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ミロクの世に生きる101の方法コミュの地球の日の出祭り提案書

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地球市民の皆さん、本日は「地球の日の出祭り〜六ヶ所ROCK」へお集まりいただき、誠にありがとうございます。私の心の迷いから、開催場所を二転三転させてしまい、去年から参加を表明してくださっていた数名の方の姿がここに見られないのは、全て私のいたらなさであり、深く反省致すところでございます。
去年の「地球の夜明け祭り」は、残念ながら泉田稲荷のみなさんには、十分なご理解をいただけなかったようですが、今年からはより実践的な効果を追求するイベントとして発展していきたいと思います。
各地で泉田稲荷や故小泉金吾さんの話をすると、多くの方が大変興味を持って聞いてくださいます。泉田稲荷に集まろうという私の呼びかけに、賛同してくれる方がこれだけたくさんいるのも、泉田稲荷の神力が私たち一人ひとりの中に、高貴な心を呼び覚ましてくれるからなのでしょう。これだけ人を引き寄せる力がある神社が、ほんの一部の人々だけのものだと言えるのでしょうか。この点だけは泉田稲荷のみなさんにも認識を改めていただけないかと思います。泉田稲荷には、全国の脱原子力を願う人々の聖地としての、大きな秘められた力があります。人々の祈りを呼び覚ます力こそが神が宿る証拠なのだと私は思います。
全国には泉田稲荷に集う人々の活動に微力ながら力になりたいという方が大勢います。ただ残念なことに、その気持ちをうまく繋げて、一つの大きなものとする試みが、今までのところ何もありませんでした。今年、紆余曲折を経て、最終的に六ヶ所村に集まることとしたのは、私たちならそれができるのではないか、全国と六ヶ所村をつなぐパイプを作れるのではないか、そんなひらめきがあったからです。
私はここ数年、6月10日の泉田稲荷の集会に参加させていただいていますが、この日に集まる方々の悲願は、六ヶ所村長選で脱原子力派の候補者を当選させることです。選挙にはお金がかかります。民間の私たちにとっては大金です。個人的な出費では負担が大きすぎますが、全国に呼びかけカンパを募れば、脱原子力の機運高まる現在の状況なら、供託金50万円ぐらいは集められるのではないか。そんな発想から、今回みなさんに提案します。ここに集まる方々を中心となって、脱原子力や未来社会へのメッセージを満載したカンパCDを作成してはいかがでしょうか。皆さんが同意してくださるのなら、CD制作は私の責任で行わせていただきます。もちろん、ただCDを作るだけでは、この活動は完結しません。みなさんそれぞれがこの情報を広め、カンパを集める役目を快く引き受けてくださることで、時代が歩き出し、変化が始まります。ノルマとか責任とか面倒なことは言いません。肩を張ることはせず、普段通りの気持ちで、周囲の人に伝えて欲しいのです。泉田稲荷の神様が本物ならばきっと、自然と私たちの願いは成就するだろう。私はそう信じています。

