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4000字の世界コミュの「ぶさいくな猫」

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 猫を見た。おどろくほどぶさいくな猫であった。
 白猫で、ややかた太り。野良猫のくせに太り気味なところがふてぶてしいが、猫というものは一見して野良かどうか判別がつきにくく、その体格を見ると、どこかの家で定期的に餌をもらっているに違いないと思われ、もしそうであるのならば飼い猫というべきなのかもしれないが、人に飼われているという自覚があるようには見えなかった。視力の弱い人がたまに見せる眼の細め方をしていて、そこにプライドめいたものを感じたからかもしれない。
 鼻の周辺の毛はうすく、ピンク色の地肌が見えている。こうした動物の肌というものは、ふだんは毛に隠れてなかなか見えないものであるから、たまにテレビで生まれたてのパンダであるとか鳥の雛などを見たりすると、直接空気にさらされた内臓を見るようで目をそむけたくなるところ、その猫のピンク色の肌も同じで、どことなく哀れな気分を催される。しかし猫自身は悠然とした足どりであって、私の一方的に不躾な哀れみなどどこ吹く風、大物気取りな顎のしゃくり方は、おまえの方が生物として劣等だよと言わんばかりだ。
 その日はよく晴れていた。町の片隅にある設計事務所は一階が駐車場になっていて、道路に面した砂利敷きのその場を喫煙所にしていた。私は仕事の休憩時間にぼんやりとタバコを吸っていた。
 視界は開けている。道路の向こうには雑草の生い茂る空き地があった。空き地の右辺には、壊れたトラクターや家財道具などが乱雑に押しこめられている廃倉庫があったが、左辺は畑地で、空き地の背後には広大な田園が広がっていた。遠くに住宅街やショッピングモールが小さく見え、さらに向こうには山があった。
 猫は空き地の草むらの陰から、じっとこちらを見つめている。眼を細めているが、身構えることもなく、悠然というより弛緩している様相であった。態度もふてぶてしかったが、それ以上に傲慢なのが顔の造作で、頬はたるんでぼた餅のように横に太く、顔の表面積が広いわりに、目が小さくて耳が細い。私は相撲が好きでよく観るのだが、力士の顔には肉におおわれたふてぶてしさの中にも愛嬌や凛々しさといった美点が必ずあると思っていたところ、この猫にかぎって言えば、とにかく無愛想なのだった。私はタバコを吸いながら、急に腕をあげてみたり、足を一歩踏み出してみたりした。しかし猫は微動だにしなかった。人間の姿を認識しながら弛みきった態度に業を煮やし、いきなり猫に向かって駆け寄ってみた。そうすれば、さすがの奴も驚いて跳びすさるに違いないと考えたのだが、私の幼稚な悪戯にやれやれとため息をつくような様子で、猫は左方へとろりと逃げた。人間からみれば素早いものの、あきらかに私の動きを予見しきった逃れ方で、一度だけ振り返った後、ことさらゆっくりと歩き去ってゆく。顔は言うに及ばず、その態度も小生意気で、独り言を言う癖なんてない私でも、「ぶっさいくだなあ」と声が出た。
 この猫の話をぜひするんだ、と家に帰ったところ、妻もまた話したいことがあってうずうずしていた様子で、先を越されてしまった。
「あなたちょっと聞いてよ」
 とキッチンで夕食の準備をしながら妻が語る内容は、娘のクラスの担任教諭に対する不満だった。小学三年生の娘が臆しがちに話したところによると、まだ若い青年であるところの担任が、なにを思ったのか、ホームルームの時間、牛肉や豚肉を加工する以前に屠殺という仕事があるのだと紹介したうえで、そのことを多少なりとも残酷だと思うのであれば、菜食主義に変わった方が良い、などと言ったらしいのだった。娘のたどたどしい説明を誇大解釈した結果ということになるのだろうが、妻はひどく立腹していて、明日学校へ抗議に行ってやるわ、と息巻いていた。待て待て、ちょっと待て、と何事も静観したがる私はすぐさまなだめようとしたのだが、妻はすでに他の親からも陳情を呼びかける電話を受けており、ちょっとした運動へと発展しつつあるそれを、もう今さら止められるものではないのだと、力強くごはん茶碗をテーブルに置く。そんな妻を目前にして、ぶさいくな猫の話題なんて出せようはずもなかった。
