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映画を語るコミュの「ロング・ウォーク・ホーム」

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この映画は、黒人の女性達がバス停でバスに乗り込む場面から始まる。前のドアから車内へと入るが、料金を支払ったあとに一度外へ出て、再度後ろのドアから乗車する。これは主に黒人差別を目的に定められていた「ジム・クロウ法」によるものである。白人と有色人種の結婚を禁じ、白人と黒人の児童の教育施設を分離し、公共施設や公共的交通機関の分離、そして食堂、床屋、映画館、待合室なども人種によって入り口を分け、黒人には専用の仕切られたスペースだけを与える、こんな馬鹿げた条例が昔の米国南部諸州では実際に施行されていたのだ。「ロング・ウォーク・ホーム」は人種差別が最も激しかった1955年のアラバマ州モンゴメリー市を舞台に、公民権運動の発端になった出来事を背景にした、白人女性の主婦と黒人メイドとの熱い友情を描いた感動のドラマである。

アメリカの経済や農業を底辺から支え、世界一の大国へと導いたのは黒人達の力によってであった。しかし、彼等は労働力として重宝されるだけであって、人間としての権利など殆ど認められてはいなかった。建国以来続く黒人達への差別意識、それは南北戦争以降の憲法で保証されてはいても平気で破られ、黒人達は様々な苦しみと弾圧を受けてきた。この映画でもあらゆる場面で差別の実態が明らかになる。

主人公のメイド・オデッサが主人である白人女性ミリアムから、子供達を公園で遊ばせてくれと申し受ける。オデッサはそれに従い公園で遊ばせて食事の支度をするが、そこに白人の警官が現れ彼女にこう告げる「黒人のくせに何をやっているんだ、ここは黒人禁止だぞ、さっさと出て行け!!」

また、裕福な家庭であるミリアムの家では白人達による食事会やパーティーが頻繁に開かれる、もちろんオデッサは給仕を務めているのだが、その前で平然と「黒人はすぐに怠ける、奴らに権利を与える必要なんかないんだ」とか「公民権運動に関わる奴は皆共産主義者だ」といった会話を交わすのである。

バスに乗り、長い道のりを通っていたオデッサ、しかしローザ・パークス逮捕の知らせを受け、翌日からは黒人によるバス・ボイコット運動が始まる。そして彼女は仕事場までの長い道のりを歩き、仕事が終われば再び歩いて帰って行く、これが「ロング・ウォーク・ホーム」というタイトルの由来である。血マメを作り、へとへとになって我が家のソファに座り込むオデッサ、しかし彼女は教会で牧師のスピーチを聞き、そこから希望と活力を見いだす。実はこの場面で使われている演説こそ、マーティン=ルーサー=キング牧師のものである(姿は現れない)。

And we are not wrong; we are not wrong in what we are doing. If we are wrong, the Supreme Court of this nation is wrong. If we are wrong, the Constitution of the United States is wrong. If we are wrong, God Almighty is wrong. If we are wrong, Jesus of Nazareth was merely a utopian dreamer that never came down to Earth.
(われわれは間違っていません。われわれがやっていることは間違ってはいないのです。もしわれわれが間違っているとしたら、この国の最高裁判所が間違っていることになるのです。もしわれわれが間違っているとしたら、合州国の憲法が間違ってることになるのです。もしわれわれが間違っているとしたら、全能なる神が間違っていることになるのです。もしわれわれが間違っているとしたら、ナザレのイエスは単なる空想家ということになって、地上には来られなかったことになるのです)

オデッサが家に来るのが遅くなり、不便を感じたミリアムは彼女を週2日だけ迎えに行くようになる、そこで乗り合い自動車を利用する多くの黒人達の姿を目にする、そして今まで感じてきた違和感「黒人であるというだけでなぜ差別されなくてはいけないのか?」を実感するようになるのだ。

クリスマス・イブの夜、大量のプレゼントを買い娘達を喜ばせるミリアムの夫、家族のパーティーは夜通し続く。それに対するオデッサの場面が素晴らしい、彼女は歩いていく為にほぼ同じ時間に身支度を整え、子供達の小さな靴下にささやかなプレゼントを入れるのである。この映画ではミリアム達の家族が一堂に会する場面はここだけであるのに対し、ほぼ全ての場面でオデッサの家族は全員が揃っている。これは大きな家はあるが家族がバラバラになる白人家庭の実態と、小さな家だが仲良く全員が集まり、教会には正装して駆けつけ、食卓でも全員でお祈りを捧げる黒人家庭の強い絆を描き、対比して描いているのである。

ボイコット運動が長引き、堪忍袋の緒が切れた黒人差別主義者達(ミリアムの夫も含む)はオデッサ達黒人の相乗り場へと乗り込んでくる。極端な白人至上主義者であるミリアムの義弟は、黒人に協力するミリアムにまで手を挙げる。「とっとと歩いて家に帰りやがれ!」どこからともなく集まった白人達はそう口にしながら、黒人達に詰め寄る。しかし黒人達は怯む事はなかった、目に涙を浮かべながら、口を真一文字に結び怒りとも悲しみともとれる表情をするオデッサ、他の黒人達は賛美歌を歌いながら共に手を取り合い悠然と歩きだす、そして協力をしてくれたミリアムにもその手を差し伸べ、共に歩き続ける。その姿に圧倒される白人達、そこで初めてミリアムの夫は自分のやってきた事の醜さと愚かさに気付くのであった。黒人が虐げられてきた歴史を短いながらも効果的に描いたこの場面は、屈指の名場面である。

オデッサを演じるのはあのウーピー・ゴールドバーグ、コメディエンヌの印象が強い彼女であるが、この映画では全編に渡りほぼ無表情で台詞すらも囁くような声で発する。ただ常日頃黒人差別を訴えてきただけあり、怒りを込めたその演技は静かだが、力強く人種差別の愚かさを訴えかけている。対するミリアム役のシシー・スペイセクも、以前から抱いてきた人種差別の愚かさを、些細な事件から実感をし、やがて活動のまっただ中に投じていく女性の姿をリアルに描いている。その他にミリアムの夫には「特攻野郎Aチーム」のドワイト・シュルツ 、「俺はいつだって自発的だ。強制されるのは、まっぴらでね!」なんて台詞をあの番組では言ってたが、この映画では弟に振り回される情けない男をリアルに演じている。更にオデッサの夫には「M:i」シリーズのヴィング・レイムス、今から16年も前の映画だが、この当時の方が老けているかも? そして監督は「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」のリチャード・ピアース、ドキュメンタリー出身の監督だけあり、淡々とした展開ながらも、中盤のバスでの暴行や終盤の白人の襲撃などで緊迫感のある場面を作り上げている。

映画の最後はキング牧師の有名な言葉で幕を閉じる。「最後には正義は必ず手に入れられる。どれくらいで? そう遠からず」彼はこの演説の数時間後、テネシー州メンフィスのモーテルのバルコニーで暗殺された、享年39歳であった。
そして全ての始まりとなったローザ・パークス女史も2005年10月24日に92歳でこの世を去った。

果たして彼等の願いは叶ったのであろうか? 

最後に偉大な2人と、公民権運動の名の下に散った多くの命に、改めて哀悼の意を捧げます。

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