ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

NW-SF/Speculative JapanコミュのサンリオSF文庫/70年代〜80年代異端文学・幻想文学の紹介部屋

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 読書メーターやブログ文化がすっかり読書人のあいだで定着している今日このごろですが、ニューウェーヴSFやサンリオ文庫、あるいは70年代以降の異端幻想文学などは、こうした方向性とあまり相性がよくありません。
 読んでいる人は意外といるのでしょうが、ウェブで記帳して話題を共有し、盛り上がる類の作品よりも、折りに触れて何度も「ひとり」での読み直しを要求する類の話が多い気がしています。
 なので、あまり読書メーター的なものとは相性がよくないでしょう。

 しかしながら、誰かが存在をアピールしないとこのご時勢、消えてしまうのもまた事実。
 そんななか、凄腕SF者スターライトさんにお願いし、定期的にサンリオSF文庫などの紹介を兼ねた感想を連載していただくことになりました。

 もちろん、ほかにお読みになったことがある方も、割り込んで、ご自分の感想を綴られてもかまいません。
 どうぞ、応援のほどを宜しくお願いいたします。

コメント(27)

ご指名いただき、またもやノコノコと出てまいりました。

現在、サンリオSF文庫の完読めざしてまったりと読み進めているところです。
サンリオSF文庫リアルタイム世代ではあるのですが、
書店にあまり置いていなかったせいか、買い始めたのはサンリオ撤退のうわさが流れ始めた頃。あわてて書店に走り、買い求めた記憶があります。

北原尚彦さんが『SF万国博覧会』(青弓社。海外SF者は必携&必読)で指摘されておられる通り、
サンリオSF文庫の功績は、ディックの大量訳出によるディック・ブームの火付け役、イギリスSF・女流作家の紹介にあると思います。
これまで読んだ中で言いますと、リチャード・カウパーやケイト・ウイルヘルムが読めない状況は、ちょっと残念な気がします(もっともカウパーは〈未来の文学〉の短編集に1編訳載されましたが)。

僕のつたない感想が、未読の作品への思いをかきたてたり、
既に読まれている方の独自の読みを披露するきっかけになりましたら、
幸いです。

なお同文庫は、古書市場ではいまだ高い値で取引されている場合が多いようですので、
作品を読むだけでしたら、もよりの図書館で探す手もあります。
その図書館になくても、「相互貸借」といって他の図書館から借りれる場合もありますので、
詳しくは、尋ねてみられたらいいかもしれません。

僕の感想には、読みぬけや思い違いが多く含まれていると思いますが、
その際は、遠慮なくご指摘下さい。
 スターライトさん、ありがとうございます。
 リチャード・カウパーの『クローン』は私も大好きです。また。ウィルヘルムやジョアンナ・ラスはSF史にとっても重要です。

 「SFは文学になって売れなくなった」と、私はエンターテインメントの現場で言われたこともありますが、文学としてのSFにもまた可能性はあるでしょう。
どもです。
なんとなく懐かしさにひかれて書き込みしちゃいます。
サンリオSF文庫が創刊されたのは記録を見ると私が小学校の高学年だったときで、
もちろんその時の記憶はなく、最初から本屋さんにあった、という感じです。
記憶では、他の文庫に較べて定価が高かったと思います。
で、魅力的だけどなかなか手が出なかった。
そして働き出してやっと買えるようになった途端に廃刊という悲しい思い出です。
というわけで、ほとんど読んでいないのですが、
それでも何冊かは記憶に残っていて、ル=グインの辺境の惑星とか、
ナボコフの1ダース、ラーオ博士のサーカス、夢幻会社、馬的思考、
時は螺旋がどーしたこーしたといったタイトルを覚えています。
そしてなんといってもラフアティの「悪魔は死んだ」「イースターワインに到着」
この二冊はいかにもサンリオという感じで、雑誌掲載の短篇をのぞけば
最初に読んだラファティだったので非常に印象に残っています。
私は今年のテーマを「SF再読」にしておりまして、
古い年代からの有名作を順繰りに読んでいるのですが、
またサンリオで何か読んだらご報告しますわーい(嬉しい顔)
ではまた賑やかしに^^
 サンリオ撤退の時、オールディスの「世界Aの報告書」が何十冊か送られてきたのですが、どこに消えたか、行方不明です。見つかったらここで広告します。
 それはともかく、この短い長編について、読まれた方、何か感想を寄せてもらえませんか? 
>きゃさりんさま

書き込みありがとうございます。
とりあえず70〜80年代縛り(サンリオ周辺)で行ったほうが、投稿が増えるかと思っていますが、よろしければ『シンディック』の感想を転載していただけましたら幸いです。


>宮崎山茶さま

『世界Aの報告書』については、僭越ながら評論のなかで私が論じたことがあります。
仮にロブ=グリエの『嫉妬』が平面を描いたものだとしたら、『世界Aの報告書』は立体を描いた作品なのではないかと思うくらいに、興味深い作品でした。
「科学魔界」の50号に掲載いただいており、こちらはまだ文学フリマ、コミックマーケットなどで販売されておりますので、転載は控えさせていただきますが、引き続き、何かしらご意見をお持ちであれば、宮崎山茶さまを含め、ご教示いただければ幸いです。


http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20080918/p1
第一回の感想が、こんなもので申し訳ありません。
昨年の自分の日記に書いた、『世界Aの報告書』の感想を、以下にコピーします。


(以下、コピー)

続いて今日、オールディスの『世界Aの報告書』(大和田始訳/サンリオSF文庫)、読了。図書館より借りた本。

「世界最初のSFアンチ・ロマン」(ムアコック)。マリイ夫妻の館の様子を観察する元庭師Gと、元秘書のS。さらに元運転手のCによる監視の様子が延々とつづられる。そしてさらにその「蓋然世界A」の様子を観察する「確然世界X」のドモラドサとミドルケメラ…。

正直、僕にはオールディスの意図がよくわからなかった。実験小説とのことだから、わからなくてもいいのか?

