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BOOKERSコミュの「モトイヌ2」 By 夜間飛行

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「モトイヌ」の続きで御座います。

今回は主人公の過去なんかにふれてみたいと思ってしまったりします。

よろしかったら感想などお待ち致しております。


何せ昔に書いた物なのでなんというか・・・・汗

コメント(22)

モトイヌ 第4話 「過去」

 少しこの辺で過去の話をしてもいい頃だろうと思う。思ったのはただ単に昨日義理のお袋から電話があったからだ。
 「たまには京都の家にも帰っていらっしゃいよ。」
 「ええ。まぁそのうち。」
 俺はそれしかしゃべらずに電話を切った。義理のお袋。義理の妹。ともにそれほど悪い人間ではないのだろう。けれど、俺は京都の家に帰る気にはならなかった。たぶんこれからもならないだろう。

 京都の家は京都市N区にある古い町屋だ。回りには寺やら神社やらの観光地。そして、土産物屋と日常の暮らしが混在してるような感じだ。京都特有の間口の狭い長細い家で育った。俺は下宿などを許されないままに、京都の某私立大学をそれなりの成績で卒業して、迷った末に大阪のS市警察に就職した。公務員試験の成績や大学での成績を考えれば交番勤務で一生を迎えようというのは、周りには少し奇異に映ったらしいが俺には俺なりの事情があった。
 全ては親父の所為だった。
 現在京都府警一課長、「落としの東郷」「狩屋警部」などという二つ名を持つ親父はいわゆるキャリアで出世街道をばく進中だった。俺とは違い顔も柔和なら、声も優しい。だからといって母がいかつい顔をしていた記憶はないから、俺のこのいかつい顔は遺伝子のいたずらとしかいいようがない。しかしながらこの猪首や肩幅の広さは俺自身の選択によるものだった。柔和でキャリアな京都府警一課長は実は家では酒と暴力の人だったのだ。
 とにかく毎日飲んで帰ってくる。お袋が作った料理にけちをつけるところからはじめて、酔った勢いでお袋も俺も妹も見境なく殴る蹴る。顔がいくら柔和でも警察官だ。キャリアな優男とはいえ、それなりの武道をたしなんでいるのだから跡がつかないようにわからないところを押さえている。俺が出来る事といえば、それに対抗して柔道、合気道、極真空手と武力をつける事だけだった。おかげで、剣道をあわせて12段にもなり、柔道では国体に出るところまでになった。そうやって、俺は妹やお袋を守ろうと必死になってこの外見を身につけた。声は体が大きくなるに連れて自然に低くなった。
 同時に何かあったときのために、必死で法律を勉強した。なんといっても相手は警視庁に行ってもおかしくないのに京都府警の一線で活躍するキャリア組だ。こっちが何かしたらどんな法律を持ち出すかわかったものではない。俺自体は元々本を読むのが好きで勉強は嫌いだったし、各闘技も好きではなかったけれど、親父に対抗するためには仕方がなかったのだ。そしてその時代の夢は、同じ京都府警に入って親父の出世の邪魔をしながら、お袋や妹を守るという事だった。けれどある日その夢も破れ去った。
 「静子どこいったか知らない?」
 ある朝、お袋が今日も大学受験に励む俺のところに入ってきた。そのとき俺はちょうど17歳、高校3年生でもうすぐ誕生日を迎えるところだった。妹はそのときまだ15歳。暴力し放題のおやじに反抗して、髪を赤く染めて化粧やマニュキュアをして殆ど高校にも行ってなかった。
 「さぁ?昨日親父になにか反抗してたみたいだから。」
 俺はそのときの事を思い出して、反射的に家を飛び出していた。妹が良くたまり場にしていたコンビニの前で、ヤンキーにほど近い友達から話を聞いた。
 「あいつ、東京行ったぜ。」
 「東京?」
 「なんかわかんねーけど。勇作っていうここら辺締めてる奴がいるんだけどさぁ、そいつと東京で暮らすって、出て行ったよ。」
 「勇作?名字は?」
 「聞かない方が良いって。あっちの方ともつながりがあるらしいし。あー。あんたその姿、シズのおにいちゃんだろう?」
 「ああ、兄だ。」
 「昔は、シズあんたの事ばかり自慢してたんだぜ。けど、あんた自分の事だけ考えて妹の事ほったらかしにしただろう?自分が国体だっけ?インターハイだっけ?それに出場するために毎日練習に明け暮れてる間に、あいつ、毎日お父さんとやらに暴力うけてたんだぜ。それで、シズもう体売って東京とかに逃げるしかないって毎日泣いてたんだ。そのときに勇作のやろうが、東京行くなら一緒に行こうなんて誘ったもんだからついて行ってしまったんだろうなぁ。」
 俺は家に帰る道すがら涙が止まらなかった。お袋のため、妹のためと思ってやってきた事は全部無駄だったのだろうか?その練習のために遅くなった事で妹が虐められていたのならば俺はいったい何のために強くなろうとしたのだろうか?しかし、話はそれだけでは終わらなかった。

 「東京に連れて行ってやる。」と約束した勇作という男は、妹を裏ビデオに売った。それも京都とそれほど遠くない大阪で。妹からの手紙が着いたのは1ヶ月を立たない頃だった。そのあとも体を売って生活しているという。俺とお袋は毎日「どこへ行った?」と聞くおやじをはぐらかしながら妹の消息をたずねた。しかし、親父が先にその裏ビデオを見てしまったのだ。ご丁寧に、京都府警に届けてくださったやろうがいるらしい。あとでわかった事だが送ってきたのは妹を売り飛ばした男、この勇作と呼ばれているのは前々から親父に借りがあったらしく、静子を狙ったのも親父の事が許せなかったかららしい。
 親父はそのビデオをお袋の前で流した。お袋が目を背けようとすれば、髪の毛をひっつかんでブラウン管の前に引き寄せた。そして言った。
 「お前の所為で俺が恥をかいた。こうなったら死んでわびろ。それしか俺が恥をかかずに済む方法はない。」 
 
