これはあくまでもたとえで、自分は15年くらい前に1度海外旅行は体験している。もう行きたくはないが1度とはいえ行っておいたのは未経験とはえらい違いだとは思う)。
「創作文芸とは直接の関連がないアート系教養」をないがしろにしてきたのは、自分の「無駄なことをはぶき必要な部分のみ絞って学習する資格試験スクール的な『傾向と対策』思考」が原因だろうかと少し考えてしまったが、教養を得るにしても、莫大な知識のうちあまりにも無意味なマイナーな知識を得るのは昼寝よりも時間の無駄だろう。
教養・知識を得るにあたって、「資格試験スクール的な傾向と対策思考」はむしろ重要だ。自分は、普通の人間よりもはるかに幅広い知識・教養を得ようとしているのだから、それぞれの分野において傾向と対策によって内容を絞って知識を得て経験していかねばならない。
作家活動するにあたっては不要なものとしてなかば切り捨てて「趣味で細々とやる」という方向においやっていた教養を、作家活動のためにむしろ積極的な意味を持つものとして位置づけ、創作文芸作業と同様に傾向と対策にしたがって習得するべきだと考え直した。
最近、小説家を目指すのを中止し、芥川賞を取ることをあきらめたが、それと同時に、文学や日本語の知識も小説家や文学賞を目指すための準備や基礎ではなく、純粋に、自分が知識を得たかったのだと気づいた。
このトピを立てたとき、さらに1・2のコメントでは、文学・国語関連以外の知識も無理やり「作家活動のために意味がある」などとこじつけているが、今となっては、大きな誤りだった。

文学を楽しむために、さらに、今後やろうと思っている自分自身が楽しむための創作マスターにとっても、幅広い知識・教養は役立つだろうが、そういったことに「役立たせる」なんて意識せず、知識を得ること自体を楽しもうと思う。

2で否定している「あまりにもマイナーで無意味な知識」も、得たかったら得るべきだ。

方法もなんでもありだ。2で述べたような「傾向と対策」的な知識の習得方法も決して否定するものではなく、そうやりたかったらやればよい。
自分の習性だと、アトランダムに適当に入門書や辞書を「つまみ読み」するのがこれまでの経験だと一番やりやすい。しかし、順序よくステップアップしたり、キッチリ体系的に学習するのもそのうちできるかもしれない。俺があまりにも「勉強・学習」をやってこなかったので現時点ではできないような気がするにすぎず、実際はできるのかもしれない。

最近、中央公論社「世界の名著」を、1巻から順番に読んでいる。
今日というかさっき、4巻「老子 荘子」を読み終えた。

これまでいろんなシリーズ本を1巻から順番に読もうとして挫折を繰り返した自分ですら、世界の名著を1巻から順番に読もうとしたことはほぼなかった。数年前、1巻を借りて当然読めずに返したことがあった程度だ。

特定の巻を読もうとしたことは、10代の頃から何度もあった。高校2年生の夏休み、わずか2泊3日程度の予定の金沢旅行で重いハードカバー版を何巻も鴎外記念図書館で借りて持っていたのがもっとも代表的な愚行だろう。

ただ、思ったよりも「世界の名著」そのものを頻繁に借りては返しを繰り返していなかったことに気づいた。借りては読まずに返しという行為すら、昔の自分ですら、ひるんでいたのだ。

不可能な愚行を繰り返した昔の自分ですらひるんでいた、「世界の名著を1巻から順番に読む」ということが、なんと、現在、進行しているのである。

速読は昔からできたことだし、年齢など条件は悪くなったことはあっても良くなったことなどない。以前とはどんなことが変わったのだろうか。

作家をめざすために、最短距離ではなくすべて土台から知識などを得たいという考えに加えて、120歳以上生きられるので80巻以上の世界の名著を何年もかけても読んでも無駄ではないと判明したことが大きいだろう。
さまざまな無謀な全集読破を夢想して、一部は実行に移すもほぼ1巻で挫折し続けてきた。
1巻どころか1ページも読まず返却した全集も多い。