◆私が考える日本の未来のマニフェスト(泉田稲荷のみなさんへ)
私は脱原子力実現のためのアイディアをいくつか機会あるごとに提案してきましたが、残念ながら今まで一度も採用されたことがありません。それならば、他にもっといいアイディアがあるのかといえば、そんなものどこにも見当たりません。二年前の福島原発事故以来、原子力はもういらないという民意は大きな盛り上がりを見せているにもかかわらず、脱原子力のリーダーたちには、それを効果的に利用する術を持たず、ただただ国会前へ集まろう、金曜日にデモ行進をしようといった、賛同者の時間と労力と資金をいたずらに消耗させるだけの活動がいまだ主流となっています。
供託金50万円を本当に集められるのかどうかは、今のところ未知数ですが、もしもカンパCDのアイディアがうまく運ぶようならば、さらに踏み込んで、私は泉田稲荷のみなさんにお願いしたいのです。それは、選挙運動やマニフェスト作成に私のアイディアを盛り込んでいただきたいということです。
これは無理強いするつもりはありません。50万円を集めたとしても、それを笠に着て恩着せがましいことは言うつもりもありません。しかしながら、心から私たちを歓迎し受け入れてくださるという経過だけは、曖昧にしたくないのです。「よしわかった。君たちのことは理解した。一緒に力を合わせて、選挙を戦おうじゃないか。」そんな心からの一言を期待してやみません。もちろん、私たちを受け入れない選択もあります。たとえそのような決断をなされたとしても、集まったカンパは、泉田稲荷に寄付したいと思ぃます。
今や世界は資本主義の末期であり、この経済システムから脱落した人々を切り捨て、見殺しにすることで、辛うじて存続しています。このままでは、経済弱者はさらに急増し、悲惨な憎しみ合い・奪い合いの時代が終わることはないでしょう。世界には、分かちあえば十分に行き渡るほどの食糧生産があります。それなのに人々は私利私欲に心を奪われ、公平に分配する知恵をすっかり忘れています。人類とはそれほどにも愚かな生き物なのでしょうか。この愚かな時代は、微力な大衆の力では変えることが不可能なのでしょうか。私はそのように考えません。百年・二百年後の未来を思うとき、人類は必ずや正しい選択をし、愛と喜びに満ちた美しき時代を築き上げるだろうと、固く信じています。そしてまた、そんな未来をただ漠然と待つのでなく、有効な手段で社会に働きかけることによって、なおいっそう変化を加速できると信じます。いっそのこと十年を目標に、あらかた理想を実現してまってはどうかとさえ思います。今から十年といえば、六ヶ所村長選が三回あるということです。二回落選しても、三回目に当選すればいい。私たち脱原子力の民間から、六ヶ所村長が選出されたならば、それは十分新たな時代が到来した証明と言えるのではないでしょうか。
私が提案するマニフェストは、現代社会の常識に照らせば、あまりに突飛な実現の望みのないもののように思えるかもしれません。しかしながら、今や日本経済は、福島原発事故によって、喉元をかき切られ胴体を切り離された蛇の頭のようにのたうちまわっているだけです。そんな悪あがきもここ数年で力尽きることでしょう。そんな今だから、声を上げ目標を高らかに掲げることで、社会意識さえも私たちの理想に同調させることが可能なのだと、私は考えます。ですから、頭から「そんなことがうまくいくわけがない」と思考を閉ざしてしまわずに、本当に無理なものなのか、一考していただきたいのです。
言うまでもなく、再処理事業の中止、放射性廃棄物の無害化、高レベル放射性廃棄物を永続的に電力を必要としながら人間が管理するという危うい状況から、速やかに脱することは、最も重要な公約です。

1、核燃料税を活用した住民税・固定資産税・医療費・教育費その他の全額免除
そもそも核燃料税とは何なのでしょう。放射性物質という危険物を扱うことにより生じる、住民の生命リスクへの代償として支払われるもののはずです。それならば、住民が最もありがたいと思う使い方をするべきです。それは、住民が自治体や国家から日常的に搾り取られている税金を、核燃料税で全額補うことであると、私は考えます。これにより、住民は労働義務から解放され、人生の大半を自分のやりたいこと・楽しいことに振り向けられます。やりたくない仕事をやらなければ生きられないといった苦しみから、世界中のあらゆる人が解放される。それが未来社会のあるべき姿であり、この六ヶ所村からモデルケースとしてそれを世界に発信することができたら、どんなに素晴らしいことでしょう。この公約は再処理推進の方々にも効果的です。働かなくても暮らしていけるのなら、誰が危険で過酷な再処理の仕事など好んでやるでしょうか。次第に、いくらお金を積まれても、再処理にすがって生きることがバカバカしくなっていくはずです。
また、政府から「そんな使い方は許さん!」というお達しが来ても、「そんじゃ〜、早いとこ高レベル放射性廃棄物をどっかへ持ってってくんない?」と、涼しいい顔で言い返してやればいいのです。のらりくらりとやり過ごすうちに、なし崩しに誰もが税金を踏み倒す時代になっているはずです。現在のギリシャやスペインのような状況です。国家権力がどんどん力を失っていくのです。
この公約はさらに重大な目的を秘めています。それは、全国の経済弱者・資本主義から締め出された人々を救済する受け皿を作るというものです。現代社会の常識では、職のない人・所得の低い人は、能力がないのだ・要領が悪いのだと侮蔑の対象となっています。本当にそうなのでしょうか。国民すべてをあまねく養うことができない経済システムにこそ問題があるのではないでしょうか。日本政府の政策は、そんな方々に全く手を差し伸べていません。差し伸べるだけの情も力もないのです。そんな社会に見捨てられた方々にも「六ヶ所村へおいで!一緒にこの村を作り直そう!」と快く迎えられる、そんな地域社会が、今この日本には一刻も早く必要です。幸いにも、六ヶ所村には、資本主義が見向きもしない空白地帯が豊富にあります。
DVD「田神有楽」には、今は亡き小泉金吾さんが、「俺は小さい頃から乞食のような人々が好きだった」と述べるシーンがあります。私が六ヶ所村に心惹かれるのも、そんな金吾さんの優しさに共感したからです。金吾さんならば、私の考えを理解し賛同してくれただろうと、強く信じます。乞食は悪ではありません。乞食を作り出した社会が悪なのです。この公約はこの社会を根底から改善するための公約です。乞食が胸を張り正々堂々生きられる時代。未来はきっとそうなるだろうと私は信じています。

