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江戸時代が好きコミュの(雑談)江戸ネタ

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雑談の場がなかったので作ってみました。
トピ立てるほどでもないけど、ってのがあればここで。

コメント(93)

こんにちは。皆さん関東の方が多くてうらやましいです。江戸時代の小説で私は宇江佐真理が大好きです。彼女作品を読みながら、また見ぬ深川に思いをはせてます。
せっかく葛飾区に住んでいるので、関東一円の 祭り囃子の元 になったと言われている「葛西囃子」を習い始めました。


葛西囃子は、葛飾地方に古くから伝わる郷土芸能のひとつです。
当葛西神社は、祭礼に欠かせない祭り囃子すなわち葛西囃子発祥の地として知られております。
享保年間当神社の神官、能勢環(のせたまき)が敬神の和歌に合わせ、音律を工夫して和歌囃子として村の若者に教え、御神霊をお慰めしたのがその起源とされています。
以来、盛んの一途を辿り、神田囃子、深川囃子、また関東周辺にも広まりまして、秩父、川越、石岡、また東北地方、東海地方の囃子の流儀を生んでおります。(葛西神社HPより)


基本的に「口伝」ですから、先輩方が苦労して作って下さった楽譜のようなものを見ながらなんですが、「間」が難しいです。

でも頑張ります。


うちの地域にもそういうのがあります。内容は『赤穂浪士』などですが、やはり楽譜はなく口伝えで受け継がれています。8月の最後の土曜日、私達はその音頭に合わせて『雨乞い』の意味をもつ非常に不可思議な踊りを踊ります。
友人が千葉県の職員で
現在、「房総のむら」勤務です。
なんとも、羨ましい限りわーい(嬉しい顔)

毎日、江戸の町並み眺められたらいいなぁるんるん
昨日 コンビニで見つけて、つい衝動買いしてしまいました。

撮り方がヘタで、申し訳ないです。
大河ドラマも
ついに「元和」を迎えましたね

今まで、数々の大河や時代劇をみてきて
宮澤りえちゃんが演じた茶々はすごかったexclamation
…溜息

気品・気高さ・美しさ
三拍子揃っていたなぁ…とハート達(複数ハート)
今日は坂本龍馬の命日です。

江戸時代を終らせた幕末最大のヒーローと言われた人で、私も大好きです。(江戸時代好きとしては矛盾してますが許してつかぁさいm(__)m)


大河ドラマ 龍馬伝 の最終回を見て、夜は軍鶏鍋といきたいところですが…
鷄鍋でもいただきます。


来週は上洛いますので、龍馬のお墓参りしてきます。


平蔵の時代に軍鶏鍋屋というのは疑問です。池波正太郎氏がよく行ったことから五鉄のモデルといわれている店が両国に2軒あります。そのうちのひとつは天和創業ということになっていますが、創業時は青物屋。軍鶏鍋を始めたのは、文政頃のようです。

こちらは江戸庶民の食生活を、錦絵や古地図などを用いて解説した本です。
先日図書館で借りて参りましたが、食材や台所事情のみならず、物流手段としての“運河の整備”についても触れてありましたので、けっこう愉しめましたね。
(右画像「分間懐寶御江戸繪圖」の付録つきです!ぴかぴか(新しい))

4月29日(日)13:00より
葛飾伝統囃子共演会 を開催します。

葛飾区金町にある葛西神社で江戸時代中期にできた 関東一円の祭り囃子のルーツである 葛西囃子 を伝承する金町 水元地区の各会の発表会です。

場所はJR金町駅近くの 金町地区センターです。


お祭り好き、お囃子に興味があるという方、よろしかったらおこし下さい。
こちらのコミュで知り合った江戸好きのマイミクさんと、江戸東京博物館に行き、その後場所を移して
お茶をいただきながら江戸の話で5時間以上盛り上がりました。
身近に江戸好きな人がいなかったので、とても嬉しかったです。
その方と今後、都内に残る江戸の面影を辿ってみることになりました。
興味がある女性の方がいたら、お気軽に声をかけてくださいね。