翌朝、お袋は鴨居からぶら下がっていた。

 俺の目標は変わった。警察官になりいつか親父の悪を暴く。そう決心した。けれど、国家公務員試験を通ってすぐに本庁に配属されると思っていた俺が馬鹿だった。それがわかったとき、妹の消息が知れた。大阪府のS市で男のひもになりながらも何とか暮らしているらしいと言うのだ。
 そして俺は配属希望先を妹のアパートの近くのS市警察に決めた。
 交番勤務というのは、それなりに大変だったけれど俺にとって見れば一人暮らしと、妹を見守る生活。そんなに日常が生ぬるく幸せな時間だった。当然ひもになっていた男とは別れさせた。
 けれど、それさえも長くは続かなかった。
 交番勤務からとはいえ警察官になった俺を親父はこの体格からの恐怖と、自分と同じ職業に就いたという事で得意に感じていた。だから俺にも妹にも手を出す事をやめ、どこから拾ってきたのかわからない義母とお袋の喪が明けてすぐに結婚した。義母も子持ちだったが、たぶん毎日こつかれて今も生活しているのだろう。
 今回もだが「帰ってきてほしい。」というのは、俺の腕力で自分たちを守ってほしいという意味だと俺は思っている。
 俺に似合わない悲劇は今度は警察内部で起こった。
 そのころ大阪市の南地区を中心に連続バラバラ殺人事件が起こっていた。S市警も含めて合同捜査本部がしかれており警察署内はてんやわんやだった。S市での犯行は認められておらず大阪市内だけだったのだが、大阪市に近接するS市も関係があるのではかという憶測が飛び交ってS市警からも人員を割く事になったらしい。後からきいた話によるとS市警では「迷惑な話」と考えている人間も多かったらしい。 
 話は変わるが、何度か話にでているように俺は嗅覚が鋭い。どれくらいかというと、難しいがハンバーガーがいくつか置いてあったら、中身を見ないで目隠しをしてもどこのなんというハンバーガーかわかる程度だ。もちろん珈琲や紅茶なんかは銘柄を見なくても嗅いだだけでわかる。別段隠す必要のある事ではなかったが目立つ事をおそれて俺はその事を警察には隠していた。ある時それが公になってしまった。
 俺は親父から虐待されて育った。だから「虐待」という事に関しては自分でもちょっとおかしいほどの正義感がうまれてくる。その相談はS市の市役所からの話だった。
 「ゴルゴ東郷、S市の児童相談課の人が来てるんだ。ちょっと俺忙しくって話聞いてくれないか?」
 久し振りに交番からS市警に用事のあった俺に、同期のノンキャリアの友人が話しかけてきた。彼は交番勤務ではなくもともと市警からでる気はなく、暴力相談や市民相談などの内勤に追われていた。
 「いいっすよ。越田さん。色々大変ですねぇ。」
 「う〜〜ん。俺も交番勤務から始めれば良かったかなぁ。」
 「交番勤務も辛いっすよ。俺なんかほらこんな顔だから、地域の人に怖がられる事たびたびですからね。」
 「それもありか。いっそ出世して4課とか向いてそうだけどなぁ。あんたなら4課の強面も逃げ出すぜ。」
 「それも酷い言い方ですっね。」
 「わりぃ。そういえば今回の児童相談ゴルゴ東郷の管轄地域だわ。」
 「とすると、そのまま仕事って事にもなりかねないって事っすかね。」
 「ま、話だけで俺たちが出来る事なんてしれてるんだけどな。最近無力だと感じる事が多いよ。」
 そう言うと越田さんは忙しそうに2階への階段を上がっていった。
 