とにかくW・H・ハントの絵「雇われ羊飼い」に象徴されるように、同じ現象が様々な視点から語られたり、パラレル・ワールドを扱った変わった作品。

ちなみに同作品は、SFマガジン69年1月号の伊藤スキャナーで取り上げられ、氏自身も「一筋縄ではいかない」と評した。

(以上、コピー終わり)



宮崎山茶さまには不快と思われかねない個所がありましたので、そこだけ改変いたしました。

Thornさんが指摘されておられる通り、これは「読みなおしを要求する」作品で、読者が物語の主人公となって疑似体験し、エクスタシーを感じるようなものではなく、ものや社会の見方を違った角度からみる方法を読者に提示している小説のような気がします。

スターライトさん、ありがとうございます。
個人的には、これはとても簡単な小説でした。一筋縄、というほどのものではありません。簡単というのは、俺が頭いいだろうとかそういう意味ではなく(笑)、必要な情報がすべてテクスト上に網羅され、明文化されているという点においてです。特に追加のリサーチなどもありません。
むしろ人によっては、アンナ・カヴァンなどの方が「難しい」かもしれません。

SFは必ずしも狭義のSF史の上を動いているわけではなく、むしろSF史とは事後的に形成されるものの方が大きいようにすら思えます。よしあしは於くにせよ、例えば小説を読まない小説家など、私の知るだけでもざらにいます。

スターライトさんへの問いへの「応答」を言えば、これはカミュなどの実存主義文学が描き出すことのできなかった「空間」への意識が強く、その意味で『嫉妬』を脇に置くことをお勧めします。
読み方としては、同じくロブ=グリエの『新しい小説のために』が参考になるでしょう。
>スターライトさん

転載、ありがとうございました。
次は、スターライトさんが高く評価されているものをご教示下さいませ。
>Thornさん

シンディックの感想って三行くらいのめっさいい加減なものですが。。

「これは案外面白かった。わりと古風なプロットなんだが、文章と台詞がいい。
SFの魅力の一番大きな要素はやはり「議論」だよなあと。
フランク叔父の長台詞が素晴らしい。」

これだけ(笑)
ええと、追加情報を入れると、
作者はシリル・M.コーンブルースという人で、早川の世界SF全集に、
フレドリック・ポールとの共作「宇宙商人」が入ってるのがたぶん代表作。
物語は未来のアメリカで、腐敗した国家をギャングが破滅させ、
そのギャングが東西分割している未来世界、東部の大企業型シンジケートの青年が、
いろいろあって西側へスパイとして入りこむ、という
なんというか、ディストピア型のエスピオナージュSFという感じの小説です。
政治が経済のハシタメになっているかんじが、いかにも現代に通じるところで、
自由と効率と福祉に関するさまざまなレヴェルの議論が
物語の中枢にあります。これが面白かったです。
著者は35歳で早世しましたが、ニューウェーヴまで生きてたら
ディッシュみたいな作品を書いたかも、と夢想したりしました。
前回から一週間経ちましたので、二回目の感想を掲載します。
トム・リーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』についてです。


ハーラン・エリスン、ハワード・ウォルドロップのエッセイが付された本書は、SFレーベルの叢書で邦訳されているが、SFではなく、幻想小説と呼ぶべきだろう。しかし各作品は異彩を放っており、読者はそこで展開される物語にひきこまれ、魅了されるに違いない。平凡な日常に垣間見える暗黒を幻視する作家、というと語弊があるか。
粒ぞろいの本書だが、ベストをあげるならば、美青年の正体がエドモンド・ハミルトンの某短編を思い出させる「ハリウッドの看板の下で」、中年女性の画家に惹かれる15歳の少年の成長小説「サンディエゴ・ライトフット・スー」、ラヴクラフトのおぞましさをしのぐとエリスンが評する「デトワイラー・ボーイ」、ストレートなラブ・ストーリーを描いた「ビリー・スターを待ちながら」(個人的にはヤング「たんぽぽ娘」を超えた!)となる。
この本が入手困難なのは、大変惜しい。〈奇想コレクション〉の1冊として出てもおかしくないと思うのだが、どうだろう。

トム・リーミイは1935年、アメリカ・テキサスに生まれる。76年、ジョン・W・キャンベル新人賞を受賞。しかし、77年、〈F&SF〉誌に載せる原稿を執筆中、タイプライターに向かったまま、心臓まひで亡くなった。


本書は、79年に発表された11編収録の傑作短編集。
自分の日記では各作品にそれぞれコメントをつけて載せていますが、
ここでは省略いたしました。

見かけたら買って損はない一冊です。
>きゃさりんさま

ご紹介ありがとうございます。
シリル・コーンブルースは、『シンディック』のみならず、
フレデリック・ポールとの共著『宇宙商人』などを含めても、
なんだかサイバーパンクの先駆けのような手つきを
感じるんですよね。

別のところに、伊藤計劃との親近性について言及したことも
ありますが、非常にシビアなんだけれどもどこかあたたかみのある
スタイルをも含め、なんだかサイバーパンクっぽい、気がします。


