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システマティックに創作文芸コミュの小説・詩・シナリオ等の文芸創作に応用させるための【楽しい検定試験ライフ】

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この「システマティックに作家・詩人」のコミュは、従来のような、ひたすら数多くの原稿を書きまくるといった努力至上主義のような方法や、インスピレーションが湧くのを待つといった迷信めいた方法ではなく、計画的・効率的・科学的に小説などの文学作品を書く方法をマスターし、作家などになろうということを目指すコミュである。

いわば、資格試験スクールで国家資格などの試験の勉強を効率よく学習して合格をめざすかのように、創作文芸の学習をして創作方法を取得しようということが趣旨である。

ところが、そういった「資格試験効率受験術」を文芸創作に応用させるためには、まず、元になっている「資格試験の効率学習」ができなければならないだろう。
資格を取得することによって何かをしようというわけではないので、取得によって面倒な義務などが生じかねない資格試験というより、検定試験を目指すのが望ましいと思われる。

このトピックでは、「文芸創作の方法に応用させる」ことを常に視野に入れながら、実際に検定試験の受験の学習をし、実際に試験を受けて合格することを、あくまでも気楽に楽しみながら経験していこうというトピックである。

茨城県土浦市で全経文書処理能力検定を受験した 2021年11月6日(土)

コメント(24)

今日、11月6日は、全経(全国経理教育協会)の検定試験である、文書処理能力検定試験を受験した。この試験は「ワープロ」と「表計算」に分かれていて、それぞれ1級〜4級がある。ワープロはこれまで4級・3級を取り、表計算は4級を取っていた。
今日受けたのは、ワープロ2級、表計算3級の二つである。

どちらも、今の自分にとって簡単な試験ではなかった。この数年間、検定試験を受験をほぼ中断していたが、以前の自分ならば、今回の試験はきちんと学習しなければとうてい受からないことに気づきながらもまったく勉強せず、どちらも落ちただろう。今日受験した感覚からも、まちがいなく以前なら落ちたと断言できる。

今回、自分は10日ほど前から過去問題集を中心に学習を開始した。過去問題集といっても、冒頭の数ページにテキスト的なところがあって助かった。そこの部分がなかったら学習できなかっただろう。

今回も、過去の検定試験の受験のときのように、まったく勉強せずに落ちる危険性がなかったわけではなかった。過去問題集を購入したのは9月末である。受験申込とほぼ同時に教材だけは手に入れていたのである。ところが10月下旬まで学習しなかった。
以前の検定試験受験のときのように、「教材ばかりやたらと買ってちっとも学習せずに無駄に終わる」あるいは、今回のようにある程度難易度が高い試験だと「あきらめて受験を中止する」という結果になりかねなかった。

過去にも、数千円の受験料を払って申し込みながら、直前にあきらめて無駄になったことなど多々あった。10回以上あったかもしれない。
特に今回は、東京から茨城の土浦まで行かねばならないのである。勉強をしていなかったら、最初から行かずに、今日もいつもの土曜日のように昼寝をして終わっていただろう。
これまでしばしば書いてきたが、「小説の書き方」「脚本の書き方」「文学の創作方法」といった本を山のように買い続け、ちっとも読まずに本棚に並んでいる。
検定試験についても、テキストや問題集は大量に買いながら、まったく勉強せず、特に検定試験の本は年度別や、毎年は更新されなくても数年おきに改定されるため、結局無駄になっている本がほとんどだった。ある意味、文芸創作の本以上に無駄をしていたといえよう。

過去には、一夜漬けのような形で試験直前にあわててテキストを読んだり問題集を使い、結局合格したことはあった。しかし、非常に苦しく、苦痛で、楽しい検定試験受験などという状態とは程遠かった。もうあのような受験はしたくない。そういった苦しい一夜漬け的な受験の後はたしかに「解放感」はあったが、あんなのは偽の快感である。

原則として、今後は、試験の合格レベルに達してから申し込みをする。・・・これまでは、そんなことをしていたらいつまでたっても勉強しないので、まず申し込んで、自分を追い込んで学習するという、今考えると非常に嫌なことをせざるを得なかった。今回の全経の試験も申し込んだ時点ではまったく合格レベルどころではなかった。

