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たましいの寺小屋コミュの瞑想   虎の穴(^^♪

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昔、瞑想を軸とした教室を何種類かやっていました。
指導してきた人数は、かなりの数になりますので、直接指導なら、細かい所にまで手が届くのですが、ネット上ではやっている人の状態が見れませんから、完全なアドバイスは出来ないでしょうが、ヤル気の有る人なら、かなりの所まで引っ張って行けると思っています。

いつかは瞑想会とか、勉強会みたいな形で、皆さんにお会いしたいと思っています。 日本のチベット仏教の一宗派の責任者でしたから、出鱈目ではないつもりです。

コメント(176)

ありんこさん

 どうぞ!

 リトリートの洞窟は、まず入室の申請をして、月二千円なのですが、
振込先の口座番号をお伝えしますので、入金の確認が取れたら、入室出来るようにします。  後で、口座番号をメールにてお知らせします。

完全に個人ルーム制なので、他人の部屋は見ることが出来ますが、書込みは自分の部屋のみでお願い致します。

何か希望があったら、その都度仰ってくださいね。

入金は、皆さんある程度、纏めてやってくれてます。
確認と、手続きが面倒なものですし、振込を忘れがちになるのもですから(^^ゞ


久しぶりの「たましいの寺小屋」への書き込みになります。

最近は、『仏教・中観思想・空思想』の部屋に書き込みをしていて、論理学の認識論の基盤の話を展開しています。

 仏教論理学の話なのですが、話の中心がサキャ・パンディタ(通称サパン)と言って、サキャ派の天才と言われた人の論理学なのですが、サパンはインドからイスラムの侵攻から逃れて来たナーランダー大僧院の長に偶然出会い、それまでの最新の論理学を学んだのです。

 デグナーーガとダルマキィールティの論理学を吸収し、空思想と唯識思想の根幹である認識論や存在論の基盤となる論理学なのです。



 しかしサパンの生きていた後期インド仏教では、母ヨーガや不二タントラが興隆を極めた後だったので、空思想と楽が別けられない(不二)であるという思想が大いに流行し、母ヨーガと性エネルギーを使うヨーガが流行し、沢山の成就者が生まれました。



 現代に伝わる多くの偉大な成就者達も、この母ヨーガによる成就者がかなりの数、生まれたのです。




 そんな時代背景にあって、悟りに向かう努力をする者たちは、まぎれもなく人間なのです。
上に紹介している母ヨーガと言うのは、別名「性ヨーガ」と言い、かなり難易度の高い瞑想法でもあります。 そしてこの瞑想法は高い資質を求められ、沢山の条件があるので、日本人がこにの瞑想法を学ぶのは、実質無理でしょう。 場所に拠っては、教えの伝授は可能ですが、本当に取り組むには、とても難しく、険しい事だと思って下さい。

しかし、いきなり全部を学ぶのは無理ですし、私達の培っている心の状態もそれについては行けません。 そこで基本と成る「集中力」を養うことに注目してみましょう。




「集中力」は、瞑想にとって必要なだけでなく、社会生活においても、あらゆる場面で必要とされる力です。  この「集中力」に眼が行ったのは、社会生活において集中力がなくて生まれるあらゆる障害を克服したいと云うニーズの声を色んなことろで耳にする事がたまたまあったので、記してみます。
「瞑想   虎の穴(^^♪」のトピックの《1)をお読みください。
さらに、#98〜100までのポイントにも眼を通して欲しいです。





集中力を養うポイントは、大きく別けて、2つあります。
一つ目は、集中する習慣を身に着けることですが、習慣を身に着けるのは、訓練しかありません。 毎日時間を決めて、瞑想するのも有効な取り組みです。



