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小説・評論:孤城忍太郎の世界コミュの二十四、本が屆いた 「少女漫畫考(せうぢよまんぐわかう)」『攝取本』より

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 この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)の

『YAMAHA QY100 Motion1(竪琴・harp)曲 高秋 美樹彦』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
 映像は奈良懸にある、

 『石舞臺』

 へ出かけた時のものです。

 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。






     二十四、本が屆いた 「少女漫畫考(せうぢよまんぐわかう)」『攝取本』より

 二〇一三年の十二月から長女が店に復活して、それまで妻と二人で二〇一二年の九月十五日から前の店の「かしこ」と新店舗の「味幸」とを二人で切盛りしてゐた。
 それがその年の暮も押迫つた十二月の半ばで、うつかり私が中指の先を切斷してまひ、そのまま「かしこ」は閉店の憂目となつた。
 さうして、傷を癒しながら「味幸」で晝(ひる)の十一時から朝の五時までを交代で營業してゐた。


 しかし、妻と私の二人だけだといくら交代しながらといつても、肉體的には可成(かなり)嚴しいものであつたが、長女が來てからは午前十一時までの買物と、それから夕方の五時までが彼女の持ち時間で、五時過ぎから夜中の十一前後までが妻のみゆきちやんの営業時間であり、その間を縫ふやうに仕入をしたりといふ補佐をしながら夕食を濟ませると、店の二階で私が假眠をとりながら夜中から朝五時までの營業に備へる。


 この順番(ロオテエシヨン)が守られるやうになつてから、それぞれの肉體的な疲勞は解消された。
 それは風邪で魘(うなさ)されてゐた時も留守番だけはしてゐて、客が増えたらみゆきちやんにご登場願つてその場をやりくりしてゐた。
 その風邪もすつかり直つた三月十五日の晝(ひる)、みゆきちやんが二階へ珈琲と麺麭(パン)を持つてきてくれた。
 藥を飲まなければならないからの事であつたが、その時に店に本が屆いてゐるとの傳言があつた。


 私はすぐに店に降りて行かずに、夕食時まで二階で書き物をしてゐた。
 さうして屆いた本の送り主は、恐らく原稿執筆でミクシイを休養してゐたマイミクの「らいら」さんに違ひないと見當(けんたう)をつけてゐた。
 案の定、夕食になつて階下の店に行くと「A4判」の分厚い封筒があつて、中から一册の本が出て來た。

 『阿修羅の夢』

 といふ題名(タイトル)で、作者の「らいら」女史によれば『Mutannt Genaration(GMシリーズ)』といふ事で、これまでに五册が送られて來てゐて、これが六作目といふ事になる。


 この作品の感想を書かねばと思ひつつ全體像が攫(つか)めずにゐて、どうしたものかと考へあぐねてゐた。
 らいらさんは感想がなくても氣にならないのでと優しく仰つてをられますから、暫くそれに甘える事に致しますが、それならばと、筆者の漫畫體驗などを少し述べてお茶を濁さうかと思ひます。


 それも、どうせなら少女漫畫といふ部門(ヂヤンル)について述べて見ようと思ふ。
 とは言つても、筆者の漫畫體驗は一九五六(昭和三十一)年の「赤胴鈴之助(武内つなよし)」から始まつてゐて、それも週刊誌などはまだなく月刊誌が主流だつたが、それを買つてもらへる餘裕などはとてもではないが望むべくもなかつた。
 小學校の仲間で廻し讀みをするのが精一杯であつたが、當時(たうじ)は月刊誌の附録で薄いが本篇の續きとして小册子があつて、それも人氣のあるものが綴込みとしてあつた。


 けれども筆者が同じ組の仲間に借りたのは、ハアドカバアの單行本として發賣されたものを借りたのであつて、月刊誌やその附録ではなかつたと記憶してゐる。
 しかも、その本を借りたのに失くしてしまつて、逃げ廻つてゐた事が苦い思ひ出となつてゐる。
 最後はその彼に謝まつて、廢品業者の處で同じものを手に入れてやつとの思ひで返した。
 爾來、筆者は餘程の事がない限り人樣からものを借りるのは控へるやうになつた。


 話は横道に逸れてしまつた。
 といふのも、正直に言へば筆者は少女漫畫が苦手であつたからで、一九五八(昭和三十三)年に愛知懸から大坂へ引越しして來て、曽根崎の小學校へ一年程通つてから、翌年に豐中の庄内に落著いた。
 その時代背景から考へると、前年の一九五七年の愛知懸豊明郡の「前後」の頃に、近所の學校仲間から漫畫雜誌(主に少年畫報)の廻し讀みをしてゐた中には、

