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小説置き場(レイラの巣)コミュの【サスペンス】子供の時間-Cサイド-父

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こちらは「子供の時間」の別バージョンとなります。
本編の「子供の時間」(全2回)はこちらです。↓

当コミュ内です。
(1) http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=73888953&comm_id=4788856
(2) http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=73890161&comm_id=4788856

Bサイドは別コミュ(アナタが作る物語)でヨシさんが書いてくださいました。
 ↓
 子供の時間-Bサイド-ウサ子
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3656165&id=77497279


この作品だけでもわかるように書いたつもりですが、お時間があったら、本編およびBサイドにもお目を通していただけたらと思います。
 初出 2015/2/11 約9000文字

                               えんぴつ

 いつもより早く家に帰り、夕食ができるのを待って新聞を読んでいた。
 確かTVもついていたが聞いてはいなかった。消す気も無かった。
 妻の麻梨子がキッチンで聞いているんだろうと考えていた。いや考えてはいなかった。
 ただ僕は新聞を読んでいた。

 いきなり、その新聞をひったくられて破かれ、僕の顔に投げつけられた。
 いつの間にか麻梨子がキッチンから出てきていた。
『なにが起こったんだろう』床に落ちた新聞を拾いながら、麻梨子の後姿を目で追った。
 新聞をテーブルに広げ、たたみ直しながらやっと怒りが沸いてきた。

 いつも不機嫌そうな妻。疲れている僕につまらない話を、永遠に続くかのように語りかける妻。
 僕は目を閉じてこの家で暮らしている。沸いた怒りを押し殺した。
 慣れている。この怒りを閉じる方法も。この孤独も。

 麻梨子の足音が二階に上がり、戻ってきた。小さな足音が続いている。
 一人息子の武だろう。10歳。まだ、なのか。もう、なのか。
 武が生まれて、いつの間にか10年たっている。

 母親の苛立ちのとばっちりを受けてかわいそうにと思う。
 だが僕に何ができるだろう。僕が口を出したら、何倍にもなって返ってくる。

 また新聞に目を落とした。
 経済新聞、それに主要3紙。目を通すのは仕事の一環だ。ネットでは細かなものまでは拾えない。

 風呂場のドアを開ける音は後から思い出した。水音の後に小さな叫び声が聞こえ僕は現実に引き戻された。
 武の声だ。何が起こっているのだろう。

 胸騒ぎで立ち上がる。バシャバシャと激しい水音がする。武の咳き込む声。
 風呂場のドアを開けると麻梨子が壁に向かってしゃがみこみ壁には血が飛び散っていた。
 麻梨子は右手にカミソリを握り、左の手首からは血が溢れている。
 床の水に血はにじみ広がって見えるがたいした傷ではなさそうだ。
 思わず舌打ちをしてしまった。彼女は何をやらせても中途半端だ。

 武が服を着たままずぶぬれになって座り込み咳きをしている。

 麻梨子の肩をつかみこちらを向かせ、そのほほを打った。
 平手で打った右の手のひらがしびれている。自分のした事とは思えない。
 なぜ僕はこんな事をしなくてはならないのだろう。

 ずぶぬれの武を抱きかかえ、2階の子供部屋に連れて行った。
 バスタオルを投げるように渡す。

「ママを見てくる」

 そう言って部屋を出る。返事が無いので振り返ると、武は横を向き濡れた服を脱ぎ始めていた。
 いつもそうだ。息子は僕と目を合わせない。
 あの子は大丈夫だ。自分に言い聞かせる。大丈夫だ。

 麻梨子はまだバスルームの壁に寄りかかるようにしてしゃがみこんでいた。右手にはかみそりを握ったままだ。泣きもせず、ただうつむいている。

 麻梨子の肩を両手でつかみ揺さぶった。

「武をどうするつもりだったんだ。自分が何をしているのかわかっているのか」

 麻梨子はぼんやりと「あなたに何がわかるの」とつぶやく。
 その言葉の中に怒りは見えなかった。なんの感情も無かった。
 僕の彼女への怒りは空中で霧散した。

 風呂場の入り口で、動かない麻梨子を見下ろしながら、部下に連絡を取った。

 明日の出社は遅れるだろう。てきとうな理由をでっちあげた。
 大きな会議が無い事は幸いだった。会う約束の相手には代わりの人間を指示した。
 1件だけはどうしても僕でなくてはならなかった。これは先方に合わせて予定を変更しなくてはならないだろう。
 仕事がずれ込む。なによりも予定が狂う。その事が腹立たしい。

