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ミロクの世に生きる101の方法コミュのなんちゃってベジタリアンから始めよう

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ミロクの世に生きる101の方法目次
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=72041751&comm_id=4650196



今日は、肉食習慣から決別するための私なりのヒントをいくつか述べてみたいと思います。
食事の改善法などについては、菜食主義者の専門サイトを見れば、それなりに紹介されていますので、それらも参考にしてみてください。↓

東京ビーガンズクラブ
http://vegan.japanteam.net/newslist.htm
日本ベジタリアン協会
http://www.jpvs.org/



私の現状を紹介しておきますが、私は厳密なベジタリアンではありません。野菜・穀物以外に魚介類も食べます。
魚介類を食べるのはペスコ・ベジタリアンというそうですが、分類上はそれに当てはまります。
日本の心の原点であるホツマツタエの教えでは、哺乳類と鳥類は霊的に食用に適さないそうなので、乳製品や卵なども極力食べません。しかし、飲酒時につまみとして出されたチーズは多少食べますし、カミさんが職場から持ち帰るお菓子で乳成分入りのものも、現在のところあまり気にせずに食べています。

私は厳格ということが基本的に不得意なタイプです。決めたことをきっちり守るというタイプではありません。重荷に感じることは極力避けて生きたいと思います。
重荷に感じない程度に、少しずつ食を改善していくのが理想であり、そんなやり方でも将来、目標に到達するのは可能だと信じています。
肉食をやめたのはとりあえずの通過点です。食事を清浄化していく過程は、まだまだいくつもの段階があり、いつも前を向きながら、もっと健康になりたい、もっと清浄な体になりたいと願い続けていけば、次第に理想に近づいていくように感じます。
絶対にこれだけは守る!といった誓いを、私はしないことにしています。計画を持つと、それが思うように進展しないと焦りになります。気持ちに焦りが生じると、それまでに達成したことでさえ、辛く思われたりするからです。
社会教育などでは、「目標を掲げよう」といったアドバイスをよく見受けますが、私はあまり同意しません。
目標とか計画とかいった、人間心の思惑を完全に排除したところから、神の成長・精神的進化が始まるのです。
目標とは家造りで柱を立てるようなものです。しかし、家には柱だけでなく土台も壁も必要です。
土台のないところに柱を立てたところで、手順前後になるだけです。
進化の家を建てるときに、人間心は邪魔者でしかありません。その時々で何をやればいいのかは、魂が一番よく知っています。

そんな私の最終的な理想は完全菜食です。100歳になってもマラソンができるような健康を維持するには、新鮮な採れたての野菜を毎日食べられるような生活を実現しなければならないと思います。
しかし残念ながら、今すぐその生活を実現するのは困難ですし、実現できたからといって、野菜だけで満足できるような精神的素養が今の私に備わっているのかといえば、それにも多少の修練の時間が必要に思います。
そんな遠い遠い理想を願う私は、まだ単に肉食をやめたというだけに過ぎません。まだまだ、長い旅を歩き始めただけに過ぎないのです。
こんなことを言うと、肉食を断念することさえ困難に感じている方にとっては、気の遠くなるような思いをさせてしまいそうですが、決してそんなことはありません。
まずはとにかく、肉を食べることだけは控えるようにしてみてください。これは、ホツマツタエの教えにあるように、最も大きな病気・老化の原因をなくすことです。
体調の変化にやがて気づきます。肉食やめたら快食・快便などといった状況に、いずれたどり着きます。
そうすると、もっと健康に、もっと清浄にという気持ちが動き出します。
そうなればしめたもの。その気持ちに逆らわずに、任せていけばいいのです。


〈草木の心が成功の秘訣〉

肉食を卒業した私の次なる願望は、化学的混合物の回避です。これは、あらゆる加工食品を受け入れないことです。発泡剤入りの豆腐や醸造アルコール入りのビールも当てはまります。好酒家の私にとって、なかなか高いハードルです。
それでも、いつか自分がそうなれるような期待が、いつも心にあります。だから、きっとなれると思います。
断固成し遂げるんだ!みたいな厳しさでなく、草木が自らの将来像を思い描くようなそんな感じ。

ヤシきっと私は、春になれば芽クローバーを出して、夏には花ハイビスカスを咲かせ、明には実いちごがなるんだわ。

草木は芽を出したり花を咲かせたりするのに、無理をしたり焦ったりしません。
ただ自然とそのようになるのです。
そんな心持ちが、あらゆる事柄の成就の秘訣です。ギターもそう、サッカーもそう、自然食もそうです。
一度そんな気持ちを迎えたら、なるべく離さないようにする。
世間の煩わしい出来事に意識を占領され、草木の心で生きるということから遠のいてしまうことのないよう、可能な限り社会的要望から遠ざかるほうがいいと、私は思います。
たとえ、それによってそれなりの報酬が期待できるとしても、そのために老化を早めてしまっては本末転倒ではないかと、私は考えます。
それは、仕事に生きること・労働することが大人の証であると教えられて育った日本人にとって、なかなか難しい心の切り替えです。
しかし、人生は労働のためにあるのではありません。労働を極力しないようにするために、私たちは日々工夫して生きてるのではないでしょうか。
土を耕し野菜を育てる。それを私は労働とみなしません。草木の心でやり遂げられることです。
労働とは、草木の心を殺してやらなければならない事柄の全てです。
文化とは労働を回避するために人類が施行錯誤してきた工夫の結集です。
文化的に生きるのに、労働は決して必要不可欠なものではなく、やらなくていい工夫を生活に取り入れることこそが、賢明な選択なのだと思います。
ましてや、今や日本は失業者と定年退職者のルツボです。労働時間のない生活をする方々は日増しに増えています。
労働をしないことは恥でもなんでもありません。嫌々労働生活をするよりも、胸を張って労働しない生活を模索する方が前向きです。

