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無管理クリシュナムルティコミュコミュの性的な機能や現象や欲求などと探求

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実習雑談トピックで性的な事柄の話題がけっこう多かったので(自分がけっこう語ってしまったのですが)、トピック独立させてみました。

性的なことは、その人にとってふれたくないことや、深い問題であることも多いと思いますし、マナー的に気にする社会的風潮もあると思います。
独立すれば、ふれたくない人や興味ないひとには目にとまらないし、語りたいひとも思うまま語れますし、まあ、いいのではないかなと。

性的なことやそれに付随することなんでも。
男性性女性性や快楽的なことやエロ的なことなど、なんでも。
よろしくおねがいします。

コメント(28)

とりあえず気になるのはオート・オーガズム?
その話題から去年あたり、自分がドライ・オーガズムに興味を持ってたのを思いだしました。

ドライ・オーガズムとは、つまり男性が出さずに(ドライ)いくということです。
女性のいきかたと同じといいます。
性器ではなく体内の感じる部分でいくらしいです。
だから勃起しなくてもいけるし、何度でもいけるとかなんとか。
僕はできませんし、詳しくないのでなんですが、体験者の話は意識の部分などいろいろ興味深いです。
どなたかできる方、詳しい方いらっしゃればお話を伺ってみたいです。

のっけから濃い?話題ですみませんが、とりあえず。
私は高血圧なのでセックス禁止です。
イクというのもやっぱり血圧に悪いですよね。
でも単なる恍惚なら爺さんでも大丈夫。
恍惚のひとになりたい。
> COWSOXさん

早速こちらに素晴らしいトピをお立て頂き感謝致します


え〜
《オートオーガズム》について

言い出しっぺなので僣越ながら経験的な説明をさせて頂きます

ちょっと前置きがあります

高校生の時に、妻子持ちの親戚の男性から望まない性的な行為を受け、その後10数年望まない関係に度々引きずりこまれていた…というトラウマがありました。

2年前に様々な実習の成果により強烈な《存在の至福》を感じるようになり、同時に大恋愛も生じ、その時ハートがぐわーっと開いたのですが、開いた時に、前述のハードなトラウマまでがドバーッと表出してきました。

それがなんというか…生暖かい魔窟の真っ黒い底無し沼に、鬼火がチラチラ灯っているようなイメージにすっぽりと覆われてしまい、もうこの魔境からは抜け出ることが出来ないのではないか?という絶望感と麻痺感が支配していました。悪魔に腰を抱かれて沼に引きずりこまれていくのに、抗うことが出来ない…といった感じ。

思考は冷静に「これはこの機会に解放出来る」と判断。早速、ライティング(書く実習)に入りました。

詩を山ほど書きましたね。
書いても書いても堂々巡りなので、認識が間違っているのでは?と視点を変えました。

ポイントは
・心は拒否しているのに、それに背く身体

という観念でした
これは良くポルノ的なコンテンツのエロさを演出するのに使われる常套手段ですよね(笑)

この観念が好きだったみたいです

しかし、トラウマと結びつくと絶望感になり、大変苦痛に感じました。

1週間ほど悶え苦しみ、ある日はたと気づきました。

違うではないか!
身体と心は矛盾してはいない
心の中に2つの観念があるだけだ
つまり心を無垢に保ちたいがために、身体に魔的な部分を押し付けただけ
で、堕落したい心と清らかでいたい心が葛藤しているに過ぎない、と。

この手の葛藤はとっくにそのまま認めていたがために、一気に苦痛から解放され、大団円と思っていた矢先に《オートオーガズム》が始まりました。

トラウマによって拒否していたエロスを承認したことにより、ある種の至福とエロスが結びついたような感じでした

(後編に続く!)
(続き)

なんの前触れもなしに、いきなり性感が始まり、全身に広がります。
始まりは胸の中心から。
すぐにオーガズムに突入します。切っ掛けなし。途切れなく続きます。うねりはありますが、軽くてもオーガズムです。逝きっぱなしというヤツです。仕事中でもお構い無しです。私はクライアント相手の仕事だったのですが、もう困る困らないの域ではなかったですね。陶酔しながらコミュニケーションしてました。どう見えていたかは不明。
クライアントの合間に耐えきれず廊下に崩れ落ちてました(笑)
立っていられません。
そんなのが2週間ばかり続きました。
疲れました。