>スターライトさん

『サンディエゴ・ライトフット・スー』ですか。これは私は
ブックオフで100円ゲットしたのが自慢です(笑)
というダメなサンリオ者の自慢大会。

それはさておき。
サンリオの魅力としては、狭義のSFとFTの淡いにあるこうした作品が
多数訳されたこともあるのでしょうね。
いわゆる「日本人受けする」と評されそうな甘さもある作品ですが、
なかなかどうしてあなどれない。

各作品についてのコメントもぜひ拝見したいですね。
そういえば、SFセミナーではなぜかクリスピンの『V』が話題になりました(笑)
みんな、よく知っているなあ。
リクエストにお応えして、『サンディエゴ・ライトフット・スー』収録作へのコメントを、日記からコピーします。長くなりましたので、2回に分けます。


「トウィラ」<F&SF>74年9月号
カンザスの田舎町に転校してきた少女、トウィラ。彼女になぜか惹かれた教師ミス・メイハンは、彼女の行動を日記につけるようになる。
ところがある日、生徒のイヴォンヌが殺されてしまう。町の唯一の保安官(ミス・メイハンの教え子でもある)ロビンに真相を聞きに行ったメイハンだが、ロビンはなかなか話そうとはしない。ようやく聞き出したその話は、とてもありえないことだった。
そんな中、教師仲間のレオが夜な夜な家を出ては帰宅が遅いことを妻のラナから知らされたメイハンは、これらの出来事にトウィラが関わっていると確信。トウィラ宅へ向かったメイハンが目にしたものとは…。

「ハリウッドの看板の下で」デーモン・ナイト編『オービット17』(75年)
交通事故の整理をしていた警官の俺は、そこで完璧な美青年がやじうまの中にいることを発見する。他の事故現場でも彼を見かけるようになった俺は、その美青年が一人ではないことに気づく。彼は何者なのか。
身内の不幸を理由にして休暇をとった俺は、彼を職務質問だと脅して誘い出し、ある山あいの丸太小屋に監禁し、その正体を暴こうとするが…。

「亀裂の向こう」ハリー・ハリスン編『ノヴァ4』(74年)
ノース・カロライナのモーガンズ・クレフト郡区の教会で起きた十五歳の少年による犯罪は、その町の悲劇の始まりに過ぎなかった。学校での生徒同士の殺し合い、少年少女らによる凄惨な事件は何を意味するのか。

「サンディエゴ・ライトフット・スー」<F&SF>75年8月号、ヒューゴー・ネビュラ受賞
カンサスに住む15歳の少年ジョン・リーは、母の急死後、父の元を離れロサンジェルスに一人バスで向かった。初めての大都会に誘拐されそうになるが、偶然通りがかったパールとデイジー・メイの男性2人組に救われる。二人の知人で隣家に住む女性で画家のサンディエゴ・ライトフット・スーを紹介された彼は、スーの絵のモデルを務めることになる。やがてひかれあった二人は同居を始めるが…。

「ディノサウルス」ロバート・シルヴァーバーグ編『ニュー・ディメンション6』(76年)
水棲生物らしい青色児(ブルー・ベビー)は、地表についての夢を見る。一方、フランとトリズの家族は、季節ごとに移動する暮らしを続けていた。フランを悩ますささやく石(ウィスパリング・ストーン)とは、また<夢みるもの>(ドリーマー)が見る夢とは。

「スウィートウォーター因子」G・W・プロクター&S・アトリー編『ローン・スター・ユニヴァース』(76年)
ベンチに腰かけていたモントゴメリー・スウィートウォーターが見た大地から突き出した鼻がくしゃみをすると、大地が震え、断層を起こした。
モントゴメリーの行動と、「母なる自然」と「歴史」との対話が交互に語られ、「母なる自然」は獅子身中の虫であるスウィートウォーターの家系の終焉を願う…。

「ウィンドレヴン館の女主人」<シャカル>76年冬号
海ぎわの寂しい廃墟と化したウィンドレヴン館。召使いジャバンが語るウィンドレヴン館の物語と、それを舞台にした小説を書く作家アグネスと夫のハワードのやりとりが交錯する掌編。
(承前)

「デトワイラー・ボーイ」<F&SF>77年5月号
ハリーの電話で呼び出されたバートラムは、彼が宿泊先のホテルで死亡しているのを発見する。電話でハリーが話していた、同じホテルの若い男が何かを知っているのではないかとその男デトワイラー坊やの行方を追う。
完璧な容姿を持つデトワイラーには、背中のこぶのためせむしであるという欠点があった。そして殺人事件の際には必ずその近くに住んでいたが、彼にはアリバイがあった。3日ごとに転居を繰り返すデトワイラー。
何とか接近に成功したバートラムは、彼の正体を暴くため、彼の部屋に侵入。そこで見たデトワイラーの真の姿とは?

「琥珀の中の昆虫」<F&SF>78年1月号
主人公の僕ベンは、両親と妹とともに父の運転する車で3週間の休暇を終え、帰路についていた。しかしカンサスの平原にさしかかったところで嵐に遭遇し、道路の冠水で他の車の運転手らとともに、とある屋敷で一夜を明かすことにする。
打ち捨てられたウェザリー屋敷に、その所有者である教授らとともに泊った人々は、屋敷近くに住んでいるというトラック運転手が語るこの屋敷にまつわる暗いエピソードを聞くことになる。それは思いもかけない展開の前触れにすぎなかった…。

