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BOOKERSコミュのシリーズ 「モトイヌ」  BY 夜間飛行

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どれくらいの長さになるかはわかりませんが、1話完結で進めていくつもりでございます。

内容的にはソフトなハードボイルド系でしょうか?

SSはまた別トピ立てさせて頂きます。

どうぞよろしくお願い致します。

また、この話以外に自分専用のコミュ「夜間飛行専用機」にて長い話を書いています。ただ、ライトのベルト呼ばれる範囲のものが多いと思われますのでこちらももしよろしければ読んでくださいませ。
丸1日日くらいつぶれる程度の長さはあります(笑)

コメント(33)

第1話 「浮気」

俺はふと背中に殺気を感じた。振り向かずに軽い声で聞く。
「なんすか?篠田所長。」
「仕事だよ。ゴルゴ。インテリと依頼人から話は聞いてきてくれ。これが時間と指定場所。相棒には絶対間に合わさせるんだよ。それから、有料サイト見てるんじゃないだろうねぇ?この前変な請求があったよ。わかってるだろうけど、」
俺は仕方がなく振り向いた。後ろに立っているのはでっぷり太ったきっぷの良さそうなおばさん。つまり、ここ篠田探偵事務所の所長篠田槙が立っていた。このおばさん「お金儲けが人世の全て」というだけあって、ここの探偵事務所でもうけているだけで物足りないらしく、能美司法事務所、新堂弁護士事務所、シンドウコンサルタントと掛け持ち代表とやらをやっている。もちろん司法事務所や弁護士事務所の表だった社長なんかではない。この辺の事情は追々説明するときもあるだろう。だから今は名前だけ心にとめておいてもらったらそれでいい。
 俺?俺はここ中堅探偵事務所、篠田探偵事務所の探偵で、今のところこれ以上詳しい話はしたくない。
「それ必要経費ですよ。この前の一件、佐藤コンサルの裏サイトに入るにはそこに入会しなければパスワードがもらえないと。まぁ、そういうことです。」
 「やるねぇ。裏サイトで金儲けの前に表のサイトで金儲けかい。うちも見習わなくっちゃねぇ。」
 「表サイトと言ってもワンクリック詐欺に近い、まぁ裏サイトですけどね。で、なんで俺がまた外の仕事やるんすか?それもあのインテリさんと。」
大阪市T区にある古ぼけたビルの窓から外を見て俺は聞いた。
「みんな暇じゃないんだよ。それとたまには外の空気でも吸って来な。ゴルゴ。」
 「その呼び方やめてくださいよぉ。」
 俺は「ゴルゴ」と呼ばれるのが大嫌いだった。ゴルゴとはもちろん劇画の「ゴルゴ13」からきている。
 「それだけ顔と体格が似てる上に名字が東郷なんだ、仕方がないだろう?」
 禁煙家の俺の前で、思い切りジタンの煙を吐き出して篠田槙がしれっと言った。
 「まぁ、そうなんすけどね。え?これ、今日、後2時間しかないじゃないですか?インテリ捕まりませんよ?」
 「それを捕まえるのも、お前さんの仕事やろ?」
 「わありました。じゃぁいきますよ。あ、インテリ捕まえるなら10万、彼に貸してください。今日が木曜日でこの時間に帰ってないとするとたぶんあそこでしょう。」
 「まあたかい?給料からさっ引くからっていっときな。」
 そういうと経理に篠田槙はどたどたとローヒールの音をさせて走っていった。
俺は手渡された10万円を内ポケットに入れ心斎橋の裏へ走った。もちろん地下鉄でだ。
 
 インテリは思ったとおりのところにいた。東心斎橋のマンション、関西橋夕会の賭場だ。4課の時の癖がまだ残っているらしい。インテリの名前の由来はインテリやくざだ。顔、服装全部がそう自己表現している。ただし彼は本当にK大学卒業の元インテリで4課のエリートだった。博打にさえ溺れなければ。
「橋場さん。仕事っす。」
 すでに顔がきくようになってしまった橋夕会の盆に俺は止められることなく入っていった。
 「おう、ゴルゴ。助かったぜ。2万円だけ貸してくれや。」
 俺はため息をついて内ポケットから2万を取り出した。
 「はい2万円。ちなみにこのお金は橋場さんの給料の一部です。所長から借りてきました。と言うわけで給料分仕事しましょう。」
「すまねーな。みんな。ちょっと仕事が入ったらしい。行ってくる。これ取りあえず昨日の負けの2万な。」
 「橋場さんまたのおこしを。」
 手の甲に入れ墨の見える若い男がドアを開けた。
 依頼人が指定してきたのは梅田にある高級ホテルのラウンジだった。俺たちはおいしいのかもしれないがくそ高い珈琲を頼んで依頼人を捜した。夜にはBarになるらしく、カウンター越しに良い酒が並んでいる。今日のところは、まだ夏には遠いのでそれほどおいしそうにも思えないのだろうが、暑い日には昼からビールを頼んだ方が経済的には豊かになった気分にはなるだろう。そんなラウンジだった。
 「依頼人、資料ねえのか?」
 インテリはトイレから帰ってくると、どう見てもどこかのエリートサラリーマンにしか見えなくなっていた。ブランドのスーツを綺麗に着こなしている。ただ、なんというか漂ってる雰囲気を感じるなら気質には見えない。そういう事がわからない依頼人である事を祈った。
 「特にありませんね。今日は橋場さん拾っていかないといけなかったので事前調査の時間もありませんでしたし。」
 「ゴルゴなぁ、ノーパソくらいもたねーの?仕事道具でしょうが?」
 「ノーパソ嫌いなんですよ。信用できない。出来たらサーバーごとほしいんですけれどねぇ。」
 「うちにもあるだろう?サーバー。」
 「あれは、七河嬢専用ですからね。」
 あたりを身見合わすが依頼人らしき人間はいない。俺も似合わないとわかっている背広のジャケットをなおしながら、ふたりでとりとめもない会話をかわしていた。
 「あのぉ、篠田探偵事務所の方でしょうか?」
 ふと見上げると、卵色のスーツに白いカシミアのコートを羽織った女性が立っていた。
依頼人が女性なのは最悪だ。それが美人であればあるほど。そういう意味では彼女は俺にとって最悪だった。
 「はい。篠田探偵事務所の私は橋場。こちらが東郷と申します。畠山さんでいらしゃいますか?」
 そつのない笑顔を浮かべながらインテリが名刺をふたり分渡した。こう言うときに俺の顔といかついからだというのは邪魔でしかない。黙って聞くに限る。メモをとる役に徹する。
  