 しかしもっと重要な事があるんです。

それは、自分という入れ物をクリアにすることです。
浄化とも言いますが、自分が歪んでいたり、偏見を抱いているようでは、純粋な教えは入るゆとりが無いのです。 更に、仏教では掉挙(ジョウコ)と惛沈(コンジン)と言いますが、落ち着きのない心の状態と、沈み込んで暗い意識状態になると、厄介で、その対処法もこのトピックに載せてますけど、判り易いのは、ヒンドゥ教で言う、3グナ。アーユルベーダでいう3体質の、特性は、本人が矯正しようとしても、例えば、ヴァータ体質の人は、気分がころころ変わりやすいので、意識きが散動し易いので、色んなことを思考するし、絶えず気が散っている状態なので、集中は困難なのです。 それは、ピッタ体質も、カファ体質もそれぞれの問題はあります。


そのバランスの悪さを矯正したり、いい所を伸ばして行くのは、実に様々な方法があって、個人個人の特性に沿って対応するのが一番いいと感じています。

方法は8万8千種あると言われていますからね(笑)


具体的な問題点を質問とかしてくれると、ありがたいです。 他の人の助けにもなります。
具体的な問題がないと、話が広がりすぎてしまうものですから。
自主性がない(自分で考えながら人の話が聞けない)ので、後になって何を聞いていたか忘れてしまったり、以前注意されたことを忘れてしまって、同じ間違いをしてしまうことがあります。以前はそういうことは今ほどなかったので、能力的な問題というより意識のありかたの問題なのではないかと思います。

それから、無意識の状態がよくあって、今にあるという感覚を常にの持ち続けることが難しいです。癖だと思うのですが。

最近はあまりないのですが、以前忙しい時などによく頭の中に膜がはったようになって、頭が働かなくなることがありました。こちらも何かアドバイスがあれば教えていただけたら嬉しいです。
みなみさん

質問してくれてありがとうございます。

この集中力に関する焦点は、実に広域・多岐に渡るために、何らかのテーマを決めないと、意識やカルマの問題、脳や神経の問題から心の問題へと全宇宙の問題を紐解くようで、複雑で広域な範疇になるので、質問されるのは、助かります。

みなみさんの問題は、極めて個人的領域の事が中心なので、質問一つ一つにお答えしますが、一例として考えて下さい。  それに対し吟味し、租借して自分なりの指針を立てるようにして下さい。

医者も霊能者も回答は十人十色ですが、医者には大まかな指針のアウトラインがありますから、学んだ領域に対しては、それほどの違いはないのですが、例えば、みなみさんの場合は、脳の神経内科か、心理学では、統合心理学の範疇になるでしょうね。

しかし、霊能者は、自分の内側にある物を相手に投影して見たり感じたりするので、正に十人と色の見解になります。 と言う事は、相手を見ているのではなく、自分の意識を相手を通じて見ていることになります。


さあ、本題に入りましょう。
自主性がないと仰いますが、もし貴女が頭が良くて、共感能力が高い人ならば、どんな状況でも合わせられるので、会話に置いては、自分をガードする必要がないので、あらゆる対抗手段を取る必要がないから、おっとりとした状態になり、何が重要なのか?という視点を忘れてしまう可能性があります。  そういう意味ではみなみさんは度量大きいんですね。

 ですから自分の存在を脅かす様な問題ではなければ、眠れる獅子の如く、能力も眠っているでしょうね。  ですからこの問題は気にする必要は無いでしょうね。
 それでも対人関係においてもっと優位に立ちたいと考えるなら、瞑想の修習は役に立ちます。

次は、無意識の状態に良くなるとの事ですが、言い方を換えると「ボー」っとするってことですか? それは、潜在意識が強くなって、表面化しようとしているサインでもありますね。
 一般的には煩悩的になることでもありますが、煩悩が強くなるので、防御反応として「理性」が強くなるという葛藤が起きるはずです。 煩悩的になるということは、自分の本来の状態になりやすくなるということでもあります。 煩悩優位になっても、基本が理性的ならば、大きな脱線はしないでしょうね。
その時に「どちらが正しいか」という理性優位の価値判断に縛られると、窮屈になるので、「どちらが自分にとって嬉しいか」という判断基準にしないと苦しい状況になって行きますから、要注意です。

