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ボン教コミュの中国における解毒(敦煌文献より)

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中国における解毒

 中国では、病苦でぼろぼろになれば、病苦に対し病苦への儀式をなしました。
 中国のテンサンで、父君の御名は中国王ミンツェン、母君の御名は中国王妃、そのお二人がお作りになった御子はタガ・ギャモタン。良いお顔は月の輝き、良いお体は竹のしなやかさ、良い御頭は縺れ髪のうねりであらせられました。
 神の国グンで、猛き神タンジェは、「妻、嫁として召し上げる」とおっしゃいました。お便りが参りまして、お手紙が参りまして、「彼方の人を姻戚となそう。羊毛の如きをヤクとして取ろう」と言いましたおり、中国王ミンツェンがおっしゃったことには、「一人っ子は益のない人相だと思います。貧乏ヤギは豊のないゾ(ヤクと牛の間の子の家畜)だと思います。こちらの人を姻戚にはできません。羊毛紡ぎの女をヤクとしては取れません」とおっしゃったのでした。
 他の方にも同じ様に言ったのでした。竜の国のタシングンの中で、猛き竜ガタンラはおっしゃったことには、「妻として召し上げる」とおっしゃった。人の国のキティンから、猛き人チョムポ・パティがおっしゃったことには、「妻として召し上げる」とおっしゃった。悪魔の国のナクパ・グスルで、猛き悪魔グポカが「妻として召し上げる」とおっしゃった。中国王がおっしゃったことには、「一人っ子は益のない人相だと思います。貧乏ヤギは豊のないゾ(ヤクと牛の間の子の家畜)だと思います。こちらの人を姻戚にはできません。羊毛紡ぎの女をヤクとしては取れません」とおっしゃったのでした。
 しばらくして、悪魔の方から盗みを巧みになしたのでした。つまり、悪魔がまず現れて、猛き悪魔グポカは悪魔の馬チョサンを三日捻り回して投げ捨て、三晩出会ったあと投げ捨てた。馬は子馬を流産した(?)。悪魔の馬チョサンは子馬を流産した(?)。猛き悪魔グポカはタンガ・ギャモタンの脇に子馬の死体を置いておきました。
 夜が明けて空が晴れ渡ると、猛き悪魔グポカは「タン・ギャモタンよ、馬と遊んでいたんでしょうか?馬の御子が脇にあられる。お父上のお耳に申し上げましょうぞ。お母上のお耳に申し上げましょうぞ」とおっしゃったのでした。「父上のお耳に申し上げないで下さい。こちらの者である妾は猛き悪魔グポカの妻になります」とおっしゃったのでした。そうして、猛き悪魔グポカの妻になりまして、子作りをなさるようになったのでした。生まれた御子は…な娘ロバ三頭。
 橋、橋の橋脚のもとで、悪魔の橋の橋脚のもとで、悪魔の銅鍋マルワを置いて、何を煮る。クヮ、ラ、ラ、毒を煮るのだ。クヮ、ラ、ラ、何を煮る。キ、キ、毒を煮るのだ。キ、キ、悪魔の毒マルワとプの毒レクチュー。父への贈り物としてボクイー服(?)の絵柄。母への贈り物としてション・トロ服(?)の絵柄。悪魔の毒マルワとプの毒レクチューが塗られた。
 [タン・ギャモタンは]父への贈り物を携え、父上への贈り物を携え、悪魔の国のナクパ・グスルから中国のタンサンの中へとお着きになりました。中国王ミンツェンに、ひれ伏して礼することなく、お会いし、明かりを点すことなく、到達しますと、父の御手に差し上げた。父上の御手に差し上げた。中国王ミンツェンがお召しになったことは迎えるためにお召しになった。発症したことは毒で発症し、悪魔の毒マルワとプの毒レクチューは衣服のウコン塗料から発症した。…

(以下、前の解毒話とほぼ同様の展開で終わるので省略)

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