 「赤胴鈴之助(武内つなよし)・ビリーパック(矢島利一)・さるとび佐助(福田三郎)・金星金太(平川やすし) ・まぼろし探偵(桑田次郎) ・天馬天平(堀江卓)」

 それと『少年(光文社)』の、

 「鉄腕アトム(手塚治虫)・鉄人28号(横山光輝)・矢車剣之助(堀江卓)」

 少し時代が下がつて、

 「サスケ(白土三平)・ストップ!にいちゃん(関谷ひさし)・シルバークロス(藤子不二雄)」

 があつた。


 さうかと思へば『ぼくら(講談社)』には、

 「少年ジェット(武内つなよし) ・七色仮面(川内康範作/一峰大二画)・ナショナルキッド(貴瀬川実作/一峰大二画)」

 が人氣を呼び、『冒険王(秋田書店)』が、

 「沙漠の魔王(福島鉄次)・白虎仮面(岡友彦)・イガグリくん(福井英一)・木刀くん(高野よしてる)」

 と各誌が少年たちに夢を與(あた)へてゐたり、また、別に繪物語といふ部門もあつて、

 「黄金バット(永松健夫)・少年ケニヤ(山川惣治)」

 などの作品と共に、漫畫の黎明期の中でどつぷりと漬かつてゐた。


 さて、少女漫畫についてであるが、先にも述べたやうに筆者はその部門が得意ではない。
 第一、全身を四段ぶち拔きでモデルのやうな姿勢(ポオズ)で、しかも目が顏の三分の一もあらうかといふ飛んでもない繪が、話の筋(ストオリイ)にも無關係で、まるで映畫(えいぐわ)の觀客動員の爲に友情出演者を次々と出現させるやうなものに似た唐突さを感じてしまふ、とさう言つた意味で苦手意識が生じてしまふのである。


 尤も、といふぐらゐだから全く見た事がない譯ではないのを白状したやうなものであるが、何が受容れ難いかといふとやはり話が面白くなかつたからで、例へばお涙頂戴の話が多かつたといふか、筆者が偶々(たまたま)見た少女漫畫がさうだつたから、今から考へればそれが次から手に取るのを躊躇(ためら)つたといふのが眞相かも知れない。
 凡(およ)、感動巨編のお涙頂戴の作品などはお茶の子さいさいで書けるぐらゐの力量がなければ作家たる者の資格はなく、またそれを臆面もなく發表するやうではこれまた作家としての矜恃を感じられはしない。


 さう考へてゐるので、子供や動物を配してそれを賣りものにした映畫を好きになれないし、それは小説は勿論の事、漫畫でも同じ事であり、それは少女漫畫や少年漫畫の區別を問ふものではない。
それでも、

 「サザエさん(長谷川町子)・あんみつ姫(倉金章介)」

 なんかは深く考へずに見てゐたのだが、それも漫畫といふ親しみ易さのゆゑではないかと思つたりしてゐる。


 ここで漸く少女漫畫に逢著したのだが、ざつと調べた事を述べれば、一九五一年に創刊して一九六三年に休刊された『少女ブック(集英社)』に、

 「ボクちゃん(上田としこ)・小鳩よなぜなくの(木村光久)・しあわせの鐘(わたなべまさこ)」

 といふ少女向けのB5判の月刊誌があり、一九五五年にその妹雜誌として『りぼん』が、

 「ルミちゃん教室(つのだじろう)・もも子探偵長(鈴木光明)・おてんば天使(横山光輝)・マキの口笛(牧美也子)・ひみつのアッコちゃん(赤塚不二夫)・魔法使いサニー(横山光輝)・アラベスク(山岸凉子)・砂の城第(一条ゆかり)・ときめきトゥナイト(池野恋)・ちびまる子ちゃん(さくらももこ)」

 といふ作品で對象年齡の幼い總合月刊誌として創刊された。


 一九六三年に休刊となつた『少女ブック』の替はりに週刊誌の『マーガレット(集英社)』には、

 「リボンの騎士(手塚治虫)・赤い爪あと(菊川近子)・アタックNo.1(浦野千賀子)・ベルサイユのばら(池田理代子)・エースをねらえ!(山本鈴美香) ・コメットさん(横山光輝)・さるとびエッちゃん(石森章太郎)・花より男子(神尾葉子)・サインはV (神保史郎原作:望月あきら)・はいからさんが通る(大和和紀)・生徒諸君!(庄司陽子)・ねこ目の少女、へび少女(楳図かずお)・アリエスの乙女たち、ナナとリリ(里中満智子)・ママのバイオリン、ユカをよぶ海(ちばてつや)」

 といふ作品で新創刊された。


 一九六八年に月刊誌として創刊された『少女コミック(小学館)』は、

 「陽あたり良好!(あだち充)・ジョージィ!(いがらしゆみこ)・ライジング!(藤田和子)・イズァローン伝説(竹宮惠子)・闇のパープル・アイ(篠原千絵)。ふしぎ遊戯、妖しのセレス(渡瀬悠宇)」

 などがあり、これらの漫畫といふ樣式(ヂヤンル)は教育的には大人から輕んじられてゐたものの、長い時間をかけてその有用性を讀者に理解させながら發展して、今では世界に誇る日本の文化(カルチヤア)として世界に向けて發信されてゐる。


