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鬱という言葉を遣ってはいけないコミュの●「個人的にフロイトが嫌い??」という質問について

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●個人的にフロイトが嫌い??
> フロイトの業績とフロイト自身の倫理観は、
別のものだと考えています。想像力と生命倫理これは

不可分のものですね。

●サルトルの系列について
> 誤解のないように確認しておきたいのですが。
フロイト以前に、心理学があったことはご存じですよね。

ベルクソンは、現代心理学の価値を問う試問に対し、
現代心理学のみならず心理学一般を強く批判すしています。
サルトルが、精神分析学者でノーベル文学賞に選ばれているのは

ご存じの通りです。サルトルは、精神分析は、きちがいじみて
知り尽くしていましたね。穴は、ありませんでした。ですから
アカデミーからノーベル賞にも選ばれていますね。

自由のために、それを拒否したのです。それだけの倫理観をもっていたか

らですね。遠藤周作もノーベル賞にこびませんでしたね。サルトルの影響

が大きいですね。これは、医学に精通していた、遠藤と仲の良かった、河

合隼雄や手塚治虫に

も共通の見解としてありましたよね。それは、ファンタジーを愛した、河

合隼雄にとっても、ジャン=ポール・サルトルとして息づいていましたね

。当然のことながら、エンデと河合隼雄が懇意だったのが頷けます。想像

力は、表現の自由と

言論の自由にありますね。サン・テグジュペリ、ブルトン、バタイユ、岡

本太郎、サルトルもトロツキーと親交をもったり、愛読したりしていまし

たかね。アンドレ・ブルトンは、トロツキーからすべてを学んでいますよ

ね。ジュペリは、ブルトンと懇意でしたよね。宮崎駿は、ブルトンに傾倒

していますよね。それは、想像力の問題についてトロツキーとサルトルが

突出した才能と頭脳、想像力を持ち合わせていたからですね。生命倫理を

考えるときに、日本で手塚治虫や小松左京、岡本太郎もサルトルを全面的

に援用しているからです。それがブラック・ジャックの正体だったのです

。埴谷雄高という人もご存じの通りです。

 フロイトを知り尽くしていたダリ、筒井康隆も
フロイトから離れて実存思想サルトルに向かっていったのです。
サルバドール・ダリ(思想家)は、大学時代。ルイス・ブニュエルに。

 1921年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学し、
フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(詩人)、ルイス・ブニュエル
(映画監督)と知り合った。

 サンフェルナンド美術学校は、ダリのその後を変えるものでした。
これは、幻想の復活を試みたのです。

 筒井康隆もフロイトから離れて実存思想サルトルに向かいます。
これは、幻想の復活を試みています。サルトルを知り尽くしている
大江健三郎から直接指南を受けています。

 手塚治虫は、安部公房からサルトルに向かっていきます。手塚治虫は、
それ以前に、フョードル・ドストエフスキーに向かっています。彼らに
とって、想像力がすべてだからです。

 【彼らにとって、想像力がすべてだからです。】
手塚治虫の人生でダリの影響もメタモルフォーゼスとして
フロイトの思想が援用されていますね。しかし、

 手塚治虫が『火の鳥』を書くのに、フロイトは、不都合ですね。
フロイトは、同化作用を拒否しているからです。(感情移入)
これは、スュールレアリズムの根本理念ですね。つまり、自動記述です。

 こうしたオートマティスム(フロイトの理論、アンドレ・ブルトン へ

の影響。)は、美意識や倫理といったような意識が邪魔をしない意外な文

章として実践されました。(Wikipediaのオートマティスムを参照くださ

い。)

●【美意識や倫理といったような意識が邪魔】
これが、フロイトの考えですね。それは、ウィキペディアのフロイトの貢

【シュールレアリズム運動を率いた作家たちはその美術運動の理論的基礎

をフロイトに求める】

から、今の説明までで、論理の破綻は、ございませんね。

 感情移入を殺すことで【彼の目指す精神分析はあくまでも「科学」であ

った。】機械論的な生理学、唯物論的な科学観があった。これは、ヒット

ラーのマルクス史観と自然観と同じものですね。これは、人間を<物>と

して、道具扱い

し、機械的に処理するのに便利なのです。マルサスの人口爆発は、ご存じ

の通り人間の機械化、大量生産社会と並行して予見されたものですね。ダ

ーウィンの進化論も、科学的に感情を排した率直なデータに基づいて構成

されています。

これらの流れは、時代の動きに即して、科学的に導き出されたものですね

。
同じく、アインシュテインAlbert Einstein、(1879―1955)

アインシュテインの科学理論も、
感情を排することに徹していることはご存じですね。
分析科学で【物としての人間】を把握するメカニズムです。

これは、大量の人間が爆発的に増える過程で
ゴミ処理的に人間を個別化し、片づけることを促進しましたね。
番号札やICチップの人間への埋め込みについての生命倫理これは、

●【しっかりと考えられた価値観だと言ってよいでしょうか?】
もし、ここでそれが正しいロボット工学、人工工学、医療技術の
認識として、肯定的な見解だと受け取られているのでしたら、