ちなみに、私が思い描く食の改善の段階は、大まかにこんな感じです。↓

科学的混合物を一切やめる→市販の魚をやめる→水道水をやめ、自然水のみで生活する→市販の野菜をやめる→自分の食べるものをすべて自分で作る。

街中に住む今の状況では、実現には程遠いのですが、自分が最終的にどこまで到達できるのか、気長に期待していくつもりです。


〈不肉は社会との対決である〉

日本の社会では、肉を食べないと言うと非常に驚かれます。
そして、「なんかの宗教?」みたいなことを必ずと言っていいほど聞かれます。
そして、そんなことを聞く人は、内心「ど〜せやせ我慢だろ」みたいな疑心を露骨に向けてきます。
心では、肉を食べないことの賢明さを理解しているのですが、いざ知人がそれを実行するとなると穏やかでないのが、一般的日本人の心境でしょう。
そして、あなたが挫折することを密かに願う気持ちが見え隠れしたりします。
そんな周囲の不理解が、多くの方にとって、肉食を始めるにあたっての最大の障害なのかもしれません。
周囲が理解してくれる方は幸運です。しかし大抵の場合、このような社会との対決的な様相が少なからず訪れるように思います。
周囲に流され挫折するか、決意を曲げないか、そんな葛藤が度々訪れます。
そんな時どうするべきか、これは大きな問題です。

たとえば、おごり好きの上司がいて、連れて行かれるのは決まって焼肉レストラン。
そんな時、ついつい「肉食やめたはずなのに」と思いつつも、箸を出してしまう自分がいます。
久しぶりに食べるお肉のなんと美味しいことか。
私は、負けちゃいそうな時は負けてしまってもいいと思います。
まずは、総合的に食事の中から肉を減らすことが肝心です。最初から0でなくても、徐々に不肉の状況に心が慣れていけばいいのです。
でも、「私はアレルギーで肉は食べれないのです」と断ることも可能です。
一旦断ったら、その方々の前での肉食は今後はできません。未練が残らないように、十分心の準備が出来た頃に、不肉を宣言しましょう。
一旦不肉を宣言したら、あなたは社会的には不肉の人となります。あちらのグループの中では不肉と言っていたのに、こっちでは食べている、みたいな矛盾は人間としての誠意を疑われてしまいます。
ですから、社会に向かって不肉を宣言した以上、社会の前では一切肉を口にしてはならないのです。
それはある意味リスクには違いありません。自らを窮地に追い込むことです。
しかし、あなたの宣言は少なからず周囲の人にも影響を与えるでしょう。
それまでしょっちゅう夕食を共にしてきた仲間と気まずい状況になったりもします。でも、本当の友人なら、いつか必ず理解し合えるはずです。
もしかしたら、あなたの不肉宣言に勇気づけられ、「実は私もそうだった」とか、「これからやってみよう」とかいった反応を受けるかもしれません。
あなたの力で社会が改善されていくのです。それは大きな喜びです。充分迷ったのなら、もうそろそろ決断してみましょう。言葉こそが世界を変えるのです。


しかし、それではあまりに息が詰まる。息抜きが欲しいと、あなたは内心思うかもしれません。
そんな時は、誰にも秘密で息抜きの場を設ければいいのです。
たとえば、昼食を一人で食べるような時にこっそり肉料理を注文するとか。
言動一致が常識的な道徳観ですが、止むにやまれぬ気持ちの時は、言動不一致もたまにはいいんじゃないかと、私は思います。
かく言う私も、昔よく行ったラーメン屋が閉店するというので、ついついふらっと入店してしまったことがあります。久しぶりのチャーシューはあまり美味しいと思えませんでしたが。
そんな感じで、時々「なんちゃってベジタリアン」に変身しても、自分を過度に責める必要はないと思います。
要は、すべて自分の行為として受け止めればいいのです。自分の行為は全てそれなりの影響をもたらすと。肉を食べたら寿命が一ヶ月減る。そんなふうに自分の行いを正視すればいいのです。
そのうち次第に、肉を味わったことの満足より、体を穢してしまったことの後悔のほうが大きくなる時が来きます。
潮の満ち干きのように、前進と後退を繰り返しながら、徐々に理想に近づいていけばいいのです。

あなたに家族がいるならば、例えば「基本的に肉のおかずは無し。だけど、週末だけは好きなもの食べよう」とかいった取り決めをして、一緒に取り組んでもらえるような理解を求めることは重要でしょう。家族の理解を得ることは、何よりも強い助けとなります。
家族の前では時々妥協を許す。家族だから許される妥協。そういうものがあるように思います。



〈将来は菜食が普通になる〉

ベジタリアンのサイトから。↓

えんぴつ2002年に報告された調査では、アメリカ成人のうち、20〜25%が、
?1週間に4回以上、肉類を含まない食事を摂る
?常に、あるいは時折、ベジタリアン食を摂る週間を維持しているということです。
http://www.grain.co.jp/blog/2008/01/post_257.php

アメリカでは、早くも四人に一人が不肉に理解をもつ状況となっているようです。
遅ればせながら、日本もそうなっていくことでしょう。
10年もすれば、スーパーで肉を買うことさえ恥ずかしいといった状況になっているかもしれません。
菜食は世界の必然です。はじめるなら早いほうがいいのです。
肉食を卒業した社会、早くそんな社会を見てみたいものです。

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