食欲と睡眠欲は低下します。
普通のセックスより気持ち良いです。満足しているので性欲はないです。


言えることは
性的な快楽にまつわるトラウマや観念から解放され、ハートが開き感受性がMAXまで高まると起きてくるようです。

きっとありのままに感じると、自己存在は至福の中のオーガズムなのでは?
とか思えるくらいです。

実際、今現在軽いオートオーガズム状態にいます。3ヵ月前辺りから再び再開しました。毎日楽しいです(笑)

前回の中断はある人間関係のショックが原因で、今回の再開はその人をふと許したのが原因です。
分かりやすいでした。
ショックで感受性が一部閉じていたようです。

とりあえず終わりにします。 
> レイさん

いろいろ興味深いですね。
聞きたいことがいろいろあるけど聞いていいのかな。
レイさんの都合でスルーしてもらってかまいませんので。

ハートに関してはちょうど僕もタイムリーな話題なんですよね。
それはまたそのうち書くと思うんですが。

ちなみに、ハートで感じる(わかる)こととは関係なく、頭で感じる(わかる)こともあります?
頭でわかるといっても思考という意味じゃなく、気づきとかが近いかな。
クリアーとか無限な感覚、無とか空みたいな。
それに対して(関連して)、ハートの感覚っていうのもあると自分は思うのですが。

ということも踏まえて、ハートのオーガズムってのは他の言葉でいうとどういう感覚なんでしょう?
オーガズムとはいえ、男からみると女性のオーガズムってちょっとわからないものでもあるし(笑)
オーガズムに関してじゃなくてもいいんですけど、ハートって愛とか至福とか合一みたいな言葉で表されるものでもあると思うんですけど。
レイさんにとって、ハートの感覚ってどういうものなんだろう、ハートが開くってどういう感じなんだろうって。

トラウマに関連してるから、自分を認めるとか許すとか、同時に他者に自分を開くみたいなことだろうとは思うのですが。わたしはわたしである、とか。
よければ少し可能な範囲で教えていただきたいなと思いました。
>ノクターナルさん

高血圧なんですかー。
でもドライ・オーガズムって気持ちはリラックスしてるらしいですよ。
いや、身体はリラックスして気持ちは集中?ちがうか。
身体は集中で気持ちはりらっくす?どうなんだろ。
なんか、らまさんが交感神経と副交感神経の話してたの思い出すな。
関係ないけど、気づきとか今に集中してるときって、リラックスしてるけど、心拍は早いときが多いような。
脳が活動してるのかな。
高血圧よくなるといいですねー。
COWSOXさん
高血圧は痩せないとよくならないんですよ。
食うことに関心をなくせばいいんですけどリバウンドとるぞになっちゃって・・・。
自転車とかスポーツとか疲れていてやる気がないし、やりたいことは読書くらいだし、でも忙しくてあんまり読書の時間もとれないし、
ネットやめればいいのですが、こうして気晴らしにボーっとしながら深夜かきこみすることくらいしか、リラックスできる時間ないんですね。
> COWSOXさん

基本そこはオープンなのでまったく問題なしです
コメントありがとうございます


・ハートは感受性の座

だと感じています。
ハートと気づきは連動しているように思います。

COWSOXさんが思考と気づきが違うのを分かるのも、ハートの感受性の機能が繊細だからでしょう。

今、思考だな、とか、これ直感だ、とか今気づきが続いている…とかを判断するのはハートが識別していて、それを自我が使うと、批判や疑惑になり、ハートがする分野を思考が担当すると「分析」になったりするように感じます。


COWSOXさんの《食》の実習はまさにハートの実習だと思います。
そしてハートが観念に侵されていないかを番犬が見張るわけです。
リンツのチョコレートより明治のチョコレートが安くて美味しいのに、リンツが海外の有名ブランドだから美味しいと感じてしまう…とかを見張る。


さて、本題ですが
ここで言う私の《オートオーガズム》は男性でいうドライオーガズムだと思います

なぜなら女性にも2つオーガズムがあるからです(少なくとも私はそう感じます)。

性器を直接刺激して得るオーガズムは、かなり射精感覚だと思いますね。
抜いた!すっきり!疲れた…連続2回は無理、です。これはまったくもってクリトリス感覚です。発生学上でいう
陰茎=陰核
そのまんまだと思います
バイブやローターで無理矢理神経を興奮させても同じ結果です。
反復刺激で閾値を超えた陰部神経の脱分極…以上の何物でもありません。