「ビリー・スターを待ちながら」<シャイヨル2号>(78年)
恋人同士であるビリー・スターとスザンヌ・デラコートは、テキサスにある私の店に訪れた。ところがスザンヌが化粧室に行っている間に、ビリーは店を出て彼女の前から行方をくらませてしまう。
必ずビリーは再びここに来ると信じるスザンヌは、私にウェイトレスとしてやとってくれるよう頼み、私はやとうことにする。閉店間際のお店にやってきたスザンヌとビリーの共通の友人クリフは、ビリーが死んだことを彼女に伝えるが…。

「2076:青い眼」<シャイヨル3号>(79年)
紀元2076年、地球は上帝たちに征服されて百年がたっていた。上帝たちは地球の総人口の99%を殺戮、残ったわずかな人類は部族ごとに集団を形成していた。部族同士は、不安定な休戦状態のもと、年2回交易のために集まっていた。
その集会が行われているさなか、参加していた女性が産気づき、産婆がとりあげたのは魔術師の子どもだった!
サンリオSF、訳がひどかったのですが、ディックが好きで買って読んでいました。それと、誰も注目していなかったのですが、フランスのSFが面白いです。
>スターライトさま

リクエストにお答えいただいて、ありがとうございます。
寸評に、初出情報もあり、至れり尽くせり、ですね。


>ぐらうちょさま

フランスSFは、私も面白いと思っています。
特に『愛しき人類』、ステルンペールの『五月革命1986』も良いと思います。
フランスSF、まだ全部読んでいませんが、英米SFとはまた違ったテイストを感じさせますね。
SFマガジン77年12月号ではフランスSF特集を組んでいて、ボリス・ヴィアン(!)、フィリップ・キュルヴァル、シャルル・アンヌベールの諸作品が掲載されています。
30年以上前ではありますが、青江菫氏の特集解説は、20世紀の(70年代までの)フランスSFの歴史を押さえていて、貴重です。

もちろん、より詳細なフランスSF史については、ジャック・サドゥール『現代SFの歴史』(早川書房84年刊)があります。ただ、これも70年代半ばまでの記述なので、新しい情報ではありません。

そういえば昨年出た『バビロン・ベイビーズ』は一応フランスSFのようですが、面白かったのでしょうか?
フランスSFは、日本の受容史としては、ヌーヴォー・ロマンの文脈も忘れてはいけませんね。アラン・ロブ=グリエの『反復』、『快楽の館』といった作品が、いまでも入手は可能であります。

スターライトさん、SFマガジンと『現代SFの歴史』もご紹介下さり、ありがとうございます。連載も引き続きお願いします(笑)

ウェルペック以外はあまり紹介されていませんが、視野を広げれば、かなり豊かな文脈が眠っていると思います。たとえばマルグリット・ユルスナール。立派にSFとしても読むことができるでしょう。

『バビロン・ベイビーズ』はまだですね。誰か読まれ方はおられませんでしょうか。
フランスSFつながりで、Thornさんが書名をあげられた『五月革命'86』の感想を、拙日記から以下にコピーします。

あまり期待せずに読み始めましたが意外と面白く(失礼!)、探し出して読む価値は十分あると思います。

(以下、コピペ)

ジャック・ステルンベール『五月革命’86』(田村源二訳/サンリオSF文庫)、4月30日読了。


1986年、パリからフランス全土(そして全世界にも?)に広がった静かな五月革命の発生と終焉を描いたベルギー生まれのフランス作家による作品。
一夜にして起きた自動車の大量破壊を発端に、現代を象徴し、公害の温床となっていた産業にその飛び火は移り、やがて都市機能はマヒしてしまった。奇妙なことにこの事件には行動を呼びかける指導者もなく、目的を告げる声明など一切出されず、すでに真実を報道しなくなって久しいマスコミは、当然これらの事態に触れることはなかった。
妻と港町で隠遁生活を送っていたわたしは、この五月革命を好意的に感じながらも自らは静観し、ヨット遊びに明け暮れていた。
そこへ、妻の友人であるマルケルがわたしのもとへ「避難」してきて、パリの様子を話して聞かせるが、そのマルケルはまもなく真実を報道する『新聞』を地下発行することになる。
ほぼすべての産業の機能を壊滅へと追い込んだ人々は、都会を離れ、海岸へと移住。わたし同様、海と戯れる生活をはじめるのだが、事態は思わぬ方へと展開し始めるのだった。

「わたし」による日記という体裁をとった作品。現代の科学技術に頼ることなく、ほぼ自給自足の生活を指向する五月革命は、原始共産制社会(もしくはルソー的社会)への回帰を訴えるようで、革命のねらい(?)を執拗に描写するさまは、同じことを繰り返し説明しているようで、その意味ではこの長さはちょっと長い。2/3でもいい感じ。
人間が、搾取的な労働から解放されるのはいいとしても、この作品が描くほど、人々は内向的になるのだろうかと疑問に思った。たしかに数千キロ離れた所でも空に輝く太陽の姿に変わりはないのだが、だからといって旅行や観光がここまですたれるとは(作品の中で、交通手段が鉄道だけになったとしても)想像しにくい。
ブラックユーモアに本領がある作者らしく、五月革命の行く末には強烈な皮肉がこもる異色のユートピアSF

(以上、コピペ終わり)

ユートピアといえば、ル・グインが『所有せざる人々』で描いたオドー主義者によるアナレスがありますが、本書と読み比べるのも一興かも。
前回から1週間ほど経ちましたので、また別の作品の感想を拙日記からコピペいたします。


(以下、コピー)