 部下への電話が終わり救急車を呼んでいたら武が2階から下りてきた。
 バスルームの前でママを見ているように言って、携帯を切った。
 麻梨子は僕が救急車を呼ぶのが聞こえているはずなのに、動かなかった。
 怒鳴るように場所を聞き、保険証を用意した。

 救急車の中でこれからの事を考えた。
 影響が出る仕事は多くない。多分2・3日で埋め合わせられるだろう。
 忙しい時期じゃなくて良かった。

 武も呆けたように僕の隣に座っている。母親に殺されかけたんだ。しかたがない。
 でも父親の僕に頼ろうとはしない。軽い苛立ちを覚えた。
 いつも、いつも、いつも。どこか冷めたように僕を見ている。
 子供らしくない。だが、子供らしいとはどういう子供をいうのだろう。

 僕も子供ではいられなかった。
 母親に早く死なれ、祖父母に預けられた。父は時々会いに来た。
 祖父母はかわいがってはくれた。だが、邪魔者に変わりはない。僕は孤独だった。

 武には両親が居て家庭がある。もっと子供らしくいられるはずだ。
 なぜだろう。麻梨子に似たのだろうか。彼女も神経質で笑わない。
 あれこれ僕のぐちを妻は武に話しているのだろう。
 それが僕と武の間に溝を作っているのかもしれない。

 彼女がパートに出る事も許した。家事が行き届かない事にも目をつぶった。
 それでも麻梨子はいつも不満そうにしている。
 もう限界なのかもしれない。彼女は僕の息子の母親にふさわしくない。

 武を抱き寄せた。だが抱き返しては来なかった。



 あっという間の一週間だった。
 仕事をしながら小学生を育てるのはやはり無理がある。
 武と一緒に裕子のマンションに移った。

 慌てて作った簡単な荷物をほどき、武の部屋を作り。
 遅れがちの仕事のつじつまを合わせ。
 ゆっくりと裕子と話ができたのはそれからまた1週間たっていた。

 妻が心療内科に転院した事を話し、妻の両親に離婚届を渡した事も話した。
 喜んでくれると思ったのだが裕子はほとんど無表情で聞いていた。

「良かっただろう? きみの望むようになった」

 裕子は不機嫌そうな顔をして横を向く。

「きみは以前、結婚をしたいと言っていたじゃないか」

「妻子を見捨てられない。家庭を捨てられない。その時にあなたは言ったわ」

 横を向いたまま裕子が答える。確かにそう言った。

「他にも言ったわ。

『もっと早くきみと会いたかった。運命は僕らに背を向けているんだ。
 生まれ変わったら必ずきみをみつける。その時には幸せになろう』

 美しい言葉だった。私は幸せだった」

 裕子は遠くを見る目をして、歌うように話した。

「状況が変わったんだ。あの時とは違う。僕らをさえぎる物は無い。
 僕らは結婚できる。
 間違っていた。間違った結婚だった。僕はきみとやり直したい」

 説得するのはたやすいはずだ。
 どんなふうに裕子に言えばいいのか僕は知っている。
 裕子はしあわせになりたがっている。そして裕子ならきっと良い母親になる。

「私が母親に?」

 武の話をしたら、裕子は驚いた顔をして、それから目だけで笑った。

 裕子の料理はお世辞にもうまいとは言えなかった。
 しかし結婚をしたら仕事を辞め家事に専念できる。
 麻梨子は短大出だが、裕子は4年制の大学を出ている。英会話もできる。
 武にとってきっと有意義な母親になれる。

 夕食後、裕子に書かせた参観日の書類の字を見て、武が妻に届いていた小包の話をした。毎日届いていたという。その小包の伝票に書かれていた字に裕子の字が似ているらしい。

 裕子は知らないと言った。
 しかし、毎日。
 なぜ。
 何を。

 翌日の朝食の後、頭が痛いと言って武が学校を休んだ。元々神経質な子だ。体がついていかないのだろう。家庭が落ち着けばきっと元気になるだろう。
 離婚を急ぎたい。

 会社の帰りに自宅に寄った。
 武が言っていた菓子箱は簡単にみつかった。
 麻梨子が日ごろ使っている机の上に置いてあった。
 何冊かの本が隠すように乗せられていた。

 箱の中にはきちんと束ねられた宅配の伝票があった。
 確かに毎日、月曜から金曜までそろっている。一番古い伝票の日付は半年以上前だった。受取人の名前も差出人の名前も妻、品名は生もの。字は裕子の字に似ていた。