ここで問題なのは、これを体験している女性は案外少ないということです。女性のオーガズムの一般像は女性自身も多くは把握していないのです。勢いメディアの情報は曖昧で不正確になりがちです。

参照http://sexfriend.s1.freexy.net/toukei/toukei02.html

多分ドライかウェットかただの強い快感かの違いも分からない女性多数です。だから統計もあてにならないと言われてます。射精感覚のオーガズムを体験している女性は2割〜4割(打率かよ)程度しかいないとさえ言われます。

私の射精感覚オーガズム(以下ウェットと言います)はオナニーなら5分でヌケます。ただしセックス中に起きるとそこでかなり消耗するので、セックス中はほとんどドライか、気持ち良いね…程度で行います。
…というかセックスでウェットで自然にイクのは一年に2〜3回です。
オナニーは10割です(寝落ちしない限り)。

ドライの感覚は性器に集中しません。下腹部の奥に快感の光の玉のようなものが出現します。ウェットは《火》の感覚ですが、ドライは《光》ですね。それが全身に広がっていきます。
オナニーでも10代の時から、このドライオーガズムは抜きネタ妄想のセッティング如何でたまに発生してました。
私の妄想は(ドMなので)基本凌辱モノですが、たまにストーリー展開的に「壊れた人が愛で癒される」ストーリーに展開することがあり(これは日記の『脱・凌辱モノ』参照)、これに入るとドライになりやすくなります。

オートオーガズムは性的な切っ掛けなしにいきなりこのドライが起きることを「私個人」がそう呼んでいます。これは胸から下腹部に一瞬で広がります。それから全身に波及していきます。
能動ドライとは逆ですね。

オーガズムは常に内在しているので、ただ感じれば良いだけです。能動ではありません。完全受動。窓を開けたら風が入ってきた…という体験です。そういう意味ではKのいう瞑想と同じかも知れません。
性的な快感が能動でなければ手に入らないという観念からは解放されてはいます。その分、感受性の広がりになります。


気づきとハートは
結局2つは1つのものの両側面だと思います。

余談ですが、私が意識の座と勝手に感じている眉間のチャクラを開くと、胸の少し右が同時に連動して開く感覚があります。


むむ…COWSOXさんの質問に答えられたのか?
答えになってなかったらすみません!
出直します
> レイさん

ハートと気づきは連動か〜。
それはそうなのかな。
感受性ってのはそうだと思います。

ただ、僕もよくわかってないですが、眉間に言われるような頭部での気づき、感覚は身体性を排除、あるいは身体性が抜けたときに感じられる、何ですらないクリアーなもので、意識のみというのかな、
ハートでの気づきというか感受性、感覚は、自分の身体性を受け入れたまま感じる、生や命(愛)のようなもののように判別してました。
自分の中では、身体性がポイントでしたね。
身体である自分と、意識としての自分。
他の人はどうなのかわからないですが。

頭部やハートなど、そのあたりは、アジズとかがいろいろ分けて書いてるのを読みましたけど、人によって表現の仕方が違うし、僕もいまだよくわからない部分が多いですね。
どの程度明確なことなのか、あるいは方便だったりするのか。
特にハートに関しては僕はようやく最近わかってきた程度なんです。

レイさんが胸が開いた、開いたと思えたのは実習トピにある体験のときですか?
胸の右側がわかるってのはすごいですね。
マハルシがそんな話をしてましたね。

頭部(眉間)にしろ、胸の右にしろ、そう言われるとそうかなって感じで、僕は明確ではないのですが、レイさんはけっこう明確な感じなんですか?
場所とか開き加減とか。
オーガズムに関しては、どっちも性器の話のようでもありますが、松沢呉一が、むかし女性に性アンケートをとったことを書いてました。
いわゆる、クリイキ(性器で感じてイク)と中イキ(奥で感じてイク)の違いで、クリイキと中イキの違いがわかってる女性は、それらは全く別々だと言うけど、それは少数で、自分がイっても、それがクリイキなのか中イキなのか、その違いが不明瞭な女性がほとんどだとか。

つまり、それらに意識的な女性はその違いに気づいてるんだけど、多くの女性は意識的に捉えてないので全体的に、なんかそんな感じとしてるみたいな。
でも少数ながら、それらは全く別だという女性がいるから、やっぱり別のものがあるんだろうみたいな話でしたけど。

