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小説置き場(レイラの巣)コミュの【ファンタジー】死神と女子高生

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初稿を書き上げたのは9月15日。
いつも寝かせて、何度か書き直すのですが、さすがに今回は寝かせすぎです。本日、10月13日。

約8800文字 初出 2016/09/15

 ボクの仕事は道案内。お迎えに行って送り届ける。
 ボクを死神と呼ぶ人もいるけれど、それは違う。ボクは決められた時に決められた人を迎えに行くだけだ。そして決められた場所まで送り届ける。
 ボクにはそれ以上のなんの権限も無い。まして命を刈るなんて事はできない。

 ベッドにどっかとあぐらをかいたおじさんが居て、ボクは「おむかえでゴンス」なんて言ってみた。おじさんの年齢に合わせてみたんだけどね。
 おじさんはきょとんとボクを見ている。ちょっと年代を間違えたかな。なんかそんなセリフが昔の漫画にあったと思うんだけど。

「ああ、してみると僕は死んだわけだね」おじさんはそう言った。

「そうなんです」ボクは答えた。

 自分と同じ顔の人間がベッドで死んでいる。家族が泣いている。病院だ。
 そういう事態を目にすれば大体の人間は察する。察してこんなふうに座り込んでいる。
 ボクが「お迎えにきました」と言えば、大人しくついてくる。

『やり残したことがある。生き返らせろ。死にたくない』そう言って泣きわめくのは『命なんて惜しくない』なんて粋がっていた人間のほうが多い。

 本当にまだ何もしていなかった、つまり子供たちの死はボクも悲しい。でも待っている世界の話をボクはする。もう一度キミは選べるんだよって。次に生まれる家を、家族を、新しい命は選べる。
 そう聞いて子供たちは落ち着いて家族に別れを告げる。ほとんどの子供は「もう一度ママの子供になるからね」って言う。
 ボクは言う。「キミがママを笑顔にするんだよ」
 子供たちは笑う。

 そうなるって聞いてるけど。本当にそうなるかどうか。ボクは知らない。ボクの仕事はただの道案内だ。

 神とよばれている存在の前にボクごときが行けるはずもない。その下のそのまた下の下あたりに死者を連れて行き引き渡すだけだ。あの世の仕組みなんて知らない。

「そいつは誰だ」下の下あたりがボクに言う。

「ですから今回連れて来いって言われた…」

 ボクはベッドの上であぐらをかいていたおじさんを指さした。

「違う。そいつじゃない。お前の右足に引っかかっているやつだ」

 見ると、細い細い糸のようなものが引っかかっていた。
 引っ張って目の高さに持ち上げたら女子高生だった。
 なぜ!

「アミちゃん。待って。お弁当。忘れてる」

 ママが言ってるけど無視して家を出た。昨日の事だ。
 仕事で疲れ切って、私の話なんかまともに聞かないくせに、私が高校に持って行くお弁当だけはしっかりと作る。『私はちゃんと母をしてます』ってスピーカーでどなっているみたい。母の作ったお弁当にさわると手が腐るような気がする。お弁当箱の絵柄もキライ。包むバンダナもキライ。卵焼きもキライ。プチトマトもキライ。

「500円ちょうだい。学食で食べるから」

 今までママに3回言った。でも作る。
 今朝はテーブルに1000円札が置いてあった。お弁当の包みは無い。

「そのくらいは要るんじゃない?」ってママがお茶碗をテーブルに置きながら言った。

 私は黙って自分のお財布にその千円札を押し込んだ。
 孤独が好き。孤独が好き。孤独が好き。家族ごっこなんか大っ嫌い。
 パパもママも家族を愛してないくせに。ただ毎日を演じている。

 通学カバンの中にお財布。お財布の中にさっきもらった千円札。何に使おう。
 今日のお昼も食べない。このところずっと食べてない。お弁当の中身は捨てていた。友だちにはダイエットって言ってあった。ママは気がついてない。当然パパもね。パパはあの家でなんにも見てない。