 「えー。私、S市N地区担当の東郷と申します。」
 名刺を渡した。児童相談と言うから禿げた男を想像していたら40前だろう、なかなかやり手そうな赤いスーツを着た女性だった。細身で銀縁の眼鏡をかけている。
 「巡査でいらっしゃる。私はS市児童相談所、虐待ホットライン係、係長の前田涼子と申します。」
 彼女は巡査という肩書きに少し不満を持ったようだが、自己紹介しながら名刺を渡してきた。そしていきなりこう切り出した。俺は越田さんが用事があったのではなくこの女性が苦手だったのかもしれないと少し考えた。
 「貴方は子供の虐待という事についてどうお考えですか?」
 「そうですね。私自身がある意味虐待をうけて育ったので重要な事と感じております。」
 「そうですか。ではお話をさせて頂きますので、必ずなんだかの方法で子供を助けてくださると約束して頂けますか?」
 これは難しい質問だった。しかしながら話を聞けないのではどうにもならない。俺は即座に答えた。
 「お力になれる事でしたら。」
 この返答に気分を害したらしい前田涼子がつかみかかるように話を始めた。
 「普通の虐待でしたら、警察のお手を煩わす事は支度は御座いません、しかし今回の場合命に関わる虐待ですし、私たちでは立ち入る事の出来ない話ですので、仕方がなくこちらに伺ったわけです。ところが必死の思いできてみると、こちらの方でも大阪市内で起こっている連続バラバラ殺人で手がいっぱいで人員を割けないとか?そんなにマスコミ受けする話が警察はお好きなんでしょうか?」
 「いいえ、そういうわけではないのです。」
 「確かに私もテレビくらいは見ますので、先日、一昨日でしたか大阪南港で発見されたバラバラ死体で4人目の被害者とか?それもまだ全くと言っていいほど、犯人の目処が立っていないそうで、大変な事はわかりますがこちらも子供の命がかかっているのです。」
 前田涼子という女性はかみつきそうな状態だった。俺は一度退席して紙コップにお茶を用意した。良い香りとは言えないが少しは落ち着くかもしれないと思ったからだ。
 「とりあえず、どうぞ。捜査の方はお約束します。例え俺一人ででも。」
 「わかりました。」
 彼女もお茶を飲んで自分の姿を備え付けの鏡で見て、少しおかしい事に気がついたのだろう。話を普通にする気になったらしい。
 「で、具体的にはどういった?」
 「ネグレクトです。」
 ネグレクト、最近では常識のように言われているが、子供を放置して場合によっては死に至らしめる虐待である。子供が憎いという感情よりも、関わり合いになりたくない。子育てが嫌になったなど、ネグレクトを行う方が精神的に未熟であったり、精神神経疾患にかかっていたりする事も多い。何よりも自分が子供を虐待しているという自覚がない事が多く、注意や保護をしようとしても「なぜ自分が責められなければいけないのかわからない。」といった親が多いのも特徴の一つといえる。
 「それは、どういった経緯で発覚したのでしょう?」
 「それが。匿名の電話なんです。」
 「匿名で話があったと?」
 「ええ、それもネグレクトが行われているというのではなく、S市のN区M町2丁目あたりのアパート密集地で酷い臭いがする。子供の鳴き声が聞こえる。どうにかしてほしい。そう言う話なのです。」
 「具体的なアパートの名前などもわからないのですか?」
「アパート名はわかりませんが、匿名の電話のほかに近くの住民から市の方に、腐ったような臭いが時々するという電話が何件かあったようです。」
 確かに、それだけでは普通の警官はこの忙しいときに動いたくないだろう。けれど、俺の中では許せないものが沸々とわき上がっていた。
 「だいたいのアパートの場所はわかるのですか?」
 「ええ、それは。ただ、私どもには捜査権も御座いません。知らない家にはいる事も許されません。ですから、警察の方となら何とかなると思いまして。」
 「わかりました。今、先ほどご指摘があったとおり、S市警察は人手は足りない状態ですが、私でよければ捜査したいと思います。」
 「あ、ありがとう御座います。私も一緒に行かせて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します。」
  どうも、怪しい雲行きにはなってきたがふたりで、話のあったアパートが並ぶあたりに出向く事になった。「では、明日改めて。」などといったらそれこそ殴られそうな勢いだった。それに臭いの事なら、少しの自信があった。
 「このあたりですか?」
 「ええ、匿名であった情報が一番指定してきた場所の範囲が狭く、この6っつのアパートのどれかだというのです。」
 俺はあたりを見渡した。確かに6件の古いアパートが周りに建った背の高いマンションに、取り残されたように立ち並んでいる。呼び方もいろいろで、M文化住宅と書かれたものも有れば、霞荘M町、レジェンドM町などという名前と内容が全くかけ離れたアパートもあった。内容的にはそれほど差がないのだろうが、風呂トイレが付いているか、二間あるかその程度の違いのような気がした。
 「それ以上の情報はないのですね。」
 「ええ。御座いません。子供の鳴き声が聞こえたという事は、ネグレクトに晒されている子供は肉体的にも虐待されている可能性があります。それと、歳的に自分で外に出られない小さな子供だという事も考えられます。せめて泣いてくれれば・・・。」
 彼女は悔しそうに唇をかんだ。だが俺にとっては泣いてくれないほうがいかもしれないと思われた。子供が泣いているところへ警察が来れば子供を隠す親は多い。それならば俺にとって唯一、人より優れている鼻を使う方が早いのではないかと思った。
 アパートの前を1件1件鼻をきかせながら通り過ぎていく。ついてきている彼女の顔色が少しずつ不機嫌になるのがわかった。それを無視して4件目のアパート「メゾン夕日」の前に来たときだった。俺の鼻腔を強烈な悪臭が通り過ぎた。俺はここのアパートに間違いないと確信したほどだった。この辺のアパートにしては外装も綺麗だし、何よりも3階建てで立派なだけに、ついてくる彼女はここは外しても良いのではないかと考えてはいたらしい。家賃にしても中の構造がわからないが、ガレージがついて月8万5千円は堅いだろう。部屋の間取り次第では10万を超すかもしれない。1階を通り過ぎる。それほどの臭いはしない。2階。少し臭い部屋があったのでノックをすると、何日もゴミを出していないような男の一人暮らしだった。そして3階。ちょうど一番西側にある部屋から異様な臭いを感じた。ノックしても誰も出てこない。
 さすがに彼女も臭いを感じたらしく。鼻にハンカチを当てているが、俺の方はそれどころの話ではなかった。吐き気を催すような悪臭。隣の部屋は空き部屋だった。俺は「空き部屋あります。」と書かれた不動産業者に携帯で連絡し、すぐ鍵を持って来るように言い。その部屋の前で格好悪くもえづいていた。
 「この部屋に何か?」
 1時間近く待たされて、すっかり夕日が堕ちる頃不動産業者が大家を連れて鍵を持って現れた。
 「すぐに開けてください。」
 警察である事は制服ですぐわかる。それにこう言うときに俺の怖い顔は役に立つ事もあるらしい。大家が震える手で鍵を開けた。鍵が開くと同時になだれ込むようにして前田涼子が部屋に入った。
 中の西側の窓のある部屋がガムテープで閉め切られている。その中には10月をとっくに過ぎているというのに、Tシャツに半ズボンそれも殆ど洗濯してないような状態の男の子が毛布にくるまっていた。周りには何日もたってカビの生えたようなパンやインスタント食品が散乱している。隣の住人がいないのでわからないが、親は何日も帰っている様子がなかった。
 男の子はやせ衰えて、歳さえわからなかった。前田涼子は名前や歳を何とか子供に聞こうとしたが途中で子供が倒れてしまい、急いで救急車で搬送する事になった。病院にま付いていくべきかどうか迷ったが、それをするのははばかられると言うよりも、このネグレクトの状態を立証しなければならない事に気がつき俺はこの部屋に残る事になった。
 それにしても酷い臭いだった。俺の鼻ではどうやっても太刀打ちできない。部屋を見るとトイレットペーパーさえなくなっている。どうやって便や尿を始末してきたのかさえわからない状態だった。とにかくネグレクトの様子は写真班を呼んで内容をとっておく必要があるだろう。けれど、その前にこの悪臭を何とかしなくてはと思い、ガムテープで密閉された西向きの窓を開け放った。
 悪臭が去るのに5分はかかっただろうか?それでも、清掃局が生ゴミを集めているときのような臭いがする。それから写真班を待つ事10分。だいぶんましになってきた。
 そのとき、悪臭の中から別の臭いが俺の鼻を刺激した。血の臭いだった。