んで、僕もエロ話好きだから、そういう話が平気な相手(女性)だとよく聞いたりしましたけど、まあそんな感じでしたね。
意識的というか、そっち方面に探求心ある女性にとっては違いが明瞭だけど、ふつうはそうでもないっていうか。
そもそもイクのがどういうことかわからないってひとがけっこういるし。

でも、ふと思うのは、よくわからないけどすごく気持ちいいときとかあるじゃないですか。充足感とか。
意識が明瞭でクリアーとかいうのではなく、身体として気持ちいい、身体が気持ちいい、もちろん意識としても気持ちいい。
ああいうのと、オーガズムとはどういう関連なんですかね。

レイさんが、オートオーガズムは性的な切っ掛けなしにと話してるように、オートオーガズムはもはや性的な気持ちよさではないのでしょうか?
それはそれで性的なものなのでしょうか?

とかいうと、何をもって性的とみなすか、どこからどこまでってことになってしまうけど。

性的な気持ちよさなのか
気持ちよさがあり、性的な気持ちよさも重なっているのか
気持ちよさの解釈の仕方なのか

まあ、どうでもいいか(笑)
個人的にはシステムというか、構造に興味がわいちゃいますが。
> 神田さん

う〜ん、対象に対しての単なる反応っていうより、共鳴する感じとかですかね。
文字そのまんまだけど、受け取るって感じとか。
自分が無くただ観るとかいうのではなく、自分が観るというか。
自分を通して観るとかいうのではなく、自分が直接それを観る、観てるというか。
直で感じるというか。
僕にとってはそういう感じですけど。

神田さんには実は内心、ハートの感覚とか聞いてみたかったんですけど。
そういうのよくわかる方なのかな?って前から思ってたんで。
> COWSOXさん


いやー、レイさんの
ハートは感受性の座
ってーのがよくわからなくてあせあせ

でまず感受性について聞いてみた


実はハートと言う言葉についてもよくわからないあせあせ

誰かがハートと言えばその状況においてアバウトに推測はできますが
同じように感受性についてもこんな感じで使っているのかなと推測できますが


私の辞書が最近あまり明確に言葉が定義されてないもので
その言葉を使ってる人に直接聞いてみないとわからなくなってますあせあせあせあせあせあせ
> COWSOXさん
>神田 徹さん
>12・13・15

感受性は
感覚を受けとる性能
という意味のように思っています。
これは五官を使ったもので言えば分かりやすいかと。
例えば鉛筆があって、
その木の温度(温覚)があって、木の匂いと芯の匂いがあって(嗅覚)、木と芯の固さも違い(触覚)、削られた木の表面と、塗料を塗られた表面の違う色(視覚)、持った軽さ、机に置いた音、書いている芯の音(聴覚)…等々

感覚が繊細で、開かれていれば、より多くの感覚を受け取ります

言葉ではなかなか表現しにくい分野ですね…。COWSOXさんの《食べる実習》はこれを駆使した実習かと思います。

ハートは胸のあたりですが、肉体的なものとは違うように感じています。心臓ではないです。
分かりやすいと言えば…恋のとき胸の辺りがいっぱいになるアレです。
感動したときにもジンときたりします。


仕事がボディ・ワーカーという特殊性もありですが、感覚は五官とシックスセンスと両方鍛えなければなりませんでした。識別出来ないと仕事にならず、診断も治療も出来ないので、そういう背水の陣的状況が繊細さを生んだと思います。

ですから、クライアントの身体のみならず、どんな感情が抑圧されているかまで分かります。そのひとの感情が流れ込んできます。ただ影響を受けやすかったので辛いところもありました。

ですから、エネルギー的な感覚の識別も、仕事柄かなりはっきり場所や質や量を判断出来ます。
ただし、私の視点で。
100人に聞いて同じかどうかは分かりません。
ただ、同じように感覚の鋭い人で互いに裏を取り合ったことはかなりあります。同じこともあり、違うこともあります。

なので眉間の開きもハートの開きもはっきりわかります。これは能動的に開くことも出来ます。
そういうときは観音扉を開く感じです。ただし、人により違うかも知れません。
開くと思考がオフ状態になります。
場合により至福感になります。