コノコミュニティーは、こうした人間分析や人間強制収容所としての
医学や科学に真っ向から反対をとなえるものだと
お考え頂いてかまいません。

これは、番号で管理し、
<感情>に病名を与え適当に処理をする
機械処理、大量処理、大量廃棄の破壊と暴力の認識ですね。

これは、産業革命以前から西洋に根付いていたモラルの
問題です。この対立の根元は、一神教、一元理論認識
【ONとOFF思考法】

数的な処理が為されるところでは、
個人は、認められませんね。
<10000人の病人の中でひとりの「私」>を

ひとり、ひとりについて感情を解して
話を聴きながら、看病することはできますか?
処理の問題として効果的なのはフロイトの用いた手法であることは

相違ございませんね。

私は、自分自身に感情があることを認めます。
そして、すべての人や生命にももちろん
勝手に、病名をつけて特定可能な物理的記号を押しつけることも

反対です。

私は、落ち込むからと言って
<鬱>という記号で呼ばれることに
暴力以外の何ものも感じません、

そう呼ばれることで
何か、生命を失われて行くことに気がつきます。
私は、ただ、自分の現状において不満や欠落を感じていることが

病気であるとは、思いません。
それは、大量の人口の内の部品としては、
<鬱>という種類の仲間として

【観察されデータに処理されるのでしょうか?】
私は、データ管理され<鬱>患者として
<物>として、もはや、私としては生きていけませんね。

私は、データ化して消費され
<鬱>としての機能しかもたないでしょう。

そして、家庭でも、会社でも、学校でも
ひとりでいても、
もはや、<鬱>として拘束されますね。

そこでは、自由であるはずの感情は、
ただひとつの<一元的な『物』>として
創造性を失っているのです。

これが、<私>から意味、生きる意味を消去していますね。
感情を排した分析科学とは、感情のない
「物」

<成長>や<変化>の過程を全く無視したものですね。
現在、【<落ち込んでいる>ということが<鬱>】だ。
これは、<鬱>ですね。

【<落ち込んでいる>ということが<鬱>】ここには、
その前後を読み取る、内面の動きが欠如しています。
ご飯を食べるときには、元気が出るのは当然ですし、

落ち込んでいるときでも、
他の人や食べ物を好きになることはできますね?

どうして好きなの?
これを聴くことは、暗記のしすぎですね。
そんなものは、聴いてデータとして記憶しても

気分的なものでしかない。
次の瞬間には、ケロッとして
何も関心を示さないのが自然な成長であり

それは、老年を通しても
関心を持ち続け、
成長し、変化する人間の行動を補完している。

それを、感情を排して読み取ろうとしても
無理ですね。他の人をすきになったり、
自分を嫌いになったりするのはギリシアやの古代や

村社会ができる以前から、あったことではないでしょうか?
生命の倫理、これは
【「私」が私でいるのはなぜ?】

●【「私」が私でいるのはなぜ?】
これに答えることができますか?
> 私は、私でいたいからです。

こうした考えは、手塚治虫『三つ目がとおる』、『鉄腕アトム』や
宮崎駿の『魔女の宅急便』、『千と千尋の神隠し』
identity crisisとして描(えが)かれています。

これは、『火の鳥』と『ブラック・ジャック』で一貫して
identity crisisについて書かれていますね。

サルトルは、そうしたidentity crisisに心理学を援用した
ベルグソンを踏襲しているのは、ご存じの通りですね。
安部公房と手塚治虫が精神医学の畑の北 杜夫と懇意だったのはご存じで

すね。

星新一もサルトルとフランクルを踏襲していたのはご存じですね。
「白い服の男」(1977年)
戦争に関する事物、事象などあらゆるものを封印してねじ曲げて管理され

た世界を描く。(表現の自由、言論の自由などに踏み込んだ監視社会。有

害情報規制、児ポ法改正などに含まれる単純所持規制問題など)

【表現の自由、言論の自由】これは、星新一の『人民は弱し官吏は強し』

で最も色濃く社会への実存姿勢を強めるに至った体験が綴られています。

表現の自由、言論の自由については、星新一自身が明言しています。サル

トルは、とても重要

なポジションにいましたね。SFをサルトルの雑誌に紹介したボリスビア

ンもサルトルの大崇拝者でしたね。想像力を復権することについては、ミ

ヒャエル・エンデもサルトルについては、全く非難しませんでしたね。『

鏡の中の鏡』で同じ

見解を表明していますね。なぜなら、エンデもボルヘスを擁護しなくては

ならなかったからです。これは、サルトルが想像力について考えているこ

とと全く一致しているからですね。エンデのボロミオ・コルミの通廊これ

は、サルトルの思想

そのものだと言っても良いでしょう。

サルトルは、人間の自由意志の問題について論じたベルグソン
(Henri-Louis Bergson, 1859年10月18日 - 1941年1月4日)
の論文を書いていますね。それも、確か卒論のテーマとして。

ここまでの概略をでその重要性がご理解頂けるかとおもいますが
如何でしょうか?(それについて見ていきたいと考えています。)

よろしくお願いします。

<鬱>という仕組まれた機能メカニズムの
危険性、暴力性、破壊性について
真っ向から、生命倫理を救済することは、子どもたちのために

重要な意味をもっているものと
考えています。

ですから、フロイト自身の研究の質の完成度の高さと
フロイトの認識における自然観、生命の倫理観これは、
全くおなじではないのです。

ヒトラーのカリスマ性=ヒトラーの倫理観がすばらしい
とは、ならないのと同じことですね。これは、例えばの話ではなく
、文字通り危険な<鬱>という暴力の根元

精神分析の美意識を科学の暴力と認める
手塚治虫、星新一、サルトル、エンデ、坂本龍一に帰着する考えを
踏襲しています。

コメント(3)

フロイトの認識論を否定しているのであって
天才論は、私は肯定しています。

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