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4000字の世界コミュの「わらべ歌」

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 キヨは齢八十になったが朗々と歌う。
 耳が遠くなったために音程は外れていたものの、ほど良くすんだ美声をだす。
 大人の歌う民謡のようだったがそうではなく、子供のころから馴染みのわらべ歌だった。隣家の少年が親の畑仕事をてつだう時にかならず口ずさんでいて、となりの田んぼでおなじように親の農作業をてつだっていたキヨも、自然とおぼえていた。
 歌詞の意味など考えたこともない。彼女はただその音を発すれば喉が心地よくふるえることを知っていた。それで充分だと思っていた。
 つんだ稲ワラの束に背をあずけて坐る。空は青く、キヨの歌声はしろい雲にまでとどきそうだった。歌いながら見あげていると、合いの手をいれるようにして、鳶がひょろひょろとどこかで鳴いた。

 ワラ束のかげには、近所に住む少年がひそんでいた。
 三郎太という名の悪童で、キヨに悟られないように、こまかい農具などが入っている麻袋に手を伸ばし、硬直している。彼はそのなかに飴玉が入っていることを知っていた。もうすこしで手がとどく、というところで、作業を中断したキヨが休憩にやってきたのである。
 三郎太はよく悪戯をした。
 悪戯がばれて尻を打たれることもしょっちゅうで、村の大人たちは悪郎太と呼んで疎んじたが、彼は決してあやまらなかった。足を縛られ、松の木の枝からぶらさげられても、器用に縄をほどいて逃げ出したし、逃げきれずに捕まり、殴られても、涙を見せたことは一度もない。
 ついひと月ほど前、父親が他人の家の蔵へ盗みに入って捕らえられ、三郎太は盗人の子供だと石を投げられたが、父は彼が生まれたときからだらしのない飲んだくれであり、盗み癖もいまに始まった話ではなかった。
 キヨは三郎太に気づいていない。しかしあたりには他に隠れられるような場所もない。三郎太は麻袋に手を伸ばした状態のまま、ほとほと困り果てていた。

 そんなふたりの様子は、遠くからでもよく見えた。一町ほど離れたあぜ道にいる少女の目にも、はっきりと見えた。
 彼女の名はミツといった。
 ミツは事あるごとに、三郎太から意地悪をされている。彼の好意の表し方は乱暴だった。彼女は三郎太の野蛮さがどうにも苦手だと思っている。
 ミツは握り飯が大量に入っている風呂敷包みを抱いていた。彼女がそこにいることを三郎太はまだ知らなかったが、もし知られたら奪いとられるに違いない、とミツは考え、それまで以上につよく風呂敷包みを抱きしめた。ここから一里ほど離れた場所にある村の集会所で、男連中が酒盛りをしており、ミツは母親から、太陽がかたむく前に握り飯を差し入れるようにと言付けられていたのである。
 キヨばあちゃんごめんなさい、
 と心のなかで詫びながら、彼女は小走りに駆けだした。
 道の先には、山へとつながる森があった。森は夜になると、梟や野犬やえたいの知れない何物かが徘徊する不気味な場所だったが、昼日中には小鳥がさえずり、リスが走った。ミツはよく仲の良い女の子たちと、木漏れ日のなかでドングリやキノコをひろって歩いた。集会所へ行く道からは逸れてしまうが、しばらく森の木陰に身をひそめて、三郎太が立ち去るのを待つことにした。
 森に着くと、木陰に入ってしゃがみこみ、そっと木の幹から顔を出す。どんな顔つきをしているのかわからないが、三郎太が身動きできない状態にいることがわかった。
 キヨはあいかわらずおおきな声で歌っている。キヨの歌声は村の名物のようになっていて、彼女の声の調子を聞けば、その年が豊作かそうでないかがわかるのだと父親は言う。そういうものかしらとミツは半信半疑だったが、キヨのやさしい歌声を聞くのは好きだった。彼女は木の幹に背をあずけ、坐りこんでうっとりとした。
 すると、すぐそばの茂みがガサガサと音をたてた。
 おどろいたミツはバネ仕掛けのように立ちあがったが、あまりにびっくりしすぎて悲鳴は出なかった。口を開けたまま立ち尽くしていると、茂みから四つん這いで、獣のようなものが出てきた。ミツはおもわず後ずさりした。熊や猪に出遭った時は、悲鳴を出したり走ったりしてはならないと、猟師である父から聞かされていた。おどろいた熊や猪が興奮して襲ってくるからで、万が一にも出遭ってしまったら、相手の顔を見つめたままゆっくりと後ずさりして行くのが良いのだということだった。
 ミツはその通りにしようと思ったが、よく見ると出てきたのは獣ではなく、裾のすり切れた汚い衣服をまとう、痩せた老人だった。
 からみあったしろい蓬髪と髭のせいで、どんな顔つきをしているのかわからなかったが、髪の毛の合間からのぞく目は、疲れきっているように見えた。老人は濁った目でじっと、ミツの抱く風呂敷包みを見つめていた。腹が減っているのに襲いかかるほどの体力もないといった様子で、老人の濡れた瞳をミツは哀れに感じた。
 包みのなかに手をいれて、竹の葉でまいた握り飯をひとつ取りだす。足許におくと、老人はひとしきり見つめたあと、手を伸ばしてきた。ミツはあらためて恐ろしくなり、骨ばった汚い手が握り飯を握ったのを見届けもせず、一目散に逃げだした。