「今あるという感覚」は、ヴィパッサナーという意図して瞬間を自覚するという遣りかたが仏教の中にはありますが、もし瞬間的にその状態を理解しているならば、それは以前は出来ていたという事です。  それにしても、気が散ってしまうならば、ヴィパッサナーを訓練した方が良いですね。 そしてそれを習慣にしてしまうと、「観」の能力が高くなり、意識の上ではもっと自由になり、貴女の能力は発揮され易くなるでしょう。

最期の一つの忙しい時に、頭が働らかなく無くなると言うのは、こうあるべきだという自己イメージが理性に依って働く時、頭の柔軟性は失われてしまい、上で挙げているように「どちらが正しいか」という視点しか持てなくなるので、そんな時こそ楽しみを見出す訓練というか習慣が有効なのです。

長くなってすいません冷や汗


この『たましいの寺子屋』の中のトピックに集中力の大原則になる書き込みを見付けたので、それを書いておきます。


#99では、ヴィパッサナーの解説や、禅定の八段階のことを書いてますが、この八段階のレヴェルは非常に高く、最期の滅想受定は記していませんが、瞑想の最終段階です。 この状態に至っている人にはあった事はないんですが、非常に困難な意識レヴェルなんです。
 僕自身も空無辺処定までは、認識していましたが、識別無辺と言われる識無辺処定という状態しか経験しかないんです。  しかしこの空無辺処定の状態に至ったのは、実は、本格的に修行に入る前のことで、我流のやり方で、思考錯誤を繰り返す内に到達出来たのです。


 元々僕は、理性が強く道徳や観念的な思考が強く、雁字搦めな思考パターンに閉じ込められていたのです。神経質でもあったので、中学生の時に神経症の代表格である十二指腸潰瘍になったのです。 そんな十二指腸になるような気の小さな男が、なぜ第五禅とい高い瞑想状態の経験をするようになったのか?

 

瞑想の基本原理は何だと思いますか?

 簡単に言うと快感原則なんです。


 上座部仏教の心の全てを表記していると言われる『倶舎論(アビダルマ・コーシャ)』という論所があるんですが、その中に初禅から第二禅の境地に至ために必要なポイントが目に止まったのです。  実は初禅と言われる境地は、もの凄く気持ち良いのです。 その気持ち良さに執着しないと言うのがポイントとなるのです。  しかし、実際瞑想をしていて、もの凄い素晴らしい境地を体験すると、「またあの経験をしたい」と執着していますのです。  心の底から求めてしまうのです。  瞑想をしている人ならば、経験あると思いますが、あの誘惑は、根強く根本的な欲求なのです。

 初禅と言われるのはディアーナと言う境地です。

瞑想には明らかな段階があり、集中ー制感ー凝念ー靜虜ー三昧というヨーガでは、当たり前の意識の展開の階梯があるのです。

先に挙げた初禅の状態は、「靜慮」の中の話で、何処からが三昧なのかを明確に仕分けするのは、困難なのです。


初禅から上の階梯の段階を昇って行くのは、快感を求める欲求と、それを捨てる「捨」の意識なのです。 


 ですかから、快楽を求める貪りの欲求は、違う視点からは、ヴァータとも言うし、サットヴァと言うのです。 ですから進化力に必要な力で、様々なタントラの教えの中でも、変化の道と言われる密教でも、自我意識を捨てることが重視されるのですが、エネルギーがあって、自我意識がなければ、何にでも変化できるという無我のおしえが基準になるのです。
一昨日、年の瀬と言うのに、四苦八苦を実感する出来ごとが起こりました。

生・老・病・死という根源的な苦しみ(四苦)の上に、
愛別離苦(アイベツリク)-〔執着しているものと別れる苦しみ〕、
怨憎会苦(オンゾウエク)-〔会いたくない相手と会わなくてはならない苦しみ〕、
求不得苦(グフトック)-〔求めているいるものが得られない苦しみ〕、
五取蘊苦(ゴシュウンク)-〔五蘊―現実を構成する五つの要素は、必ず苦に到る〕