 その翌日、空き地の隣にある廃倉庫のまえを通りかかったとき、割れた窓ガラスの隙間から中を覗いてみたところ、例の猫がいた。ところどころ破れている革張りのソファのうえで丸くなっている。こんなところを根城にしていたのか、と思っていると、丸まった猫の懐から、ふいに子猫があらわれた。親譲りの白い産毛は柔らかそうで、こちらは親の遺伝を受けなかったらしいぱっちりとした目は端整だった。そうか、奴は母猫だったのかと、雄だと信じて疑わなかった私はおどろかされた。母猫は眼をつむっていて、向かいの窓ガラスから射しこむ光のなかで眠っていたが、残念なことにその寝顔もまた、かわいらしいとは言い難い。だが手前勝手なもので、子の親であると思った途端に親近感がわき、ぶさいくのふてぶてしさが愛嬌に取って代わる。これはたとえば、外国人から道をたずねられて身構えたくせに、相手が日本語を喋りだした途端に親しみをおぼえたりする私の浅はかに由来するもので、そう考えると自分の小人物ぶりになんとなく落ちこみ、野良猫の寝姿を見ながらため息がもれた。そんな私の姿をあざ笑うように、そばの電信柱のうえにとまっていたカラスが、あっけらかんとした鳴き声をあげた。
 子猫は母親の懐から這い出すと、常に驚いているような目つきで周囲を見回した。私の姿に尻ごみするかと思ったが、気づきもせず、彼か彼女かわからない子猫は、ふとソファから転げ落ちた。私はおもわず「あっ」と声をあげてしまった。すると地面に落ちた子猫は平気な様子でびくりとこちらに顔を向け、母猫もまた目を細く開けて、のっそりと首をめぐらせてきた。バツの悪い思いをしてそそくさとその場から立ち去りつつ、子猫がソファから転げ落ちた様子に、私は娘の姿を重ね見ていた。
 昨夜、彼女は食卓に並べられた鳥のから揚げを見て、すこし眉根を寄せていた。箸でから揚げをつつき、皿の上で転がしていて、妻は気にせず食べなさいと叱ったが、自分が食べているものはまぎれもなく生き物だったのだと娘に悟らせた担任には、食育という観点から感謝すべき向きもあるように思われる。だからといって偏った思想を植えつけるのを見すごすわけにはいかないという、妻の言い分ももっともな話だが、いずれにしてでも、昨夜の娘のおびえた様子は哀れだった。幼いころに活発すぎてソファから転げ落ちたりテーブルの角に頭をぶつけたりして泣いていた、あの恐れるものなど何もないという猪突精神が失われつつあるのだと思うと、しかたのないことだとはいえ胸が痛む。
 仕事を終えて帰宅すると、妻が疲れた顔をしている。何があったのか聞いてみたところ、主婦仲間と五、六人で学校に押しかけた結果、教頭室に通され、そこで担任教諭から延々と、菜食主義に関する講義を受けることになったというのであった。その若者は世界的な見地から事細かに分類されるベジタリアニズムについての薀蓄を烈しい情熱とともに開陳してみせ、妻たちを黙らせ、しまいには穏便に済ませようとする教頭にまで食ってかかり、思いもかけぬ騒動に発展しかけたのだという。
 世のなかには様々な考え方が存在しうるもので、どれが正解であるとか間違いであるとか一概に言えるものではないが、それぞれの立場に立つ論拠にはかならず筋道だった道理があり、その立場に立ってしまうと頷かざるをえない説得力があってしかるべきかもしれない。私はタバコを愛飲しているが、これにしても非喫煙者から見ると信じがたい暴挙であって、以前嫌煙家であるところの知人に聞かされた話によると、ところかまわずタバコの煙を吐く人が、彼には「ところかまわず屁を放つ人」に見えるのだという。それほどタバコの匂いに嫌悪感をしめす彼のような立場に立つと、よほど滑稽で恥知らずに見えるのだろうと、私は翌日、また事務所の下にある駐車場でタバコを吸おうとしながらそう思った。
 そのとき、ギャアギャアと騒がしく鳴くカラスの声がした。廃倉庫の屋根の上で三羽がケンカしている。彼らが騒いでいる足許には白い何かがあって、それを取り合っているようだった。何事かと目をこらした私は、白い物の正体に気づいておどろき、タバコの火を点け損ねてしまった。それは子猫の死骸であった。白かった産毛は血に染まり、ぴくりとも動く気配がなく、私はあわてて目をそらした。ふと母猫の存在が気にかかる。倉庫の窓へ駆け寄ってみたが、その中にはいなかった。周囲を見渡しても姿はなく、猫の鳴き声も聞こえなかった。どこに行ったのか、と思っているうちに、休憩時間が終わってしまった。
 仕事を切りあげたころには、カラスはいなくなっており、子猫の死骸も消えていた。息苦しさを感じながら事務所を出て、駐車場に向かって歩いていると、空き地の草むらのなかに立つ母猫の姿が目に映った。彼女は赤く暮れなずむ夕陽の下、あいかわらずの仏頂面で、私と一瞬だけ視線を通わせた後、また悠然と草むらの奥へ姿を消した。


