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ミロクの世に生きる101の方法コミュの水

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ミロクの世に生きる101の方法目次
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=72041751&comm_id=4650196


ここに、二つの画像があります。
どちらも若い女性のものですが、上は顔の石鹸の泡を付け磨かれた白い肌を強調した現代的な女性、下は土や植物から作った染料を顔一面に塗った未開拓地の女性です。
上の女性は私たちには馴染みのある生活スタイルで、毎日欠かさず入浴するようなタイプでしょう。
一方下の女性は、入浴という生活習慣があるのかも疑わしい気がします。それ以前に透明な水道水が使える環境に、この女性は住んでいるのだろうか?といった疑問すら湧いてきます。
果たしてあなたは、どちらの女性の生活スタイルを好もしいと思うでしょうか。

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私の郷土には姫神山という1000mほどの山があり、登山道の傍らから清水が湧いてかつては登山者の喉をうるおしていました。
ところが、数年前大腸菌が検出されたということで、飲料には不適な水だとされました。
同じ理由で、多くの湧水や井戸水が封印され、私たちは山の自然散策のような時でも水道水やわざわざ買った市販の飲料水を持参します。
山の自然水よりも、塩素消毒された水道水やペットボトルに詰められた市販水のほうが無害だと思う感覚、それは本当に正しいものなのか、考えてみる必要があるのではないでしょうか。




文明社会においては、大腸菌よりも塩素の方が人体に安全だという社会常識が広まっています。
いや、塩素が危険だということは理解されていますが、微量であれば構わない、つまり人体に悪影響を及ぼす量と及ぼさない量との境界が存在すると考えられているのです。科学用語では「しきい値」といいます。
この「しきい値」という考え方は、様々な健康に影響しそうな化学物質の分野で使われます。特に、昨年の福島原発の事故以来、放射性物質に関わる事柄では、必ずこの考え方が適用されます。「○○シーベルト以下なら人体に影響はない」などといった考え方です。
ところが、実際のところ、この「しきい値」説は科学的に否定されています。科学は「これ以下なら安全」という境界など一切ないことを知っていながら、今だにそれが正しいかのようなふりをして、人々を欺いているのです。
なぜ科学は人を欺くのか?それは欺かなければ社会が成り立たないからです。
「たとえわずかでも、放射性物質が検出された場合、それ相応の人体的影響がある」という事実が公然のものとなってしまえば、社会は完全にパニック状態になってしまうでしょう。
ですから、社会システムを曲がりなりにも維持していこうとするならば、科学のような権威を振りかざして騙す、一方では疑問を頭から振り捨てて騙されるという暗黙の了解に従わなければならないわけです。
これを、現代用語では「たてまえ」といいます。「本音」の反対語です。



「エコロジカルな地域づくり 野瀬善勝 元山口大学医学部教授著」という著書では、山口県における水道水と胃がん死亡者の地理的分布を調べ、胃がん死亡率の高い地域は、ダムから供給された水道水を利用する地域であったという結果が記されています。
浄水施設では、水の濁りを消すために塩素が混入されますが、それが有害物質トリハロメタンを生成させ、胃がん死亡率とトリハロメタンの量が多い地域とは、かなり密接な関係があるようです。
トリハロメタンは化学的工程による生成物、つまり人間活動によって出現させてしまった物質です。
このような人為的な生成物のあらゆるものは、多かれ少なかれ、それを摂取した人体に病的な影響をもたらします。

一方、そんな余計な生成物を容認してまで除去、死滅が必要だとされる大腸菌って、どれだけ健康的影響があるのでしょうか。
大腸菌の健康への影響は、それぞれの人の体内環境のあり方によって千差万別ではないかと、私は考えます。
体内環境とはつまり生活環境です。私たちが日常的に呼吸する空気、飲み水、食べ物、肌に触れるもの、そんな周辺の状況が体の健康状態を大きく左右すると、私は考えます。
たとえば、病院などの常に無菌状態(あるいは比較的少菌状態)を保持する環境に住む人は、菌との接触に慣れていない分、一度体内に菌が潜伏すると、一気に繁殖して体内の状況を急変させます。病院住まいの高齢者などにインフルエンザ死が多いのはそのためでしょう。
また、回虫などの寄生虫をお腹に宿している人は、病気に強いという話を聞きます。
人の体内環境は、むしろ多少雑菌に住んでもらったほうが、より正常な自然本来の姿なのかもしれません。
だとすれば、大腸菌を目の敵にして何が何でもなくしてしまおうとする現代の社会常識は、かえって人類に病気の種を振りまいていることにはならないでしょうか。