 今日は遅いと裕子が言っていたので弁当を買って帰り、武に食べさせた。
 届いていた小包の中身を知っているか武に聞いた。
 弁当を食べながら「ゴミ」と気軽そうに武は答えた。
 台所から出るような生ゴミだったと言う。

 なぜ裕子はそんな事をしていたのか。
 なぜ麻梨子はその事を僕に話さなかったのか。
 女同士の確執のようなものを感じそれ以上は関わらないようにと心にフタをした。
 僕に何ができる。彼女達がそれぞれ自分で解決する事だ。僕が口を出す事じゃない。それぞれの気持ちがすめばそれで終わる。

 翌日の朝食の後、武は吐いた。
 裕子に仕事を休むように言ったが「私は母親じゃない」と断られた。彼女は武の母親になる気はないのかもしれない。

 しかしキッチンに武の昼用のカレーが作って置いてあった。その事に母親に似た気遣いを感じた。
 きちんと籍を入れて仕事を辞めれば、彼女の心も変わるかもしれない。

 しかし、そうじゃなかったら。
 心身ともに虚弱な息子を抱えては思うように仕事はできない。

 妻が入院してからの1週間で思った。男手ひとつで武を育てるのは無理だ。武をどうしたらいいだろう。

 麻梨子との離婚話も進まない。
 娘が落ち着くまで離婚の話をするのは待って欲しいと彼女の両親は言う。伝えてもいないようだ。あれだけの失態をしでかした娘を、それでも親というものはかばうのだろうか。

 武の事を考えたら急ぐほうがいい事はわかりきっている。
 正式に離婚をして、裕子と籍を入れて。早くしたい。

 直接僕が病院に行って麻梨子に話すしかないのだろうか。
 また僕の時間が削られてしまう。

 武を残し出社したが、仕事に集中できない。
 このまま続くようなら医者に診せる事も考えないといけないだろう。
 僕にのしかかって来る雑用が多過ぎる。
 家庭の事は妻が、あるいは裕子がやって欲しい。
 仕事に専念したい。

 武が救急車で運ばれたと僕の携帯に連絡が入った。架けてきたのは救急隊員で、運ばれた先の病院の名前と電話番号を伝えてきた。
 詳しい事はわからない。病院に聞けという事らしい。

 裕子に連絡を入れたが断られた。仕事を離れられないと言う。それはこちらも同じだ。女の彼女のほうが休みを取りやすいと思うのだが。

 やむをえない。麻梨子の両親に連絡をした。
 結局は彼らの娘のした不始末の結果だ。彼女の両親にはその責任を取る義務がある。武はまだ子供だ。誰かが彼を守ってやらなければならない。

 明日には僕も病院に行かなくてはならないだろう。
 わずらわしい事が多過ぎる。かすかに妻が居た時の事を懐かしく思い出した。全部、麻梨子にまかせれば良かった。


 深夜になって、ようやく裕子のマンションに戻れた。
 珍しく裕子が玄関まで迎えに出た。麻梨子の両親が応接間に居る、そう言って裕子は自分の部屋に入った。
 今住んでいる場所を伝えた記憶は無かったのだが、誰に聞いたのだろう。

 義父が固い表情で話した。
 武の吐いた物や血液から薬物がみつかったと言う。
 詳しい検査も薬物の種類もこれからだが。
 医師は警察に通報すると言ったそうだ。

 警察という単語に現実感が沸かない。感覚がついていかない。
 僕は一人で麻梨子の両親を玄関まで送った。
 裕子は部屋から出て来なかった。



 数日した早朝に刑事が来て裕子を連れて行った。逮捕はまだだが、最有力容疑者だという。

 刑事が二人残り、僕もあれこれと聞かれた。
 僕から話す事はほとんど無い。
 妻の自殺未遂も入院も刑事たちはすでに知っていた。
 僕はただ「その通りです」と繰り返した。

 武の体の中から見つかった薬物はさまざまだった。
 洗剤、殺虫剤、漂白剤、殺鼠剤。
 そんなにも、と驚いた。

 その夜、長い長い夜を、僕はすごした。
 だが、解決策がみつからない。僕はどう立ち向かったら良いのだろう。
 明日なんか来なければいい。

 深い記憶の底に同じ感覚があった。
 祖父母の家での長い夜。会いに来た父親の帰った日の夜。
 何度も子供の僕は布団の中で、闇夜の海を漂流していた。
 同じだ。

 裕子は昔、不倫相手に同じ事をしていたらしい。
 知らなかった。刑事もその事は話さなかった。
 彼女の両親がもみ消したが、今回の事で明るみに出た。週刊誌が面白おかしく書き立てている。今はまだ「U子さん」だが正式に逮捕されれば実名が出る。