 老人は少女の背中を見送った。
 見送りながら、優しい少女だと思っていた。かつて彼にも似たような年齢の娘がいたのだが、それは遠い昔の話で、すっかり老いぼれた彼には他人事のように感じられた。
 老人の名は善吉といったが、自分の名前ですら、誰か見知らぬ他人のもののように感じられる始末だった。彼は疲れきっていた。若いころは違ったはずだと、久しぶりに見る握り飯を手に持ったまま、彼はそう思った。
 彼はむかし、立身出世を夢見ていた。若いころは恐れるものなど何もなく、村を出て魚の行商をし、たくさん稼いで、故郷に錦を飾ろうと息巻いていた。しかしなかなかうまくいかず、それならばと旅芸人をして失敗し、旅僧になりすましてなんとか糊口をしのいだ。
 二度ほど女と暮らしたこともある。
 一人目の女は借金とりから逃げる元芸者で、しばらくは楽しんですごしたものの、とある旅館であさ目覚めると、梁にむすんだ縄で首を吊っていた。
 二人目の女はちいさな漁村に住んでいた。器量は悪かったが愛想はよく、子宝にも恵まれた。今度こそ地道に暮らそうと漁にはげみ、村にもだいぶ慣れ親しんだのだが、投網の仕草が様になるころには妻も子も、流行りの病にやられて死んだ。
 そしてまた旅に出て、幾年かは薬売りをしてすごし、そうこうしているうちにだんだんと、酒に溺れ、博打を打つようになった。仕事もろくに手につかず、物乞いをするようになったころには、すっかり年をとっていた。髪は白くなり腰は曲がっていた。杖をついて歩くのも困難で、道端にむしろを敷いて横たわり、このまま死んでゆくのかと思ったとき、せめて故郷に帰ろうと、彼は思い立ったのだった。
 文字通り、這うようにして郷里を目指した。
 蝸牛のようにじりじりと、野を越え山を越え、親切な旅人の馬に乗り、船につまれた米俵にかくれた。雪に吹雪かれ雨に打たれ、しだいに草鞋はすりきれた。足の裏と膝の皮膚は何度もやぶれ、治り、くりかえすうちに分厚くなって何も感じなくなり、木の実を食べ、雨水を飲み、おおきな川を溺れながら泳いで渡り、竹林を越え、杉林を越え、茂みを越えたそこに、おびえた目を持つ少女がいたのだった。
 善吉は握り飯を口にはこんだ。もう歯は一本もなく、歯茎ですり潰すようにして食べたが、唾液がわかないため喉につかえ、吐きだした。
 彼はしばらく、残った握り飯を見つめていたが、ややあって地面に置くと、その前にきちんと正座して、両手を合わせ、頭をさげた。
 そしてそのまま、握り飯のうえに倒れこんだ。
 うつぶせに倒れたまま、彼は動かなくなった。
 動かなくなった彼の背中に、あかるい木漏れ日がさしていた。
 子供のころ、隣家に住む少女と歌った、わらべ声が聞こえてきた。

 飴玉をあきらめた三郎太はミツを見つけ、見つかったミツは、握り飯をコロコロと落としながら逃げていった。
 遠くから男たちの笑い声が響き、鳶は旋回しながらひょろひょろと鳴いていた。          


  おわり

コメント(5)

 うん、以前、自分とこの日記に載せたことがありましたね。
 行き場のないやつだったから、ここに置いておこうと思って。
 これを書いたときは、三人称の視点が次々と移ってゆく話を、練習がてら書いてみようと思っていたんですね。
 この手のものは、もっと書いてみたいです。
 ハルチルさん、こんばんは。
 公募に向けた作品のほうは順調に進んでますでしょうか。
 拙作お読みいただきまして、ありがとうございました。
 バトン。そうですね。カメラをバトンのように次々と渡していって、最後に冒頭とループする。そういった書き方の練習として書いたのが本作でした。

 >人は決して一人で生きているわけではなく、みんなそれぞれがいろんな関わり方をしていて、どこかで繋がっているんだなぁ、と。

 要約していただけると、なるほど、確かにそうだなあと、逆に教えてもらった気分になりますね。たしかにそういったことが書きたかったのだけれども、書き上げて、感想をもらう段になるまでは、どこかあやふやなままです。
 私も、長編でこういうものを書いてみたいと思っています。でも、ハルチルさんの書くものも是非とも読んでみたい。
 私もいま公募にかかりきりです。
 お互いにがんばって結果を出していきましょう。応援しているし、負けないように努力です。

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