サム・J・ルンドヴァル『2018年キング・コング・ブルース』(汀一弘訳/サンリオSF文庫)、5月13日読了。


数少ないスウェーデン作家によるSF。作品を書くのみならず、編集者・翻訳家・評論家などの顔を持つ。

スウェーデンの化粧品会社の経営者レオナード・W・コッケンバーグ・ジュニアは、自社で開発した新腋窩クリームの宣伝のため、新千年紀に最初に生まれた女性を探し出し、ミス・アームピットとして販売促進運動を展開することにした。
特命を受けた社員のエリック・レニングだったが、全ての個人データが管理されているはずのコンピュータにはなぜか記録が欠落しており、アンニキという名前しかわからなかった。それを唯一の手掛かりとして、何とか彼女を探し出そうとするが…。

メインとなるストーリーは、アイデアとしては随分古めかしい。これとからむベドウィンの物語がユニークといえばユニークで、きちんと本筋に決着をつけてくれる。大企業による社会の支配といった側面から読むのも一興だが、スウェーデンから見た他の北欧諸国を含めた世界の見方もうかがい知ることができ、新鮮な視点を提供しているともいえる。

また僕としては、ストックホルムのスラム地区となっているシティ・サウスで、20世紀ドイツの作家アルノ・シュミットが書いたという『紙の夢』の研究を行うティム・オイレンシュピーゲルらの活動が気になった。
同書は1970年、1332ページ、9キログラムで刊行された長篇小説で、ふつうの単行本に換算すると5320ページに相当するという。その難解な作品を解き明かすべく、1972年に〈アルノ・シュミットを解読する会〉が結成され、以来、50年経っても謎は解けていないという。シュピーゲルはそこで、もう20年以上、限定詩の索引づくりをしていたのだ。
ひょっとしてこれは、ルンドヴァル自身の投影ではないかと思ったりしたが、それはうがちすぎか。

ちなみに本書は、英語版からの重訳ではなく、語学堪能なルンドヴァルが自ら英訳し、DAWブックスとして刊行されたものを日本語訳したものらしい。

(以上、コピペ終わり)

この作品についての、別の方の素晴らしい論考があるらしいので、その掲載についてはThornさんから依頼をお願いしたいと思います(笑)
早いもので、もう6月です。

今回は、M・ジョン・ハリスンの『パステル都市』の感想です。

以下、拙日記よりコピペ。


M・ジョン・ハリスン『パステル都市』(大和田始訳/サンリオ文庫SF)、昨夜読了。


地球では、“午後の文明”“たそがれの文明”の時期を経て、ヴィリコニウム帝国が興った。帝国は500年以上もの間、西と南を海に、東を人跡未踏の陸地に、北を“褐色の大廃原”に囲まれた原始的な共同体の寄り集まりだった。諸部族を統一した遊牧民の息子ボリングは、北部族をかなたの山脈やツンドラに追いやり、“午後の文明”が残した錆の砂漠から発掘される金属や機械、古代の武器を使用して、英雄とあがめられた。
数世紀後、王座についたメスヴェンは、金属や古代機械の補給が減少しつつあることを知り、北方からの脅威にそなえてメスヴェン騎士団を結成。彼らを挑発してヴィリコニウムの力を誇示するとともに、北方部族の一部とは同盟関係を築こうとして、実弟と北部族の女王と結婚させる。
だがメスヴェンが倒れると、実弟の娘であるモイダートと、メスヴェンの娘メスヴェトの間で王位継承の争いが勃発。メスヴェン死後解散状況にあったメスヴェン騎士団は、ヴィリコニウム存亡のこの危機に、再び結集し、メスヴェトとともに対モイダートとのたたかいを開始するのだが…。


かつてSFマガジンの<SFスキャナー>で取り上げられた(73年9月号)ハリスン描くヒロイック・ファンタジー<ヴィリコニウム・シリーズ>の開幕編。
主人公のメスヴェン騎士団のクロミスは、ヴィリコニウム随一の剣の使い手だが、筋骨隆々とした男ではなく、自分は剣士よりも詩人が似つかわしいと思っている背は高く、やせていて、幽鬼のようである。本書の中でも彼は剣術の腕前はいかんなく発揮するのだが、好んで争いに身を投じるのではなく、やむにやまれず相手を斬っていく。敵将を窮地に追い込んでもとどめをさすことなく、逆にあとで危ない目に遭ったりするのである。
個性的なメスヴェン騎士団の面々が、一人また一人と北方部族打倒のため集まっていくが、ストーリーは王位継承をめぐる争いから、<バーサーカー>を思わせる古代のロボット、ゲテイト・ケモジットの秘密へと移っていく。彼らはなぜ、どのようにして生まれたのか…。
無類に面白いシリーズなのだが、残念ながら続編は訳されることなく、終わっている。訳者あとがきによると、続編はヒロイック・ファンタジーというよりは、SF色が濃い作品になっているようだ。
今回は、私的にはリーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』と並んでベスト短編集と言える、マーガレット・セントクレアの『どこからなりとも月にひとつの卵』です。

以下、拙日記よりコピペ。

マーガレット・セントクレア『どこからなりとも月にひとつの卵』(野口幸夫訳/サンリオ文庫SF)、2月8日、読了。

18編を収めた短編集。収録作品は、以下の通り。

「空を変えよ」<F&SF>55年3月号
いくつもの世界を見てきたペンドルトン。彼が望む『これこそ全宇宙で最も愛する地、これぞわが家』と思える世界を創造してほしいとアーティストに依頼する。様々な質問を通じてツヴァイクが作った世界に入り込んだペンドルトンが、そこで見たものは…。

「ボーリョー」<F&SF>66年1月号
ハイウェイ29をひた走るデントンと黄金の髪の女。ボーリョーへと向かう死のドライブ!