2、大麻の村内合法化
太平洋戦争で日本が敗戦する以前、庶民の家の庭先や畑の周りには大麻が植えられているのが当たり前でした。全国各地の地名や神社などには、今もその名残が見られます。天皇の大嘗祭に大麻は必ず使われ、終戦直後の国会議事録にも「大麻栽培を禁止されては農民が困窮する」という言葉が残っています。
大麻が麻薬であるというプロパガンダで、日本人から大麻を取り上げたのは戦後日本を支配したアメリカです。化繊産業を後押しするためです。ところが現在、アメリカ司法のお膝元であるワシントン州で大麻が合法化され、事実上大麻取締は歴史的間違いであったことを認める形となっています。日本国内でも、放射能汚染で崩壊した福島県などで、産業の再生や健康被害への対策として、大麻開放が議論されるようになりました。しかし、それを公約として掲げる選挙立候補者は尻込みしているのか、未だ見当りません。
私は、野山に自生する大麻を収穫し、半年前からその画像をインターネットで公開し、警察が私を捕まえたいのならいつでもお待ちしていますと公言してきました。でも、未だに何の音沙汰もありません。大麻が何故悪いのか?と問えば、正当な理由を誰も答えられない。大麻取締法とは、そんな犯罪性・社会悪性の全くないところに、強引に施行された、おしつけ法なのです。私は機会あるごとに、私の周囲にいる病気で苦しむ方、絶望で塞ぎ込む方などに、大麻を勧めてきました。大麻を経験した方は誰もみな、非常に良い心的効果を得、中には感激のあまり涙する方もいます。
大麻の医療効果は絶大です。ありとあらゆる病状を緩和し、副作用は一切ありません。現在病気で悩む人全てに、私は大麻を体験させたいと思います。こんないいものがあるんだよと、全ての人に言いたいのです。大麻の真実を広めていくことが、私の使命であると感じています。もしも六ヶ所村で、日本がかつてそうであったように、誰でも自由に家の軒下で栽培できるようになれば、医療負担は一気に軽減できます。
このような、天からの贈り物のような薬草を、人類は有効に使うどころか、欲深い手で私たちが自由に利用することを妨げています。現代社会がいかに愚かで野蛮であるか、大麻が雄弁に物語っています。大麻が解放されるのは時間の問題です。でもそれは、私たちが勇気を持って声を上げなければ始まらないのです。

