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鬱という言葉を遣ってはいけないコミュの夢と想像力●<わたし>と<物>切り離さないで<みつめる>方法について●

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長文お許しください。
(夜夢と想像力、ファンタジーを見つめる方へ夜)

愛する人も「意志」をもっていることは、

心が自由で量れないものだからだと信じています。

そのことを、ミヒャエル・エンデや手塚治虫、星新一、小松左京、宮崎駿さんたちは信じていました。


● オーストリアに精神分析学者ジークムント・フロイトという方がいましたペンギン

彼は、天才論や妄想(パラノイア)の研究についてとてもすばらしい方だとおもいます。

フロイトの研究自体はとても尊敬していますペンギン

フロイトの認識論は、ファンタジーや目に見えないものを認めなかったのです。

しかし、彼は最後まで科学者の立場でした。

そして、自分の中にある「私〓意志」を目に見えないからと否定してしまいます。

ひとを「物」としか観(み)なくなったのです。

スイスには、精神科医・心理学者カール・グスタフ・ユングという方がいたそうです。

彼は目に見えない私たちの中にある「私」を受け入れて研究しました。

★以下:問題の参考にどうぞ★
 19世紀末から20世紀初頭の状況は、一方では精神医学を極めて機能主義的に捉えることのみが科学的であり「心の治癒」といったものを語ることは出来ない(Wikipediaより)カール・グスタフ・ユング検索

●上の説明では、わかりにくいですねペンギン

わたしたちの内面は、からだ(物質)のように観察しても量れませんね。

家族、恋人、愛する人、生き物、植物のもつ、

それぞれの価値を人間が決めつけることは正しいでしょうか。

私たちの内面は、使い捨ての物とはちがい。

ひとそれぞれの価値や意味について

自分自身で決めることができます。そして、「わたし」を他と比べることができません。

わたしたちの内面は自由であるべきです。

それは、じぶんの「意志」があるからですね。

意志をせつめいすることは、「私」だけにしかできないですね。

その人だけが意志を語ることができます。それは、他の人が分析しても目には見えないのです。

それを弟子のユングという人は、気づきました。

ですから、フロイトは分析という方法を使いますが、ユングは解釈だけに留まっています。

ユングは、ひとりひとりに<意志>があり、

ユング自身にもそれがあること見つめることをみとめました。

フロイトは、科学者の立場をつらぬきました。つまり、ひとを<物>扱いにしてしまったのです。

フロイトも「心の治癒」を願ったはずでした。しかし、それを、脳の機能の科学的な反応に過ぎないと考

えました。それが、フロイトの科学的な認識論(ものの見方)と言われているそうです。

ユングは、それがヒットラーの人間を否定する考え方であること見抜いていました。

そして、ユングはフロイトのもとを離れます。

ユングは、深層心理学という夢とファンタジーを「もの」の中に認めたのです。

それは、ひとり、ひとりの個性を活かしてくれる治療の方法でもあったのです。

生きた「もの」であると同時に「わたし」は<意志>をもつからです。

くり返しになってしまいますが、

愛する人も「意志」をもっていることは、

想像力や心が自由で量れないものだからだと信じています。

そのことを、ミヒャエル・エンデや手塚治虫、星新一、宮崎駿さんたちは信じていたのです芽夜

<桜乃章 哀月>筆

コメント(8)

想像力は<私>だけのものです夜

それを、認めない科学は原爆でひとの大切な何かを犯してしまいました。それは、現代の物質社会が科学しか認めなかったからではないでしょうか。科学の便利さで人間は、もはや必要とされなくなった。ですが、それを過ちだと現代は、ようやく気づきはじめた。私たちにとって、大切なことはいったい何でしょうか。星新一さんやミヒャエル・エンデは、そのことを見つめ直すヒントを残してくれているのです。私たちは、科学の進歩だけで『わたし自身』について考えることを最後まであきらめてはいけないのです夜
> NonLinearさん
(長文になりますぴかぴか(新しい)夜)