 血の臭い。確かに血の臭いがする。それもちょっと転んだとかそういう量だとは考えにくい。しかし、アパートの中からではない。気がつくと、俺は悪臭から逃げるように西側の窓の方に近づいていた事に気がついた。そしてそこで俺が嗅いだ臭い。大量の血液の臭いは向かいのマンションからしていた。普通の人間なら、このアパートの悪臭に気がついても、向かいのマンションの臭いには気がつかなかっただろう。けれど、俺の鼻は特別にでいていた。
 向かいのマンションに行くには、一度坂を下りて回り込まなければならない。どの部屋なのかも2階か3階のこの西向きのアパートに面したところとしかわからない。根拠は普通の人間ではわからない血液の臭いだけなのだ。俺は迷った挙げ句、ネグレクトの件を写真部の連中に任せてマンションに向かった。
 事件が起こっているという気はなかった。ただ、マンションで出血して倒れている人間がいるならすぐに救急車を呼べば助かるかもしれない。それが自殺だろうと、病気だろうと。それぐらいの気持ちだった。

 今度は1階分に12部屋あるマンションの部屋を1件1件臭いを頼りに探していく。何度もさっきのアパートを振り返りながら。2階の11号室。ちょうどさっきのアパートの部屋の下半分が見えるあたりで、血の臭いがきつくなった。ただ、さっきのネグレクトのときのように確信はない。それでも、今度は管理人が常駐しているマンションだったので鍵を開けてもらった。
 「急病人がいるかもしれないので。」
 というと、めんどくさいと言うよりも困った事になったという表情で管理人が鍵の束を持って来てくれた。そこで俺が見たもの。一生忘れなだろう。

 浴室、湯船の中でバラバラ死体が作られている途中だったのだ。

 俺はネグレクトの捜査で赴きながら単独行動で、大阪市内を震撼させているバラバラ殺人の現場を押さえてしまったのだ。事件を報告するとすぐにパトカーが集まった。死体を発見してすぐ部屋を出れば良かったのだろうけど、俺の鼻はまた余計な事をやった。冷蔵庫から臭いがする事に気がついてしまったのだ。
 「こ、ここからも臭いが・・・。」
 そう言って指を指すと屈強の刑事達が回り込んで、冷蔵庫を開けた。中から出てきたのは切り取られて見つからなかった内臓だった。俺はそれを目で見ただけでなく、鼻で確認してしまった。
翌日から事情聴取が始まった。俺は毎日毎日大阪府警に呼ばれて気分が悪くなるような話を繰り返した。警察官が警察官に遠慮する事などなく、俺の前には何枚ものグロテスクな写真が並べられて「どうして気がついたか?」という事を中心に連日連夜続けられた。
 これはあとから聞いた話なのだが、捕まったのは大阪府警でこのバラバラ事件の犯人として、一応マークしていた人間だったらしい。ただ、決定的な証拠もなければ、どこでばらしているのかがわからなかったらしく、今回見つかったマンションは、犯人の男が昔、つきあっていた女の名義で借りていたマンションだっただけに、完全にノーマークだったらしい。
 確かに捜査本部の面目丸つぶれだった事だろう。けれどそれを救ってくれたのは、誰であろう前田涼子だった。彼女が、ネグレクトの捜査の件を事細かに証言してくれたおかげで、俺はただのラッキーな男として扱われる事になった。
 アンラッキーだったのは、こういう話をマスコミはほっておかないという事だった。「連日連夜騒がれた連続バラバラ事件が、ネグレクトの子供を助けようとした善意のお巡さんによって解決された。」ワイドショーも雑誌、新聞に至るまで俺の事をほっておかなかった。そして親父も放っておいてはくれなかった。親父は、自分の才能が開花したように俺の事を大阪府警に売り込んだ。そして俺は意に染まぬ形で大阪府警捜査第1課に配属転換が言い渡された。事実上の栄転だった。

 で、どうなったかって?
 結論から言うと毎日しごかれるという名目で、いじめにあった。俺の鼻がきく事を知った連中はあらゆる悪臭の捜査を俺に回した。とにかく悪臭のするもの。そしてそれがグロテスクならその方がよけい良い。そう言う捜査ばかり回された。死体がでれば「行ってこい。」と言われ。写真をみせながらどういう臭いがしたか事細かに説明させられた。
 まず俺がおかしくなったのは「味覚」だった。嗅覚を刺激するグロテスクなものを見たあとの食事。だんだんものの味がわからなくなってしまったのだ。親父はその様子を大阪府警から聞いていたらしい。が、親父にとって見れば新しいおもちゃを見つけたようだった。
 「使えるものならどんどん使ってくれ。それが警察官として当たり前の事だ。」
ちょっと聞けば正しく思えるこの台詞も、親父にとってはそれで俺がどれだけおかしくなるかというゲームの材料に過ぎなかった。
 一生に一度あるかないかの大きな事件を解決した男として、俺はあらゆるいじめにあった。殴られたり蹴られたり。そう言う事は子供の頃から日常茶飯事だったからどうという事はなかったが。半ば白骨化した死体や海に飛び込んだ死体の臭い。あらゆる死体の臭い。これには耐えられないものがあった。それでも、飯は食わないとやっていけない。少しでも食べるのをとまどっていたら、軟弱な奴だ。と言ってよりグロテスクな事件に回された。食べかけのどんぶりを頭からかけられた事もあった。こう言うときには一日中そのどんぶりの臭いと鼻を使った捜査での悪臭とが混ざり合って、同じものが食べられなくなった。
 