いつかは全巻読むと夢想していた筆頭は、柳田・折口・南方の3民俗学者の全集だった。
数年前、全巻購入した。柳田は数巻読んで止まっている。他はまったく読んでいない。

各社の文学全集も読もうと思っては返してしまう筆頭だ。
全集に収録されたのが代表的な作品ではないので、文学史などにしたがって単行本や文庫本で代表作を読むのが正しいことはわかっているのになぜかときおり文学全集を借りてしまっては返すのを何十回も繰り返してきた。今、書いていて無駄だと明確に認識したので今後はもうやめよう。

個人全集も、いろんな作家の全集を借りては1巻を読みとおせず返している。ただし、大江健三郎全小説は4巻、安部公房全集は3巻まで読めた。これに川端康成全集を加えて、この3作家の全集の読破を当面目指すべきではないか。

貸出期間は14日間、全集はだいたい500〜600ページ。1日50ページ読めば読める。期限までに読めなかったら延長あるいはいったん返して借りればよいだけの話だ。

現在、世界の名著をどんどん読めることで1日100ページ以上読んでしまったりしている。50ページ程度におさえ、所有している本を読むべきである。
10日ほど前、写真のように、ズシリと重い段ボール箱が佐川急便によってノーベル賞対策室に届けられた。
児童用百科事典「ポプラディア」の新版である。前の版(新訂版)が出たのが2011年なので、実に10年の時を経て第3版が発売されたのだ。
新訂版を買おうかとも思っていたのだが、かなり昔の発行のわりに中古でもさほど安くなっていなかったので、新版が出たら買おうと思っていたが、新版なんて出るのだろうか・・・?と思っていた。
そこで、写真にあるような「学研」の児童百科を買っていたのである。これもだいぶ前だが、ポプラディアよりは中古が安かった。

小学生の頃にまったく勉強しなかった(中学生も高校生もだが)自分は、たとえば進学校から一流大学に行ったような人間に比べて、基本的な知識に欠けているという劣等感、コンプレックスがある。児童用の本をたくさん買い続けているのはそのためだ。

ただ、他のすべての本にもいえることだが、「買うばかり買ってちっとも読まない」というのがこれまでだった。今後は、読んでいけそうな予感がするのだ。検定試験にしろ映画を見ることにしろ、これまでストップしていたことが最近進んでいる。児童的な知識の学習もおそらく進むだろうと見込んで13万円もするポプラディアの新版を買ったのである。

ところで、百科事典の読み方について、あたりまえのようで自分としてはあたりまえではなかった読み方を考え付いたのである。

自分は、かなり偏った考えで、「辞書・事典は最初から丸ごと読むもの」という思い込みをしていた。
たしかに、「辞書を丸ごと最初から最後まで読む」というのは読書家のエッセイなどでよくあるし、なんといってもロマンを感じる。
しかし、あくまでも、辞書を丸ごと読むなどというのは「変則的な読み方」なのである。丸ごと読むならアイウエオ順である意味がない。引くためにアイウエオ順なのである。

本を買っても読まずに本棚で放置され続けるため、「ノーベル賞対策室にある本は、部屋にあるすべての本を『辞書』と考え、1ページ目から全部読もうなどとせず、1冊読み通そうなどとせず、辞書のように『引く』という考え方とする」などと決めたのはだいぶ前だが、普通の本ですら「辞書のように引く」と決めていたのに、皮肉なことに、実際の辞書・事典を丸ごと読むなどと考え続けていたのである。
「普通の本ですら、通読などせずつまみ読みして、対策室にある本全体を大きな辞書・事典として考える」

おそらくこのフレーズを思いついたのは数年前である。ただ、実際にはつまみ読みすらしてこなかった。あげくに、つい最近まで、実際の事典を丸ごと読もうとしていた。

今回買ったポプラディアにしろ、実際の事典はまさに、つまみ読みというか、読むというより引くべきだということを意識するべきである。「事典は引くというより読む」という、逆転の発想を普通の発想として認識してしまっていた。逆転をさせない発想で、事典は読むのではなく引くべきである。
ノーベル賞対策室にリアル・アイクラブと元栗中年社員2人、合計3人が日曜日の午後3時現在滞在している。

「元栗ストーリーのトピックから飛び出して我々はこのトピックにも出張です。昨日、リアル・アイクラブ君はこのノーベル賞対策室を『いつもの土曜日のように』訪れましたが、なんと、6時間滞在していてやったことといえばテレビを見ながらパラパラと雑誌を見る程度。ノーベル賞対策室に行けば昼寝だけは防げるという段階はもう終わったのだというのはかなり何年も前に宣言していたのですが、昨日もほぼ無意味な滞在にすぎなかった。しかも昨日はさほど眠くなかったので自宅にいても昼寝をしなかったのでは」