「結婚の手引」<スタートリング・ストーリーズ>54年秋号
行き詰った地球のテクノロジイに新たな動力資源を教示してくれるというドルフの婚儀典書<ドルサ‐ナの黄金の時>を入手しようとするジョージ。以前、同じ目的でやってきた地球人ビルについてのドルフの話は、驚くべきものだった!

「預言の時代」<フューチャー>51年3月号
科学が憎悪の対象となっている時代。多くの預言者が現れる中、ベンジャミンはトビト老人に訓練され、成長した。超能力を開花させたベンジャミンは信者を引き連れ、科学者たちへ戦いを挑むが…。

「さればわれらの挨拶を避け…」<スタートリング・ストーリーズ>51年3月号
世界から戦争をなくすべく装置を開発したカイル。それは人間がおたがいに近くにいることに耐えられないことが、軍事的な衝突を回避させるとの予測に基づくものだった。しかし、それを使用した時に起こった事態とは?

「古風な鳥のクリスマス」<ギャラクシー>61年12月号
人工的な光を嫌うクレム・アデルバーグ師に感化された人々は、電力を使わないようになった。自然な光でクリスマスを迎えようとする時、株価の下落を恐れた電力会社は、アデルバーグを殺害するため、カラスを差し向ける。

「ダミー」<F&SF>56年9月号
ダミーの宇宙船乗組員に囲まれたミス・アバーナシイ。本物の人間かと思って話しかけると、彼らは次々とダミーへと変貌してしまう。生身の人間を求めて、アバーナシイは船内をさまようが…。

「渇いた神」<F&SF>53年3月号
フロシイ族の女性メガスと関係を持ち、その後別れたことを恨みに思われたブライアンは、フロシイ族の追手から逃れるため、ある神殿にたどりついた。そこは、神聖なる場所としてフロシイ族が侵入しない場所だった。そこでやりすごせば逃げおおせるとふんだブライアンだったが、眠りから目がさめると体の自由が利かなくなっていた。そこへ原住民のプルヌプ族がやってきて、彼と肌をふれあった。しかしそれは、彼の渇きをいやすと同時に、恐るべき変化を伴うものだった。
(承前)

「愛他主義者」<F&SF>53年11月号
惑星スコスに不時着したマルコム。仲間の話では、そこの住民スラープは愛他主義者で献身的、望むことは何でもやってくれるとのことだった。救命艇を待つ間、マルコムはスラープたちに命令し、彼らが逆らわないことにいいことに、彼らに石をなげつけてサディスティックなゲームに興じた。だがある日、スラープたちは行方不明になり…。

「上陸許可」
地球と生殖をめぐる異星人の宇宙船内でのやりとり。

「地球のワイン」<F&SF>57年9月号
ナパ峡谷で葡萄酒を造っていたジョー・ダ・バロラは、ある日見慣れぬ4人の若者に出会う。彼らは、葡萄酒造家巡りの旅をしている異星人だった!地球のワインの味が優れていることを彼らに知らしめるため、最高級のワインをもてなすジョーだったが…。

「ある解答」<F&SF>55年11月号
ロボットに変えてほしいと人間の女性に依頼されたロボットがとって行動とは?

「深夜勤務」<F&SF>59年2月号
<ブルームのスポーツマン百貨>は、24時間・365日営業。そこで深夜帯だけ働くレオン・ポークだったが、そこの地下には秘密があった…。

「アイアン砦」<サイエンス・フィクション・クォータリー>55年11月号
アイアン砦に赴任したベイリスは、プライス大佐の副官として兵の訓練にあたっていた。しかし敵は誰なのか、またいつ攻撃してくるのかわからない。やがて急死したプライスに代わって司令官となったベイリスは、ある日、戦車に出撃を命じるが、自分でも目的が分からなかった…。

「街角の女神」<ビヨンド・ファンタジー・フィクション>53年9月号
街角で女性に声をかけられたポールは、彼女を自分の部屋で預かり、毎日ブランデーを与える…。

「どこからなりとも月にひとつの卵」<F&SF>52年10月号
<今日の卵>クラブのメンバーであるジョージ・リダースは、クラブから依頼されたムンクスックス鳥を孵化させた。やがて卵の中から現れたのは…。

「日々の死」<F&SF>58年4月号
いつ果てるともわからないまま続く<限定戦争>。砲兵の中隊長であるデントンは、攻撃が休止する夜間、負傷して入院している恋人のミリアムのもとを訪れた。しかし彼女は満足な治療を受けておらず、症状は悪化していた。戦争はすでに終わっているのではと感じたデントンは、ミリアムとともに中立地帯へ脱出を図ろうとするが…。

「ラザロ」<スタートリング・ストーリーズ>55年秋号
合成肉の工場を見学した一行が見た、ジューシーミート社の秘密とは?


宗教、戦争、ロボット、異星種族との交流・対話など、いろいろなタイプの作品が堪能できる作品集。「結婚の手引」や「渇いた神」など性をテーマとした作品も興味深いが、「ダミー」や「日々の死」、「アイアン砦」に見られる現実に対する疑問・不安をかきたてる短編群が印象に残る。読んでいて、ディックの作品を想起するのは僕だけではないだろう。
SFの入門書として推したいが、どうだろう。
いつものごとく、サンリオSF文庫の感想を。
今回は、ライバー『ビッグ・タイム』です。

以下、拙日記よりコピペ。


フリッツ・ライバー『ビッグ・タイム』(青木日出夫訳/サンリオSF文庫)読了。


先月、著者を代表する作品のみならず、猫SF(?)の逸品<ガミッチ>ものを集成し、「骨のダイスを転がそう」他の短編を収めた作品集『跳躍者の時空』が<奇想コレクション>の一冊として発売されたばかりのフリッツ・ライバー。その彼の“改変戦争”(本書では“改良戦争”)シリーズに属する長編。