元々思考大好きだったので、感受性を起こして整理するのは《修行》に近かったですね。
左手で絵を描くのがかなり効果ありました。
あとは、ヒーリング系の心理学(トランスパーソナル系の)のセラピーをかなり受けてますから、トラウマの解放は10年以上ワークしています。これも仕事にしてました。
トラウマは感じたくないものの筆頭ですので、これを解放しないと感覚の麻痺がとれなかったり、一部ブロックしたり、感覚に対する疑惑や、「感じる」こと自体がわからないことも多いです。「感じる」ってどうやるの?的な。
「感じる」と「思う」の区別がついていない人もいます。割りと多いです。

やはり言語の意味は知らないうちに自分語になりますね。
COWSOXさんの《バカはバカじゃない》実習みたいになります。
>おー、 レイさん ありがとう

感受性
感覚を受けとる性能

字のままじゃんわーい(嬉しい顔)
そのままでいいんですね


ハート

肉体とエネルギー体でだいたい胸のあたりちゅうことでわーい(嬉しい顔)


感覚

五感を含め感じるもの


ってなもんでだいたいよろしいでしょうか
> 神田 徹さん

はい!そんな感じです
語意の整理頂きありがとうございます

そのような共通認識で今後使わせて頂きます

整理してみると認識が改まりますね
曖昧さに気づいたり…
ご指摘頂き助かります


余談ですが
私の気功の師匠は中国人ですが、一緒に漢籍を訳す作業をした時に
《漢字の一字の意味》ということを教えてもらいました

日本語で漢語の熟語が明治時代に多くつくられましたが、例えば『変化』という熟語は両方『かわる』という意味だけど
・変=量や形がかわる
・化=質がかわる
ということなので、そのように訳さねばならない。でもあまり日本では意識して使われてないよね…という師匠の感想でした。
漢字一字の意味は深いので、老子や鬼谷子の書いたものなど中国人でも理解して訳せる人があまりいないそうです。
小学校二年の時、学校の校庭にある遊具、竹の棒に登ると
お腹の下の方がくすぐったいような気持になったの憶えてます。
オトナになって同級生に話すと、そいつは中学になってからも
こっそり竹の棒に登りに言ったことを告白しました。
野坂昭如(だったかな?)の本によると「セミ」と名付けられた少年一般に見られる行為だそうです。
射精を知るズット前のあの快感がドライオーガズムだったのかな。
でも、私の記憶ではピークってのが無かったような・・・
> らまさん

少女蝉もいます!
鉄棒もあの食い込みがなかなかです
レイさん
それで、女子は鉄棒、男子は竹の棒が人気だったのか。(笑)
草食系男子が増えたのは小学校から竹の登り棒が無くなったのが原因だったりして。

で、これはドライなんざんしょか。
性器への刺激ではありますが、
射精でオシマイ、とはならない。
下腹部のくすぐったさは、胸までせり上がって来て
思わず手からチカラが抜けそうになるのを
地面に落ちないように必死にしがみつくのは
M的な快感だったような気もします。
ハートは感覚を受け取るって思うとたしかにそうかも。
僕は身体性って感じてたんですけど、身体性って肉体ってだけじゃなくて、個性とかわたしという固有の感覚を含めた意味だったんで。

ハートの鋭い方たちで同じように感じたり違ったりするのはそういうことだと思ってましたけど。
僕の知ってる方でも何人かいますけど、概ね合ってたり、違ったり、いろいろありますよね。
身体性(固有性)を含めてるからそりゃそうかなって。

ただ、あくまで僕の経験上の見方ですが、頭部の座に思考があり、条件付けやこだわりなど、思考の我性が停止することでクリアーな無限性をそのまま知覚できるように、
ハートも感受性がありますが、その感受性の身体性(固有性)が止まることで(止まるというよりは身体性としての自分を受け入れるという形で、意識の自分と身体の自分が矛盾せず共にあるみたいな状態ですが)、ああいう感じ、こういう感じといった、別の感じを感じるのではなく、全てに等しく存在する純粋な何か、同じ何かを感じれる(知覚できる)のがハートの本来の(純粋な)使われ方のようにも思うのですが。

それは、レイさんのおっしゃる、ハートが開き感受性がMAXって状態と同じなのかもしれませんが。

どちらにせよ、
頭部での思考や観る状態、それとは別に分別の生じてないありのままを知覚する状態、
ハートでの感覚を受け取る状態、それとは別に分別の生じてない純粋さだけを感じる状態、
があるように僕は思います。
それらが実際に別物か、同じか、連動かは、見方の違いかもしれません。