 本格的におかしくなったのは、バラバラ事件の犯人と話をさせられたときだった。彼は殺した女性を食べていた。冷蔵庫にあったのは捨てきれなかったのではなく、食べきれなかった彼に言わせると「おいしいところ」だったらしい。彼はこの話をこれから会う「お前が捕まる原因になった男」に詳しく、どう料理したらどんな香りがしてどうおいしかったか話してこい。と言われたらしい。5時間に及ぶ男の自慢話を聞いていて、俺の頭の中でぷつりと言う音がするのが聞こえた。そして気がついたら笑いながら俺は犯人の首を絞めていた。
 同僚に注意された俺は、自分では覚えていないのだが笑いながら廊下を走り去っていったらしい。俺はそのまま精神病院行きになった。というより、気がついたら警察病院の精神病棟で隔離されていた。
 約半年の入院のあと、俺はもう帰る事がないだろうと思っていた京都の家に帰った。俺の暴力癖を知った父親は何も言わずに俺を、小さな離れに閉じこめた。俺はそれから毎日、警官時代に買ったパソコンをつなげてあらゆる掲示板を徘徊するようになった。そのうちに、クラッキングを専門にする仲間に出逢った。今からすれば馬鹿な事をやっていたものだと考えるが、俺は昔少しいただけの大阪府警のパソコンのパスワードの仕組みを知っていた。 
 俺は大阪府警時代、グロテスクな捜査と鼻が必要な捜査(本当のところを言うと単なる嫌がらせで、関係ないものも多かったが)以外は一日パソコンの前で報告書を作ったり、地道なコンピュータ操作での作業をしていた。決して表舞台にでられるような捜査には、名前がメンバーに入っていても加わる事はなかった。だから、大阪府警のパソコンには詳しくなった。
 クラッキング仲間にその事を匿名性がある事を良い事につい口を滑らせてしまったのが運の尽きで、俺は知らない間に大阪府警のパソコンクラッキングの仲間に入れられていた。クラッキングの次はハッキングだった。どうして大阪府警のものがターゲットにされたのか?最初は面白いからだろうと考えていたが、それは違った。そう言うデータは高価な値段で売れる。そう知ったとき、俺はハッキング仲間から離れていった。誰とも会う事もなく。

 親父はその事を知ると「絶対に誰にも言うな。」といい。俺からパソコンを取り上げようとした。俺は逃げた。昔守るために一緒に暮らした妹のアパートに。

 それから1年がたった。なんのバイトをしても続かない俺に「探偵やらへんか?」と声をかけてきたおばさんがいた。
 その人こそ今の所長、篠田槙だった。

 そして今日も俺は篠田探偵事務所のドアを開ける。

     第4話 過去 END
第5話 「対決」

 昨日の夢見は悪かった。最悪だった。昔の派出所時代の嫌な思い出を、ものすごくリアルに思い出してしまった。今から考えたら、なぜあんな事で大阪府警を逃げ出したんだろうとか、親父とこれでは差がつくばかりじゃないかとか。もうそろそろ3月になるというのになんという失態。
 取りあえずは、風呂に入って今日は4時頃出勤するかなぁ。そんなところで俺は妥協する事にした。 朝というか昼というか夕飯というか、まぁどうでも良いのでカップラーメンで終わらせる。やっぱりカップラーメンは100円均一のに限ると思う。なぜなら安いからだ。俺が250円のカップラーメンを食べるだけ無駄無駄無駄無駄!という味覚障害があるものだから当然と言えば当然だ。おいしいラーメンが食べたくなったら、金龍ラーメンの臭いでも嗅ぎながら100円均一のラーメンを食べに行く。そうすると不思議な事に金龍のラーメンを食べてる気分になるのだ。まぁ、ご託はこの辺にしてそろそろ出勤の準備をする。
 いつも通り、吊しで1万円強の青山のスーツに同じく青山で1500円程度で売っている適当なカッターシャツに着替えて、歩いて地下鉄の最寄り駅そのまま地下鉄でT区にある俺の職場、篠田探偵事務所に勝手に足がついてくる。これはちょっとやばいサインかもしれないとは思う。なぜならば、今日はあれほどの悪夢を見たのに「鬱」でないのだ。これはもしかすると、「躁転」の危機かもしれない。俺は地下鉄の駅で躁病の薬であるところの「リーマス」を1錠パックの牛乳で飲み干した。
 「おはようございま〜〜す。」
 やっぱり、鬱でなくなってきている。佐藤女史は慣れているから一言。「薬のんどいた方が良いですよ。」で終わったが、西田色子嬢は目を丸くしていた。
 鬱でないという事は確かに「躁転」することを考えれば怖いが、気分はすがすがしい。
足取りも軽くなるが、パソコンの電源を入れる手つきも軽くなるし、珈琲だって事務所に来てすぐに自分専用のを全員分入れてしまおうなんて考えてしまう。やかんを火にかけていると、篠田所長が忍び寄ってきた。今日は来客があるらしく灰色の値段の張るであろうスーツ。確かクリスチャン・ディオールだと聞いた事がある。に紺色のローヒールだった。中のインナーは地味なピンクに押さえてある。化粧も薄化粧で、こうやってみるとただ太っている事をのぞけばなかなか上品なおばさんに見える。
 「あ、所長、おはよう御座います。」
 「おはよう。わかってると思うけど。気をつけるんだよ。」
 「わかってはいるんですけどねぇ。」
 「少し躁の時の方が、私は元気があっていいとは思っているほどなんだけどね。」   「返す言葉に困りますよ。これでも気にはしてるんです。」
 「少しぐらい喧嘩早くてもええやないか?あんたは探偵稼業なんやし。」
 「そういうわけにもいかないでしょう?」
 「ちょっとくらいの喧嘩やったら、いくらでももみ消したるさかい、元気にやるんやで。それとや、ここからが話なんやけどなぁ。」
 所長はここで言葉を句切って俺の方をのぞき込んだ。あまりいい話ではないらしい。