「試験を申し込んでから、きっと、自分は勉強するだろう」という「未来の勉強見込み」で受験申込をするのは、今回を最後としたい。自分を追い込むとか、試験日までにきっと勉強するはずだとかいう見込みで申し込むのは、「楽しい検定試験ライフ」に反するものである。
日商の検定試験は、いたるところで受けることができる。ところが、全経の検定試験は、もともと経理系専門学校の生徒を対象としていたためか、一般人が受験できる受験会場がもともと少ない。これまでも、全経の検定試験を受けるために、神奈川県の大和市にある専門学校に受けに行ったりしていた。
ところが、コロナの影響でさらに一般人が受験できる受験会場が減少し、今回の試験は茨城の土浦まで受けに行かなければならなくなったのである。
今から考えると、いくらなんでも茨城まで受けに行くのは大変だ、日商の試験をまず目指すとか、サーティファイの試験を受けたらどうだ・・・と、9月に申し込んだときの自分に言いたい気がするが、まあ、わずか2か月前の自分の心理が理解できないのだが、申し込んでしまったのだ。

結果的には、わざわざ茨城まで行くのだからなんとしても受けて、合格しなければならないと思ったために、今回の検定試験ライフの実質的復活につながったのだが、今回新しく考え出した「ストレスを感じずに学習して受験する。学習前から緊張するのはやめる。勉強するときに『気負う』のはやめる」といった発想がなかったら、落ちるどころか、受験を放棄しただろう。

今日、楽しくはなかった。日暮里で常磐線に乗って土浦に向かったが、予想していたような、『旅行感』的な楽しさを感じることはできなかった。常磐線はしだいにガラガラになったが、趣きを感じる余裕はなかった。

ただ、早くから学習をたっぷりして、合格まちがいなしだったとしても、試験では思わぬ失敗もあったりするので、試験前に試験会場に向かう電車の中で趣きを感じるのは無理ではないかと思った。
今日試験を受けた専門学校は、JR常磐線、土浦駅から徒歩10分ほどのところにあった。つまり、決して駅から近くはない。住宅地の中に突如専門学校があるような感じだった。
事前に地図で場所を確認しておいたのは正解だった。おそらく、道に迷って試験に遅刻した人も数多いだろう。
受験者は少なく、自分が受けた午前11時から正午までの「ワープロ2級」は、なんと自分しか受験者がいなかった。検定試験の監督のために土曜日出勤しなければならないのが不満そうな試験官だったが、自分がもし同じ立場だったら嫌で嫌でたまらないだろうから心から共感した。
午後1時からの「表計算3級」は、受験者8人だったが、そのうち5人は専門学校の生徒だったので外部受験者は3人だけだった。外部受験者もそこそこ若い人だったので、専門学校の生徒は、外部受験者の存在は知っていただろうがおそらく初めて見る中年の外部受験者に驚いただろう。

試験が始まるまでは1階のロビーで待ったが、狭い建物のわりにちゃんとロビーがあるのは趣きを感じた。ただ、試験前なので趣きを味わう余裕はなかったが。
日常生活というか人生において「趣きを感じる」ことを重視してきたが、2日前の全経の受験、「土浦行き」によって新たに気づいたことがある。
趣きは、その場そのときには、必ずしも味わえない、味わいきれないということだ。

試験を受ける前は、試験を控えている状態なので、趣きを感じる「余裕はない」。これは当たり前のように思えるが、「土浦行き」の前の自分は、試験を受けに行くときの道中、試験前でも趣きを感じることができるとでも思っていたのだ。なんと。

では、試験が終わった後は、趣きを感じられただろうか。結論を言えば、そうでもなかった。

「ストレスを感じず・力まず・気負わず・緊張せず」に学習をして受験する。この方針のせいか、かつては試験が終わった後に感じていたような「解放感」「爽快感」というのは感じなかった。まあ、これは良いことなのだ。かつては一夜漬けのような苦しいことをしていたので、終わった後にそういったプラスの感情だと思えるような感覚を持ってしまっていたにすぎず、間違った、錯覚としての感覚だったのだ。試験が終わった後、快感というか「やり切った感」などは感じないように学習・受験をするべきだというのが、現在の方針なのである。

ただ、現在は否定している錯覚としての偽の感覚と、趣きとは別の問題である。特に目的などもない散歩でも趣きを感じられるだろう。今回も、試験が終わって、しかもほぼ合格は決まりだろうという状況で、ほぼノーストレスの状態で、土浦という、郊外というよりは地方都市のような街にいる。しかも土曜日なので翌日も職場には行かずにすむ。・・・様々な状況を考えても、趣きを感じることができそうなものである。

今回、せっかく土浦まで行ったので、試験の後は土浦日大高校でも見ていくかと思っていたが、行く気になれず、行かなかった。試験が終わった後、JR土浦駅のそばの「大衆食堂なんたら」という店で遅い昼食(午後2時半頃)を食べて東京へ向かう常磐線に乗ってしまったのである。常磐線に乗っていて考えたのは、試験の想い出ではなく、翌日のマジカルミライのことだった。マジカルミライというのは幕張メッセで昨日(7日)に開催された初音ミクのコンサートである。

コンサートを見るというのは、試験ではないので、試験前のようなプレッシャーはない・・・はずである。むしろ、遊びというか、楽しいはずである。ただ、幕張まで行かねばならないとか、2時間ほどのコンサートを見るというのはまちがいない。
検定試験の前のようなプレッシャーはないはずだ・・・というのはまさに思い込みだったのかもしれない。これはひさびさの大発見である。「たとえ、遊びであっても事前にはプレッシャーを感じる」!!!