「早速ですが。お願いしたい事は1つ。主人の浮気の現場を押さえて頂きたいんです。」
 「現場を押さえるとは?」
 インテリが少し首をかしげる。
 「離婚を考えています。ですが身一つで放り出される気にはなれません。」
 「具体的に、ご主人は浮気なさっていると?」
 「ええ、しております。相手は主人の経営する病院の看護師です。」
 「ご主人はお医者様でいらっしゃる。」
 「兵庫恵生会病院。ご存じでしょうか?私の主人は、そこの副医院長をしております。」
 あまり良い評判を聞かない病院だったはずだ。
「なるほどねぇ。失礼ですがお子さんは?」
 「ふたりおりますが、親権を争う気にはなりません。それでは。詳細はこの封筒に入っております。それと手付け金でございます。」
 半分放り投げるように大小2つの茶封筒をよこした。俺はらしくない動作だと思ったが気にしない事にした。それよりも、この手の女性はどうしてハンカチにまで香水を振りかけるのだろう?さっきから俺の鼻はひん曲がりそうだった。早く帰ってくれないものかと考えていたらあっさり席を立ってくれた。
 「それでは、ご報告は?」
 「決定的な写真が撮れてからで結構です。私自身それほど自由に外に出られませんし、離婚したという話は誰にもしておりませんので。」
 「承知致しました。それでは、何かございましても出来るだけ連絡は避けさせて頂きます。」
 「お願い致します。」