 私はゆっくりと死んでいくんだって考えるとちょっとわくわくする。
 消えたい。消えたい。消えたい。何もしたい事が無い。
 成績は落ち始めている。どんどん落ちろ。そうしか思えない。

 私の乗るバスが見えた。乗らなくちゃ。思わず走って道を横切った。
 誰かの叫ぶ声が聞こえた。
 衝撃があって、アスファルトに叩きつけられた。

 目を開ける前に病院独特の臭いに気がついた。どこも痛くない。けど、きっと事故にあって病院に連れてこられたんだ。たいした事故じゃなかったのね。残念だわ。

 周りを見た。少し離れてベッドが見えた。二人部屋?
 寝ているのはおじ様らしい。ちらっとしか見えなかった。すぐに間のカーテンが閉められたから。

 カーテンの向こうでお医者様や看護師さんが慌ただしく動く気配がする。短い指示の声。電気ショックの音? ドアが開いて出入りする看護師さん。
 私が目を覚ましたのはきっとその慌ただしい気配のせいかもしれない。
 それから静かになって、時間だけが過ぎていく。
 家族らしい人が呼ばれ病室に入って来た。ぼそぼそとしたお医者様の声がする。
 女の人の泣いているような声。何を言っているのかわからない。

 その時になって、ようやく私は自分が居るはずの無い場所に居ると気がついた。
 私は床の上に寝ていた。

 ドアを通り抜けて男の子が入って来た。年齢はよくわからない。身長は私よりも高いけれど、しっかり見ようとするとするりと輪郭がぼける。私と同じ高校生にも見えるけれど、もっとずっと年上のような気もする。黒い服。黒い髪。まるで影のようだ。

 カーテンが大きく開けられて、二人のおじ様が見えた。
 一人のおじ様はベッドに横になっていて、いろいろな機材を取り外されているところだった。
 もう一人は寝ているおじ様にそっくりで、ベッドの足元であぐらをかいていた。

「おむかえでゴンス」男の子があぐらのおじ様に言った。

「ああ、してみると僕は死んだわけだね」おじ様はそう答えた。

 男の子とおじ様が歩き出して、私はひっぱられた。私の身体から細い糸が出ていて、その糸が男の子の足に絡まっていた。男の子は何も感じないかのように歩いて行く。
 私の身体から出ているその糸の反対側は壁を突き抜けて消えていた。壁の向こうに何かがあって、この糸はつながっているのだ。その何かはきっと私の身体じゃないかしら。そしてここに居る私は霊で、私はきっと死にかけているのだ。

 男の子はおじ様と部屋から出て行こうとしている。二人が出て行く前に私は壁の向こうに続く糸を引きちぎった。これできっと私の身体は死んだはずだ。
 私は男の子の足に絡まったままついて行く事にした。男の子、多分死神にね。

「元の身体に返して来い」

 おじ様かおば様かよくわからない顔だけれど、ひげがあるから多分おじ様なんだろうな。白い服を着たひげのおじ様が男の子に偉そうに言って、男の子は私を連れて病院に戻った。

 私の身体はもう病院には無かった。

「死神ってそういうのわからないの? 私の身体が今どこにあるか」って私が言ったら。

「ボクは死神じゃありません。たんなる案内人です」って。

「役立たずね」

「ボクは生きているかたのお役に立つ気はありません。
 とっととあなたをあなたの身体に戻して、元の仕事に戻りたいだけです」

「いいのよ。私はこのままで。だから、ほっといて」

「そうはいきません。まったく迷惑なんですよ。なんで命の糸を自分で切ったりしたんですか」

 へえぇ。あの糸みたいなのは命の糸というのね。
 なんで切ったかなんて言われたってね。わからないわ。なんでだろう。
 つまりはどうでも良かったのよ。何もかも切り捨てたかった。
 私なんて意味が無い。消したかった。そんなところかなぁ。

 さっき死神は私の手をつかんでふわりと飛んだ。一人でもできるかしら。
 深呼吸をして背伸びをして、手を伸ばし…。

 びゅうんと飛んだ。慌てて下を見たら、地面が遠くに見えた。
 しばらく飛んでいたらコントロールがわかってきた。ふわふわと漂いながら考えた。どこに行こう。
 そうだ。私の身体を見に行こう。どこかなぁ。私の身体、私の身体って思いながら飛んでいたら空がくらっと歪んで薄暗い部屋に移動していた。