江戸好きで集まって女子会!とか、ぜひやってみたいです。
>>[68]
女子会いいですね〜
機会があったらぜひ参加したいです‼

私の周りには夫以外に江戸好きがいないので
同じような趣味の人と知り合いになりたいです。
今日はこのコミュで出会ったマイミクさんと、増上寺を歩きました。
私は初めてでしたが、旧増上寺の敷地は広かったんですね!
さまざまな遺構も見れて、しかも今日は増上寺で将軍家墓所の公開をしていたので、
とても楽しかったです。高まりました!
これからもいろいろな所を歩いてみたいです!
こんばんは
江戸時代のラスト幕末の大河ドラマ
2013年度NHK大河【八重の桜】のコミュニティを宜しくお願いいたします

http://mixi.jp/view_community.pl?id=5990927

もし幕末ものの【八重の桜】に興味がありましたらば、ご参加お願いします♪
(^o^)/

倒幕派・公議派・佐幕派ヾ(・◇・)ノこだわらないよ
敗者のそして女性からの視点という新しい方向から幕末が楽しめそうですね☆
主演は綾瀬はるかさんとオダギリジョーさんです。
放送は1月6日からスタートです♪
1月15日は 坂本龍馬の妻 お龍さんの祥月命日 でしたので、京都龍馬会理事長ご夫妻が横須賀に墓参いらして、夜 在関東の龍馬会メンバーと懇親会をしました。

そこでの 元芸妓の方のお話です。


江戸に幕府を開いたとき、京都島原の遊廓を真似た 吉原 を作ったそうですが、そっくりそのままではならない(京都の人は江戸を見下していたらしい)ということになったそうです。

島原の最高位の呼び名→太夫(朝廷から官位を受けていた) で 吉原では花魁

島原の遊女→芸を売る(舞妓や芸妓の頂点) だが 吉原の遊女は身体を売る

花魁道中では、傘持ちの仕方が 島原では普通に前に持ち 吉原では背中から前に出して持つ

足の運びが 島原は 内八の字 吉原は 外八の字

などです。

着物好きの私は 最近 江戸小紋 にハマってます。

江戸小紋は、元々 武士の裃の柄で、藩ごとに柄が決まっていて、裃の柄を見ればどこの藩士なのかが判ったそうです。
その柄を江戸の庶民は着物やダボシャツ 股引きなどに染めて着たようです。

遠目に見ると無地 近くで見ると柄がある。
江戸時代、質素倹約を求められた庶民は 幕府への抵抗と 粋を競うために様々な柄を考案したそうです。

>>[077]

大政奉還をした 徳川慶喜公 は水戸徳川家から 一橋家の養子になり、その後 徳川宗家の養子となって江戸幕府最後の将軍になりました。

その子孫の方は現在も徳川の姓を名乗っておられます。


>>[77]

水戸光圀は徳川御三家の水戸徳川家二代目御当主。

その水戸徳川家は明治維新まで大名として続き、維新後は侯爵の徳川家として続き、現在も徳川家として存続しています。

水戸徳川家からは支藩で四家の松平家がありそのまま松平を名乗りますが、これは光圀公の兄弟が立てた家のためご質問からは外れますが、そのまま松平をなのってます。
ちなみに高松松平家は水戸家から養子を向かいいれるなどしております。

そのほかに分家で松戸徳川家が明治に子爵の家としておこり、徳川をなのってます。

水戸徳川家からはそのご他家に養子を出すなどしており、それらは当然その家のなのりでおります。(養子先には、もちろん松平もあります。斉昭公の子供が多く、これを調べ書くのは大変なので、興味があればお調べになってください)

また>[78] おうどりぃさんが書かれているとおり、一ツ橋家に養子に入った慶喜公はそのち宗家→将軍となり、宗家を譲ったあと明治維新後に独立した徳川家をおこしその御子孫は現在も徳川家として続いております。

血統で光圀公の子孫となると、ウィキペディアで調べた限りでは、光圀公の実子は高松松平家に養子に出た松平頼常のみのようです。
松平頼常の実子は二人おられたようなのですが、その方々がどうなったかは、ウィキペディアでざっと調べた程度ではつかめなかったです。
ご興味があれば、お調べになってみるといいかと思います。

江戸東京たてもの園に行ってきました。。
はからずも連投ですみません。雪景色を見にまた川崎市日本民家園に行って来ました。。

この年末年始は古地図・古写真本を読み漁っておりましたが、
私の中ではこちらがベストでした。本

平井聖監修 『図説 城下町 江戸』 (学研)
http://rekigun.net/published/details/special-05.html#4056053588
今昔の地図&写真で対比が楽しめます。ぴかぴか(新しい)
白南風さん
ちょうど古地図の本を探していたところなので、参考にさせていただきます(*^◯^*)

