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小説置き場(レイラの巣)コミュの【刑事】雨の夜には窓ガラスの中で

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 小学5・6年生の頃にはすでに父母の間がギスギスとしている事に気づいていた。中学に入った春には、2階の自分の部屋から下に降りる時に足音を忍ばせる様になった。

 リビングで父と母がヒソヒソと言い争っていた。時折どちらかが大きな声を上げた。ほとんど聞こえないいさかいを茂樹は階段に座り聞いていた。単語が耳に入る。「男が・・・」「離婚・・・」「出て行け・・・」「愛してない」

 家族ってなんだろう。夫婦ってなんだろう。愛するってなんだろう。

 気配を押し殺し、夜の寒さに震えながら、茂樹の中でぐるぐると疑問が生まれ出た。そして「級友達はこんな疑問は持たないのだろう」自嘲気味にそう思った。

 かなり後になって、クラスの2割がひとり親だと知った。離婚であったり死別であったり。祖父母に育てられている者もいた。両親がそろっていても再婚もあった。その事を茂樹がもっと早く知っていたら違っていたのかもしれない。

 高校に入った頃に新しいPCに茂樹は書いた。
『父の足音が階段を登ってくる。ノートもパソコンも閉じて僕は待つ。
 ノックもせずに父は僕の部屋に入ってくる。背中から片腕を回して首をしめるようにして、酒臭い息を僕に吐きかける。
 火がついた煙草を、銜えたまま、両手で後ろから僕のシャツのボタンをはずす。
そして、煙草を手に取り、僕の背中に押し付ける。
 声を上げる事は許されない。
 父は両手で僕の首をゆっくりとしめながら言う。
「なあ、いい高校へ入れよ。いい会社に入れよ。女房にバカにされない様にな。
 俺の金を使っていい。ああ、俺の金をお前はずいぶん使ったよ。
 いい大学に行って、いい会社に入って、俺を養ってくれ」
 ぐずぐずと続く父の言葉を少ない酸素でぼうっとなった頭で僕は聞く。
 30分以上そんな時間が過ぎて、父は部屋を出て行く。
 父の愛がゆっくりと僕を殺していく』

 適当にアドレスをうつ。たまにサイトが開く。保存しておいた文章をコピペして書き込み、閉じる。何回も何回も。ネットの海の中に茂樹は悪意を放つ。小瓶に詰めた父親の愛を放つ。どこの海を流れどこに辿り着くのだろう。暗い海を流れていく小瓶を茂樹は思い描いた。

 ある晩、父と母の決定的な言葉を聞いた。
「茂樹はあんたの子じゃないわ。髪だって目だってあんたに似てないじゃないの!」
「ああ、知ってるさ。あの男だろ。だれが離婚なんかするものか!」

 父親が崩れ始めたのはいつだったろう。
 酒量が増えた。帰りが遅くなった。茂樹を見なくなった。
 母に隠れて茂樹の背中に煙草の火を押し付ける様になった。
 いつから自分の妻を殴るようになったのだろう。袖口からのぞいた母の腕に最初に茂樹がアザを見つけたのはいつだったろう。母が長袖しか着なくなったのはいつだろう。

 父じゃないと知って茂樹は納得した。あの男を愛せないのは当たり前だったのだ。

 階段を下りて行く父親の足音を聞きながら、茂樹は机の引き出しからタバコの箱を取り出した。火をつけ、肩に押し付けた。つい先ほど父親が左手で茂樹の右手を抑え、右手で茂樹の肩口にタバコを押し付けた。その周りに。
 実際に父親がつけた傷よりも傷跡は何倍かに増えた。酔っぱらっている父親は気づかなかった。例え気づいたとしても何も言わなかっただろう。

 学校では誰にも背中を見せなかった。母親は気づかなかった。

 ベランダに続くガラス戸は背が高かった。そのカーテンレールに父親のネクタイをかけ輪を作る。学習机とセットの椅子には車輪がついていて、茂樹がその上に立つとグラグラと揺れた。ネクタイの輪に首を入れ、椅子から飛び降りたら足はつかない。死ねる。