 真ん中に白木の長い箱があった。ああ、これが棺桶っていうものね。
 もしかしたらと中をのぞいたら私が居た。私よね? 私ってこんな顔だったかしら。よく「眠っているようです」なんて言うけど、ちょっと違う気がした。表情が無いってこういう事? 死んでいるだけでブスが5割増しだわ。

「やっぱり、私は残るわ」

 ドアが開いてママの声がした。

「アミをこんなところで一人にしてはおけないわ」

 ママが入って来て、後ろからパパも入って来た。

「あなたはヒロアキをお願い」

 ヒロアキって弟よ。まだ中学生。そう言えばどこに居るんだろう。

「おふくろから、もう家に着いてるって、さっきメールが来た。夕食を作ってくれているらしい。ヒロアキも少し前に中学から帰って来たそうだ」

 夕食? もうそんな時間なんだ。

「そう…。じゃあ私はここに居ても大丈夫ね?

 家のほうはお義母さんにおまかせするわ。
 会館に居たければ居てもいいって…さっき係の人が言ってたし。
 眠くなったら…会館のかたにお布団を頼むわ」

 ママの話し方はゆっくりで、とぎれとぎれだった。
 パパは何も言わずに聞いていた。
 しばらく間を置いてパパが言った。溜息みたいな声だった。

「わかった。キミの好きにすればいい。親戚への連絡は僕がやるから」

「そうだわ。あした、来る時に私の喪服を持ってきて。大きなほうの箪笥に入っているわ。
 何かわからない事があったらいつでも電話をちょうだい」

 冷静ね。ママ。
 ママは部屋のすみにあった折りたたみ椅子を私の棺桶のそばに持ってきて座った。

「じゃあ。無理はしないようにな」パパはそう言って出て行った。

 変だわ。なんで泣かないの。パパもママも。娘が死んだのに。
 怒りが、涌いてこない。心のどこかで「やっぱりね」って思ってる。

 ママが私の棺桶に寄りかかるようにして目を閉じた。ふうっと長い息を吐いて右手を延ばすようにして手のひらで棺桶に触れた。
 私も触れてみる。
 なんの感覚も無かった。そうか。実態が無いものね。手に力を入れたら簡単に突き抜けてしまった。
 これが死んだって事なのね。そしてこれが私の棺桶なのね。

「せめて棺と言ってください」

 いつの間にか私のそばに死神が立っていて、そう言った。

「女子高生が、棺桶なんて生々しい言葉を使わないでください」

 口に出した覚えは無かったのに。死神には私が考えている事がわかるのかしら。

「考えがわかるんじゃなくて、声を使わないで話しをしてるんです」

 思わず死神の顔を見た。そう言えば口が動いてない。

「思考だけで会話が成立してるんです」

 へええ。そおお。何も考えない事にした。

「また一人で飛んでいかないでくださいね。あなたに何かあったらボクが叱られるんですから。
 逃げようとしても無駄ですよ。霊がどこに居るかならボクはわかるんですから」

 何も考えずに逃げ出そうとしていた。くそっ。

 死神は空中に座った。何もないのに座れるのかしら。
 恐る恐る座ってみた。姿勢を座る姿勢に変えてみたら、空中なのに座れた。よりかかったりもできる。
 何も無いのに? おかしいわね。