そしてもうひとつ私が強く感じるのは、大腸菌に塩素消毒はあまり効果がないのではないか?ということです。
例えば、浄水施設などでは、塩素混入によって、一旦は大腸菌を全滅させます。
その後、可能な限り化学物質を取り除いて水道水として供給するのですが、無菌状態の水道水はむしろ大腸菌にとってのびのびと繁殖を広げられる絶好の環境です。
浄水施設を出発した時点では確かに大腸菌は0かもしれませんが、配水管を通って私たちの家庭に届くまでには、どこからともなく忍び込んでしまうようなこともあるのではないでしょうか。
O‐157などの集団感染の原因は、あるはそんなところにあるのかもしれません。
そして、大腸菌にとって一番の好物は停滞した水です。
たとえば、生活排水などが流れるドブ川。ここは大腸菌の巣窟です。
ドブ川からはシャンプーやリンスなどの芳香剤の匂いがプンプンします。選択の洗い水や食器の漂白剤、ありとあらゆる化学物質が高濃度で混入しています。
むしろ、そのような他の雑菌が生きられない環境を選んで、大腸菌は繁殖しています。大腸菌は化学物質と平気で共存できるのです。
ダムによる川の水の貯留も大腸菌にとってありがたい環境でしょう。人類はわざわざ手をかけて自然の水を貯め置きし、大腸菌の増殖を促進しているというわけです。
そんなわけで、今の浄水システムは大腸菌対策として大いに問題があるように感じます。



さらに大きな問題は、水道水という、雑菌の死滅した、微量の化学物質によって視覚的には透明で綺麗そうな水を長期にわたって摂取することで、自分の体内の雑菌も死滅させ、大腸菌が繁殖しやすい体内環境を、むしろ自分から呼び込んでしまっているのではないか?ということです。
老化が進むと、人によっては加齢臭がするようになりますが、あの匂いは何かドブ川と同じものを感じてしまいます。ドブ川特有の化学物質と悪玉菌が混ざり合ったような匂い。
ある種の高齢者は、体内がドブ川化しているのではないでしょうか。
体力の低下、体質の悪化がどのように関係しているのかはわかりませんが、発汗作用が生命力を失い、自然の川が汚れていくような、そんな印象を受けます。
加齢臭の最大の原因は医療機関から処方される化学薬物でしょう。
健康のためだと、生命のない化学生成の水を飲み、化学薬物をせっせと摂り込む。どんどんどんどん、体は自然から離れていきます。
そのように考えると、社会システムが私たちの病気を増やしているということになります。

水道水がダメなら、ペットボトルの市販の水はいいのか?といえば、私はそうは思いません。
自然のものは全て、絶えず動いている、流れている、そんな状態が大切なのです。まさに、万物流転です。
生き物が死ぬと、次第に霊的エネルギーが消えていくように、水も流れを止められると、次第に死んでいくのです。ボトル詰めの水など、水の抜け殻でしかないのです。


このように考えると、水源から湧き出る自然の水がどれほどかけがえのないものか、と私は思います。
多少濁っていようとゴミが混じろうとも、自然のままの生きた水が、生身の私たちにはありがたいのです。
水道水の作られた透明度に騙されてはいけないと思います。
ひふみの神様は、土は毒ではない、食べられるのだといいます。↓

富士山土のまんぢうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、
土から人民を生んだと申してあろう、
ひふみ神示 星座の巻第十七帖

自然の水の濁りは全て自然の物質です。私たちの体が受け入れやすい物質なのです。私たちの霊性に溶けいりやすいのだと、言えるかもしれません。
反対に、化学物質は体は決して受け入れません。体に入っても、そのままの形で体外に出てきます。
あらゆる化学物質は体に良くない。そう考えたとき、世界は一変します。
これまで体にいいと思わされてきた栄養食品、衛生にいいとされてきた洗剤、身だしなみに欠かせないと思わされてきた香水、あらゆるものが化学物質で生成されています。
「自然から抽出」といった売り言葉に騙されてはいけません。たとえ元は自然でも、人間が化学の手を加えてしまえば、それはもう化学物質とみなしたほうがいいのです。