まあ、日曜日にコンサートがなく、なにも予定がなかったとしても、土浦から帰る常磐線の中ではどんなことを感じただろうか。土浦日大を見に行かなかったのは、疲れていたというのもあったのだ。つまり、疲れているときも趣きなど感じることはできないのだ。

土曜日の受験の際に撮った写真を見ると、じんわりと趣きを感じるのである。なんらかの体験をしてから、しばらくたってから写真などを見て趣きを感じるのが、実は趣きを感じる正しい方法なのかもしれない。趣きを感じるためにも、どこかへ行くときは必ずカメラを持ち、写真を撮らねばならない。
下の左・中央写真は、一昨日、11月6日土曜日に全経の試験を受けたとき、受験会場の「筑波保育経理専門学校」のエントランスである。

JR常磐線・土浦駅からテクテク歩き、左の写真のエントランスから入るとき、いよいよ試験を受けるんだとかいうワクワク感や、受かるかどうかという不安感など感じていなかった。
しかし、今思い出すと、土浦駅からやや遠い、住宅街(しかも、東京郊外の住宅街のように、住宅がぎっしりという感じですらなく、住宅もまばらだった)の中に突如現れる白いビルの専門学校のエントランスに入る自分を想像すると、いまになってワクワクするし、趣きを感じる。

試験が終わり、おそらく合格だろうという手ごたえを感じていたが、中央の写真(エントランスを建物の内側から見たところ)から出るとき、解放感も爽快感も達成感も感じなかった。感じないのは良いことだが。
今考えても、淡々と受けて当然のごとく合格が理想なので、喜びなどさほど感じてはならないのである。ましてや、解放されたいなら試験時間の途中で受験を放棄すればよいので、解放感などという錯覚の感覚を求めてはならないのである。

土浦で受験した一昨日の夜、同じ全経の検定試験、「社会人常識マナー検定」2級の過去問をアマゾンで注文した。翌日届いた。この検定の3級は約4年前、2017年の6月に受けて受かっているが(試験会場は全経本部のある豊島区だったので行くのは楽だった)、2級をようやく受ける気になったのである。

今日、有給だったのでノーベル賞対策室へ行き、社会人常識マナー検定のこの2級の過去問をやったところ、すでに合格レベルに達していることがわかった。合格基準点は70点だが、自己採点したところ80点台後半だったのである。ただ、明確に答えがわかったのではなく勘で解答した問題や他の選択肢が違うのでこれが正しいだろうと推測したところもあったので、まちがいなく合格するためには過去問をすべてこなし、テキストを読むくらいはするべきだが、まあ、合格だろう。
最近決めた原則「合格レベルに達してから申し込む」という点でいえば、2級を申し込むのは可、ということである。

次の試験日は1月中旬である。1級を受けることを考えてもよいだろうということで、1級の過去問とテキストをアマゾンで注文した。

今日、経験したことで重要なのは、社会人常識マナー検定の2級の合格ラインにすでに達していることが判明したということではない。
昨日届いたばかりの過去問題集を、今日解いたということである。こんなことは、これまでなかった素晴らしいことである。

過去問やらテキストやら大量に買い込み、家に届くと放置する。1ページも読まない。1問の問題もやらない。そして試験日の数日前に、あわてて、苦しみながら一夜漬けをする。受かるときも受からないときも、とにかく一夜漬けは苦しいものである。さらに、一夜漬けすらせず、あげくに受験料を払っている試験を最初から受けず、受験料を無駄にする。
・・・これが、自称「検定試験マニア」の、「旧・検定試験ライフ」だったのである。

高校3年生の頃、和田秀樹の「受験は要領」を読んで以来、さまざまな受験術の本を読んできて、すべての本に共通していたのは「過去問の重要性」である。
「過去問の重要性」について書かれた本を山のように買い、一部を読みながら(そう、受験術の本ですら、たくさん買ったわりにごく一部しか読まなかった!)、いざ、試験勉強となるとテキストを1ページ目から読もうとして挫折していたのだ。わかっていたのにやらなかった。過去問がなにより重要だということがわかっていたのに過去問中心にしようとしなかった。
原因は、試験の学習について、「気負って」「構えて」「緊張して」しまっていたためだろう。勉強して緊張するならともかく、勉強する前に緊張して1ページも勉強できないという状況を延々と続けてきたのである。