でも、この話は、らまさんのドライ疑問が終わってからでいいかな。
ああいうのってドライなんですかね。
というか、なんにでもドライは程度の差こそあれそれなりに含まれているようにも思うけどどうなんだろう。
> らまさん

その情景…
たまらん
萌えです(笑)

多分ドライです。
そうですよね…男子には精通前というステージがあるんですよね。
胸に広がるというのはドライの徴候だと思ってます。そして四肢の虚脱、ピークのプラトー化(平原)…ドライ認定だと思われます。

らまさんMだったんですね
耐えてる感じがそそります


しかし、そうなると男子は、精通が来ると性感の様相が一気にかわるみたいな気がするのですが…

私はオナニーを覚えたのが大変早かった(小2)のですが、その当時からウエットオーガズムでした。ドライの方が遅かったです。

ですが胸が出てくる頃まで確か濡れなかった気がします。スポーツ誌のエロ記事に『愛液で濡れて…』とかあっても「へえ…そんな風になるのか?」という疑問があった覚えがあります。
久しぶりに思い出しましたよ。
エロ記事は勿論抜きネタでしたが。親が買って来たのをあとから隠れて読んでましたね。
 
> COWSOXさん

「ドライオーガズム」と「いかないけど気持ち良い」は違いますね。ドライオーガズムはオーガズムです。オーガズムは一定のラインを超えている場所・状態です。ドライが混ざっている、という状態はすでにいっちゃってることになります。あれは強烈なものです。

ただ、いく前の快感にも強烈なものはありますが、まだ超えていないですね。超えるのを体験すると、超えていない強烈な快感との区別は容易につきます。

COWSOXさんのおっしゃるのは「性的な快感」ではないかと…
確かに至福感や感動の中にも性感に似たものを感じることがあります。知らないうちに濡れてたり。性感が混じると濡れたり勃ったりしません?(私は号泣している時などに割りと感じます)

ですがドライオーガズムはあるレベルを超えている現象です。

是非お試し下さい!
COWSOXさんは向きだと思われますの♪

ところでドライオーガズムのコミュとかないですかね…
ちょっと探してきます〜
> レイさん

お、ドライ認定に加えてM認定もされてしまった。
指摘されたらアフアフ喜ばなきゃかしらん、認定保持者としては。

> 男子は、精通が来ると性感の様相が一気にかわるみたいな気がするのですが…

ジャン・コクトーはパーティで手を使わずに射精するてなネタを披露したことがあるそうです。
これは想像ですけど、その時は勃起はしなかったんじゃないかしらん。
通常は「硬くなってから出る」から「硬くなるのは出すため」ておもいがちだけど
実は逆で、弓を引くような感じで「出さないため」なんじゃないか、と。
恍惚の人はもう、だらだらで、ノクターナルさんが憧れる気持もわかるかも

COWSOXさんが「その手のオーガズムは恒常的に身体に内在していて」みたいなことを
書いていた(気がするんだ)けど、私もそんな気がします。
特別な訓練したわけでも無いけど、登り棒の頃から今に至るまで
息をゆっくり吐いて脱力するだけで、簡単にその感覚は多少蘇ります。
COWSOXさんと違って、探求的なことに関して怠惰なので、そんなにはしませんが
きまぐれに連続して試みると、先っぽからカウパーさん出てます。
ネタ要らずの安上がりですが、コクトーの域には達しません。
1.睡眠
2.書く・考える
3.(飲)食
4.音楽
5.エロ話
6.エロ
だからかも・・・。
> らまさん

良いですね…
ネタ要らず
理想的なオナニーではありませんか

「内在する恒常的なオーガズム」

は私のテーマでもあります
結局それを証明したくて探求をしたのでした

こちらのコミュにはそれを理解されている方々がいてくださり、大変居心地良い思いをさせて頂いてます

ありがとうございます


多分セックスもオナニーもその視点から見れば、儀式的とも言えるでしょうね
内在するオーガズムに辿り着くためのひとつの道程
魅力的が故にそれなしにはいられなくなるほどで…

そこを打破したかったのかも知れません
ある意味依存症でしたから
オーガズムの一瞬だけが無意味の空虚を埋めたきがしたので

ですが無意味こそがそれを受け入れた時にオーガズムだったのです
エロスの抑圧が恐怖につながっている。

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