 俺は地下鉄で事務所に戻りながら、今度は地下鉄の中に酒臭い男がいて気分的にはげろげろだった。
「橋場さん。」
 「なんだ?ゴルゴ。俺の事もいつも事務所で呼んでるとおりインテリでいいんだぜ?何せ東郷さんは俺の先輩だからな。」
 インテリがさっきの丁寧な対応とはかけ離れた、嫌みな目で俺を見上げた。
 「また、そういうことを。それよりも、さっきの女性どこかへんじゃなかったですかねぇ。」
 「まぁ、封筒の中身調べてみないとわからないけどな。あれは軽犯罪やってる感じの女だったな。ああいうのに万引きやら、薬やってるのやらが多いんだ。」
 「それは、元警察官のカンですか?」
 「お前だってそうじゃないか?取り調べやってるとわかるだろう?」
 「俺は交番勤務。みんなのお巡りさんだったんです。」
 つまらない話をしている間に事務所に到着してしまった。
 「ゴルゴ。取りあえず、缶の珈琲でも飲みながら封筒の中身とパソコンでわかるところでも探るか?どうも、さっきのくそ高い珈琲で頭がさえなくってなぁ。」
 反論せずに封筒の中身を開ける。看護師の写真が数枚、履歴書まで入っていたのにはびっくりした。浮気相手の名前は中里美由紀。歳は今年で26歳という事だった。依頼人の名前は高畠ようこ。夫は兵庫恵生会副医院長高畠誠。ちなみに医院長の息子でもあった。これは確かに無一文で放り出されるのはしゃくというものだろう。しかしここまでの資料がそろっていて決定的瞬間の写真が必要なのだろうか?必要なのかもしれない。俺は金色の缶コーヒーを飲みながら考えた。
 「どうだったんだい?」
 ローヒールの音をさせながら篠田槙所長が近づいてきた。まだジタンを吸っている。
 「そうですねぇ。今ゴルゴと話はしてたんですが、全部話が聞けたって訳じゃなさそうですね。」
 「わたしゃぁ、依頼内容も知らないよ。」
 「ああ、そうだったんですか。離婚用の浮気調査ですよ。ありがちな決定的な写真とってきてほしいってやつです。今パソコンで照会しましたが、だいたいのところはこの封筒の中身です。っと、これさっき橋場さん捕獲用に借りた10万の残り。それからこっちが依頼人からの手付けです。」 
 篠田はざっと手付け金を数えながら言った。
 「30万か。決定的写真の手付けにしちゃあ確かに多いね。」
 「あほ、ゴルゴ。全額渡す奴がいるか?」
 「普通は全額所長に渡すもんなんだよ!だからちゃんとこいつをつけて行かせたんだ!わかってないねぇ。」
 「くそぅ。」
 「そう言いでないよ。これはあんたらの必要経費の前渡し兼手付けだ。」
 そう言って篠田は3万ずつ手渡した。インテリは仕方がなさそうにそれを受け取っていた。俺は別に今、金に困っているわけではないけれどもらっておく事にした。
「じゃぁ。今夜から張り込みだな。」
 「そうですね。」
 「お前、これだけでも持っておけ。」
 インテリが俺にB5サイズのノートパソコンを投げるように自分の席からよこした。
 「いらないっすよ。」
 「良いから、どうせ車なんだし。データ、コピっておけよ。何があるかわからない。」
 「わかりました。」
「今夜は月が綺麗ですねぇ。」
 俺たちが張り込みをはじめてもう2日になる。俺は菓子パンを牛乳で喉に押し込みながらつぶやいた。
 「ツキなぁ。俺にもツキがありゃあなぁ。」
 「で、本当のところは今どれ位負けてんです?」
 「ああ?ざっと100万ちょっとか?そんなもんじゃねぇかもなぁ。まぁいいさ。ところでゴルゴって張り込みなんかやった事あるのか?」
 「警察時代にはないっすよ。探偵になってから何回か無理矢理やらされましたけどね。」
 本当は少しだけ嘘だ。
 「んとに、因業なばばあだぜ。あの所長さんはよ。しっかしいつ食っても、張り込み中の菓子パンはまずいもんだなぁ。」
 「俺にはわかりません。味覚ないですから。」
 「そういやそうだっけか。鼻がきく代わりに味覚がないってか。ビョーキだぜ。それ。」
 「わかってますよ。それにしても動きませんねぇ。畠山。」
 2日張り付いて全くの白だった。医者という仕事も忙しいのかもしれない。
 「こんな期間で動くとはおもえんよ。」
 インテリがサイドシートに寝ころんだ。
 「あ、出てきました。」
 「ほぅ。それはそれは。で、女はと。一緒のはずはないか。」
 「今日は車が違いますね。」
 いつもはグリーンのベンツだった。今日は黒の日産セルシオだ。俺は注意しながら車を追った。
 「新地?野郎こんなところで降りてどうするつもりだ?」
 そして俺たちは顔を見合わせた。畠山は新地で女を拾って同伴したのだ。
 「浮気相手って、一人じゃなかったのか?」
 「あり得ない話ではないですよ。」
 店が終わる前にアフターで出てきたふたりはそのまま神戸のシティホテルに入っていった。ラブホでないのが残念だが写真を撮る。こう言うときにデジタルは駄目だ。あとでいくらでも修正が入れられる。くそ重い一眼レフを使って顔がわかるようにとる。
 「これで、この仕事終了か?」
 「新地のホステスですよ?写真の女とは違います。」
「知ってるよそんな事は。ただお前だってこうやって毎日俺と顔合わせていたくはないだろう?それにしても頭の軽そうな女だったなぁ。」
 「まぁ、俺にはよくわかりませんが。でもこの資料によると高級クラブのホステスというわけではなさそうですね。」
 「んな、最近の新地に昔ながらの高級クラブなんてほとんど存在せえへんものさ。しかし顔写真だけでよくわかったなぁ?」
 「さっき、パンと珈琲買ってくるついでに彼女が見送りにでてるのを偶然見つけたんですよ。」 
 「あとはお得意のネットか?」
 「そうですね。一応会員制クラブとは名乗っていますが、実質は完全な赤字状態ですね。店自体も人手に渡っている状態で続けてるようです。」
 「こわいねぇ。」
 翌日、俺たちは一応その写真を持って事務所に寄った。ふたりは一晩出てこなかったが、ターゲットの畠山誠は朝早くにチェックアウトそのまま病院に向かった。
 「所長。写真撮れたんですけどねぇ。」
 インテリがもみ手をしながら篠田に近づいた。
 「これが看護婦かい?」
 「いや、こいつは新地のホステスですよ。それもつぶれかけのクラブのね。」
 「だったら仕事は終わってないやないか。」
 「まぁ、それもそうですけどねぇ。」
それから1週間。ターゲットは3人の女と寝ていた。けれど看護師はいない。店の女が1人に患者の関係者とおぼしき人間が2人。資料によれば50を過ぎているのにおさかんな事だ。
 「ゴルゴ。看護師の中里だったか?データ引っ張ってくれ。」
 「何回みる気ですか?」
 「こんなに長い張り込みになるなら、パソにゲームでも入れておくんだったな。そう言えばこの前橋夕会からもらった裏DVDもあったか。それにしても、う・・・ん・・・。なんだろうなぁ。この女。をい、ゴルゴ。ターゲット変更するぞ。今夜から女の方を見張る。」
 「所長には?」
 「俺から話はする。俺の予感が当たっていればこのふたりのベットインは写真とるのに何ヶ月もかかる。」
 「わかりました。」
 こういう時のインテリの鼻はよくきく。俺は素直に従った。今日の彼女の予定はどうなっているのだろうか?取りあえず自宅に行くしかあるまい。俺が車を回そうとするとインテリが運転を代わるという。
 「お前そのパソコン信用できないなら一回事務所に戻っていいから、この女の通院記録調べてくれ。」
 「通院記録?」
 「そう、たぶん産婦人科の通院記録があるはずだ。それ見つけたらカルテの内容な。最近はコンピュータ管理だろう?」
 「妊娠ですか?」
 「ああ、そうだ。たぶん彼女は妊娠してる。」
 「根拠は?」
 俺は無駄だと思いながら聞いてみた。インテリはノートをひったくってもたもたとクリックを繰り返した。それほど使い込んでいるわけでもないらしい。
 「この写真だよ。この2枚よく見てくれ。それと、この履歴書の写真。」
 俺は見たがわからなかった。2枚とも薄いブルーのナース服を着ているが1枚は長袖でもう一枚は半袖だった。長袖の方が遠目に写っている。履歴書の写真は何年も昔のものらしくぽっちゃいとしていてかわいい。
 「長袖の方な。履歴書の時の写真から4年たってるわけだ。ところが顔は痩せてきている。それが1点。歳は今年で26歳。それにしちゃぁこの長袖の写真はスタイルが悪すぎるんだ。半袖の方は近くからとっているが顔は最近のものだしスタイルも良い。ナース服って言うのは動きやすいが体の線も出やすいんだ。それが根拠だ。」
 「わかりました。調べてきます。」
「そうかい。そういうことだったんだね。これはちょっと依頼人に隠してる事をしゃべってもらうしかないね。」
 篠田が小さな産婦人科から出てくる、看護婦中里美由紀の写真を見ながらうなずいた。
内容によって仕事の報酬を考えるつもりなのだろう。
 そして2日後午後。今度は有名ホテルのティールームで俺とインテリ、そしてグレーのスーツを着込んだ篠田が依頼人畠山ようこと向き合っていた。
 こういうときに俺たちの出る幕はほとんどない。本当言うと俺は事務所で待ているつもりだった。
 「相手が妊娠しているなら、慰謝料の額も違って来るというわけだね。」
 いきなり切り出した篠田の眼光が鋭い。こう言うときは逃げられるものではない。だが、畠山ようこはそれだけではないのだと首を振った。
 「複雑なんです。一つにはお金の事もあります。主人の浮気は知っていても子供までとは思いませんでしたし。彼女から妊娠していると聞いたときには心底、夫から心が離れたのも事実です。」
 畠山ようこは伊達であろう色の入った眼鏡をつまんでテーブルに置いた。
 「ほかというとあとは男性関係かい?」
 「それもあります。夫の浮気に疲れ、義母の介護に疲れ、女からの脅迫に疲れました。」
 「脅迫?脅迫までされてたのかい?」
 「ええ、私からも夫からもお金を取るつもりだったようです。そんなとき聞いたんです。昔の男が出てくると。西島洋介。トラックの運転手で交通事故でした。相手が悪く、酒気帯びの上での過失致死で12年の求刑でした。その彼が帰ってくると聞いて・・・。煙草かまいませんか?」
 畠山ようこは震える手で細いメンソールの煙草に火をつけた。今日は香水のにおいはましな方だった。つられて篠田もジタンに火をつける。インテリもキャメルに火をつけた。
「私は親に内緒でつきあっていたので、この見合いの話があったときにはもう断れる歳じゃなかった。昔は少しやんちゃしていた時期もありましたし、仕方がなかったんです。」
 「ハラボテ女とのそれも脅迫までしてる女とのホテルでの決定的写真がほしい。無理な依頼をどうしてうちに持ってきたのかも教えてほしいところだね。」
 篠田は煙草の火をもみ消した。
 「ええ。殺した相手がやくざなんです。出てきてもどうなるかわからない。篠田探偵事務所はやくざに顔の利く弁護士を用意していると。それとは別に、優秀な離婚弁護士を持つ司法事務所ともつながりがある。そう聞きました。・・・ほかに頼るところがなかったんです。」
 「この依頼、どうするつもりだったんだい?」
 「中里美由紀でなくても浮気の写真があればと思いました。中里美由紀に関してはもう少しお腹が目立つようになれば、依頼は取り消すつもりでいました。」
 そういうと、畠山ようこは一筋の涙を浮かべた。
 「そうかい。なら仕方がないね。これがこの10日間の浮気の決定的写真とその相手の報告書。それからこれは合法なものじゃないけれど中里美由紀のカルテと病院から出てくるところの写真。あと弁護士は紹介する。紹介料を別にもらうけど良いね。」
 「かまいません。今のところ私の自由になるのはお金だけですから。」
 畠山ようこは疲れ切ったように言って、「ありがとうございました。」と丁寧に頭を下げてから立ち去っていった。