「これから勉強するぞ!」と思っただけで緊張して、気負いまくって構えまくって、1ページも勉強することができなかったことがほとんどなのである。
全経の試験を受けるために、シブシブ行った土浦だが、ふと、土浦に別宅を持ち週末に過ごす・・・というのを空想してしまった。
・・・ところが、別宅はすでにいくつもあることをハッと思い出した。
土浦はやはり遠すぎる。75キロもあるのだ。しかし、今回の土浦への往復、さほど遠くて苦痛だとは思わなかったので、なんとなく土浦で週末を過ごすなどと空想してしまったのだ。

今回の土浦行きにより、感覚が変わったような気がする。横浜は30キロ、船橋は35キロ、相模原は40キロである。土浦の75キロに比べると遠いとはいえない。茨城県南端の取手ですら、40キロもあるのだ。

都心に住んでいて、週末、土浦の別宅で過ごす人が存在するかどうかはわからない。しかし、同じくらいの距離に別宅を持って過ごしている人はいるだろう。

取手に別宅があるつもりで、30〜40キロの3つの別宅で週末を過ごしたらどうだ、と思えたのである。

「気負い」「構えて」「緊張して」といった感覚のために検定試験の勉強がこれまでまったくできなくなっていたように、「遠い」という思い込みによって別宅に行かなかったのではないか。
少なくとも、往復の電車では、「ストレスを感じないように」乗っていればさほど苦痛ではないのではないかと思えるのである。
これから試験を受けるという土浦に向かう常磐線で、5で述べたように趣きを感じることはできなくてそのことは新しい発見だったが、ストレスも感じなかったのである。

「遠い遠い別宅に向かう電車に乗っているとき、どんなことをすれば有意義か!?」などと、どこか地方に長旅に行くような感覚でストレスを感じていたが、せいぜい通勤圏の場所に行くのに有意義とか大げさに考えたのが間違いだったのだ。電車に乗っているときは、mixiのまさにこのコミュのトピックを読み返しながら過ごすだけの話だ。
全経の文書処理能力検定、ワープロ2級・表計算3級に合格した。
試験実施からちょうど2週間後に発表ということで、今日の午前零時に全経のサイトを見たが発表していなかった。
今日の午前9時頃に見たら発表していた。
全経の事務局も、職員は土曜日に出勤などしていないはずである。タイマーのようなもので発表するなら午前零時に発表でいいような気がするが・・・。

「俺が目指すのは”楽しい検定試験ライフ”なので、落ちてもかまわない」と思ってきたが、やはり、合格するのは良いものである。

「落ちてもかまわない」という考え方は、変えるべきかもしれない。
「落ちてもかまわない」という考えを今回当初持っていたのはちゃんと理由がある。数年前、いくつか検定試験を受けていた頃、合格したものの一夜漬けのような勉強は苦しく、ちっとも楽しめなかったのだ。
かといって、4級など、まちがいなく受かる内容の試験を受けて受かっても、嬉しくない。

こういったことがこれまであったので、やや難しい試験を受けるが、一夜漬けはせず、落ちてもかまわないという方針にしようと思ったのである。

しかし、やはり、受かるべきではないか。

合格ラインに達したら試験の申込をすれば合格するのである。これまでは、今後勉強するという見込みの時点で申し込むので、結局、昔のような一夜漬けは問題外として、今回のような10日くらい前からようやく本格的な勉強に入ることによって苦しんだのである。

「締め切り効果」など無い状態というか、「締め切り効果」をあえて無くした状態でコツコツと少しずつ学習する。現在はそういう状態ではまったくないが、「毎日のように短時間少しずつコツコツ検定試験の学習をする」などというのは趣きを感じるし、楽しい検定試験ライフとしてもっとも望ましい形だと思えるのである。
11月6日に土浦で試験を受けて二週間、土浦での受験を味わおう、趣きを感じようと思ってきたが、考えたら昨日までは「合格かどうか不明」の状態だったのである。
合格発表があった今日以降、「合格者」として味わい、趣きを感じることができるのである。
二週間もたったので、受験そのものの記憶が薄れつつあるが、実は、「合格者」として受験を味わうことができるのは今日からなのである。
数日前、全経の合格した2つの検定試験の合格証書が郵便で届いた。
HPで見られるものと同じデザインで、特に感慨はない。
ノーベル賞対策室の掲示ボードにでも貼ろうかと思っている。
検定試験を楽しむので合格か不合格かはどうでもいいというのは自分で自分に嘘をついていた。
やはり合格するのは嬉しい。
4級だとさほど嬉しくないが、3級は普通に嬉しいし、落ちると思っていた2級の合格は自信につながった。
今日は、年末年始休暇の第2日である。
横浜のノーベル賞研究所へ行ったあと、自宅に帰るかどうか迷ったが、結局ノーベル賞対策室に戻った。ノーベル賞対策室には、朝6時10分という早い時間に行き映画のDVDやBDを見て昼頃横浜へ向かったのである。