“改変戦争”とは、スパイダーとスネークと呼ばれる二つの陣営が、過去と未来の時間を超えて戦われている果てしない戦争のこと。語り手であるグレタ・フォーゼインは20世紀のシカゴ生まれの女性で、空間と時間の外側<場所>(プレイス)と呼ばれるところで働き、この時間戦争で疲れ切った兵士たちを慰め、看護して正気に戻し、再び戦場へと送り出すエンターテイナーと呼ばれる看護婦だ。
ある時、死から再生された月世界人と半人半獣がグレタらのもとへ来て、ある函を<場所>に持ち込んだ。だが、その函には原子爆弾が仕掛けられていた。その解決をめぐってエンターテイナーの中で対立が起こるうちに、<場所>を制御するメインテナーが消失。原子爆弾の爆発まであと30分と迫った彼らがとった行動とは…。

本書は、<ギャラクシー>誌に58年3月、4月、61年11月〜62年2月まで連載されていて、58年度のヒューゴー賞を受賞した。
日本では、78年、サンリオSF文庫創刊第一弾として他の5冊(ル=グイン『辺境の惑星』ブラッドベリ『万華鏡』ロシュワルト『レベル・セブン』ディック『時は乱れて』バロウズ『ノヴァ急報』)とともに刊行された。
また訳者あとがきによると、本書は63年頃、同じ訳者で翻訳が進められていて、その後早川書房から出る予定だったようで、訳了の前に福島正実氏ら関係者の退職で宙に浮いていたらしい。

物語の設定自体は“ドック”スミスばりの、どちらかというと当時でも古めかしいものだったと思うが、そこへ兵士を慰安する(というと語弊を招きそうだが、舞台はそんな場所ではない)エンターテイナーという人々を配したのが新趣向か。
後半の、原子爆弾をめぐるエンターテイナーの対立では、彼ら全員が決して任務に忠実というわけではなく、この戦争の目的や自分の存在意義、同僚らに対する信頼や反発などが描写され、ストーリーがスリリングに展開される。
しかし、<場所>と呼ばれる閉鎖空間で物語が完結しているので、雄大な設定が十分活かしきれていない不満も残り、それはシリーズの他の作品に興味をつなげる著者の意図なのではと納得するしかない。

訳者が、「福島さんに最高に難しいSFの作品の翻訳をやらせてほしい」と頼んで渡されたのがこの作品だったとのことで、原書も難しかったのかも知れないが、翻訳もわかりにくい部分もあり、万人にオススメ、とはちょっと言い難い部分もある。

翻訳された“改変戦争”ものは本書の他に、「過去を変えようとした男」「獣の数字」「変化の風が吹くとき」「歴戦の勇士」があるそうだ。サイト「翻訳作品集成」では明示されていないが、「火星のフォックスホール」もこのシリーズっぽい作品のようだ。
『跳躍者の時空』でライバー再評価の動きが出て、“改変戦争”ものが邦訳される…なんてことはないか(苦笑)。
前回に続いて、ライバー作品です。

以下、拙日記よりコピペ。


フリッツ・ライバー『バケツ一杯の空気』(山下諭一・深町真理子他訳/サンリオSF文庫)、読了。

64年に刊行された短編集で、以下の作品を収める。

「バケツ一杯の空気」深町真理子訳/初出<ギャラクシー>51年12月号
「ビート村」山下諭一訳/初出<ギャラクシー>61年10月号
「火星のフォックスホール」野口幸夫訳/初出<スリリング・ワンダー・ストーリーズ>52年6月号
「パイプ・ドリーム」島岡潤平訳/初出<イフ>59年2月号
「時間戦士」野口幸夫訳/初出<ファンタスティック・ユニヴァース>57年3月号
「六十四こまの気違い屋敷」山下諭一訳/初出<イフ>62年5月号
「空飛ぶパン始末記」島岡潤平訳/初出<ギャラクシー>58年2月号
「最後の手紙」野口幸夫訳/初出<ギャラクシー>58年6月号
「ラン・チチ・チチ・タン」山田和子訳/初出<F&SF>58年5月号
「性的魅力」島五郎訳/初出<ギャラクシー>50年11月号
「美女と五人の男たち」岡部宏之訳/初出<ギャラクシー>51年4月号

ご覧のように、2編を除いて全て50年代の作品。その多くは<ギャラクシー>誌に掲載されたもので、とりわけ「性的魅力」は創刊第2号にはやばやと掲載され、「編集長ゴールドのめざした質と新しさを一番体現している作品」(『ギャラクシー(上)』鳥居定夫氏の巻末解説より)。
表題作の奇抜なアイデア(パパに言われてバケツ一杯分の空気を取りに行く!話。自分の家族以外の人間は全滅したと思われていたのに、その時見知らぬ若い女性の顔を見る)も捨てがたいが、集中のベストは「最後の手紙」だろう。
<隣の女>としか結婚できなくなった25世紀の未来。主人公のリチャードは、たまたま観光に来ていたある女性にひとめぼれしてしまう。何とか名前を調べ上げ、多数の郵便物にまじってその女性にラブレターを書いたリチャード。しかしその社会では、手書きの印刷物を送ることは禁じられていたのだ!<太陽系捜査局>に逮捕されたリチャードの前に、くだんの女性が現れて…。