これらの八つの要素をまとめて四苦八苦と言うのですが、
一昨日、最も大切に思っていたものと離れなければならない状況にi到たのです。


執着していたものですから、当然凄く苦しい愛別離苦の意味で考えるならば、我が子との死別等のテロや事故で愛する者と別れる苦しみと同じです。 それは執着が大きいほど苦しみは大きい。


自分の中では、その瞬間に様々なヴィジョンが浮かび上がり、色々な執着が剥がれ落ちる連想を見ました。 浮かんでは消えていく連想を見ていると、どんどん意識が軽くなって行くのを感じるのです。


 そんな時に調気法(プラーナヤーマ)をやったのです。
気を頭部の引き上げ、鼻腔から入る吸気を脳を通して肺に入って行くイメージをリアルにイメージしながら調気法を行なうのですが、頭が痺れ、キラキラ輝くイメージを保持していると、どんどん気持ち良くなっていきます。 しばらく続けているとどんどん頭がすっきりしてきて、脳が活性化していくのを感じます。


今までの数年間は気絶していたかの如く、目覚めた・・・そんな感じのクリアーな意識状態が顕現(顕れてきた)したのです。  脳梗塞は脳の血管が詰まり、詰まった血管の周辺の脳細胞が死んでしまう病気です。 僕の場合は、死んでしまった脳細胞が別のニューロンのネットワークを作って意識を構成するっといた感じです。 久しぶりの調気法はやっぱり素晴らしいな、と感じた近況です。



これは極めて一般的な任認識を持つ人で、繊細なるが故に、悩み、葛藤している人の悩みにクローズアップして一緒に考えてみましょう。

同じような葛藤や苦しみを感じている人は沢山居ます。

>うつ病や各種の神経症やトラウマなど、はっきりとした脳の異常を除く、精神的な問題は、症状自体よりも症状の苦痛に対処しようとして間違った考えを積み重ねてしまうことが厄介だと思います。その根本は、有身見や自己愛着に間違いはないと感じます。現在の自分を守るためだけに、悪い考えや未熟な自分を正当化する理屈を無限に考え出していき、他者の意見も僅かでも自分がおびやかされるものに瞬間的に反発を覚えて受け入れなくなります。そこまで自分を守りつつ、表面的には自分など嫌いだと思っています。完全に混乱のきわみにいます。
また、神経症は異常だ異常だと思っていましたが、普通の状態でも自分がおびやかされる感覚から苦痛を避けようとして、怒りや嫉妬がわいたり、悪い行動にでてしまったりするので、本質的には同じ状態だと思うようになりました。完全に開放されるためには自分を変えるしかありません。

*************************


この文書を書いてくれた人は、洞察力に優れ、本質を見抜く力があります。

自分の認識の基準や経験の偏りによって、認知が歪んでいく事を自覚しています。

これは、全ての人々が持った方が良い自覚です。
人は覚るまでは、全ての人が精神病であると思った方が無難なので、自分はおかしくないという錯覚を持つと、人生もおかしな方に転落して行きます。


呼吸法により、聡明な意識状態を一時的かも知れないが、普遍的な意識により観照するならば、今の状態は、ヴァータ優位であり、認知スピードは速くなり、身・口・意の三密で考えるならば、今の状態は、意の認知スピードは速くなり過ぎて、口と身体の行動スピードが意識の活動に付いて来れないのです。

これは暫くすると認知・思考スピードはもっと速くなり頭脳は明晰になりもっと快感状態は強くなる。 これは経験の話。法の兄弟であるケン・ウイルバーの統合心理学の包括的精神性はより空性の認識によりより高い次元に引き上げられる気がしています。

面白くなってきたぞ!!!



銀一郎さん


ニンマやカギュ派の伝統では、最初に捨無量心を修習するのが一般的ですが、空性の理解が重要になります。 クンダリーニの本覚醒の後にバルドーヨーガという欲六界の経験をする段階があるのですが、それは輪廻のカラクリを理解する経験なのですが、解脱を求め、且つ、菩薩になることを決意している人は、意図的に人間界に生まれるようにしないと、神々の長寿世界に生まれてしまうのです。

人間界の原理は、情と性欲なのです。

一旦これを超越し、今度は意図的に執着を生み出すのです。

これは、意識の根底が醒めているので、難しいのですが…

そんな感じで一般的な認識とは逆なのですが、 皆さんが驚くような人達でも性ヨーガなどがあるのです。

この話は刺激が強すぎましたかね。

銀一郎さん

 空性を理解していないと、「捨無量心」が出来ないんです。

 祈りは確かに重要ですが、魂(心相続)の仕組みや傾向を知っておくのは重要だと思います。

覚醒者と覚醒寸前の人達に注意事項




アブラハム・マズローの人間の意識の発達段階の成長理論は、企業やあらゆる組織の中で、半ば常識化しています。


 例えば、人間には四つの下位の欠乏欲求があって、それがある程度満たされていないと、何よりも本人は優先するようになります。

 簡単に説明すると、?生命維持に関する欲求です。 この欲求は何よりも優先されて、この生命維持に関する欲求は、何よりも優先されます。 この欲求に対して欠乏感を感じている場合、他のことは、目に入らないのです。

?は、安全に関する欲求です。
 これは?の生命維持に関する欲求が満たされると第二の安全に求める欲求が現れます。
 一般的な日本人の場合、健康で正常な心理状態にある人は何も違和感なく欠乏感を感じることなく通り過ぎます。
子供は、一貫性、公平を好み、ある程度の決まりきった手順を好むのです。

?は、所属と愛の欲求が現れます。 ここで重要なのは、集団の中で一つの位置を占めることに渇望するのです。
マズローはカール・ロジャースの「愛の定義」を好んで用いるが即ち、「愛とは、深く理解され、深く受け入れられることである」 少し留意が必要なのは、フロイトの様に愛情をセックスから引き出そうとする態度は転倒しているとしか言いようが無い。  その転倒している発想は彼自身が同性愛に走らせたものと無関係とは思えないのです。
 この愛情欲求は、意外に人間の進化において大きな問題になっていて、愛情の欠乏は、塩分欠乏やビタミン欠乏と同じように欠乏症に陥るのです。

?は、承認欲求とよばれ、自尊心と他者からの承認であります。
 この承認欲求は面白いもので、ジグムント・フロイトは無視したが、アルフレッド・アドラーは強調しています。
人間関係の不調和に陥る人はこの承認欲求の欠乏がある人が陥りやすい病理です。

これら四つの欠乏欲求が満たされている人は、?自己実現の欲求が浮上します。
自分を実現したいという欲求が強く浮上しないならば、四つの欠乏欲求が満たされていないことを疑うべきなのです。 審美的欲求も自己実現欲求の中にあるものです。

そして成長欲求という超越欲求が浮上するのです。
これは、生命体という有機体の中では、クンダリーニの覚醒等の具体的な現象として現れます。


面白いのは、ケン・ウイルバーは、マズローの成長の為の欠乏欲求に対応させコールバーグの道徳感覚の進歩の意向も対応させ至高体験の跳躍と降下の躓きによる進化が止まり、後退していくプロセスを視野に入れて語っています。

つまり習慣的思考によって道徳的世界観によって、自己が分離してしまい、自己愛が強まり、自己中心的で自己没頭的になって、衝動的になっていくのです。

道徳的世界観によって病理に陥る危険性を警告しているのです。


この辺は、体験していないと実感としては解り辛いものなのです。



法喜さん

 神々は、天上界で功徳を消費して、至福の状態にありますので、基本的に解脱を求めないと言います。
 神々もより上の世界に行くと、更に長寿で快楽も増大するらしいですから、その状態をキープしたいという欲求だけしかありません。
 天界に生まれると向上心が持てないのです。
 人間でも幸せに満足している人は、向上心を持ちません。
 時として劣等感や不満足感が向上心に繋がるように・・・

 神々は神通力を備えているので、自分の死期が迫ると、判るんですが、自分の死後も神通で判ると言います。 その時の苦痛は疑獄の苦しみより大きいという。
最高の極楽状態から汚く惨めで、苦悩に満ちた状態に転生する事が判ったら、死刑宣告されるより辛いのは、簡単に想像できます。

天界・阿修羅界・人間界・畜生界・餓鬼界・地獄界の六道
この中で、解脱できるチャンスを持てるのは、人間界だけです。

死の中有(バルドゥ)といういう仕組みの中で、チャンスは色々あるのですが、人間程不安定かつ悪業も善業も積める世界はありません。

ですから、人間として生まれることはチャンスに満ちているのです。

法喜さん
いいですね、あなたはチャンスと可能性に満ちていますから、人生を楽しんで下さい。わーい(嬉しい顔)
法喜さん
チャンスは誰でもどんな時もあるのですが、生前の行為(カルマ)によって感じ方の違いが生じるので、日頃の行為が大切です。


法喜さん
一番手っ取り早いのはクンダリニーの覚醒です。
化身(応身)を使わなくては、難しいですね。化身を扱えれば、バルドゥを自在に動けますから。
その場合でも、重要なのは日頃の身口意の働きです。

バウドゥに入っても無常の風は暴風の様に強烈です。その風はカルマの風なので行為が決めてなのです。

風をコントロールするのは、仙道の気のコントロールと似ています。

小さくても気をコントロールできる様になれば助けになります。
防風の風に抵抗や変更が出来るようになるからです。

瞑想するにあたり、眼を瞑って考え事をするのが瞑想だと思っている人が多いのですが、

それは正しくありません。
瞑想の種類はたくさんあって、目的によってやり方も違うのです。


基本は仏教もヨーガも同じ取り組みですが、その中にも種類があります。
しかし悟りを目指すやり方は限定されています。


座禅というのは、「禅」から来ていて禅は「ディアーナ」という境地を表す言葉です。

禅の状態には階悌があって意識の深化の状態によって境地も違ってきます。

どの段階であっても共通の取り組みがあるので、チベット仏教の偉大なツォンカパという人物が『ラムリムチェンモ』に記したものを紹介します。

この書物は「止の章」と「観の章」に別れていて「止」から取り組まなくては「観」は出来ないとなっています。

止の章は
?沈み込み
?昂ぶり
の障害を対処する方法として「念」と「正知」を挙げています。


「観」に先立って心が静寂の状態になっていないと、観照することは出来ないのは分かりますよね。

心が対象に集中し、分別が消滅した<安住>状態になり且つ<明瞭さ>の側面を備えてなくてはなりません。

瞑想中に眠くなったり、興奮した状態では、瞑想に成らないのです。

明瞭さを妨害するのが沈み込みで、精神集中した無分別を阻害するのが昂ぶりなのです。

この二つの障害は「止」と「観」を阻害するだけでは無く、日常生活の意識状態も困難な状態を作り出す障害になるのです。

ちなみに「観の章」では、空性の理解が求められます。
最強論法のプラーサンギカを学ぶ必要が出てきます。
密教の教えは『ガクリムチェンモ(密教次第)』に説かれています。

瑜伽行に関してツォンカパは三編の著作があります。

?『クンシカンテル』―『摂大乗論』のアーラヤ識を精緻に解説しています。
?『タンゲ・レクシェニンポ(未了義了義善説心髄)』―アーラヤ識とマナ識の研究―「三性説」の解説
?『ラムリムチェンモ(止の章)』―瑜伽行の視点から解説しています。


『ラムリムチェンモ(止の章)』は、『瑜伽師地論』の「声聞地」から多くの引用されているのですが、「菩薩地」あるいは『解深密経』『三昧王経』『荘厳経論』『中辺分別論』『阿毘達磨集論』『入菩提行論』、『修習次第』『般若派羅蜜多優波提舎』。『菩提道灯論』などと、実に実践において重要な典籍から引用されていて、仏教におけるヨーガ(瞑想)における要になる教えが、この『ラムリムチェンモ(止の章)』にあると思います。


すみません。緊急に助言をお願いしたくて参りました。

以前、クンダリニー的な状態になったとご相談申し上げた者です。

先程、意識が爆発しそうになって全てが持って行かれそうでした。
今も体の中の震えと緊張感と、上半身が消えそうな感覚が続いています。どうすればいいでしょうか?

とりあえず家族の持っている睡眠剤や安定剤を飲んで寝てしまおうかとも思っていますが、
こんな状態で薬を飲んでいいかどうかも判断できません。

今はゆっくりと息を吐いて、意識を極力、下に持っていき、体を冷やしています。
クンダリニー症候群に良いと本で読んだので蜂蜜も口に入れています。
近所の寺か神社にでも行って、覚悟して意識を成るがままに任せようかとか、
ちょっとそれ以外思い浮かびません

身勝手や失礼を承知でお願いします。
出来るだけ早く助けて頂けませんでしょうか?

お願いします。
会陰や、腹、頭をを氷で冷やしてます。

意識が吹き飛ばされないようにしてます

どうしようもなくて、
今、さっき睡眠薬を飲みました。
判断は間違ってるかもしれませんが、
このまま、眠って逃げることにします。
それで逃げられれば良いのですが・・・・・・。

眠りですから
ものすごい脱力やリラックスの世界に行く事にので
それもまた怖くはあるのですが、どうしようようもないということで
愚かな選択になるかもしれませんがお許し下さい。

まさか、こんなことが二度あるとは思ってませんでした。
ここ数日予感はあったのですが、
一度あったんだから二度はないだろうと、頭で否定しようとしてました。

次に、自分がどうなってしまうのか、解りません。

申し訳ありませんが、できるだけ早く
御助言をください。お願いします。
>>[167]

タイミング悪く、僕は夜勤だったので確認が遅くなり、薬を飲まれてしまったのですね。

メールにてお知らせしましたが、リトリートで、個人指導を受けられるなら、問題は直ぐに解消するでしょう。
不安感やネガティブな思考こそが最も恐るべき破壊者になります。

覚醒は誰にでも起こり得るエネルギーの状態です。
しかしそれらは精神性と密接ですから侮っては危険です。
 しかしちゃんと取り組むならは、人間の叡智はそれがどういうものかというのはヨーガや仏教の中ではかなり解明されています。

そして意識の進化の中では、それはとても重要であることも認められているのです。
頼もしいお言葉を有難うございます。
非常に励まされます。

今は比較的落ち着いてはいるんですが、
やはり薬に逃げたのは愚かな選択でしたか。
ちょっとした判断ミスが取り返しのつかない状態に
なるやも知れないとの事ですね。

解りました。

今まで、逃げてきた節がないではない気もしますが、

覚悟を決めなばならない時が来た様です。

仏教の叡智に身を委ねるべく、
リトリートの方でお世話になりたく思います。

宜しくお願い致します。
>>[169]

こちらこそ、宜しくお願いします。
入金の確認がとれ次第、リトリートの洞窟に入れるようになりますので、宜しくお願いします。

>>[169]

いままでの3つだけさんの状態を振り返ると、一つ一つの現象に対して「自性」を見ている気がします。

一つ一つの現象に対して実体を見ているので、意識も身体も巻き込まれ、波乱な状態になっているんだと思うのです。
起こる現象は水の様に変化して変わり続けます。

何があっても安らいで居れば、3つだけさん特有な状態や脳力が自然に発露することだと思うのですが。
今までに何度か、シャマタとヴィパッサナー(止・観)の事を書いたのですが、そろそろ少しづつ勘違いを取り除く作業もしなくてはならないと思い、タイプします。