 いや、U子さんでも知る人にはわかってしまう。

 会社からしばらく有給を取るようにと言われ、補佐だった一人が僕の後釜についた。
 いずれは辞表を出さざるを得ないだろう。
「今はまだいい」と上司は「今」を強調して言い、「いずれは出せよ」とあからさまに匂わせた。

 警察が家宅捜査をして何箱も段ボール箱に入れて持ち去った。
 翌日、僕は裕子の部屋を出て自宅に戻った。

 僕が失う物はなんだろう。家庭、家族、仕事、愛。多分何もかもだ。



 収監された裕子は輝きを失っていた。
 ほとんど素顔で、髪は束ねられている。疲れた顔をして目をふせている。

「僕はきみにとって迷惑な存在でしかなかった。
 本当にすまなかった。長い間、きみを苦しめていた。
 力になれない僕を許して欲しい」

 裕子は何も言わず目を上げ、僕を見た。

「僕らは会わなければ良かったんだ。
 そうすればきみは苦しまずに済んだ。
 今はそれが辛い。
 きみだけは幸せになって欲しい。心からそう願っている。
 僕の事は忘れたほうがいい」

「それ、別れたいって事?」

「そんな言いかたはしないでくれ。
 きみは…きみが傷ついてしまう
 僕はいい。これは僕への罰だ」

「どんな言い方をしたって同じよ」

 弁護士から言われて来たが後悔した。

「あなたに聞きたい事があるの。だから来てもらったのよ。

 カレーにいろいろ入れたのはあなた?
 あなただったら私は罪をかぶってもいいわ」

 一瞬、意味がわからなかった。

「どうせ、以前にも同じ事をしてるんだもの
 週刊誌、読んだんでしょ?

 彼の奥さんがやったんだと思うわ。本当はね。
 私はやってない。
 でも、彼に罪を認めてくれって言われたのよ。」

 彼女の弁護士に僕は言われた。
 罪を認めたほうが刑は軽くなる。

「それから、家庭に戻るって言われた。妻を支えたいって。
 そう言われて。
 もう、どうでもよくなって私がしたって言ったの。

 だから、いいの。
 あなたがやった事なら私がしたって言うわ」

 裕子は否認していると弁護士が言っていた。
 詳しい供述はほとんどしていないそうだ。弁護士にも話さないらしい。
 裁判で戦いようが無いと弁護士は言っていた。

「そうじゃないなら、否認を続けるわ。
 あの子をかばう理由なんて無いもの」

 まさか。
 僕じゃないなら武が自分でと言いたいのか。
 洗剤、殺虫剤、漂白剤、殺鼠剤。
 裕子は本気で子供の武を裁判に巻き込む気なのだろうか。

 僕がやったと言いそうになった。そして罪をかぶってくれと。
 そうしたら裕子は認めるのだろうか。そして武は。
 しかし、言葉が出なかった。
 僕がそう言ったからといって、裕子が本当に罪を認めるという確証は無い。

「それほどきみが苦しんでいたなんて、僕は知らなかった。
 きみをそんなふうにしたのは僕だ。許してくれ。
 僕らは会うべきじゃなかったね。
 僕の事は忘れたほうがいい。忘れて幸せになるんだ」

 それ以外、何を言えるだろう。
 長い沈黙の後、裕子は答えた。

「本当に。
 いつだってあなたの言葉は美しいのね」



 否認を続けたまま裕子は起訴された。
 起訴されて数日後、また裕子の弁護士から会いたいと言われた。
 自宅で会った。

 そして裕子が僕の子を堕胎していた事を教えられた。
 麻梨子宛に生ゴミを送り始めた頃だという。
 知らなかった。

「でも、大谷裕子さんはあなたに相談したと言っていますよ。
 病院につきそって欲しいと頼んで断られたと」

「いや、そんな話は…」

 子供を産みたいという話は聞いた事がある。ずい分前だ。しかし結婚したいという話の延長だったはずだ。
 病院につきそって欲しいと言われた記憶もある。が堕胎の話なんか出なかった。
 ただの体調不良だと思っていた。だから断った。
 僕は正直に話したが、弁護士は表情を変えなかった。何を考えているか読めなかった。

「奥様は、麻梨子さんの事ですが、家庭菜園をされていませんでしたか?」

「ええ、小さな庭で、ですが」

「化学肥料を使いたくないといってコンポストで堆肥を作っていたそうですね」

「ええ。それがなにか」

「家族三人だけじゃ生ゴミが足りないって、奥様が言っておられたそうですね。
 その事を大谷さんに話した覚えはないですか。
 それで送り始めたと大谷さんは言っています」