「あなたが、空気よりも何も無い存在だからです。空気の方が硬いんです」

 死神が答える。思考だけで会話なんて不愉快だわ。
 やっぱり飛ぶ事にした。ちらりと振り返ったら、建て物の天井を突き抜けてついてくる死神が見えた。

「ねえ。もう戻りませんか。ご自分の身体に」

 死神が何度目かの同じセリフを言った。私は返事をしない。同じ事を言うのにあきたわ。替わりに違う事を言った。

「きれいね、都会の夜って。空から見ると赤や黄色や青い光でキラキラしてるのね」

「郊外の夜もきれいですよ。星と月と時々通る車のライト。虫たちのささやき」

 私は死神をじろりとにらむ。

「邪魔をしないでよ。今いい気分なんだから」

 そうだ。こんなにいい気分になった事は久しぶりだ。生きてるってこういう事かもね。

「このままいつまでもフラフラと飛んでいたいわ。行きたいところに行って、見たい物を見て。
 そうね。郊外の夜っていうのも見てあげてもいいわ」

「そんなにうまくはいきませんよ。
 少しずつ生きていた時の記憶は消えていくんです。
 心も壊れて行って、何もわからなくなって、迷い霊になって、朽ちて行くんです」

「霊なのに?」

「霊だから、です。
 霊はしかるべき場所に行って、浄化されて、また生まれるんです。
 それができなければ朽ちるだけです。」

「また・・・生まれて・・・。
 ぞっとするわ。また、なんて。また同じ事を繰り返すの?
 生きるのに疲れて、飽きて。そのうち自分の存在を呪うんだわ」

「霊だって同じですよ。

 霊でいるのに疲れて、飽きて。自分を呪うんですよ。
 壊れていく意識を抱えて、それでも朽ちるまで何百年もこの世にとどまらなきゃならない。
 最後は消えるだけです。そんな迷い霊を何人も見てきました。

 生きるのに疲れた、ですって? あなた、まだ17年しか生きてないでしょ。
 それで何がわかるんです?」

 わかってるわよ。何もかも、もうみんなわかっちゃった。これ以上は何も知らなくていい。
 死神は軽蔑したように私を見る。

 やっぱり伝わっちゃってるのかな。私が考えている事が。
 死神は私よりもきっとずっと長く生きてるから、たった17年と思うのね。でも、生きた長さなんて関係ないわ。もう充分だわ。もう充分に生きたわ。
 死神が私の手をつかんで、私の身体の所まで戻って行った。逆らってみたけど、死神の力は私よりもずっと強かった。死神が何を考えているのかわからなかった。思考で会話する能力も死神の方が強いのかもしれない。

「さあ。戻ってください」

 怒ったようにそう言って私の棺桶を指さした。棺桶のそばにはママが居て、さっきと同じように目を閉じて寄りかかっていた。眠っているのかもしれない。娘が死んだのに? のんびりと寝る? ママらしいわね。

「戻れって、どうすればいいのよ」

「横になって自分の体と同じ姿勢になってください。すっぽりと重なるように。そうすれば自然にくっつきます。
 時間が経てば経つほどなかなかうまくいかなくて、かなり力を入れて重ならないとだめになるんです。だから急いでください」

 ははん。つまり私がその気にならなきゃだめって事ね。
 じゃあ、いや。絶対に戻らないわっ!

 ママが顔を上げた。寝ていたわけではないらしい。

「アミちゃん?」

 そう言って周りを見ている。私が見えるわけじゃないけれど、思わず死神の後ろに隠れた。
 ママが立ち上がって、棺桶の中をのぞきこんだ。

「アミちゃん? アミちゃんよね? 今、呼んだ・・・?」

 棺桶には小さな窓があって、窓にはガラスがあって、私の顔が見えるようになっている。ママはそのガラスの上に手を置いた。顔を近づけて小さな声で言った。

「アミちゃん。目を開けて。お願い。起きなさい」

 アミちゃん。アミちゃん。とママは何回も繰り返した。それから何も言わなくなって目を閉じた。
 あきらめたのかな、やっぱりね。そうよね。
 ゆっくりとママは顔を上げて、両手で棺桶のフタを持ち上げてずらした。思ったよりも重かったのかガランと大きな音を立てて落ちた。
 身体を棺桶の中に入れるようにしてママが私の上半身を両手で抱きかかえ、起こした。

「アミちゃん。起きなさい。目を開けて。起きて。起きなさい」

 声がだんだんと大きくなった。ドアが開いて女の人が入ってきた。
 ママと同じくらいの歳で黒いスーツを着て、胸に名札をつけていた。会館の人なんだろう。
 ママが私の名前を呼びながら私の身体を揺さぶる。ママの髪がバサバサと揺れた。
 女の人が外に出て行き、男の人を2人連れて戻って来た。
 その間もママはずうっと私を抱いて私の名前を大きな声で呼んでいた。