俺は夕日のまぶしい西向きの窓から、車の混み合う道路を見下ろしながらインテリに話しかけた。所長の篠田槙はさも嫌そうな顔をしながら事務所を引き上げていた。
 「なんていうか、不幸だったんですかね。彼女。」
 「さぁな。これから幸せになるんだろう?ふたりでひっそりと。」
 インテリはさして興味なさそうに、そして今日もまずそうに缶コーヒーを飲んでいた。
 「子供、虐められたりしませんかねぇ。」
 見回すと19人いる社員のほとんどがいなくなっている。みんな仕事をしているか、帰ったかだろう。
 「さぁな。それは俺たちの仕事じゃない。彼女はとにかく自分だけでも幸せをつかみたかったんだろう。」
 
      第1話 「浮気」 END
第2話「日常」

 探偵事務所にだって出勤時間って言うのは悲しいかな設定されている。篠田探偵事務所に関して言えば10時半だ。しかしながら俺の場合はいろいろ事情もあり、フレキシブルタイム制をとらせてもらっている。但し、これも篠田槙所長の意向からちゃんとタイムカードを押さなければいけない。休むときにはもちろん電話もしなくてはならない。日給月給制。シビアなもんだがしょうがない。
 今日はいつもの仕事があるので、俺は午後2時半という仕事開始時間を設定して地下鉄で大阪市T区にある古いビルを目指した。この辺はバブルの時にほとんどが綺麗なビルに変わってしまっている。エレベーターさえゆっくりしか上っていかない、ノリウムの床の廊下に白い味気ないプラスティックのプレートが並ぶビルなんてそれほど残っていないだろう。ただ、ここは別段安いから使っているわけではないらしい。いつか篠田所長が「探偵事務所って言うのは、こういうビルに入ってないといけない。」などと柄にもない事を言ったとか言わなかったとか聞いた事がある。
 2時15分事務所到着。事務所が一番人が少ない時間だ。俺は取りあえず外見よりは新しい机が並んだオフィースを見回した。タイムレコーダーを押しながら、経理を全面的に任されている佐藤さんに軽く手を挙げて挨拶する。佐藤知加子。年齢不詳。顔が良いとは言えないが公認会計士免許まで持っているやり手のお姉さんだ。いつも明るい色のスーツ白いシャツ姿に腕カバー指ぬきをしている。
 