 「なんでしょうか?」
 「あんたの親父さんなぁ。警察に目をつけられてる。」
 「はぁ?うちの親父がですかぁ?詳しく話してもらえる情報ですか?」
 それは俺にとって青天の霹靂だった。
 「せやなぁ。京都府警捜査一課の課長が目をつけられてるにしては少しせこい話なんやけどなぁ。大阪の丸山組知ってるか?」
 「名前と規模くらいは。確か広域暴力団塚刀組の傘下で、中規模のヤクザやったと。」
 「そう、その丸山組や。シノギは薬と売春。飲食店は沢山持ってるけどそれほど大きなシノギはない。でや、なんでかしらんけど、丸山組系の昔売春やとった女が殺された。名前は田中京子。本名かどうかはしらん。ただ免許の名前も同じやったそうやから本名だった可能性は高い。殺し自体は新聞の隅にさえほとんどのらんかった。そこで、あんたの親父さんの登場や。この、田中京子って女なぁ、あんたの親父さんの手駒やったんや。」
 「手駒というと?」
 「大阪の方が、京都より話が通りやすい事もある。そう言う情報を売ってた、情報ややった。ところが、どうもここ最近うまくいってなかった節があるねん。で、大阪府警としては京都府警の1課長を表だって捜査する事はでけへんけれど、どうも何か隠してる節があると。」
 「その話どうして、そんなに小さくしか取り上げられへんかったんですか?」
 「それはなぁ。大阪府警が押さえたって事もあるけど、どうも自殺か他殺かわからないってところらしいんや。」
 「自殺だとしたら?」 
 「これが青酸性毒物。青酸カリって言うやつや。ただ部屋にはカップが2つあった。遺書はなしや。そうなると、自殺と言い切れないわなぁ。」
 「そりゃそうですね。」
 俺はちょうどやかんが沸騰したのを見届けてコンロの火を消した、ゆっくりと今日はキリマンジャロにたらす。ネルドリップにしているのはペーパードリップだと紙の臭いがして嫌だからだ。紙コップに人数分プラス3っつ入れて、いつも事務の女の子が使っている来客用ではないお盆に載せた。
 「私も1つもらおうかねぇ。」
 「どうぞどうぞ。人数分以上は入れてありますから2杯でもいけますよ。ただねぇ。今の話を聞いても俺はどうしようって気にはならないって言うのが本音です。」
 「あんたは親父さん憎んでるからなぁ。」
 俺は黙ってうなずいた。本当に憎んでいると言っていい。
 「嫌疑かけられるような事をやってる親父が悪い。それに、元々あの親父がいなければ、俺だってもうちょっとましな人間に育ってた。妹なんか尚更です。お袋なんか親父が殺したようなもんだし。」
 「気持ちはわからんでもないよ。ただ今回は依頼でねぇ。」
 「はぁ?依頼が来たんですか?」
 「あんたの義母だよ。」
 俺は絶句してしまった。そしてため息をついた。
 「またあの人も面倒な事する人ですねぇ。」
 「ただ、依頼内容が旦那が犯人やと突き止めてほしいそうや。」
 俺は半分珈琲を吹き出しそうになった。
 「親父を売るって事ですか?」
 「そう言う事やから、こっちでも調べるけど自分の方も少しは調べてほしんや。」
 「わかりました。鬱じゃなくて良かったですよ。今日ばかりはね。」
 俺はそう言うと、珈琲を持って回るべく給湯室を出た。
 
 「さんきゅやでぇ。ゴルゴ君。君の珈琲だけは最高やからなぁ。これ、もうさらうどぶもないとは思うけど、どぶさらいお願いするしぃ。」
 今日も、弓削正隆は上機嫌だった。七河お嬢がいなくて嬉しくってしかたがないのだろう。今日の服装は皮のジャケットに耳にはいつも通り3っつのピアス。鼻にはいつもより少し大きめのピアスをしている。この前読んだ本に感化されたらしく、今度は舌にピアスを入れるらしい。俺から見ればここまで来ると一種のマゾに見えなくもない。ちなみに革ジャンの下のTシャツは紫だった。今日は篠田所長のファッションセンスがましだと思っていたら、弓削の方が最悪らしい。ちなみにこの弓削正隆、俺より相当年上だったりもするからびっくりだ。
 「わかりました。期限は?」
 「期限は今夜中に決まってるやんけ。それとあんたの親父さん、なんか大阪府警にマークされてるらしいなぁ。そっちが気になって仕事にならんっていうんやったらこちらで有料でどぶさらいサービスさしてもらってもええねんで?」
 「結構です。」
 からんでくるのはいつもの事だが、親父親父と言われるとどうも腹が立つ。俺がなんであんな親父の捜査をせんといかんのやと思うとどうしようもなく・・・それでも今日は鬱には入らないらしい。
 「ほながんばってや。俺はもう少し高度な仕事がたまってるからなぁ。」
 そう言って、嬉しそうに自分の机の前に去っていった。ちなみに俺や七河お嬢と正反対で、この弓削正隆という男はノートパソコンをいくつも繋げるのをよしとしている。ほかにもミニノート、タブレットなどいつも持って歩けるアイテムが好きらしい。まぁこれは余談になるがこのノートパソコン類の中身、全部七河嬢に筒抜けになっている事を知っているのは俺と所長ぐらいだろう。