「六十四こまの気違い屋敷」は、コンピュータも含めたチェスの達人たちが繰り広げる大会を、チェスのルールも知らない女性新聞記者が取材に訪れ、そのゲームの魅力を知っていく話。観戦に来ていた少年少女がいい味出している。
「空飛ぶパン始末記」は、文字通り空を飛び交うパンの話で、ライバーにこんなユーモアがあるのかと変な意味で感心した作品。
「火星のフォックスホール」は、“改変戦争”ものを思わせる集中では一番SFらしい作品。ラストでスピーカーから聞こえる声と、それによって主人公が目撃するヴィジョンが鮮烈な印象を残す異色の戦争もの。

ライバーの様々な魅力が堪能できるショウケースではあるが、短編集としての出来は『サンディエゴ・ライトフット・スー』や『どこからなりとも月にひとつの卵』の方に軍配をあげたい。
今回は、シオドア・スタージョンの異色作『コスミック・レイプ』です。
以下、拙日記よりコピペ。



シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』(鈴木晶訳/サンリオSF文庫)、読了。

浮浪者同然の生活を送っていたダン・ガーリックは、ごみ箱をあさっていると食べかけのハンバーガーを見つけ、それを口にした。二日後、住みかにしていた古いトラックの中で、メドゥーサによって深い眠りから起こされた。メドゥーサとは無定形の生物の超意識であり、播種のため皺くちゃの精子をところかまわずまきちらし、ガーリックが食べたハンバーガーの中にその胚子が付着していて、ガーリックを宿主にしたのだ。
メドゥーサは、ガーリックの頭の中で奇妙な命令を発し、それに抗えないガーリックは目的もわからぬまま大脳生理学者のもとを訪ねて「どうしたら人間の頭脳をひとつにできるか」質問し、そこで奪ったお金で様々な金属、電気部品を買い込み、ある装置を組み立てる。
それは、思考スペクトルにおけるある波長のための受信・増幅器で、その受信器がもとになって次々と別の機械を作りだしたあと、結局戦車のようにすすむ一群の機械と、それらを目的地へ運ぶ銀色の球が残った。銀色の球は機械を持ち上げ、人間に放射物を浴びせるべく世界各地に飛び交った。ふたたび人間の精神を一つにするために…。

いかにも50年代SFらしいアイデア・ストーリー(本作品は58年刊行)。このストーリーが主軸になって、その他の一見無関係なエピソード(ある経理部に勤める美貌の女性社員と彼女に接近する男性社員の物語、不良少年と彼を追う警官の物語、自閉症気味の5歳の少年の物語、引越しのため車で移動中の家族の物語など)が、交互に語られる。

種族の精神が一つに結ばれる「群状頭脳」というアイデアは珍しくないと思うが、正面切ってそれに挑んだ作品を読むのは初めてかも。煽情的なタイトルと邦訳版の表紙に惑わされず、アイデア・ストーリーが好きな人は手にとって損はない作品。

この作品は、もともと〈ギャラクシー〉58年8月号に掲載された「メドゥーサとの結婚」をふくらませたもので、グレッグ・プレス版ではこの二つが一冊に収められている。
本文200ページぐらいの長めの中編といった感じで、グレッグ・プレス版に収められたディレーニ(ママ)による長大な序文を収録している。
チャールズ・L・ハーネスの『ウルフヘッド』の感想です。


『ウルフヘッド』チャールズ・L・ハーネス(秦新二訳/サンリオSF文庫)、4月6日読了。


短編「現実創造」は、<20世紀SF>にも収録された傑作であり、僕にとってもオールタイム・ベストSF短編のひとつ。その傑作を書いた作者による、本邦唯一の単著である本書は、好物最終選択の法則(そんなものはありません)が働いて、これまで読むのを後回しにしていた作品。
というか、「傑作をものした作者」という僕の中でのハーネス像を壊したくなくて、あまり評判の聞かない本書を読むのをためらってきた、というのが真相かも知れない。タイトルや表紙がなんとなく僕のハーネス評価に否定的な印象をもたらしそうだったし。傑作の呼び声が高い『パラドックス・メン』や『リタネルの環』(いずれも仮題)が訳されれば、これはもう一も二もなく飛びついて、むさぼるように読むのだが…。

しかし、結論から先に言うと、これは面白かった。
「78年の作品なのに、いまさらオルフェウス神話の再話かよ!」という声も読んだ人から聞こえるような気もしないではない。たしかに、奪われた最愛の妻ベアトラを、主人公のウルフヘッド(名前です)が地底へ向かい、取り戻そうとする話――とストーリーを言ってしまえば、まさにその通り。たとえそれに、主人公が脳の傷がもとで<渦力>と呼ばれる一種の超能力を発揮したり、彼の脳を一部移植することによってテレパシーで会話できるようになる牝狼ヴァージル、核戦争を回避して地下に逃げ込んだ地底人たちがアメリカ人でこの物語では悪役を演じているとかの要素を付け加えても、ちっとも70年代SFっぽくない。

でも、いいんです。たとえ安田均さんが巻末解説で本書を擁護するかのような、奥歯にものがはさまったような言い方をされていても、近年の大ヒットテレビドラマ「24」を先取りしたかのような(?)24時間以内に任務を遂行しなくてはいけないという設定も、脳の一部が移植されただけで狼と会話できるというご都合主義的アイデアも、ハーネスなら許す。

本書を読んでいる間、「スピーディで活力溢れる物語展開」(表4)を楽しんだのは、事実なのだから。



今回で10回目とキリがいいので、一応これで終了します。
僕のつたない感想が、サンリオSF文庫読書の一助となれば幸いです。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

NW-SF/Speculative Japan 更新情報

NW-SF/Speculative Japanのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング