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現代人にも通用する仏教思想コミュの030-アングリマーラ物語2「信解脱」

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 (続き・・・)

 【心の中の奇跡】

 アングリマーラの説話は、仏教の救済力を示しています。

 救済力とは悟りに導くことの別名でもあります。つまり心の中に奇跡が起こると言っても良いでしょう。けっして目には見えませんが心の中に起こる奇跡は現実としてあると言うことをアングリマーラの説話で示されています。

 説話の中では、アングリマーラが偉大な釈尊の威神力(いじんりき)によって改心することが出来ましたので奇跡に近いところがありますが、そののちアングリマーラは仏弟子になったのちに、まず第一段階として信仰による奇跡を体験したと言えます。すなわち、信じることでまず最初の悟りを得たわけです。(これを仏教では、信解脱と言います。)

 そして悟りを得たなら、その悟りの力は心の中の罪を消してしまう力があると釈尊は語っています。まさに、心の中の奇跡をアングリマーラに示しました。心の中の罪が消えたからと言って、この世の罪を免除出来るわけではないですが・・・釈尊が世におられたときは王でさえも教団にいるアングリマーラを逮捕せずに釈尊に任します。それほど釈尊の力は偉大だったと言うことです。その後アングリマーラは修行を積んで阿羅漢(あらかん)の境地に達したのでしょう。

 これは現代の「浄土真宗(じょうどしんしゅう)」の考え方に近いものがあります。親鸞上人は「悪人正機説」(阿弥陀仏は悪人こそ救おうとなさる。善人はもとより救われているから悪人を優先されるのだという考え方。)という考え方を示して弟子に説いています。これこそ阿弥陀仏信仰への薦めによる悟りへの導きです。

 親鸞上人は自分自身が悪人だったので従来の仏教の考えなら絶対に救われないはずの人間さえも阿弥陀仏は、お救いになると説き、悟れない凡夫達は口唱念仏を通じて阿弥陀仏に深くお任せする以外には救われないと説きました。(ここでいう悪人とは六大煩悩に翻弄された生き方をする人間のこと。親鸞上人が肉食妻帯の戒を破った破戒僧だった。)

 これは、三宝(さんぽう=仏陀と仏陀の説かれた法と仏陀の僧団)に帰依(きえ=)し、修行し、解脱してこそ救われるとした努力の教えと真っ向から相反する教えです。釈尊は信仰による救いを認めていながらも「怠りなく悟りの階梯(かいてい)を昇って行きなさい。」と、言っています。つまり、悟りには段階があると言っているんですね。浄土真宗のように念仏によって一発で救われるとは言っていません。

 そこのところが、浄土真宗がキリスト教に近いと言われる所以(ゆえん)です。阿弥陀信仰とキリスト教信仰とくらべてみると「キリスト(救世主)を信じることで天国の門をくぐることが出来る。」というところに近いところがありますが、ただキリスト教は神の裁きを畏れなさい。と言いますから阿弥陀信仰とは決定的に違います。阿弥陀信仰は悪人であろうと誰であろうと深く阿弥陀仏に帰依すれば善人悪人を問わず全員を口唱念仏で阿弥陀如来によってお浄土につれていって貰えます。

 浄土真宗では色々言いますが、結局、釈尊成道後の初期に釈尊が説いた法は全部方便だと言うことになってしまいます。釈尊が仏説阿弥陀経で言っているではないか念仏で救われると言っているではないかと言い張るわけです。しかし、歴史的に見ても釈尊が戒律を作り大勢の出家者を阿羅漢の悟りに導いたのは歴史的事実として残っているわけですから、後からそう言った経文があるから前のは全部方便だというのはいかがなものでしょうか。

 浄土真宗の功罪の功があるとすれば大衆救済でしょう。これは大いに認めなければならないと思います。他の仏教教団のどこも浄土真宗ほどの救済力はありません。口唱念仏(くしょうねんぶつ)によって阿弥陀如来がお浄土につれていて下さるという倶会一処(くえいっしょ=倶とは”共に”という意味で、浄土に生まれたものは、みな一つ所で会うことができるという意味。)の思想が多くの迷っている人に対しての救いになっていることは間違いありません。そしてまた、地上には浄土真宗やキリスト教のような絶対他力信仰で救われるのを待っている人々が数多いことも確かです。

 「阿弥陀信仰」はけっして間違った教えではありませんし、「南無阿弥陀仏」で大勢の方が死んでから天上界に帰っているんでしょうからね。認めてあげなければなりません。しかし、決して高いところへは帰れないことは事実なんだろうと思います。もっと高い天上界へと上がろうと思ったら、やはり努力しないと上がれない事実があると私は思います。親鸞上人も悟られるまでは比叡山で天台教学を徹底的にやり六角堂にこもって何十日も禅定を組んでいます。やはり、上に上がるためには並々ならない努力が必要だと言うことです。

 親鸞上人が仰っておられるのは、釈尊が説いた無我の思想の親鸞上人的解釈とも言えるのです。

 (^_^)

 (続き・・・)vhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44039564&comm_id=4273190

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