夕方にノーベル賞対策室に戻ってラーメン店で夕食を食べた後、再び映画のDVDやBD(かなりの枚数をレンタルしている)を見ようかとも思ったが、「仕事に関係する検定試験」の学習をする気力が湧いてきたので、受講したものの放置していたTACの年金検定の学習をすることにした。

これまで、資格試験スクールの講座を受けても、テキストもDVDも放置していた。テキストは1ページも読まず、DVDは1秒も見ずという状態で放置された。

今回、「横浜に行って疲労した」などといくらでもやらない理由はつけられたが、これまで延々と放置していたDVD講座を、しかも、1回の講義(ただし、第1回講義の前半)1時間20分を見通したのである。
最近、DVD・BDをレンタルした映画・ドラマの「30分ずつ見る作戦」を開始したので、同じように30分で今日は中断する方法も考えたが、これは最後まで見れると思ったので最後まで見たのである。
3月に某資格試験スクールのITパスポート講座を受講して、期限が3ヶ月なので最近期限は終了した。
やはり今回も試験を受験することなく終わった。講座自体は全て視聴したが(オンデマンド講座なのである)。
オンデマンド講座だが、スクールの教室に行って見ることができるので、これまで様々な資格試験スクールに通ったときと同様、スクールに通うのが楽しいだろうと思って受講したが、結局、スクールには数回ほどで行かなくなってノーベル賞対策室のパソコンで講座を見るようになった。
あげくに、問題演習はさほどできなかったので、試験は受けなかった。随時試験なのでいま申し込もうと思えば申し込めるが、落ちるだろうから申し込まない。

今回は教訓を得られた。
これまで繰り返してきて失敗した「資格試験スクールに通う」というのは、今回も失敗した。
失敗を想定して、かつてのような10万単位の講座ではないので損失は数万程度だが、無駄は無駄である。
今回、明確に意識したのは、「期限のある講座を受講しているというだけでストレスだ」という事実である。
なんと、資格試験スクールに通っているだけで精神的に余計なプレッシャーを持ってしまって、生活に悪影響を与えるのである。
・・・この事実は、これまでも感じていたはずなのだが、まるで無いことのように抑圧していたのだろう。

このトピックの序盤に書いている11月に土浦で検定試験を受けたときも、試験前の1ヶ月くらいは生活に悪影響を与えるような精神状態だった。結果として考えたのは、余裕を持って長いスパンで試験のための学習を「ノーストレス」でおこない、試験を受けるべきだということだった。当時、ストレスについて分析し論じたのを思い出した。

今後、通学はもちろんのこと、オンデマンドの資格試験講座も受けないことにする。
なによりも、検定試験の学習は「ノーストレス」「ノープレッシャー」で普段の生活の他の面に悪影響を与えないようにおこなう。

11月の検定試験の後も同じように考えて結局試験をまったく受けなかったではないかと思われるが、「ノーストレス」でおこなうと明確に意識することによって学習できるかもしれない。
このトピックを読み返しながら、元栗田町オフィスの社員数人とリアル・アイクラブが語り合っている。

「11月の土浦への検定試験受験・・・このトピックでも書いていますが、受験したときはさほど感じなくても、後で思い出すと実に趣きがありますね。今思い出してもというか今思い出すと趣きを感じます」

「ガラーンとした常磐線に乗って向かったとき、試験への不安感で楽しむ余裕などありませんでしたが、今、写真を見ながら思い出すとじんわりと懐かしい。写真を撮ることは重要ですね」

「写真を撮らないと意味がない。写真というとついつい、秘書の身にまとわぬ写真を思い浮かべてしまうが、検定試験のときに写真は必ず撮らねばならない」

「次に受験するのは日商PC検定3級あたりでしょうか。土浦での受験から半年以上たってしまいました」
「繰り返しますが、去年の11月6日の土浦での全経の検定試験受験は懐かしいですね」

「駅から微妙に遠いとか、住宅地のまっただなかに専門学校があると思っていたら住宅もまばらだったとか、あのあたりの光景が目に浮かびます」

「昼食など食わず、午後の試験に臨んだ。すべての試験が終わってから土浦の駅のそばの大衆食堂という店名だが決してうすぎたない店ではないまあまあ良い店で遅い昼食を食べた。午後2時台だっただろうか。5を読むと2時半と書かれていますね。5を読んでも、やはり当日は趣きを感じる余裕はなく、試験が終わって遅い昼食を食べたあのひとときなど趣きを感じてもよさそうなものだが、さほど感じられなかった。試験そのものが、特にワープロ部門の2級は受かるかどうかという状況だったので、不安感が続いていたのだろう。感覚というのは、論理を超えて続いてしまうというのはどうしてもある」

「最近の考え方として、創作文芸活動は論理的・理屈で考えて強引に行動して気まぐれでやらないというのを防ぐというのがありますが、この話とは別の話で、不安感とか感覚的なものに左右されるというのは否定できない。ただ、不安感というのは錯覚にすぎないので論理的・理屈的・理詰めで考えて正しいことは強引に実行しろという最近思いついた考え方は有効だとは思いますが」

「最近の考え方を、検定試験受験にも適用させれば、さらに検定試験ライフが楽しくなるかもしれません」

「もしかして、『楽しい』という感情も錯覚なのかもしれませんが」

「楽しいという感情をいっさい感じてはならないというのは味気ない。論理的に考えて、楽しいと感じてよいはずだと思えたら楽しめばよいのでは」

「そもそも、『趣きを感じる』というのも錯覚ではないかという根本的なところに行き着くのですが」

「趣きを追求してきた我々ですが、無条件で趣きを認めてきたのではない。・・・つもりだったが、たしかに、趣きを感じていると言いつつ、実際はさほどではないのに思い込もうとしていたというのはあるかもしれません。ただ、趣きとか、味わいといった感覚はたしかにある。なぜ感じるのかを
そのつど理屈で追求して分析するべきだということはいえますね」
「元栗ストーリー」のトピの、1年前の11月3日のコメントを読み返している。
https://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=767&community_id=5173071&bbs_id=69202796

11月3日に767〜771のコメントを書いている。
11月6日の全経の検定試験を控え、「ストレスを感じないように学習する」と繰り返し自分にいいきかせるように過ごしていて、この考え方自体は正しいというか、最近忘れかけていたのでむしろ「ストレスを感じないようにする」という考えを再び意識するべきだが、1年前の当時、「ストレスを感じないように」と繰り返しつつ、やはり、プレッシャーはかなり感じていて、「苦しかった」ことはまちがいない。
やはり、「苦しかった」のだ。苦しかったので、ひたすら、ストレスを感じないようにする・・・と呪文のように繰り返していたのだろう。

検定試験の3日前、なんだかんだ言って苦しい、逃れたいと感じているのがひしひしと伝わってくるのが1年前の元栗ストーリーの767〜771だ。
768のコメント
>普通に読書したり創作文芸活動をしたり娯楽的なこと(4つの娯楽)
>を普通にやろうと当然のように思っていましたが、やはり、試験の
>ことが気がかりでそういったことはとうていできない。

>今回の全経の試験の学習についてけっこう後悔した感情を持っている
>今なので思いつくという部分はあるんじゃないか。試験直前の今であ
>るがゆえ思いついたことは忘れないようにしなければならない

769のコメントは非常に重要である。
>「大学受験の頃、浪人のときに、大学入ったらこんなことがしたいと
>言っていて、実際に入学したらさほどしたくなくなったというのは、
>リアル・アイクラブ君本人はあまりなかったかもしれませんが、
>友達のクソタチやチック16は言っていた。それらのことは、
>大学に入学したらもうしたくなくなったというのはなぜかわからないが、
>浪人中にしたかったことは事実だ。大学入学という大きな変化で願望が
>なくなったかのように思えるだけで、実際はやりたかったことなのかも
>しれない。検定試験を3日後に控えた今も、試験が終わったらこんな
>ことがしたいと思っていることは、試験が終わったら気分的に雲散霧消
>してしまうかもしれないので、試験前の今、こうしたいと思ったことは
>記録しておくべきではないか」
769では、では、試験3日前の今、何をしたいかが一応軽く書かれている。
今読み返すと、詳細に力を入れて書くべきだったのではないかと思われる。こんな短くて軽い文章ではなく、長文で詳細に書くべきだった。

>「今思っていることといえば・・・全経の試験をはじめとして、
>いろんな検定試験のホームページなどを見て、内容を分析して、
>受ける試験を検討するといったことをしたいですね。
>次に受けたいのは、ITパスポートや日商PC検定ですね。
>試験とは直接はむすびつかないパソコン入門だのスマホ入門だの、
>何冊も買っておいてある本もしだいに読みたいですね」

>「ITパスポートや、今後いつか受ける基本情報のために、
>算数・数学の勉強もしたいところです」

1年後の今、研修宿泊施設の移転準備のため、検定試験を受けるつもりはないが、今やるとしたら、1年前に、試験直前の願望として持っていた、「パソコン入門やスマホ入門を読む」「算数・数学の勉強をする」ということをするべきなのだろう。
あるいは、「いろんな検定試験のホームページなどを見る」ということをすべきなのだろう。いまひとつピンとこないが、1年前、試験直前のプレッシャーの重圧で過ごしていた11月3日には、こう思ったということである。
現在、繰り返して意識するべきなのは770に書かれていたことなのはいうまでもない。いうまでもないが、忘れかけていた。

>「これまで、約40年前の中学生の頃からだが、学習しようと思って
>もちっともできなかったのは、怠け者だったとかふざけていたとか
>ではない。リアル・アイクラブ君は真剣だし真面目だったのだ。
>真剣であるがゆえ、気負って、『構えて』しまって、緊張して学習
>に入ることができなかった」

>「キーワードは『気負う』『構える』『緊張する』といった言葉ですね」

中学生の頃の自分を自己弁護するのは重要だ。たしかに毎日、ひたすら昼寝をしていたが、異様な家庭、異様な家族のために精神的にまいってしまっていたのだ。怠けてもいないしふざけてもいない。当時の自分は真剣だった。構えて、気負ってしまって、1ページの勉強もできなかったのだ。

なぜ「たった1ページ」もできなかったかは、むしろ、「たった」1ページだというのがポイントなのだ。一歩でも入ったら終わりだという言い方があるが、1ページでも読んだら「終わり」だと、無意識に思っていたのだ。いや、「終わり」どころか、始まりではないか?と思ってしまうが、無意識のレベルでは、始まりを「終わりの始まり」と認識してしまっていたのではなかろうか。

770の最後にこう書かれている。

>「今後、私生活、プライベートライフにおいては、>すべてにおいて、
>『気負わずにストレスを感じないように行動する』ことを鉄則としましょう」

現在でいえば、引っ越し準備も、気負わずにストレスを感じないように行動すべきだ。
引っ越し準備で、気負ったあげくまったくせず昼寝で過ごした土・日が何度もあった。
実は今日も引っ越し準備はしなければならない。
「今日は祝日だ!〇〇をしよう!」などと決意表明するのではなく、なんとなく、気分次第で、やり出したことをやるべきだ。
今後も、引っ越し準備などは、おおざっぱな目安程度で、「〇月〇日、土曜日には○○をする!」などと計画をきっちり立てるなどというのはやらないようにしよう。

「つくづく、おととしの全経の検定試験で土浦まで行ったのはなつかしいですね」

「・・・まあ、率直に言って苦しかったが・・・思い出すと懐かしいね」

「19では、検定試験どころではなく、目前に迫った立ち退きに伴うゴミ屋敷の片付けでいかに苦しんでいたかが伝わってくる議論だ。議論の内容自体は正しい。決意表明は完全に無駄だし、なんとなく、気分次第でやり出したことをやるべきだというか、気分次第でやり出したことを遂行するといった方法でどんどん片付けなければ間に合わないときだった。去年の11月だ」

「明らかに、去年の11月頃から今年の1月前半は、人生で一番苦しかったときだ。しかし、最後まで終わらないだろう、達成できないだろうという予想を7割くらい持っていたにもかかわらず、最後まで完璧に終わらせ、100%完全達成させた。これは大きな経験だろう。アイクラブ君の生涯でこれまで数少なかった成功体験だ」

「検定試験どころではなかった頃も、検定試験のことは考えていた。現在、5月病を防止する4〜5月は終わり、新しいことをやるのが許される6月も下旬だ」

「しょうこりもなく資格試験スクールの講座受講など考えてしまったが、改めて考えなおし、資格試験スクールは受講してはならないという結論に達した。もしかすると、様々な重圧が無くなった今なら合格するまで受講できるかもしれないが、あくまでも独学、自習によって合格する。ノーベル賞対策室の部屋は資格試験スクールのビデオブースや自習室をイメージしていることを忘れてはならない」
「このトピックは、検定試験の学習を創作文芸に応用させようという”崇高な”目的のトピックでしたが、今年の4月からリアル・アイクラブ君は作家を目指さなくなったので、このトピックは、ノーベル賞対策室を拠点にして検定試験の学習をしようとか、そういった軽い気持ちのトピックに変えましょう」

「このシステマティックに創作文芸のコミュニティ自体、現在は、『アマチュア文学者』を目指すコミュニティに変わったのです。アマチュア文学者をめざしつつ、生活で趣き、風情を感じる。趣きのある生活の一環として、検定試験の学習をするというのがこのトピックです」
「ところで、『システマティックに作家・詩人をめざす生活で趣き・風情を味わうトピック』では、ちかごろ、中学生や高校生、学生時代、若いころに夢見た、希望したがかなえられなかったことで、のちに簡単にかなえられるようになったようなことを、今はもういいやと思っていたとしても無理にでもかなえるべきだという議論をしています。検定試験でいえば、自由国民社の資格試験ガイドブックを見ていたおそらく中学生の頃、”第二種情報処理技術者”の資格を見て、自分はこんな試験は無縁だ、こういう仕事につくような場合しか取れないだろうと思っていました。30代〜40代あたり、基本情報技術者の試験にこだわってかなり無駄な出費をしましたが、ふと気づいたのは、原点は、中学生の頃に自由国民社のガイドブックを見て、『魅力を感じながらも』自分にはとうてい無縁の資格だと思っていたことが、意外と普通の人が受験して受かっていることを知ったためです」