自分の知っている「瞑想」を思い起こしてみて下さい。

仏教における実践として「正定」というのがあるのですが、これは正しい禅定となります。
禅定は「ディアーナ」のことで、「定慮」という瞑想の境地をさします。

ここの所が勘違いの始まりになるのですが、同じ瞑想を主とする取組みに、「ヨーガ」があります。
瑜伽行派(唯識)とは違う、ヨーガ学派のヨーガなのですが、このヨーガの中に
「アシタンガ(八支則)」というのがあって、戒律を守り、勧誡(良い行い)をして、心を統御して、呼吸をコントロールして、感覚を統御して心を統一した状態に導き、調気、制感、凝念、定慮、三昧。
という階梯があるのですが、この三昧というゴールに行く為に、一種のトランス(恍惚)状態に発展させます。 これは自然にそう発展し易い意識の傾向があるのですが、これは仏教の見地とは違うのです。

意識を超越させたい欲求は、瞑想するとトランス状態を無意識のうちに目指してしまうのです。

仏教の見地からすると、トランス状態になるのではなくて、その逆で知覚を研ぎ澄まし、物事をあるがままに観る状態を作るのです。

この為には、思考が散動していたら良くないし、重く沈み込んだ状態でも、あるがままに物事を観る事が出来ません。

なので、最初は心を静寂にするようにして、「止」の瞑想に慣れ親しむことが必要なのです。

これは心を止めることで、無になる事ではありません。 でも実際には止めることは出来ないので、静寂を求め、静寂に向かう途上にある静けさの喜びや静かな歓喜を見出そうと試みるのです。

それが止の瞑想です。
>>[173]

掉挙とコン沈は二つの比較で考えるより、3つの根本エネルギーで考えると、対策が考え易いんです。

ラジャス(ピッタ)・タマス(カファ)・サットヴァ(ヴァータ)の3つです。

これは心の三毒( 貪とん ・ 瞋しん ・ 癡ち )とも対応しています。 順番は違います。
サットヴァは明瞭さと=なのですが、その裏にあるヴァータは微細な散動状態であり、風の体質を表します。

掉挙はラジャス
コン沈はタマス

もう一つのサットヴァは、聡明さ、的確さ、精妙さ
に対応さています。

言ってる事、分かりますか?
意識状態は、いつもサットヴァの状態を維持し、聡明である事に留まるのです。 これはポーズじゃダメですよ。
聡明さを意識していると、不鮮明な状態や昂った状態は、一目瞭然です。
そして、仰る様に不鮮明さと活動状態は結び付き易く、多様な状態を作り出します。

対比は、明瞭・聡明さなのです。

今回は、真面目に取り組んでいる事を表す質問でしたね。

この辺はアーユルヴェーダを調べると直ぐに分かります。
このコミュニティでも瞑想指導を受けたい、ちゃんとした瞑想をできるようになりたい、という要請が多くあったことと思います。
最近、カルマさんが瞑想教室を開催していて、定期的に集まっています。

初心者歓迎です。初禅の達成を目標にしています。

長く開催していきたいと思っています。メンバーを募っています。気になった方はメッセージください。

■講師紹介
カルマ・ランジュン(西澤直人)
1965生まれ。青年期より独学で仏教の修行をし四禅を体験。
1989年チベット密教シャン・カギュ派カルー・リンポチェの元に呼ばれ教えに触れる。
1994年ラマ・イェシェ・ロサルにより、カルマ・カギュ派日本支部のジェネラル・マネージャーを拝命。
以降、在野の修行者、指導者として、多くの人を瞑想修行に導く。

★連絡先
ご興味のある方は、下記までご連絡ください。
メール:rime2438nao@gmail.com
電 話:090-93172227

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