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映画を語るコミュの「硫黄島からの手紙」

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「ディパーテッド」を観賞後、豊島園駅前の広場にて弁当を食べ、そのまま続けて「硫黄島からの手紙」を鑑賞した。公開日から2ヶ月程経過しているのに、劇場内はほぼ満員、年齢層も様々で改めてこの作品の人気の高さを実感した。

アメリカ側の視点から描かれた「父親たちの星条旗」の中では、日本軍の描写はほとんどなかった。さらに洞窟内での無惨な死体などの説明されない部分も多く見受けられた。監督のイーストウッドは当初この作品を作る予定はなかったそうである。しかし、調査を続けていく中で日米双方の視点から硫黄島での戦いを客観的に描いてみたくなったという理由で、2部作に分けて製作されたという。従って今回の「硫黄島からの手紙」では、全編に渡って日本軍の司令官と兵隊たちがどのように戦闘に取り組み、また何を考えていたのかが発見された当時の手紙を基に、克明に再現されている。

1944年6月、戦況が悪化の一途を辿っていた硫黄島に一人の将校が降り立つ。陸軍中将栗林忠道(渡辺謙)米国留学経験があり、誰よりも対米戦を知り尽くしていた。彼は反発する古参の将校達の反発を押し切り、作戦を練り直す。今までの将校とは違う栗林の存在は日々の生活に絶望していた西郷(二宮和也)に新たな希望を抱かせる。1945年2月19日、ついにアメリカ軍が上陸を開始する。その圧倒的な兵力の前に5日で終わるだろうと言われた硫黄島の戦いは、36日間にもおよぶ歴史的な激戦となった・・・・。

兵士と司令官のそれぞれの家族に宛てた手紙のモノローグから静かに物語は始まるが、アメリカ軍が硫黄島に上陸してからは、凄まじいまでの戦闘場面が延々と続く。プロデューサーに軍事オタクのスピルバーグが名を連ねているだけあって、兵器・軍装などの細かなディテールにも実にこだわっている。特に劇中最も印象的な場面で使われる四式二十糎噴進砲(九八式臼砲との説もあり)の登場には、多くの軍事オタクが驚喜していることであろう。しかしこの作品は戦闘場面だけを描いた映画ではなく、栗林中将と西郷一等兵を中心に兵士たちの生と死や祖国に残して来た家族への想いも、過去のエピソードを挿入しながらバランス良く描いている。多くの娯楽映画で腕を磨き、アカデミー賞にも輝いたイーストウッドの演出手腕は今回のこの作品でも遺憾なく発揮されている。静から動へと移り変わる絶妙なタイミングや、繊細ながらもダイナミックな描写は全盛期の黒澤明作品をも彷彿とさせる素晴らしさである。日本側からの視点で映画を作るという事で相当な研究をしたのであろう、なぜならイーストウッドは「誰かの真似をしたいと思った事は一度もないが、黒澤明のように大きさを感じさせる画面を作りたいといつも思っていた。」とあるインタビューで答えているからである。

全編がほぼ日本語なのだが、残念ながら日本映画界ではこのような戦争映画を作る事は不可能であろう。製作者サイドが特攻や玉砕といったヒロイックな題材でしか戦争を語る事しか出来ないし、「靖國で会おう」というセリフや「天皇陛下万歳」を三唱するシーンなどの当時の兵隊としては当たり前の描写を日本人が作れば、左翼団体などからの抗議があるからである。日本側を美化するだけではなく、きちんと残虐な行為も描き、なおかつアメリカ軍が行った捕虜の虐殺も隠す事なく描いている、だからこそ戦争の愚かさと残虐さが浮き彫りになるのである。

しかし、アメリカ映画だからこその欠点ももちろんある。この映画のキャストは渡辺謙を除く全員がオーディションで選定された。そのため二宮和也、加瀬亮、伊原剛志、中村獅童以外で台詞のある出演者はすべて在米の日本人俳優であるという。この在米の日本人俳優達が話す日本語のイントネーションに若干の違和感があるのだ。字幕を見て理解する欧米人には気にならないだろうが、日本人ならば誰でも気が付くことである。兵器や軍装などの細かい所にこだわっているだけに余計に惜しいところであった。同じく主人公である渡辺謙の発声法も聴き取り辛く、何を喋っているのかわからない場面が多々あった。ハリウッドで活躍しているのは嬉しいが、世界に誇れる俳優になる為には更なる自己研鑽が必要であろう。さらに二宮和也の回想シーンでの夫婦役も違和感があった。彼の演技は喋る言葉はともかく、想像していたよりもずっと良かった。しかし裕木奈江と食卓を囲む場面では、その少年のような容貌からかどうにもリアリティが感じられないのだ。欧米人は日本人を実年齢よりも幼く見ているらしいが、日本人である自分から見ても違和感があったのだから、さらにおかしく感じられるのであろう。同じシーンで「大日本婦人会」のたすきがマジックで書かれていたのも許せなかった、さすがにあの時代は筆書きであろう。

日本では太平洋戦争の敗戦を活かし、世界に誇れる「戦争放棄」を盛り込んだ日本国憲法を制定する事が出来た。硫黄島で散った多くの兵士たちが望んでいた平和な祖国を手に入れる事が出来たのである。では、その手助けをしてくれたはずのアメリカはどうなのか?強大な軍事力を背景に、太平洋戦争後も朝鮮半島やベトナムへと乗り出し、近年にはアフガニスタンやイラクといった中東地域へも戦火を拡げ、留まるどころかさらに軍事大国へと突き進んでいる。硫黄島での戦闘だけでも6821名ものアメリカ軍の兵士が戦死をしているが、彼らが望んだであろう祖国の平和はいまだに訪れる事はなく、むしろ悪化していく一方である。イーストウッドはこの皮肉的な現実を過去の戦いから教訓を得る意味も含めて、このような日米双方の視点から描いた2部作を作る事にしたのであろう。

イーストウッドは「許されざる者」の最後で、師匠と仰ぐセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに自らの作品を捧げた。黒澤明の「用心棒」を翻案した「荒野の用心棒」でスターダムにのし上がったイーストウッドは、常に黒澤明に敬意を表していた。そのセルジオ・レオーネと黒澤明の果たせなかった夢は戦争映画を作り上げる事であったという。この多大な影響を受けた両巨匠の果たせなかった夢を、自らのキャリアの集大成としてイーストウッドはいとも簡単に作り上げてしまった。その顔に刻まれた深い皺のように、これからもイーストウッドは映画史にその名をさらに深く刻んで行く事であろう。

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