 どぶさらいの方の内容はたいしたことのない物件だった。とある派遣会社の業務内容調査というやつだ。この会社どうも派遣業務以外にスパイ業務に近い事もやってるらしいと書かれている。俺はいつも通り、まずはめんどくさくても2ちゃんねるあたりからさらう事にした。派遣会社の規模が小さいのでスレはたっていなかった。派遣先も小さな会社が多いようで、その派遣先を一つずつぶすなら、この時間からゆっくりやればいいだろうと考えていた。
 スパイ業務と言っても、ここの事務所がやっているような本格的なものではなく、ゴミ箱をさらってくる程度のものらしい。小さな派遣先だと以外にシュレッターをかけない会社は多い。シュレッター自体は完備していても、それを使う人間がいないという話だ。酷い会社になると、重要書類の裏面をメモ帳代わりに使う会社だって存在する。エコロジーの対象にはなるだろうが経営上危ない事この上ない。
 夕方6時半を回って弓削がさっさと帰ってしまった。大きな仕事というのはどうも携帯で友人に電話をかけ、今週末の話をする事だったらしい。それさえもどうでもいい話だが、所長がしっかり見ている事を忘れているような振る舞いだ。ちなみに所長が見てなくても、経理の佐藤女史がしっかり目を光らせている事を俺は知っている。
 「これも仕事のうちだと思って、ゴルゴ君。8時半以降出来たら10時頃にタイムレコーダーを押してもらえないかなぁ。」
 そう言って、自分のカードを押しつけてきた。こんなものが信用されてないという事に早く気がつけばいいのにとは思うが、俺では進入できないところへハッキングをかけるスキルは信用できるものではあるし、年上になんだかんだとたてつくのはめんどくさいので何も言わずに受け取った。彼は足取りも軽く事務所を出て行った。
 「あれも、馬鹿な男だねぇ。」
 ふと振り向くと所長が仁王立ちしている。こういうときの所長ほど怖いものはない。俺は黙ってうなずいた。
 「今日は私がスーツ来てるもんだから早く帰ったと思って、こんな小細工して。」
 そういうと、弓削が置いていったカードを取り上げてそのまま所長室に持っていった。すぐに引き返して俺のそばに立つ。
 「ところで、親父さんの話は興味はないのかい?」
 「うちの親父は、所長の言うところの腐った警察官ですよ。腐っても極道より下の人間です。」
 「そうなのかねぇ。落としの東郷。京都府警で悪く言う人間はいないよ?」
 「ただ、青酸カリねぇ。」
 俺は最初にこの話を聞いたときからその事には違和感を持っていた。
 「それがどうかしたのかい?」
 「親父がそんな中途半端な真似するとは思えないんですよね。」
 「なんだかんだ言って信用してるんだねぇ。」
 「違いますよ。親父にとって。田中なんでしたっけ?」
 「田中京子。年齢は38歳。大阪ミナミでしょぼいからおけスナックやっとるわ。写真見たぶんではそれほど不細工ではないし、スナック自体も繁盛してるとは言いがたいけど固定客はいる。丸山組にはみかじめ料を払ってるだけって感じやけど、たまーに小さな盆の手伝いなんかもやってるみたいやな。」
 なんのメモも見ずに所長がすらすらと答えた。
 「それやったら、インテリさんの方がよく知ってるんと違いますか?」
 「今の話はインテリが置いていった話や。盆って言うても、旅行先なんかで開く盆のあんまり素人相手やないやつらしい。ただ、いかさまはないと言ってたなぁ。ちなみに、インテリは今日からしばらく塚刀組の鼻つまみ白川会のいかさま暴きに行きよったわ。」
 俺は気にしないそぶりをみせながらも、インテリこと、橋場さんの事を気にしていた。あの人が博打に手を出して良い事は一度もない。
 「大丈夫なんですかねぇ。だいたい依頼はどこから来たんです?」
 「依頼人の名前は教えられへんけど、中堅企業の社長からや。白川会のいかさま博打で2000万ほどやられたらしい。金は戻ってこなくても良いけど、何とか暴いてくれって泣きついて来よった。それで、今回は塚刀組でもやりすぎやって事で話も付いてる。それにうちのヤクザ探偵も一緒や。」
 ヤクザ探偵というのはちょっとおかしな名前だと思うかもしれないが、このヤクザ探偵名前を猪野忠之といって、やはり塚刀組傘下加美屋会という暴力団のれっきとしたヤクザなのだ。加美屋会というのは暴力団と言うよりも非合法な企業に近いものを想像してもらったらいいと思う。それほどたちが悪いわけでも武闘派でもない。けれどやはり極道は極道といったところか。
 猪野忠之がどうしてここの探偵事務所で探偵をやっているのか、それは所長しか知らない。ただ本人は聞かれると「探偵という職業にあこがれとったんや」と嬉しそうに言う。インテリほどではないが、服の趣味もそれほど悪くはない。金も持っている。俺からすれば本当に謎の男である。
 「なら大丈夫ですかねぇ。青酸カリ。刑事なら手に入らなくもないやろうけど。そんな足がつくもんでうちの親父がやるとはおもえないんです。」
 「やっぱりそうかぁ?」
 「そうです。うちのおやじは女は抱いて、金搾り取って、殴ってなんぼの存在です。自分の手を下して殺すような対象とちがうって言うのが、俺の考えです。」
 「わかった、その線で話は進めようと思う。あと、弓削の事は私が怒ってる事をちゃんとわからせなあかんなぁ。あんた、この事件終わったら冴子お嬢奈良まで迎えに行っておいで。それで、あのこの下でちょっと勉強し。弓削のスキルなんてたいしたことあらへん。すぐになんとでもなるさかい。」
俺は気乗りはしなかったが、七河お嬢の事は気になっていたので承諾する事にした。ただこの事件が終わってからと言う事は少しの間まだ時間はあると言う事なんだろう。
 
 それからまた3日以上はかかっただろうか?なんの進展もないまま、俺の躁状態も少し鬱になったりはするものの小康状態を保ったまま時間だけが過ぎた。弓削正隆も所長にちょっとお小言を言われたらしく、最近ではあまり俺にからんでこない。だいたい体力で俺に勝てない事だけはわかっているらしかった。
 しかし事件はとんでもないところで進展するしつながったりもする。
 いきなり俺の義母が「田中京子自殺幇助」で捕まった。