「原点は、中学生の頃だということを、さほど意識していませんでした。中学生の頃にガイドブックを見た記憶は何度も思い出していましたが、原点だということを意識していませんでした。あの頃に感じたロマンが、基本情報にこだわった原因なのだと気づくべきでした」

「この20年ほど、基本情報にこだわったのは、中学生の頃に抱いた『ロマン』だったのです。中学生の頃に、tvk・テレビ埼玉・千葉テレビに抱いたのとまったく同じ『ロマン』だったのです」

「仕事上も、すでにまったく役に立たないIT系資格になぜこだわったか。中学生の頃に第二種情報処理技術者(自由国民社のガイドブックにはワープロ検定も載っていた)などの資格試験、いま述べたワープロ検定試験などに感じた壮大なロマンだったのだ。そう、今思い出した。ワープロ検定もガイドブックに載っていて、ワープロ検定も自分には無縁だと思っていた。当時は、パソコン自体がレアな存在だったので、ワープロも自分が使うなどというのは考えられなかった」

「簡易なワープロは10代の終わりに入手して使っていたが、ワープロ検定を取るなどというのは考えられなかった。自分には無縁の検定試験だと思っていた。20代の終わりにパソコンが普及してパソコンスクールに通った時点で、中学生の頃のロマンなど忘れていた」

「第二種にロマンを感じていたのはなんとなく覚えていたが、ワープロ検定にもロマンを感じていたことはすっかり忘れていた」

「ロマンを実現させましょう。決してスクールなど入らず、独学でITパスポートや基本情報の学習をしましょう。ワープロ検定や表計算検定の学習もしましょう。ようやく今日、なぜ20年以上もIT系の資格試験・検定試験にこだわってきたのかが判明しました。中学生や高校生の頃のロマンだったのです」
「これまで、基本情報やP検1級などを夢見て莫大な費用と時間を無駄にしたが、大風呂敷を広げて結局一歩も先に進まなかったのがリアル・アイクラブ君だ」

「基本情報やP検で挫折しつつ、パソコン検定ベーシックなどはたまに取ったりした。ただ、簡単すぎて手ごたえがなく、合格した喜びもない。3級くらいをコツコツと取ればよかったのではないか。そして3級を取ったら、地道に2級を取る。無理してたくさん2級を受けるのではなく、地道にポツポツと取る。・・・まあ、これを実際にやりかけたのがおととしの全経検定だったのかもしれないが、土浦まで受けに行くのは時間や労力の無駄だったかもしれない。まずは簡単に受験できる日商を受けて合格し、最後に全経を目指すべきだったのでは」
「莫大な費用をかけて資格試験スクールに通うことは、もうやらないと誓ったのですが、ふたたび、悪い癖が出てきてしまった」

「宅建士の試験の講座にでも通おうかとふと思いついてしまいました。数十万円の講座に通おうなどと思ってしまった」

「資格試験スクールは、30年以上前の学生時代に公務員試験を受験するために通ったのは極めて正しい選択だったし、唯一の成功例だ。唯一というか、20代終わりに通った初級シスアド講座もまあ、合格したので良かっただろう。しかし、成功体験があったゆえ、その後も資格試験スクールにこだわり続けておそらく100万円以上の損をした。2年前にITパスポート講座に行ったが、やはり、途中で通わなくなった。たしかに、30年以上前の公務員試験の合格は人生そのものを変えた大きな成功体験だが、資格試験スクールに通うのは、現在はもう無意味で無駄なのだ」

「宅建士の講座を受講したら、数十万円の金と、それなりに多くの時間を費やすのです。ふたたび、資格試験スクールに通おうなどと思ってしまったら、常にこのことを意識するべきです」

「宅建士の講座を『受講してしまったつもり』になって、創作文芸の学習をするべきなのです。本をドカ買いしたといっても、数十万円などならない。時間を費やすのならば、長年の懸案事項になっている文学の学習をするべきだ」

「宅建士の試験のコースを見たところ、4月くらいから本コース、1月から早期コースというのがあります。早期コースに入ったつもりで国文法の学習をするべきだ」

「新しい発想を考えました。新しい概念。資格試験スクールの講座としての創作文芸の学習」

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