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ラテン語文法の部屋コミュの接頭辞

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コメント(7)

接頭辞 CON- について

弁論などで、語調を強めて述べたい場合、動詞の頭にcon-が添えられる。
だからcon-があっても無くても意味自体は変わらない。
具体的な例を挙げることはできないが、キケローの弁論を何度か読み、接頭辞 con- について斯ういう漠然としたイメージができ上がった。
本当のところはまだ分からない。
■ exercitatio 「訓練」について

名詞 exercitatio を形態的に分析して、そこから 動詞 exerceoに遡り arceo にまで至ることは容易である。だが、意味的にはどうだろう。こうして word-formation の規則に従うように、機械的に遡る事ができるのだろうか。経験から、多くの場合においてそれは否であると言える。 この exercitatio でも同じである。

私は接頭辞や接尾辞を切り離せる語に出会うとそれを分解してその形成過程を辿るのを常とする。この場合にも、arceo からどのように派生したのだろうと考える。それらは大体においてすぐに了解されるのだが、ここでのように少々意外である事もしばしばある。そこで、この派生について少し考察してみようと思う。

arceo は「包囲する」というのがその第一義である。感覚としては、柵などで囲う行為である。ここから色々な意味が"arceo"内で派生するのであるが、exerceo はこの原義に基づく派生であると思うので、それらには言及しない。

さて、exerceo であるが、ここにおいて接頭辞 ex- はどのような働きをしているだろうか。前置詞 exが分離を示すものであれば、このex- は arceo の「包囲する」という行為の「外界との分断」に着目させるものであると私は考える。そうすることで、exerceo の 「訓練する」、「耕す」、「(権利を)行使する」、「経営する」などといった一見支離滅裂な意味の集合にも共通の母体を見出すことがでる。

 英語 excercise を手元の電子辞書で引いてみると、その語源欄では次のように説明されていた。

――「ex-(外へ)+-ercise (包囲、束縛する)=束縛から外へ出す」→「運動させる」

これはまったく私の考察とは異なる。どちらが正しいのか、本当のところはローマ人に尋ねるしかないが、わざわざ会って尋ねずとも(そもそも不可能である)、それらは学びとることの出来るものである。私は私の説に対し自信があるので、こうした断片的な説明を受け入れることはできない。実際、この説明で納得出来る人がいるだろうか。

praecipio [prae-, capio] について

praecipioの意味は大きく二つのグループに分けられると思う。その第一は、「先手を打つ,機先を制する,予見する,予感する」といった意味の集合である。これらの意味は、この語の成り立ちに直接関連づけて捉えられるので、この語の第一義として見ることができる。私はその派生を『(人より)先に+掴む』と解する。

次に、私のいわゆる第二のグループ、「助言する,教える,忠告する」といった意味の集合体であるが、これは第一のグループから派生したものと捉えることで、初めて praecipio の範疇に収まるものと思われる。

quibus hoc praecipiendum videtur

この文において praecipio の意味が分からないとする。それを語源的に導き出そうとするとき、頭を捻って「先取りする」の意味が導き出せれば上々である。しかし、それでは上の文章は読めない。そこでは予め、私の言う第二の意味グループを知らないといけない。そうであって初めて、「彼らはこのように忠告(教示)されるべきであろう」と読める。(直訳すると、「彼らには (quibus) この事が (hoc) 忠告されるべきであると (praecipiendum <esse>) 思われる (videtur)」。)

ところで、このように意味を捻出する場合には、接頭辞がカギとなる。ここでは、この prae- をどう捉えるかによって明暗が分かれる. 先に praecipio の『(人より)先に+掴む』の派生過程を見たが、ここではその “(人より)”というのが大切である。(もっとも、このことは「予見・予感する」の場合には当てはまらない。また、これは praecedo, praecurro などと一緒に括っておけば良いと思う。)それが大切なのは、その“(人より)”から第二グループが生じているからである。第二グループ「助言する,教える,忠告する」の派生の感じとしては、「(人より)先に掴んでいる者が〜する」である。
■ obstupesco 「麻痺する,唖然とする」について

ここで接頭辞 OB- は強調を示しているだろう。接頭辞のない stupesco も意味的にはこれとほとんど同じだからである。見方を変えれば、こうした強調の働きはほとんどの接頭辞に見られるものであり、いわばその第二の機能である。これはメインの――つまり第一の spatial function に対し、いわゆる actional function に相当する。

数ある接頭辞の中で、OB- がその任を負うのは、この stupesco のごとき状態変化をいう動詞である。そのように、stupesco は“感覚のある状態から”の変化をいう。そして、この変化を強調した表現が obstupesco である。同様の例は、辞書を開けばあちこちに見出すことができる。それらは obicio にのような動詞とは容易に切り離すことができよう。
■ insimulo 「告発する」

(in- + simulo「真似る」)

どういう経緯で「真似る」が「告発する」になになるのか、不可解に思った。これは、どうやら「告発」の定義を見直してみる必要がありそうだ。そもそも告発とは害を被ったとして訴える行為である。そして、原告はこのことを判事なり誰かにアピールする必要がある。その時にはもっともらしく被害者に見せることが大事だと、考えられていた。こう考えるなら、「真似る」からの派生に頷ける。これ以外思い付かない。

すると、この接頭辞 in- の働きは actional なものである。告発は誰かに向かって演技するわけであるから、これでこの派生が晴れて完全に理解できるようになった。
■ respondeo 「応答する」

(RE- + spondeo「宣誓する」)

「応答、返答」の中に「宣誓」を読み取ろうとしても、それには無理がある。そこで気になるのは、当時「宣誓」は何処で、あるいはどのようにして為されていたかである。Lewis-Short を引いて見ると、それは次のように為されていたと記述されている。

A: spondes? 「誓いますか」
B: spondeo. 「誓います」

ここに、respondeo 「応答する」における接頭辞 RE- の働きをはっきり読み取ることができる。
■ aspicio「注視する」

(AB- + specio「観る」)

単に眺めるだけではなく、何かを発見しようとする意図がそこには含まれている。

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