 「おはよう。これ。どぶさらいお願い。東郷さん。」
 いきなり顔も上げずに話しかけてきたのは、ここのコンピュータ調査責任者、七河冴子嬢だ。年齢はまだ24歳。詳しく聞いた事はないが、引きこもりでコンピューターのスキルをとてつもなく身につけたのを所長が引き抜いたらしい。犯罪が好きで好きでたまらないらしく、少しでも犯罪系の仕事には燃える。彼女の専門はハッキング。クラッキングは遊びではするそうだが興味はないらしい。ほとんどのところへ自前のサーバーからハッキングをかける。
 「おはよう。犯罪がらみ?」
 「んなおいしい仕事な訳ないでしょう?ただの企業調査。いつものよ。」
 「何か気になる事でも?」
 「ん?特にないんやねこれが。ただ、黒だったけど。あれくらいじゃ黒とは言わないか、まぁ灰色ってかんじぃ?」
 とにかく七河嬢は人の目を見て話をするのが苦手らしい。今も書類をこっちによこしながらキーボードに張り付いている。
 企業調査。個人資産調査。これが篠田探偵事務所の一番の資金源だ。お客さんも大企業や銀行からやくざまで広く、大手のTデータバンクなんかじゃちょっとわからないような細かい資金繰りなどを追うのを一番の得意としている。
 俺がその中でやっているのは、主に七河嬢の調べたデータのどぶさらいだった。どぶさらいと言ってもわからないだろう。企業にハッキングをかけてデータをとったとする。しかしながらネットの世界にはそれでも見落とされるデータがたくさんあったりするのだ。どぶさらいというのは、主に普通のサイト、2ちゃんねるからUGサイトまで潜り込んで風評などから、データに穴がないか調べる役目だ。人の口に扉は立てられないと言う。それを逆手にとった調査だった。これをやるときには出来れば夜が良い。なぜなら、世の中暇な人間は多いがパソコンに張り付いているのはなぜか夜という連中が多いからだ。もちろん多段串は刺す。が、木は森に隠せの格言通り少しでも目立たない方が良いに決まっている。
 ほかの暇なときの俺の仕事と言えば報告書の作成。探偵が赴くまでの事前調査などだ。
 俺は七河嬢からもらった書類に目を通した。依頼主は某金融機関。相手先はガレージやマンションなどを沢山持つ個人だった。最近自己破産したがどうも隠し財産が相当あったらしい。
 「ま、確かに灰色だわな。この程度の額じゃ。」
 どぶさらいは一応個人とはいえ、企業の形をとっていたのだからそれほど難しい事ではないだろう。それほど急ぎの仕事とも思えない。
 
 俺は先に頼まれていた、浮気調査の事前調査から始める事にした。パソコンに電源を入れてモニターをつける。やっぱりデスクトップ、それもミドルタワー以上だと安心感がある。俺は自分のパスワードを入力しウインドウズXPに入り込む。ヴィスタに買い換えるというのはまだちょっと早いような気がしていた。セキュリティー問題から言えば、XPのPROが個人的に一番安心できる。七河嬢は両方使っているらしい。とにかく彼女の机の回りは要塞のようにパソコンが並んでいる。
 「こいつ、ほかの事務所にも頼んでるのか。」
 少し調べただけだけで独り言がでた。
 「あ?二股かけてやんのか?」
 振り向くと、手に自分で入れた珈琲を持った篠田所長の姿があった。今日は来客の予定がないらしい。なぜわかるかって?来客の予定がないときの所長の服のセンスは最低だからだ。今日は紫の薔薇の花模様の黒っぽいセーターにウエストがゴムだとまるわかりの灰色のスカートだった。ご丁寧に紫のスパッツとグレーの靴下にスリッパを履いている。突然の来客の時はどうするかって?そりゃ仕方がなく着替えるのだ。だいたいはグレーのスーツ姿に黒のローヒールになる。
 「所長。おはようございます。」
 「おはようって時間やない。まあ、あんたの場合しかたがらへんけどな。それよりも、ほかの事務所にも頼んでるって言うのは、どういうことだか説明してもらえるんだろうねぇ。」
 「ええ、この依頼人2年前ほどから同じ依頼内容で探偵事務所を回っています。」
 「で?結果は?」
 「奥さんに浮気の事実は見つかっていませんね。ただ、今まで探偵事務所と言っても小さいところが多かったですからどこまで調査されたかは疑問です。」
 「ちょっとみせてみな。へぇ。悪名高いところばかりやなぁ。これはずいぶんかもられた事やろうな。まともな探偵事務所には頼んだ事がないって訳か。で、金の方はどうなんや?」
 篠田の悪いところがでたと俺は心の中で舌を出した。とにかくこの所長の篠田というのは金が好きなのだ。それを除けばそれなりに良い所長ではあるのだが。今回も金持ちならふんだくろう、金がないなら断ろうと言うところだろう。
 「良くもなく、悪くもなくですよ。不景気とはいえ大手の部長クラスですからね。」
 「ふぅん。あれが部長ねぇ。」
 「依頼人にあったんですか?」
 「まあね。インテリは仕事中だったしほかのも忙しくしてたからね。」
 「どういう男なんです?」
 「結婚したくないタイプやな。けちというわけやあらへんけど、ケツの穴の小さそうな男やった。ああいうのこそ逆ギレするんかもしれへんけどな。野々村には伝えとくから報告書はいらんよ。」
 そう言うと篠田は自分の部屋に去っていった。一応、所長室という名の着替え場所を持っている。野々村というのは中堅の探偵だった。足を武器に、目立たないどこにでもいるおじさんを通してそれなりの成果を上げている。浮気調査ならもしかしたらあの人今回、1人なのかもしれない。目立たないと言うのはどう表現すればいいのだろう?たとえば道を聞かれて、教えた瞬間に顔も声も忘れているようなそんなタイプだった。