「奥様。ちょっとこちらに。お座りになって・・・」

 女の人が柔らかな声で言って、ママを私の身体から引き離した。
 黒いスーツの男の人が椅子を持ってきて、ママはよろよろと座った。
 ママが睨むように女の人を見た。
 もう一人の男の人が私の身体を受け止めて、元の通りにして、白くて薄い布団もかけ直した。

 女の人が「娘さんをゆっくりと休ませてあげましょうね」とママに語り掛けると男の人達がフタを持ち上げて閉めようとした。

「違うわ!」ママが叫ぶように言って立ち上がった。

「フタなんかしないで! アミは死んでなんかいない。フタなんかしないで!」

「奥様…」声は軟らかいけれど、強い力で女の人がママを抱きとめた。

 男の人が棺桶のフタをして、それからママの手を取った。「こちらへ。何かお飲み物を用意させます」
 ママは逆らおうとするけれど、背中を押されてだんだんとドアのほうへ連れていかれそうになる。
 振り返ってママが叫ぶ。

「アミちゃん。だめよ。目を開けて。目を開けなさい! いやぁ!」

 死神が私の耳元でささやいた。
「さあ、今です。戻りなさい」
 そして、私の背中を押した。

 離れていた時間が長かったからだろう。まるで泥の中でもがくようだった。力を入れてもがいていたら、パチンと何かが繋がった感じがした。目を開けたら目の前に棺桶のフタの小さなガラス窓があった。
 私を呼ぶママの声が聞こえる。

 手を伸ばし、フタを持ち上げた。思ったよりも重くてちゃんと持ち上がらなくて、ズルズルとずれた。フタがさっきと同じように音を立てて落ちた。

 私が起き上がるとママが飛びついて来て私を抱いた。ママの肩越しに職員の女の人が座り込んでいるのが見えた。男の人が一人、ドアの外に走って行く。

 私は目を閉じた。疲れた…。生き返るのって疲れる。

 3日間、病院で検査を受け、それから退院して通学を始めた。


 今朝もテーブルの上にママが作ったお弁当が置いてある。お弁当を包むバンダナはこんな柄だったかなぁ。
 両手でお弁当を持ってじっと見た。お弁当箱の色も知ってるし、卵焼きの味も知ってる。でも本当にそうかしら。私は本当に知っている?

 ママが私を見てる。私もママを見て「いつもありがとうございます」と言って頭を下げた。
「変なアミ」そう言ってママは後ろを向いて汚れたお皿をキッチンに持って行った。

 見慣れたママの後ろ姿。でも、あんなだったかなぁ。昨日と違う気がする。おとといとも違う。何かが違う気がする。きっと毎日違うんだわ。

 玄関を出たら、雨が降っていた。傘をさして何メートルか歩いて、傘を閉じた。雨が降っている。そのまま歩いた。

「傘はささないんですか?」

 死神がそばに来て聞いた。

「もったいないわ。せっかく雨が降ってるのに。私のまつ毛に雨のしずくが乗っているわ。自分でも見えるのね。知ってた?」

「……」

「それに服の中まで雨がしみ込んで、肌の上を流れていくのがわかるわ。雨って温かいのね」

「今が夏だからですよ。冬なら冷たい」

「つまんない。そんな事を言わないで。あら、そう言えば死神さんも傘はささないのね」

「雨はすり抜けてしまうんですよ。ボクは濡れません」

「…じゃあ、まつ毛にしずくが乗ったり、雨が体の上を流れて行ったりは…」

「はい。しません」

「そう…。ごめんなさい」

「あやまるような事じゃありませんよ」

 バス停まで黙って歩いた。足の下で小石が音を立てる。アスファルトと石畳と砂利と土。全然違う。
 私の足音が小さく聞こえる。昨日とリズムが違う。
 雨は刻一刻と変わった。温かかったり冷たかったり。強かったり、弱かったり。
 前髪から垂れたり。背中を流れたり。
 ほおにかかる雨の粒もみんな同じ大きさじゃなかった。
 そうか、死神にはわからないのね。生きてないとわからないのね。