おわり

コメント(4)

確かに小学校の時には、自分の食べているものが生き物だったなんて考えもしないですね。

食べ残したら農家の人に申し訳ないとか、食べたくても食べられない人がいるとかいう理由で怒られますけど、食べられるために殺された鶏に申し訳がたたないとかいう理由で怒られた事は多分なかったと記憶してます。
小学校だと、基本栄養素の観点から食べ物について教わった気がしますしね。食べ物はあくまで食べ物として扱われる。

屠殺の話をもし小学校で聞いてたら、どう自分は思ったんだろうな。って読んで思いました。
 しおさん、お読みいただきまして、ありがとうございました。

 考えなかったですね。子供のころ、豚肉や牛肉が生き物だったなんて。
 いまは、魚の切り身が切り身の姿のまま泳いでいると思いこんでいる子供もいるとか。嘆かわしいことですが、一見して刺身の種類を言い分けられない私も、あんまり他人事じゃありません。
 この話に限って言えば、食育に関するくだりは、テーマとしてちょっとアクが強すぎたかなと反省しています。
 でも、一考の一助になったのなら、まあ結果オーライということでm(_ _;)m

 感想ありがとうございました。
 ハルチルさん、こんばんは。
 拙作お読みいただきまして、ありがとうございました。

 そうですね。書いている側としても、四十代はじめか半ばぐらいの人を想定して書いていました。
 ただ最近の四十代は若いですからね。私はまだ三十路すぎですが、うちの嫁さんは近い年齢ですので、おじさんと呼ぶ勇気はもうあんまりありません……。

 猫の描写、飽きずに読んでいただけて助かりました。
 ああいう猫が、近所にいたんですね、実際。
 端正な猫ももちろんですが、ぶさいくな猫はより大好きです。

 赤く暮れなずむ夕陽、というのはちょっとベタでしたね。すぐに武田鉄也の歌声を思い浮かべてしまいます。テクニックと呼ばれるほどのものなんて私は全然持っていないので、そう受け取っていただけたのは、ありがたいやら申し訳ないやら。
 でも、嬉しかったです。
 示唆に富む、貴重な感想がいただけました。
 ほかの作品も読んでいただけたら嬉しいです。
 ありがとうございましたm(_ _)m  

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