 午後5時15分前きっちりに佐藤女子が帰ると言って席を立った。彼女も時間とは違う出勤をする人間で、彼女の場合銀行の都合から、8時45分には仕事を開始して朝イチの銀行で用事を済ませる方が何かと楽らしい。もちろん帰る時間も早くなる。よほどの仕事が残ってない限り残業はしない主義らしかった。それだけ有能という事も出来るだろう。
 その佐藤と入れ替わりにインテリが帰ってきた。彼は大阪府警元4課のエリートで、ギャンブルで身を持ち崩してこの事務所に拾われたが、未だに警察にも極道にも顔が利くという事は何か事情があるのかもしれない。インテリは事務所に俺と七河嬢しかいないとわかると、七河嬢の前をスルーして俺のこれから始めようかと考えていた朝頼まれたどぶさらいの報告書をぺらぺらとめくった。
 「ゴルゴ、今夜はこいつのどぶさらいやんのか?」
 「そう言う事になりますねぇ。」
 インテリは七河嬢が苦手だ。七河嬢はインテリを毛嫌いしている。いろいろあるらしいが俺には詳しい事はわからない。ただお互い一言も口をきく事はしたくないらしい。それくらいの関係って事だ。ふとインテリの手が止まった。
 「これもう手をつけてるか?ゴルゴ。」
 「いいえ、これからですよ。」
 「これちょっと、あれに差し戻しした方が良いかもしれないな。」
 七河嬢の名前さえ呼ぶのもいやらしい。七河嬢はというとミドルタワーのパソコン群に囲まれて表情までは見えないが、頭を上げたらしい事はわかった。一応、俺と七河嬢は同じコンピューター班として席が近い。同じコンピューター班にはもうひとり弓削正隆という男がいるのだが、彼は家に設備を整えていて持ち帰ってやる事の方が多かった。仕事は俺と同じどぶさらいがメインだ。
 「橋場さん。どうかしたんですか?この報告書が何か?」
 「いや、この後藤興産って会社が残務処理してるだろう?」
 俺はまだ詳しく見てなかったので知らなかったから適当な相づちを打った。
 「それが何か問題でも?」
 「筋金入りのやくざだ。ここに残務処理させて金を隠し通せるなんて考えない方が良いほどのな。」
 「貸して。東郷さん。」
 ミドルタワーの中から声がした。全部聞いていたらしい。
 「ほいよ。」
 インテリが渡そうとすると、七河嬢が手を引っ込めた。仕方がなく俺が受け取って七河嬢の席に回って手渡した。七河嬢は唇をかみしめていた。
 「じゃあな。俺は所長の顔見て帰るから、せいぜいがんばりな。」
 インテリも気を悪くしたらしく、さっさと所長室に向かった。
 
 「う〜〜〜ん。あのイカレタインテリに指摘されたと考えると、はらわたが煮えくりかえるわねぇ。」
 七河嬢が大きくのびをした。
 「でも、一応黒だったんでしょう?」
 「ただ、今、後藤興産との関係の資料引っ張り出してきてるんだけれど、この件この後藤興産と関わってから、すぐに自己破産申告しているのよ。」
 ものすごい早さで2つのキーボードを操りながら七河嬢がつぶやいた。
 「へぇ。残務処理だけじゃなくて?」
 「そう。それまでそれほど赤字でもなかったのに、この後藤興産にマンションを1つ格安で売ってからこの会社おかしくなってる。これは徹底的に調べる必要がありそうね。どぶさらいはお願いするとしてももっと詳しい事まで調べてみるわ。ほかに仕事があるならそっちを先に進めて。東郷さん。」
 「ああ、昨日所長から頼まれた分のどぶさらいもあるからね。」
 「そう言えばそうだった。あれはそれほど急がないけれど、私関係ないし、どぶさらい時間かかるときにはかかるからね。」
 俺はもう1つの分厚い資料をぺらぺらとやり出した。
 これはもう白だとわかってはいるのだけれど、相手の企業が大きいためパソコンと探偵との両方からのアクションを起こしたはずだ。内容は、さる大企業の賃金未払い。しばらくの間、ただキーボードをたたく音とマウスをクリックする音が響いた。なにせ、2ちゃんねるにスレがたっているほどの話だ。どぶさらいも楽じゃない。