1人の元栗中年社員がこう言うと、もうひとりの元栗中年社員は言葉を続けるように言った。

「3〜4年前まで、ノーベル賞対策室にほとんど行かないという状態でした。この1〜2年は、平日月〜金は3〜4日、土・日はほぼ毎週、ノーベル賞対策室を訪れることができるという状況に変わった。これはたしかにだいぶ良い状況に変わったといえるが、ただ、『部屋で数時間滞在するだけで特に何もせず終わる』という状況になってしまった」

リアル・アイクラブは答えた。

「昨日の反省から、今日は、ふと、テレビを見ながら、『キッズ・ジャポニカ』をブックラックから取り出し、広げた。『キッズ・ジャポニカ』は、アマゾンの購入履歴を見ると、2017年12月と書かれている。買ってから4年以上、ほぼ1ページも読まずに、ただ、この部屋の本棚に並んでホコリをかぶっていたのだ。ふと、さっき、取り出して広げたら、テレビを見ながらつまみ読みするのにちょうどよいのだ」

元栗中年社員は言った。

「リアル・アイクラブ君は、『キッズ・ジャポニカ』を、本来のメインの購入者の小学生のように、学校での学習で何かを調べるために買ったのではない。つまみ読みか、あるいは最初から普通の本を読むように読んで、小学生レベルの解説でじっくり理解しながら幅広い知識を増やそうとしてアマゾンで購入したのです。まあ、最初からまるごと読むのは愚行だということはこのトピックの6・7で明らかになりましたが、7ではつまみ読みすら否定しかけている。・・・つまみ読みについては良いのではないか。テレビを見ながら『キッズ・ジャポニカ』をつまみ読みする。あるいは、ポプラディア全18巻の適当な巻を取り出して適当なページをつまみ読みするというのは良いのではないか」

「なんたら学習法といった本によく書かれているのが、どんな学習をするか決めてしまうべきだというのがあります。ノーベル賞対策室で長時間テレビを見るときは、百科事典をまず取り出してデスクの上で広げ、つまみ読みすると決めてしまいましょう」
ノーベル賞対策室に、土曜日や日曜日に「入室」しても、なんとなく5chのモーニング娘板を見たり、BSの野球中継を見たりして、1ページの読書すらせずに終わるというのが、この7〜8年のパターンだった。
さらに前は、対策室を訪れるということすらできなかったので、通うようになっただけでも進歩といえば進歩なのだが、階段の踊り場まで上がったところで足踏みをして上の階にまで上がらないという感はいなめない。

野球嫌いだった俺が野球中継によって読書が進まないというのは皮肉なものである。好きな球団が無いアンチ巨人なので巨人戦は見なければならないのだ(この部分も皮肉なものだが)。

4で書いたが、去年の今頃、わずか2か月ほどで、高校生のとき以来、三十数年「停滞」していた世界の名著を4巻まで一気に読むという快挙をなしとげた。・・・ただ、まともに読みこなせる基本的知識を欠く状態で読み進めることに疑問を感じ、5巻以降はまったく読まなくなって1年たってしまった。
・・・ただ、当時も、基本的な知識がないことは百も承知だった。赤坂図書館のソフトカバーの世界の名著の読破作戦、再開させるべきだろう。このことは常識的な知識のトピに続報を書こう。