 「自殺幇助?お義母さん?なんでそんな事やったんですか?」
 俺は、拘留されている義母に会いに行った。元警察官と言う事と篠田所長の骨折りもあり、すんなり面会が許された。一体篠田所長の警察のつながりというのはどこまで上なんだろうと考えずにいられなかった。
 「しかたがなかってん。」
 顔を見せた義母はただそう言ってうつむいた。
「あ、話の前にこれ娘さんからと俺からで着替えとか、ほかにいるものがあったら教えてください。娘さんの方は面会が難しいかもしれません。ですが俺は次からは弁護士と一緒になるかもしれませんが面会は大丈夫やと思います。」 
 「なんか、頼もしいねぇ。男の子って言うのはそんなもんなんかなぁ。」
 「で、どうして青酸カリ渡すような事したんですか?」
 「しかたがなかってん。もともと、この結婚自体に夢を持ってた私が悪いんやけど、田中京子って言うのは、私の昔の売春仲間やってん。私も大阪で売春しとったんやけど、そのときに東郷毅。おとうはんに出逢ってなぁ。もう売春するにはしんどい歳やったし、子供も大きくなってきてたからしっかりした親つけたりたかってん。けど、あんたも知ってるとおり、おとうはんは家では鬼や。殴る蹴るだけやったら許せても、自分の娘犯すのは許されへんかった。」
 義母は涙を流してプラスティックのしきりに頭をこすりつけた。俺は見ていられなかったが、あの親父だったら、血のつながってない娘くらいは平気で犯すかもしれないと平然と考えている自分に腹を立てた。
 「それと自殺幇助とどう関係があるんですか?」
そう聞いたのは、自責の念からだったかもしれない。俺は親父の血を引いている。その事が自分を責めるのにはちょうど良い材料になった。
 「京子は昔から自殺にあこがれてた。ちょっと違うなぁ。生きてる事に疲れてたっていうほうが正しいわ。今の生活だって、スナックのママというのは京子の人世のなかでは良い方な暮らしやったと思う。けれど、いろいろな事があって子供おろしたりな、極道につきまとわれたりして毎日疲れてた。それでいつも死にたいって、まぁ、時々やけどうちにも連絡があったんや。」
 「それと親父とどう関係が?」
 すると義母は俺の方を少し恨めしそうに見た。俺には意味がわからなかった。俺も見返した。
 「あんた、警官やめてパソコンでいたずらしてたときがあったやろう?そのときのメンバーって覚えてるか?」
 意外な質問だった。俺は外出しなかったのでメンバーと直接会う事がなかったし。もうあの時のメンバーとはいざこざ以来縁を切ってたからどう答えて良いものか迷った。
 「俺は。すいません。あの時のメンバーとは顔を合わせた事がないんです。」
 「そうやろうなぁ。でなかったら机並べて仕事でけへんわな。」
 「まさか?」
 「そのまさかや。弓削って言う男。そいつがあんたのメンバーの頭やったんや。弓削自体もあんたの事は最近までしらんかったらしいんやけど、何かで調べて、お互い思うところのある人間に復讐しないかって持ちかけてきた。」
 俺は頭のなかが真っ白になるのを感じた。メンバーと楽しくやってたころ。おやじに対する反感からどうやったら、おやじを欺けるかって事ばかり考えてた。それを、弓削は今になって実行した訳か。ということは、弓削が邪魔やったんは俺なのか?
 「俺の所為なんですか?」
 「いいや、私とおとうはんの所為や。あんたはほんのちょっといたずらしただけやった。ただ、私が京子に薬を渡したら、弓削はおとうはんの事を陥れる事が出来るようにコンピューターから操作するって。京子はおとうはんとも知り合いで、嬲られてる人間の一人やさかい、自殺助けるだけでお父さんは窮地に陥るって。そう話を持ちかけてきたんや。」
 「その話に乗ったんですか?」
 「乗ったよ。私は娘だけは幸せになってほしかった。それを平気で汚したおとうはんを許せんかった。こうやって、私が自殺幇助で捕まっても良かった。身内から犯罪者がでたらもうあの人は終わりや。私は裁判であの人がどれだけ酷い男やったか証言する。警察もかばいきれんはずや。」
 俺はしばらく下を向いていた。けれど決心は付いた。
 「わかりました。俺も証言します。あの親父がどれだけ酷い男やったかを。」
 「ありがとうなぁ。」
 また義母は涙した。俺は罪と罰にさいなまれていた。
 「けど京子さんは、どうしてあんな事を?遺書も書かず。ふたり分の珈琲カップを用意して・・・。」
 「それは私が頼んだんや。警察からの話ではまだ出てきてないやろうけど、あの珈琲カップにはお父さんの指紋が付いてるはずやねん。私が用意もした。遺書は京子が書いたろか?って言ってくれたけれど、かえっておかしな事になるって思ったから、やめといてって頼んだ。あとはあの日嵯峨野で殺しがあっておとうはんが出てへんかったら人殺しに出来たかもしれへん。警察が証人やったんや。何人もな。」
「そこまで追いつめられてたんですね。お義母さん。」
 俺はため息をつきながら、電車を何本も乗り換えて拘置所から篠田探偵事務所に帰った。
俺を待っていたのは、空席になった弓削のデスクと佐藤女史、それとなぜかインテリ、そして所長だった。
 「どうやった?」
 「なぞは全部解けました。親父は・・・親父は身から出たさびみたいなもんやったけれど、まさか俺が危ない事してたときのチームの頭が弓削さんやとはおもわんかった。まさかそれを逆手にとられるやなんておもわんかった。ほんまにネットは怖いと思いましたわ。俺が甘かった。」
 「そうかぁ。お義母さんの事やねんけどなぁ。確信犯ってことやし、相手は警察官や。腐ってもな。だから簡単な裁判で終わるとは思われへん。けど、弓削みたいなんを雇ってしまった所長のあたしの責任もある。せめて良い弁護士を紹介するから、それで何とか治めてくれへんか?もちろん金はいらん。」
 俺は自分が泣いているのをはじめて知った。俺はお袋が死んですぐに再婚した義母が好きではなかった。けれど同じ被害者として。法で裁けない人間の被害者として同情してる自分に気がついた。
 涙は止まらなかった。父は確かに出世の道は閉ざされるだろう、けれどこの話はそれこそ女性週刊誌にすら載ることなく処理されてしまうだろう。そう思うと義母が哀れでならなかった。
 「ありがとう御座います。ほんとうに、ありがとう御座います。」
 俺はそう言って、所長のなぜか白くて綺麗な手を握りしめた。
 
   第5話 対決 END 

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