●『わたし』についての考察は、とりもなおさず魂の考察になると思います。
> はい、私もそう信じています。私なりに今後も、発展的に思索していきます。

構想は私の中で見取りはできているのですが。時間との闘いです。

研究は職業化、細分化してしまうので

私は、あらゆる分野から<主観的>に身を置くことに決めました。

深層心理学と精神の具現化やデザイン(空間の創造)、私は、ひとつのものであるべきです。

私は、広い意味での<性>というものが、これから抑圧された文明の鍵になると考えています。

それは、かつての歴史に於(お)ける心の豊かさや営みと明らかに異なった認識の立場に立つと考えて

います。生き方や営みを創り出すのは、今の<わたし>自身なのです。

深層心理も補いつつ、自分を愛する考え方。

強いて言えば、

私の<身体(からだ)>は<わたし>を

認めるものだということを認めることだとおもうのです。

手塚治虫の『鉄腕アトム』という作品は、からだとこころを持っているように思うのです。

いかがでしょうか。

それは、私たちの現実の認識とも無関係ではありません。

私たちは<こころ>でアトムを視(み)ているのではないでしょうか。

喩えるなら、アトムの子です夜

目に見えないものを見つめるときそれは現実に体験しているのです。

私は、哲学も、思想も偉大な営みであると信じています。

古代から今にかけてたくさんの記憶、メモリーを持っています。

それは、<私>です。

それは、単に「精神」でも、「物」ありません。<私>は、<それ>が目に見えないときにもそれを愛

しています。現代の文明社会は、もう一度新たな出発をしなければならないと考えています。

それはもはや、思想や哲学、科学という概念では無くなってしまうかもしれません。

ですから、おそらく、中世の思想にはもう、戻ることはできないでしょう。

これは、<私>たち自身が最後まで考え抜かなくてはならないことだと考えています。

これまでの、認識の帰結が文明の荒廃をまねいたのです。

万人に開かれた自己の認識、それはこの宇宙を見つめるものです。

私は、そう考えています。

分かりづらいと思うのでそう感じたら、おしえてくださいね夜

【私が考えていることが絶対ではありません。】

星新一さんというSF作家がおられました。(つぎへ続きます)



<桜乃章 哀月>筆


星新一さんというSF作家がおられました。(上記の続きです)

筒井康隆さんという、SF作家の生い立ちに話はワープます。
『時をかける少女』、『七瀬ふたたび』、『日本以外全部沈没』、『わたしのグランパ』
で知られているようです。
角川映画『時をかける少女』は、見ていました。
『七瀬ふたたび』も、祖父が『七瀬ふたたび』の世界が好きで一緒にみてました。
関係人物:
☆小松左京 - 長年の友人のSF作家。筒井の結婚の仲人でもある。
☆大江健三郎 - 長年の友人の作家の一人。筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。

(以下引用です)これから引き合いに出す方は、みなさん、重要な方です。後から読まれる方のために引用許してくださいね。失礼致します夜(つまらなかったら、詰まらないとはやめにおっしゃってください。)

●地元の農家の子供から苛烈ないじめを受ける。終戦後の1946年、息子の成績不振を心配した父の計らいで大阪市立中大江小学校に転校。まもなく実施された知能検査で市内トップのIQ178であることが判明し、1年ほど設置された特別学級を受ける。

1947年、大阪市立東第一中学校(現在は統合で大阪市立東中学校)に入学。この頃から不良少年となり、授業をさぼって映画館に通い詰める。父親の金をくすねたり、母親の着物を勝手に持ち出して質屋に売り映画代を捻出していた[2]。その一方で手塚治虫に熱中し、赤塚不二夫や藤子不二雄などとともに『漫画少年』誌の投稿欄の常連でもあった。1948年、児童劇団「子熊座」に入団、演劇への興味が芽生える。1950年、大阪府立春日丘高等学校に入学。演劇部の部長を務めるが学業は不振であった。春日丘高校はもともと女学校であったため女生徒の数が多く、筒井はここで女生徒からいじめを受けて女性への恐怖心を植え付けられたとしている[3]。この頃マルクス兄弟の映画に傾倒。受験勉強への反発から新潮社版世界文学全集を読破し、サルトルやトーマス・マンの作品に影響を受ける。

<桜乃章 哀月>筆


(上記の続きです)

1952年2月、関西芸術アカデミー研究科に研究生として入学。同年4月、同志社大学文学部に入学し、同志社小劇場に所属する。この頃カフカ、アルツィバーシェフ、ヘミングウェイ等を愛読し影響を受けた。また潜在意識について興味を持ち、吹田市の実家から京都市までの電車での通学時間を利用して、日本教文社版のフロイト全集を読破。その後美学美術史学科に転じシュルレアリスムに興味を持つ。1954年、関西芸術アカデミーを卒業して青年劇団「青猫座」に入団。初舞台は飯沢匡の『北京の幽霊』。同年日活のニューフェイスに応募するも、面接のみの二次試験で落選している。しかし「青猫座」での演技は高評価を受け、1955年、大阪毎日会館で『二十日鼠と人間』主役を演じた際には、「東の仲代達矢、西の筒井康隆」と新聞に報じらた。1957年、大学を卒業。卒論は「心的自動法を主とするシュール・リアリズムにおける創作心理の精神分析的批判」。卒業後、展示装飾などを手がける乃村工藝社に入社し営業部に勤務。サラリーマン劇団「明日」に入団し演劇活動を継続する。
 1978年には大江健三郎(補足:サルトルに傾倒したSF作家)の紹介から『海』編集長塙嘉彦の訪問を受け、中南米の文学について教示を受けるなどして大きな影響を受けた。
 『朝のガスパール』(1992年日本SF大賞)など話題作を発表した。『残像に口紅を』『文学部唯野教授』2作連載時にはストレスで胃穿孔を起こし入院、入院中にハイデガーを読んで影響を受け、以後死や別れをモチーフにした作品も増えていった。
 長年の友人である大江健三郎(息子の大江光は癲癇の症状を持っている)からは、読売新聞紙上で「社会に言葉の制限があるのならば、新しい表現を作り、使っていくのが作家ではないか」との批判を受けている。同年10月、断筆に至る経緯を記した『断筆宣言への軌跡』を刊行。1994年4月1日、中野サンプラザにて山下洋輔らのジャズ演奏からなる「筒井康隆断筆祭」を開催。自身も演奏者として参加した。