 しかし、依然として筆者は少女漫畫を敬遠してしまふが、一九八一(昭和五十六)年に吹田の亥子谷でお好み燒&喫茶『だん』を始めた時から、店に文庫本の漫畫を一萬册近くも裝備して、漫畫の置いてある店としてそこそこ知られるやうになり、そこで十年程經營してから庄内にお好み燒&喫茶『かしこ』として移轉する事になる。
 その庄内で二十年を越える店舗を開店してゐて、都合三十年以上も漫畫に圍まれた中でお好み燒を提供してゐたのである。
 その店の漫畫本は、『だん』から一緒に移動して來たものもあるが、更に新作も追加されたのでそれを目當てにしたお客様で賑はひを見せて、漫畫は集客の強力な助つ人となつたのである。


 であるから、漫畫に對してはそれなりに意見もあるのだが、少女漫畫に對してだけは少年漫畫との對比として論じる可きものかどうかといふ疑問もあり、さういふ見方でなく少年少女といふ分類によらない鑑賞をしてしまふのである。
 有體にいへば、面白いか、面白くないかといふ事であるが、ではそれは何によつてそれを判斷するのかといふ事になり、これまた一筋縄では決著のつく問題とも思はれない。
 議論噴出する事に疑ひをいれないだらう。


 そこで筆者の好みの少女漫畫家を述べる事でお許しを乞へば、和田慎二(1950-2011)を第一に擧げたい。

 「超少女明日香・忍者飛翔・怪盗アマリリス・ピグマリオ・スケバン刑事・少女鮫・」

 これらの代表作があるが、何と言つても繪がすつきりとして見易いのが筆者の好みである。
 また、彼の作品には一度出演した登場人物(キヤラクタア)が他の作品にも登場するといふ、所謂(いはゆる)カメオ出演が度々あるのも特徴であらうか。
 特に『スケバン刑事』の神恭一郎や、海堂美尾、信楽老などが有名である。


 もう一人は聖悠紀(ひじりゆき)といふ作家で、彼を少女漫畫家の部類にいれて良いかどうかは迷つたが、筆者がさう感じてゐるといふ事でお許しを願へば、

 「超人ロック」

 なんといつてこれに盡きるだらうが、

 「アナベル・黄金の戦士・スカイホークダンディ・フレミング家の悲劇・ペアペアライサンダー・ミルザンヌの嵐」

 なども掲げられる。


 この聖悠紀と繪柄が似てゐると筆者が思つてゐる作家に、柴田昌弘(しばたまさひろ)といふ人がゐて、

 「白薔薇の散る海・紅い牙 ブルーソネット・狼少女ラン・当麻宗三郎シリーズ・サイキック・トラベラー」

 などを讀んでゐたが、これ以外に女性作家のものでは篠原千絵の作品で、

 「闇のパープル・アイ」

 や竹宮惠子の、

 「ファラオの墓・風と木の詩・地球へ…」

 などの繪が氣に入つてゐた。


 また少女漫畫の特徴としては、意外な事に少年誌に比べて恐怖(ホラア)ものの作品が多いやうに感じてゐた。
 その代表としては古賀新一がゐて、

 「白ヘビ館・エコエコアザラク・魔女黒井ミサ・黒髪の呪い・人面相の呪い・呪われた吸血少女・白へび少女・白へびの恐怖」

 などが代表作だが、筆者は異樣で不氣味(グロ)なものは好きになれない。


 さうして、もう一方の雄として雙璧を成した楳図かずおは、「恐怖マンガ」という言葉を作つたとも言はれてゐるが、

 「口が耳までさける時・ねこ目の少女・へび少女・洗礼」

 などに加へて、

 「漂流教室・まことちゃん・わたしは真悟・猫目小僧・イアラ」

 といふ作品で少年誌でも名を馳せてゐた。


 だが、恐怖もので一人だけ氣になる作家がゐる。
 それは日野日出志といふ作家で、

 「恐怖・地獄少女・毒虫小僧・地獄の子守唄・怪奇! 地獄まんだら・霊少女魔子・赤い蛇・幻色の孤島」

 といふ作品があるが、彼は少年少女の枠を越えてゐるやうな作家だと思はれる。
 でも、ぢやあ讀むのかと言はれれば、表紙を見るだけで充分で、そこから先へ進む勇氣は筆者にはない。


 と、ここまで取留めもない事を書いてしまつたが、三月十五日にこれを書き始めてから一週間も經つてしまつた。
 らいら女史の御禮の爲に書かうとしたのだが、それがこんなにも時間を食はうとは思はなかつた。
 伏してお詫びすると共に、調べ方が充分でなかつたかも知れないので、出典の誤りがあるかも知れませんが、ご教授願へれば幸ひです。


     二〇一四年三月二十一日 午後四時過ぎ 自宅にて記す



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