 午後7時を過ぎて所員で事務所に用事のあるものがあらかた帰って、これからが仕事なんだなぁと考え始めたとき不意に事務所のドアが開いた。入ってきたのは黒の粋なスーツを着こなした美人探偵だった。名前を吉本慶子という。
 「あ!!慶子おね〜〜さまぁ〜〜!!」
 七河嬢が嬉しそうな声を上げた。吉本慶子は七河嬢のあこがれの人なのだ。その声でわかったのかかったるそうに篠田が所長室から出て来た。
 「吉本。どうだった。今回のは。」
 「ええ・・・。ん?何か匂うわねぇ?東郷君?」
 「ああああああ!!ごめんなさい〜〜!!私です。すぐ戻りますから帰らないでくださいよ〜〜!!」
 七河嬢が机の下から小さなボストンバックを持ち出して、事務所を飛び出ていった。今回は一体何日風呂に入ってなかったのだろう?七河嬢は何日も事務所に泊まり込みをする。元々不眠症らしいが、引きこもりの時の習慣らしく滅多に風呂に入らない。それ以外にもいろいろあるのだが・・・。
 「ほんとに、日頃はしゃべらないくせに何かあるとうるさい子だよ。」
 篠田がため息と一緒にはき出したのを見て慶子が少し笑った。
 「それにしても、一体どこに行ったんですか?奈良の家に帰った訳じゃないですよね。」 「そこの裏に割と綺麗なネットカフェがあるんだよ。たぶんそこで今頃シャワーの用意をしてるはずだよ。」
 「ネットカフェ?」
 「そうそう。あの子はここで働く必要もないほどの金持ちの娘だし、向かいには快適な風呂の付いたホテルのフィットネスセンターもあるんだけどねぇ。」 
 「ネットカフェが良いと?」
 「その方が落ち着くらしいです。お久しぶりです。慶子先輩。」
 俺はふたりの会話に参入する事にした。
 「東郷君も変わらないわねぇ。」  
「そうでしょうかねぇ。」
 「貴方も相変わらず病気治らないの?」
 「ええ。半分あきらめてるところもあるんですがね。こうやって働くところもある事ですから恵まれていると思っています。」
 「ゴルゴ。先に仕事の話をさせておくれでないかい?わたしゃ、ちょっと今夜はやぼな会合があってね。」
 「すいません。所長。」
 「いいよいいよ。本当に気に入らない会合なんだから。」
 「で、今回の仕事の方はどうだったんだい?」
 「防衛省の不正入札。確かに行われていました。」
 「証拠は?」
 「実物やコピーは少しやばかったので、デジカメで資料をとってきました。さすがに、ガードが堅かったですよ。防衛省がらみだけの事はありますね。」
 「黒という事かい。」
 「真っ黒ですね。ただ、時間のかかる物件ですから、これから検察なりなんなりが調査しても物的証拠はすぐには消す事は出来ないでしょうから。」
 「わかったよ。ご苦労だったね。あと詳しい事は報告書にまとめておいておくれ。」
 「承知しました。それとしばらくは仕事を離れるのは危なそうです。今回は海外旅行に行くという話で長期休暇をもらってきました。」
 「そうかい。引き際は任せるよ。」
 話だけ聞くと本当に何か約束があるらしく、スーツ姿で所長が帰っていった。俺は何から話せばいいかわからずに、パソコンの作業に戻ろうとした。
 「東郷君。お願いがあるんだけど、聞いてくれないかしら。」
 「ええ。かまいませんよ。とあえず珈琲でも入れてきましょうか?」
 「いいえ、冴子ちゃんには聞かせたくない話だから先にしてしまおうかと思うんだけど駄目かしら?」
 「でしたら、場所を変えますか?」
 「それもいいわ。冴子ちゃんにも協力はお願いしないといけないとは思うから。」
 「そうですか。それで何を?」
 「結婚のための相手の調査。」
 「へ?」
 慶子先輩はフフフと少し自嘲的に笑った。俺には意外だった。彼女が結婚を考えている事自体が不自然な感じがした。彼女は空いている机に腰を押しつけるとデスクに倒れ込むようにしながら告白した。
 「今回の派遣先だった上司からプロポーズされたの。」
 「それはおめでとうございます。」
 「めでたい?まぁそうね。ただね、彼は今回の事件の主犯格という可能性もあるの。」
 「それで調査ですか。」
 「もちろん話は所長には最終的に通すし、それなりの調査費用も払うわ。」
 「そう言う問題じゃないでしょう?」
 「そうかしら?もちろん今回の一件が新聞をにぎわす頃には彼はものすごく左遷されているか、クビになっているかどちらかだと思うけれど、私自体貯蓄もあれば仕事も続けたい。そう考えると私が少しの間がんばれば良いだけ。彼が逮捕される確率があるかどうかだけなのよ。」

 慶子先輩の仕事は少し変わっている。篠田所長がどこから請け負ってくるのかわからないのだが、ものすごく大きな企業系事件。それも主に刑事事件の内偵なのだ。派遣社員や長期契約社員として入り込み、最低でも半年以上内定を続けて派遣を終わると同時に探偵としての仕事を終える。大きな資格こそないものの、実に様々な資格を持ち勤勉実直。どこへ行っても重宝されるOLとして活躍しながら裏で調査を進めるのだ。女性かつ優秀でないと出来ない仕事らしい。七河嬢の羨望のまなざしも事件性だけでなく優秀さにある。
 「冴子嬢。遅いわね。」
 「最近泊まり込みが続いてましたからね。もしかしたら仮眠もとっているのかもしれません。」
 「仮眠もネットカフェで?」
 「ええ。落ち着くそうです。それとどうしても自分のパソコンからアクセスしたくないところへのアクセスもやっているようですよ。」
 「なるほどね。でも、最近そのネットカフェを狙って人殺しが続いているじゃない?」
 「らしいですね。あれは堺の方でしたっけ?この前の事件で3件目、全てナイフでひとつき。ただ、犯人は身分証明書を提示なしで良いネットカフェを狙っているらしいですから、冴子嬢のいってるところは大丈夫だと思いますよ。」
 「あら?詳しいのね?」
 「新聞やテレビぐらいは何とかなるようにはなりましたし、これだけ毎日掲示板出入りしてるんですからそれくらいの情報ねぇ。」
 「そうじゃなくて、ネットカフェ。」
 「ああ、そっちですか。俺はどうしても徹夜は出来ないので使った事があるんですよ。それと、いくら串を刺しても自分のパソコンからアクセスしたくない裏サイトはありますからね。」