3、教育改革
現代の子供たちは気の毒です。小さいうちから幼稚園や保育園で、硬くて窮屈な椅子に座らされ、忍従することを要求されます。これらは、子供たちが大人になったとき、社会の歯車として従順に働くようにという教育です。つまりはロボット教育なのです。高学歴に進むほど、社会的には優秀だと言われますが、大学を出ようが高卒だろうが、社会の歯車であることにはなんら変わりがありません。大企業の社長だろうが映画スターだろうが、歯車は歯車です。彼らの行き着く将来は、長年の感情を殺した生活のせいで、気持ちを素直に表せない、哀れなご長寿ロボットです。ご長寿ロボットは医者に従順です。医者の勧めるままに薬を飲み、健康のためだと退屈なウォーキングを日課とし、河原でサッカーボールを蹴ったりギターを弾いたりする私を羨ましそうに横目で見ながら、「自分は年だから無理だ」とか「大人気ない」などと理由をつけて、またも感情を押し殺し、そうやって年老いていきます。
ご長寿ロボットの方々の生活がちっとも幸せでないのは、夫婦関係を見ればわかります。六〇歳を過ぎても愛し合っている、寝床を共にしているという夫婦を、私は見たことがありません。逆に、夫婦でいながらいがみ合っている、お互いを認めようとしない、そんな夫婦はいくらでも見つけられます。人生はまだまだ続くのに、一番身近な人に心を許せないとは、なんという悲劇でしょう。恋愛やセックスが人として恥ずかしいことであるかのような教育を受け続けた弊害が、このような形で現れているのです。
資本主義が終焉する未来社会に、労働予備軍・ロボットとしての教育はふさわしくありません。未来にふさわしい教育とは、人の愛し方、感情の表し方、人生で何を実現したいのかの自由な選択、地域社会の担い手として周囲と調和する生き方、そんなことが主流になると思います。どんな小さな子供でも、異性に惹かれる気持ちは存在します。そんな気持ちを歪めるのではなく、素直に自然に伸ばしてあげる、そんな教育が望ましいと思います。
子育てに関しても、産んだ親が責任をもって育てろというのが社会常識となっていますが、多くの場合、若い親には手に余るものとなっています。子供は地域の宝であり、赤ん坊の寝顔や笑い声に生きがいを感じる人も多いのに、あまりに堅苦しい考え方です。未来社会は、子供の成長を地域全体が責任を持つ、そんな社会が望ましいと思います。責任や負担で、若い二人の恋愛感情を歪めてしまうのではなく、より深く愛し合えるような環境を、地域ぐるみで作り上げていく。そんな社会の実現を目指します。

4、医療改革
今や国民は日本政府になんの期待もしていません。それなのに、選挙が始まりいざ開票となると、決まって保守的な結果になります。その理由は、老後の不安を考えた時、不平を言って孤立するよりも、我慢してでも国に面倒を観てもらうことを選択する人が多いからだと、私は考えます。
人々は、年をとったら必ず体の自由が効かなくなり、人の手を借りなければ生きられなくなると思い込まされています。これも、テレビなどのメディア洗脳を長年受け続けてきた結果です。多くのテレビ漬け国民は、テレビの外側に多くの例外、高齢でありながら健康で元気で生きている方々がたくさんいるという事実を、全く知らずに生きています。人間は本来、体の使い方を間違わなければ健康で長生きできるにもかかわらず、ほとんどの人が間違った使い方をし、それが原因で早く老い、死んでいきます。
かつて日本には古来から伝わる民間医療があり、それは病気の予防に重点を置いた、薬草などの自然の効能を上手に活用するものでした。中世に日本を訪れたフランシスコ・ザビエルは、世界各地を旅した中で、特に日本人の健康長寿に大きな驚きを感じたと、日記に記しています。また、かつての日本人は肉食をしませんでした。肉食は明治時代に西洋から強引に導入されたものであり、現代栄養学は今もそれを下地にしています。最近ようやく肉食こそが成人病の元凶であることが理解され始めたようです。
そんなかつての日本の知恵、自然の医学を復活させ、誰もが自分の健康管理を医者の手を借りずに自分でできる世の中にしたいと思います。また、ヨガや瞑想なども心や体の健康に目覚しい効果があり、基本的なやり方がわかれば誰でも取り組めるものです。そんな人類の英知の活用を六ヶ所から率先して普及していけば、老いの恐怖・死の恐怖から解放され、健全な精神を保ちながらいつまでも生きられる、老いの不安に主張を曲げることもなくなる、そんな社会意識の変換も夢ではないと思います。

ざっと思いつくまま書き並べてみました。私の期待する未来の姿を、みなさんは夢のまた夢だと思うでしょうか。社会の流れを冷静に分析すれば、そんな社会へ移行していくのは、むしろ必然なのだと、私には思えます。一年・二年といった短いスパンで見れば、変化に気づかないかもしれません。でも、十年・二十年という長さで考えれば、着実に私の予想に社会が近づいていくはずです。
人間には夢を現実にしていく力が備わっています。福島原発の事故も、不幸な形ではありますが、私たち日本国民の夢の実現であったと思います。原子力はもうたくさんだ。そんな多くの人々の思いが、あのような形で顕現したのです。
私は、みんなが力を合わせれば、脱原子力派村長の実現は十年以内に可能だと思っています。あとはみなさんの決意しだいです。私に手を貸してくれとは言うつもりはありません。みなさんがやる気ならば、私も微力ながら応援に駆けつける。そんなスタンスです。まずは、みなさんの心意気を見せていただきたいのです。そして、きっとみなさんは決意してくださる。それを心から信じています。

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