ちなみに、今は、たまたま本屋で見つけた、下の雑誌を読んでます。
面白いです。
>>[84]

なるほど、これは面白そうですね。

学研は出版事業を縮小するそうですので、歴史書関連は廃されてしまう
かもしれません…。たらーっ(汗)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL25H7B_V20C15A2000000/
江戸城(現皇居東御苑)を散策して来ました。。

少し前に 徳光さんと田中律子さんの路線バスの旅の番組で 葛飾区金町にある 葛西神社が紹介されました。

江戸時代中期 近隣の若者の教育を兼ねて 当時の宮司さんが作って教えた 葛西囃子発祥の神社です。

葛西囃子が関東一円に口伝えで広がり 神田囃子 川越囃子 佐原囃子などになり 今各地のお祭りで演奏されてます。

神社にはそれを伝える碑もあるのに 番組では そのことに一切触れられてなかったのが 残念でした。


葛西囃子は 東京都の無形文化財に指定されてますが、発祥の地である葛西神社の囃子連ではなく 江戸川区の葛西地区にあるお囃子サークルが指定を受けてます。
葛西にあるグループだから と安易に指定した東京都の見識の無さや調査不足にもガッカリですけど。


近所(神奈川県:東海道の保土ヶ谷宿の近くです)、元禄、享保、明和、宝永といった江戸時代の元号が刻まれているお地蔵様や石仏様がいくつも集まったいる場所を見つけました。

身近なところにも歴史はあるものですね。。

当時の人々が、それぞれどんな思いでこの仏様たちを納められたのでしょう…
 東海度の起点となる日本橋を北へ行く。左手には『熈代勝覧』に描かれた町並みが続く。朝千両といわれる魚河岸から溢れ出る人びとの喧騒をかき分け、室町一丁目を抜け、二丁目の町木戸を通り過ぎたところの四辻で左を見れば、三井呉服店が軒を連ねる駿河町があり、その先には富士のお山が見える。そのまま真っすぐ進むと、室町三丁目の中ほどを右に入る浮世小路が見えてくる。料理屋がいくつも立ち並び、有名な百川もここにある。さらにまっすぐ進む。通りの途中にある町木戸を過ぎると、左側が本町二丁目、右側が三丁目だ。本町通りの四辻を左へ行けば、常盤橋があり、その先の御門を入れば、御城である。右に折れれば、両国広小路。そのまままっすぐ進む。次の町木戸を過ぎれば、十軒店町で、三月には雛人形、五月には五月人形、年の暮れには破魔矢や羽子板を売る床店が通りの両側に並んだ。そこを抜ければ、左が本石町二丁目、右が三丁目…。こんな妄想にお付き合いいただける方、あなたの妄想をお聞かせください。
 八丁堀の旦那といえば、町方の組与力同心ですが、八丁堀には彼らの大縄屋敷地が
ありました。組同心の拝領地面はおよそ百坪弱で、そこへ二、三十坪ほどの自宅を建て、
残りの土地に貸家を建て、不動産収入を得ていたといいます。

 組同心自身の屋敷は武家地とされたものの、それ以外は町人地とされたため、
町人にも貸すことができたからです。本人は組与力の地面を借りて自宅を建て、
じぶんの地面はすべて貸家にしてしまう人もいました。

 いわゆる九尺二間の棟割長屋もあったようで、スラム化して、貧乏小路と呼ばれた
一帯もあったといいます。中村主水の家の裏地に、貧乏長屋があったと考えると、
なんだか、おかしいですね。
最近ずっと明六つ、暮六つが気になっている。
それが分からなければ、江戸の暮らしは理解できないように思うからだ。

江戸は明六つの鐘で朝の訪れを知った。
ものの輪郭や色の濃淡は分かるものの、色は生彩を欠いている。
六つ半になる頃には光が充満して、徐々に生彩が蘇り、人々は世界に色があったことを思い出す。
五つの鐘を聞いて、その日の一時(いっとき)の長さを知る。

夕七つの鐘を聞くと、人々はやがて夜がやってくることを知り、
七つ半になる頃には、世界は徐々に生彩を失っていく。
暮六つの鐘がなる頃、町は光とともに、闇に没していく。

じつに大らかに江戸の時間は過ぎていく。
江戸の人々は、一日の始まりと終わりを時とともに感じたのだ。

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