「ねえ。死神さん」

「ですから死神じゃありません。ボクはただの案内人ですって」

「その案内人さんが、だんだん薄くなっている気がするんだけど、気のせいかしら?」

「いえ。だんだん見えなくなりますよ。話もできなくなります。それからボクの事も忘れます。死んでいた間の事も。全部」

「そう…。
 じゃあ今のうちに言っておくわ。背中を押してくれてありがとうね」

「いいえ。それがボクの仕事ですから」

「やな奴。素直に私の感謝を受けなさいよ。じゃあ、今、そのお仕事はどうしたの?」

「連れて行く途中です」

 死神の足のそばに小さな小さな男の子が居た。生まれたばかりだったのかもしれない。私を見てにっこりと笑って手を振った。死神に手を取られて飛んで行った。

 もう一度生まれておいで。必ずね。そして、雨が毎日違う事を確かめてね。


 岩の上にアミが座っていた。あごに手を当ててユウウツそうな顔をしている。
 ボクを見て「お久しぶりね。案内人さん」ってつぶやいた。

「思い出しましたか?」

「まあね」

 それから溜息をついた。

「短かったわねぇ。生き返って一年半。大学に入って最初の秋。
 残りの人生がこんなに短いならちゃんと教えてくれれば良かったのに」

「そんなぁ。
 ボクは知らないですからねぇ。いつ誰をお迎えに行くのか。
 でもまあ、すみません」

 彼女の足元に彼女の身体があった。崖から落ちて、手や足が変なふうに曲がっている。

「みっともないかっこうね。直そうと思ったんだけど直せなかったわ」

 そう言って自分の手を見た。
 ボクは死んだ彼女の身体の乱れた髪を直した。そのくらいならできる。そのくらいならかまわないだろう。

「友達と山歩きをしてて、滑って崖から落ちるなんてね…。
 この前は道路に飛び出して車にぶつかるし。私っておっちょこちょいよね」

「どうしますか?」

「?」

「お通夜や告別式に参加する事はできますよ。ご家族の顔も見られます。
 今すぐ行かなくてもいいんです」

「やめてよ。そんなに悪趣味じゃないわ」

 アミは心の奥で考えていた。

『ママはまた叫ぶのかしら。でも、今度は、私は目覚めたりしない』

 涙がポロポロとアミのあごから落ちた。アミが袖でぐいと拭いた。
 涙はちゃんとほおを流れる。アミの体を通り抜けたりしない。

「未練は無いわ。たくさん見たし。たくさん感じた。
 でも次はもっともっと感じて、もっともっと生きるわ」

 そう言ってアミはボクの腕に自分の腕を絡めた。

「さあ、行きましょう。案内人さん。私を連れて行って」

 終わり

その他の短編はこちらから↓(短編の目次です。このコミュ内)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4788856&id=49777801

コメント(4)

レイラさんの新作一番のりでコメントさせていただきました!!(笑)

現代ファンタジーなのにまるで童話のような世界観のお話でした。
わずか一年半だけど、満足出来るだけの価値があったと願わずにはいられない、そんな印象を読了後に受けました。もしかしたら、案内人は死に近い人を引き付けてしまうのかもしれませんね。
>>[1]
 きゃ〜。ありがとう〜。こんなに早く反応が返ってくるとは思いませんでした。

 自分でもはっきりしないのですが、2年半前の母の死がこんな話を浮かばせたような気がします。
 書いて、母の死に句読点が打てたような(納得したとか、悲しみが癒えたとかという意味ではありません)そんな気がしました。

 ファンタジーにしましたけど、実は迷いました。わーい(嬉しい顔)
 コミュに上げる時は、おとぎ話がいいかも。
めんどくさくなった時
ここで読み返したい
みんなへの感謝と
生きてる事の大切さと
再確認しに来ようと思います
>>[3]
 ありがとう。もうそれしか言えません。ありがとう。

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