ところで、野球嫌いがBSで野球中継を見る皮肉について述べたが、野球のルールなどについていまひとつ完全ではない。まさに、「常識的な知識」を得る一環として、すでに数冊買っている野球入門系の本を読み、ルールなどを完全に理解した上で中継を見るようになりたいものである。これはサッカーなど他のすべてのスポーツについてもいえることだ。
「文学史の把握・文学作品読破作業トピック」の13(去年の9月)を読んだら、なんと、世界の名著は10巻まで読んでいたのだ。
5巻以降読んでいなかったのではなく、11巻以降を読んでいなかったのである。
当時、10巻で読むのをやめたのは、やはり疑問を感じていたためだったが、疑問を感じて「哲学入門」などを読んだのならともかく、ただ世界の名著を読むのを中断しただけで入門的な本はいっさい読まずに1年くらい過ぎたのである。
世界の名著の読破作戦を再開させる。今回の教訓は、今後の全集読破作戦のための教訓だろう。
東京の港区、慶応大学のそばに、「三弥井書店」という、国文学・民俗学専門の小さな出版社がある。
ノーベル賞対策室のそばなので、なんとなく親しみを感じて、昨年あたりから注目している。
半月ほど前に、区立図書館で「グリム童話と日本昔話」という三弥井書店が出版した本を借り出し、1日に1章ずつ寝る前にベッドで読み、数日前に読み終えた。
実は、三弥井書店に注目した去年、10冊程度の本を買ったが、旧・宿泊研修所の撤退にともなって地方施設に移してしまったのだ。どこの施設に送ったのかわからない。買った当時は、イマイチだと思ってほとんど読まなかったのだ。

今回、4月の「27年前に作家を目指したこと自体が嘘だった」という大発見により本の読み方が変わり、「グリム童話と日本昔話」を非常に面白く読んだのである。

昨日、さらに図書館で2冊の三弥井書店の本を借りて、「グリム童話と日本昔話」のように寝る前に少しずつ読むつもりだが、以前と違って買っても意味があるだろうと思い、さっき、10冊ほどアマゾンで注文したのである。買う意味がありそうな本は買い、借りて済ませばいいやという内容の本は図書館から借りるのである。
写真は、さらに今日、上で述べた2冊とは違う図書館で借りた三弥井書店の本だ。これは、ノーベル賞対策室で読む。このように、個別的な内容の本は図書館で借りて済ませ、概説的とか事典的で何度も参照すると思われる本は買うのである。
「昨日、アイクラブ君は有給休暇でしたが、特に有給休暇ではないとできないことはやりませんでした。ただ、いつもの土・日・祝と同じくノーベル賞対策室に行きました」

「創作文芸活動はできませんでしたが、リメディアル・・・算数のDVDを見ることができました。だいぶ前から持っていたDVDを見たのです。さらにDVDを買おうと思い立ったのですが、意外と、小学校の教科のDVDは少なかったのです」

「今日の夜あたりも、リメディアルをやりましょう」
「このトピックで議論するのも久々だと思ったら、最後に議論したのは去年の6月ですね。小学校レベルの算数をやり直すリメディアルに学習用DVDを使うというアイデアは良かったのですが、結局、ちっとも見ていない」

「最近、長年の友達に絶交された。友達は、歴史学で、大学院修士課程を修了していて、歴史の知識はある。自分の歴史知識の無さを思い返しているうちに、歴史に限らず、そもそもあらゆる知識が無いではないかと気づきました。本はたくさん買ったが、読んでいない。本を買ったことによって知識を得たように錯覚することについては、だいぶ前から指摘していたつもりだったが、今回の絶交事件によって、改めて、本を買うばかりで読まなかったことを再認識した」

「絶交された彼について、議論のトピックで議論しましたが、精神的な面で、内面化して心理的依存をしてはならない。ただ、絶交までの30年間で彼から得た、知識・情報は使えばよい」
「6年以上も前の、3にすでにこんなことを議論しているのです」

>方法もなんでもありだ。2で述べたような「傾向と対策」
>的な知識の習得方法も決して否定するものではなく、
>そうやりたかったらやればよい。
>自分の習性だと、アトランダムに適当に入門書や辞書を
>「つまみ読み」するのがこれまでの経験だと一番やりやすい。
>しかし、順序よくステップアップしたり、キッチリ体系的
>に学習するのもそのうちできるかもしれない。
>俺があまりにも「勉強・学習」をやってこなかったので
>現時点ではできないような気がするにすぎず、実際はできるのかもしれない。

「リメディアルをするにあたり、ついつい、順番に沿って体系的に・・・と思っていましたが、まあ、順番に沿って体系的にできる場合はそうすればよい。しかし、つまみ読み的にアトランダムにしかできないなら、何もやらないくらいならつまみ読みでかまわない」

「今回、絶交された友達が、歴史の知識だけはかなりあるだろうといったことを考えていて、自分には何のまともな知識もないことに気づいたのだ」

「ふと気づいたのですが、自分には評論家的なことをするのは無理だと決めつけていましたが、まともに知識を得られれば、評論もできるんじゃないでしょうか」

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