●ここから、筒井康隆さんによる、星新一さんについてのクリアーな
賛辞をご参考ください(Wikipedia)●

筒井康隆は星の作品について、ストイシズムによる自己規制と、人間に対する深い理解、底知れぬ愛情や多元的な姿勢が、彼の作品に一種の透明感を与えていると評した。その一方で日本人が小説において喜ぶような、怨念や覗き趣味、現代への密着感やなま臭さや攻撃性が奪われ、結果として日本の評論家にとっては星の作品が評価しづらくなり、時として的はずれな批評をすることになったと指摘している。もっともこれは、星の作品そのものに対する批判ではなく、星の作品が真に理解されないという趣旨と思われる。また、星は後期の作品においてその形式を大きく変化させたが、筒井はその事にも触れ、星は数十、数百に及ぶ膨大な対立概念・視点・プロット・ギャグ・ナンセンスのアイデアを持っており、後期の作品に見られる「価値の相対化」「ラスト一行の価値転換によるテーマ集約の排除」といった変化は、彼の視点のアイデアのうちのほんの一例に過ぎないと評価している[8]。

引用です。(筒井康隆さんについて人物関係)

☆星新一 - 長年の友人のSF作家。SF作家たちの飲み会で星が放つ、奇想天外な馬鹿話は、筒井に大きな影響を与えた。また、日本沈没のヒットを祝うSF作家たちの集まりで、星新一は「『日本以外全部沈没』なんて題名もいいんじゃない?」と題名を考案。小松左京の許可を得て筒井康隆は『日本以外全部沈没』を執筆した。なお最相葉月による評伝「星新一」によると、星は、自分のブラック・ジョークに影響されて、自分より文学的に評価されていく筒井のことを、嫉妬していたという。
(私の補足:公的な評価は、別にして日本でおそらく、ただひとり。魔物と呼べる人物だと目しています。私は、SFというものの見方からも、文学という立場からも彼のことは問題としていません。彼は、文明と闘ったからです。私がそれだけでなく彼を評価するのは、日記に書いた方が良いかもしれないですね。長くなりそうなので、私は星さんを一言では、焦点をを合わせられそうにないです。)
【以上長文引用でした。お付き合いありがとうございます。】

●ポイントは、ふたつです。(私の中でですが)●(短くいきます)

筒井康隆さんと私との関係です。

もう一つは星さんの作品の位置づけです。こちらは、極めて重要だと考えています。

よろしくお願いします。気づいたことがあれば、聴かせてください夜


<桜乃章 哀月>筆
●ひとつの言葉や単語や場面で読書してしまって、

> そうそう、私も良くたちどまります。読書は、かめばかむほど味がでる。
「するめ」や「ビーフジャキー」に似ています。ポエムがあるりんご
星新一さんや手塚治虫さんなんかは特にですね。

 私は、いつも<読書>のことを<読誦(どくしょう)>と言っています。

これ、いつだったか調べて見たのですが、< おどり >なんですね。舞うこととつながってくる。

 ★読誦(どくしょう):【 ことばがおどりあがる。 】

という意味があることが分かりました。
甬(よう)は、誦に通じ、おどりあがるの意味があるそうです。
これをみると、書物を見ないで読むとも書かれている。そらよみする。
黙読してるだけで、声帯(発声のもと)がひらいたり、とじたりしているそうです。
黙読でも、<ことばがおどりあがる>と声ををつくってる。

読書は、それ自体が<舞う>こと、おどること、という意味が古来にはあった。
昔の人は、とても豊かだった。読めば、ことばが躍り上がる。
読書は、身体(声門も含めた)ダンスとも言えるのじゃないかな。

実は、わたしたちは、リズムをとるとき腹式呼吸なんかも自然にやっている。
ミツバチのダンスるんるん8の字の舞チューリップあれは、ことばにさえなっている。愛のダンスです夜

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