 茂樹は父親が階段を上がってくるのを待って準備し、ドアが開く瞬間に飛び降りた。
 首をかばって差し込んでいた指に思ったよりも強い力がかかり、血が逆流した。
 一瞬の間と叫び声。カーテンレールが壊れる大きな音。耳に響く茂樹自身の心臓の鼓動。
 茂樹の両足を誰かがつかみ持ち上げた。そこまでで気を失った。

 医師が茂樹の背中に傷跡をみつけた。長い間の事だろう。濃く、薄く、幾重にも重なっていた。それを見て看護師が息を飲み、目をそむける程だった。
 警察はネットの海に流した茂樹の悪意をみつけた。茂樹のSOSだと警察は思った。誰もが同じ事を思った。
 茂樹の背中の傷を知らされ母親は泣いた。警察に自分へのDVも打ち明けた。
 茂樹は何も言わなかった。茂樹からの調書は取れなかった。しかし、背中の傷跡だけで充分だった。
 救急車を呼んだのは父親だ。だがDVは事実だ。妻の身体にもいくつものアザがあった。長期間にわたっての妻と子への傷害。悪質とみなされた。
 父親が裁判の始まる前に病死したのは神が哀れんだのかもしれない。
 茂樹が18歳。高校を卒業する直前だった。

 一年待って母親は再婚をした。紹介されて『これが僕の実の父親か』と茂樹は思った。親近感は湧かなかった。命がけで守ったはずの母親にも愛情は感じなかった。男の隣で幸せそうに笑う母に、自分はもう何もしなくて良いのだという自由を感じた。つまり子供という立場からの義務。その義務からの解放。
 大学2年になる春に家を出た。大学近くにアパートを借りた。家族ごっこはまっぴらだった。

 二十歳になってしばらくして二人の刑事が茂樹に会いに来た。少年課だと言う。
ひやりとした頭で茂樹は考えた。
『僕のした事は犯罪だろうか。僕は何をしたのだろう』
 そして安心した。
『僕は何もしていない。僕のした事は犯罪じゃない』
『僕は僕の命を守った。僕の人生を守った』

 年上の刑事がジロジロと嫌な目つきで茂樹を見た。
「あんたのおやじさんはさぁ。父親だったよ」と言った。
 茂樹には意味が分からなかった。
 年下のほうが「なんでわざわざ・・・」と言いかけて、年上のほうが遮る様に言った。
「あんたとはもっと前に会いたかったよ。あんたが未成年のうちにな」
 そして帰っていった。若いほうが年上の方に「なんでDNA鑑定なんかしたんですか?」と話しかけたのが茂樹の耳に届いた。年上の方が「趣味〜」と笑いながら答えた。

 10年たって茂樹にもその意味が分かった。趣味。
 茂樹に会う必要も知らせる必要も無かった。ただの趣味。

 子供の頃の茂樹が感じた疑問。
 家族ってなんだろう。夫婦ってなんだろう。愛するってなんだろう。
 子供の頃ですら感じとっていた父親の自分への愛。茂樹も抱いた憎しみと言う名の愛。
 躊躇なく椅子から飛んだ。きっと父親は僕を助ける。心のどこかでそれを信じていた。
 DNAの鑑定は不要だった。

 夜の窓ガラスに茂樹の顔が映っている。
 雨の夜にはガラスの表を流れる雨が茂樹の影を揺らす。涙の様に影を横切っていく。
 その影は茂樹の父親に似ている。裁判を待って、獄中で死んだ父親に。
 茂樹の髪も目も年を経るごとに変わった。
 茂樹の顔は茂樹が激しく求め、激しく憎んだ男の顔になった。
 心の中でリフレーンする。
『あんたのおやじさんはさぁ。父親だったよ』
 雨の夜には窓ガラスを見つめずにはいられない。雨の夜には窓ガラス中でふたつの影が泣いている。

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