 そんなバカバカしい! 思いが顔に出たのだろう。

「奥様の携帯から大谷さんの携帯に何度かお礼の電話が入っているそうです。
 通信記録を開示請求しましたが、確かに何度かお二人の間に通話の記録があります」

 麻梨子と裕子が?
 いやそれより、どうして二人が互いの携帯番号を知っていたのだろう。

 裁判の証人を、と言われたが断った。僕に何が言えるだろう。

 弁護士は「おそらく、警察からも要請は出ると思いますよ」とさらりと言う。

「妻とは離婚の話が進んでいるんです。
 おそらくこの家も手放す事になる。仕事も退職する。
 僕に裁判に出るような余裕は無いんですよ」

「警察からの要請を断るのは難しいでしょう。
 裁判所からの出頭命令も出ると思います。
 あなたは重要な関係者ですから」

 僕は、僕はそんな大層な人間じゃない。

 大谷裕子さんを内縁の妻あるいは婚約者として裁判をすすめて良いか、とも聞かれた。
 断った。そんな関係ではまだなかった。まだ、麻梨子と離婚さえしていない。



 ハローワークに行き、失業手当の手続きをしてから、武の病院に行った。
 義母には来るなと言われている。
 病室のそばまで行って、その先には進めなかった。
 廊下のイスに座ってただぼんやりとしていた。
 武が病室から出てきた。黙って僕の隣に座った。

「すまなかった」僕はそれしか言えなかった。

 僕は息子を守れなかった。
 武は答えなかった。最後まで僕のほうを見なかった。

 病院を出ようとしたら武と同じくらいの女の子が入ってくるところだった。
 見覚えがあった。
 武のクラスメートで救急車を呼んでくれた子だ。

 声をかけ、礼を言った。別れしなに言葉をかけた。

「きみのパパとママは仲がいいかな?
 仲良しなんだろうな」

 女の子が振り返った。

「おじ様。うちのママは大丈夫よ」

 そう言って絵に描いたような笑顔をみせた。

「あの人が愛しているのは専業主婦の鑑のような自分だから」

 顔は子供なのに、裕子の笑顔に似ていた。

「あのね。
 おじ様の浮気相手があのマンションに住んでいるって、武くんのママに教えたのはうちのママよ。
 ママと一緒にPTAの役員をした人があの近くに住んでいるの。
 でね。おじ様の車が何度もあのマンションの駐車場に停まっているってうちのママに教えたの。
 隠す気なら、そういう事には気をつけなきゃ」

 僕が言葉を失っている間に、身軽に向きを変え、病院の奥に向かっていった。



 麻梨子との離婚が正式に決まった。
 ほとんど弁護士とのやりとりだけで麻梨子にも武にも会えないまま終わった。

 我が家の貯金と退職金の半分は麻梨子のものだという。
 自宅を売り、ローンの残りを払い、差し引きした残金も半分は彼女のものになった。

 僕にも半分残された。残されるはずだった。しかし慰謝料を払ったらほとんどが消えた。

 僕には武に会う権利も与えられなかった。
 なぜこんな目に会わなければならないのだろう。
 麻梨子が武を殺しかけた事も自殺未遂も、全てが僕の責任にされた。
 大人の麻梨子がした事が、なぜ僕の責任になるのだろう。

 麻梨子の両親の持ち家に二人は住む。僕から受け取った金がこれからの生活を支える事だろう。僕だけが何もかも失った。何もかも奪われた。


 自宅だった家から数駅離れた場所に4畳半のアパートを借りた。
 そこから派遣の仕事に出て、自分よりも若い上司に細かく指示を受ける。
 休みは増えた。週に3日は休みだ。休みの日には洗濯をして掃除をして。

 何もする事の無い時には電車に乗り、麻梨子の実家近くの公園まで足を伸ばす。ベンチで子供たちが遊ぶ姿を見ていると武の姿が浮かぶ。武が来ないかなとぼんやり考える。もう退院をしたのだろうか。

 公園で遊ぶ子供たちは大声を出して笑う。
 武が同じように幸せならそれでいいと思う。

 胸の中で繰り返す。
 孤独には慣れている。
 なぜだろう。僕は誰にも愛された事が無い。
 僕は無力だ。僕はいつだって何もできない。
 慣れている。

 家庭を持ちたいと思っていた。
 愛したいと思っていた。
 僕の胸の中で、今でも子供の僕が泣いている。

 終わり

その他の一話完結のシリーズはこちらから
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