〈洗脳者ほど老化が進行している〉
とある公衆浴場でのことです。
外見にこだわることを一切やめて一年以上経つ私は、髪を切るのもやめたので、今や背中まで達する長さになっています。
そんな私が湯船から上がると、私がいた場所を汚らわしそうにお湯で何度も流す老化進行者がいました。
(私は生きている時間、つまり年齢で老若を判断しません。老化の進行は人それぞれです。ですから、「老人」という言い方を避け、「老化進行者」と記述することにします。)
おそらく、私の長い髪を見て、ホームレスでも紛れ込んだのだと勘違いしたのでしょう。綺麗に散髪した髪=清潔、長髪=不潔、そんな先入観がその人を支配してしまったのでしょう。
他人の髪が湯船に入るのは許せないのに、陰毛や腋毛が浸かるのは気にならないという、自分の考えがいびつであることに全く気付いていらっしゃらない様子です。
そして、せっせっせっせと、石鹸の泡を飛ばしながら体を洗っています。
過剰に、化学物質である石鹸を信用し、毎日体に擦りつけることが、実は加齢臭の隠れた原因なのではないかと、私は考えます。
気のせいかもしれませんが、潔癖に清潔な人ほど、加齢臭が臭うような気がします。
ひょっとしたら、体内に取り込む化学物質の量と老化の進行は、非常に密接に関係するのではないかと、私は思います。



〈石鹸神話を卒業しよう〉
こんな話もありました。
かみさんの休日には良く、盛岡近郊の源泉かけ流しの温泉に行くのですが、その日は二人連れの旅行客と一緒になりました。
湯船に浸かりながら二人は話しています。やっぱり源泉かけ流しは格別だと。スーパー銭湯の塩素臭さはどうも苦手だと。
そういいながら、洗面台に向かうと、添え付けのシャンプーをたっぷり頭に付けブクブクに泡立てて髪を洗っていました。
「あ〜あ。それじゃ、せっかくの化学物質0の温泉も台無しじゃん」口には出しませんでしたが、私はそう思いました。
そんな時はいつも、一言教えてあげたいな〜と思います。洗剤と漂白剤、そんなに違いがないんじゃない?って。

さて、ここで最初の2枚の画像に戻ってみましょう。
洗剤で老化した皮膚を全部剥ぎ取ってしまったお肌ツルツルの文明社会代表の女性と、自然由来の顔料で顔中覆った未開地の女性、どちらが、生命本来のあり方として、賢明なのでしょうか。
私たちは、顔に泥や植物の汁を塗る人々を野蛮だ、文明を知らないと蔑みます。
ところが、そういう私たちは、泥の代わりに石鹸を塗りたくり、皮膚の老化を促進しているわけです。
それが文明の正体です。
もしかしたら、未開の女性が顔に塗る顔料は、虫除けになったり放射線防御に役立ったりしてるのかもしれません。
そんなことは一切ないとしても、彼女たちの行いは一切有害物質を生み出しません。行いの全てが自然の循環の中に完結しているのです。
環境全体をひっくるめて見た場合、私たちが未開だという女性の方が、むしろ環境を傷つけない懸命な生き方をしているとは言えないでしょうか。
どこかの石鹸広告の女性は、自分の見た目だけは美しくなるかもしれませんが、その周囲は汚れるばかりです。
自分ひとりだけの美しさを追い求め、環境が汚れていくのには目もくれない。それこそが愚行というものではないでしょうか。
「神との対話」によれば、現代地球文明は宇宙全体の文明レベルの中では、かなり低レベルにあるとのことです。↓

日の出あなたがた人類の大半は、まだ幼稚園の年長組でさえないということを受け入れたがらない。人類がまだ幼稚園児だと、受け入れたがらない。受け入れないから、いつまでもそこにいなくてはならない。
あなたがたは、自分は(高度に進化して)いないということにどっぷり浸かっているから、ほんとうの、(進化していく)自分になれない。だから、自分で自分に逆らい、自分と闘っているのだよ。そのために、進化が遅々としている。もっと迅速に進化する道は、ないものではなく、あるものを認めることから始まる。


そしてむしろ、文明として優れているのは、現代文明が届かない未開地の方であるとのことです。
まさしく、ここで私が言わんとすることを、神様が裏付けてくれているわけです。
私は、さほど遠くない将来、社会常識が逆転する時代が来ると思います。
その時、未来の人々は現代社会を振り返り、なんと野蛮な時代があったものかと笑うかもしれません。
「ゲゲッ。この人、顔の泡なんかつけて自分を綺麗にしてるつもりらしいよ」ってな感じ。
あなたはそんな未来社会、ミロクの世に生きる準備をしていますか?
していないのなら、今すぐにでも始めることをおすすめします。

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