 がちゃんと派手な音がした。七河嬢が帰ってきたらしい。
 「慶子おねえさまぁ。もう冴子匂いませんよねぇ。3回も洗ってきたんですよぉ。」
 「うん。もう匂わないわ。」
 「東郷さんの事だから安心だとは思うんですけれど、何か嫌な事されませんでしたか?」 「いいえ。そんな事はないわ。」
 「珈琲を入れてくるよ。」
 俺は立ち上がって給湯室に向かった。ゆっくり時間をかけてネルドリップでとっておきの豆を入れる。俺専用の珈琲豆だった。同時にゆっくりと結婚について考える。慶子先輩は確か今年31歳だったはずだ。派遣でやっていくにはある意味限界なところはあるのかもしれないが結婚ねぇ。まぁ、俺には一生関係ないと考えているのでわからない話ではあった。
 「お待ちどう様。」
 ふたりに来客用のカップで珈琲を渡す。
 「良い香り。」
 「そうねぇ。東郷君のはこの香りがとても良いのよね。もちろん味も良いんだけど。」
 「ありがとうございます。俺は香りしか楽しめませんから、味は自信がないんですよ。」 「そう言えばそうだったわね。味覚全くないの?」
 「甘いとか、からいとかそれくらいはわかるんですけれどね。ほとんどおいしいまずいを判断する機能についてはないのと一緒ですね。」
 「東郷さんそれって悲しいよね。」
 珍しく七河嬢が俺の方を見上げて言った。
 「そう言えば今聞いたんだけど結婚相手調査するって?」
 「そうだなぁ。俺でわかる範囲ならな。」
 「わからない範囲は私に言ってね。お姉様には幸せになってもらいたいもの。それとさぁ、さっきの嗅覚の話を聞いてたんだけど、それだけ嗅覚が強いと私って臭いの知ってたんじゃないの?」
 俺は少し迷ったけれど素直に答える事にした。
 「ああ、何日入ってないかわかるよ。」
 「もう!教えてくれればいいのに!!」
 「言ってもネットカフェに直行する訳じゃないだろう?いつもなら。」
 「それもそうか。」
 久し振りに3人で笑った。

 「東郷さん。さっきの差し戻された件なんだけれど、ちょっと気になる事がネットカフェで見つかったから至急調べるわ。特に家族構成とかそのあたりから。」
 「何があった?」
 「ん〜〜〜。2ちゃんなんだけどさぁ。だから確信はないんだけれど、ネットカフェ連続殺人事件?って今やってるの?現在進行形?」
 世の中には毎日パソコンの中にいてもこういう人種もいるんだなぁと感じはする。ただ七河嬢の場合、ただパソコンの前に座っていればいいのではなくて、指定されたところをそていされた形でハッキングという事に意義もあるらしい。彼女に言わせると意味もなくどれだけのところをハッキングできたとしてもさして楽しくないらしい。
 「ああ。さっきも話題に出たよ。犯罪がらみが大好きな割に疎いんだな。」
 「ん〜〜〜。最近充実した生活送ってたしぃ。犯罪系の掲示板とかニュースとかってあんまし信用できないしぃ。まぁ、遠くの凶悪犯罪より近くの軽犯罪ってかんじぃ?でさぁ。ん〜〜〜。その最初の被害者の家族なんだよね。今回の調査対象。正確には被害者は孫なんだけれど。何となく気になってね。それまで、お姉様の結婚相手調査お願いね。」
 「ああ、わかったよ。」
 3人で椅子に座りながらぽつぽつと話をした。2人はパソコンとにらめっこしながらだから、どうしても慶子先輩の話が中心になった。慶子先輩は開いたデスクに突っ伏して、少し眠たそうに話を進めていた。
 「31ってさぁ。いろいろ限界感じる歳なんだよねぇ。」
 「どうしてですかあ?おねえさまともあろうものが。」
 「冴子嬢はもしこの仕事がなくなっても、一生お金に困る事なんて想像できないでしょう?東郷君は男だし。でもね、いろいろやっていろいろな人間見てくると仕事が出来なくなったらやっぱり男にすがるしかないのかなぁとかね。」
 「慶子おねえさまを必要としない企業なんて考えられませんけど?」
 「でも、私正社員で働いた事ないのよ。派遣切りも怖いけれど、今更ここの正社員って言うのもなんだかねぇ。」
 「だったら、冴子がお嫁にもらってあげます。お金だけの問題なら結婚なんて意味ないですよ。」
 俺にこの話に加わる権利はなかった。
 「慶子先輩、この黒田氏ですが金の方からは怪しいところは出てきませんね。」
 「やっているとしたらタンス貯金?」
 また3人で笑った。
 「貯金はそれなりにあるようですが、ボーナスに頼っているところが大きいようです。」
 「持ち物も、それほど豊かな感じではなかったわ。」
 「会社内での裏サイトですが、もう少し進入に時間がかかりそうです。」
 「裏サイト?なんか話だけは聞いた事があるわ。」
 「裏サイト進入にどうして時間がかかるのよ。東郷さん。」
 「社員NOとパスワードが必要になっている。」
 「だぁ!!それくらい3分で何とかしてくださいよ。東郷さん。」
 「君と一緒にしないでくれないか?」
「だったら、3分で私が何とかしますから、東郷さんさっきのネットカフェ連続殺事件の2ちゃんのスレ送ってください。あ、私のパソコンに送らないでくださいね。私のパソコンが汚れますから。」
 七河嬢は2ちゃんねる嫌いらしい。

 「東郷君。わたしねぇ。昔は不細工だったの。」
 「また突然な話だな。今は美人それでいいじゃないか?」
 「だから必死で勉強して、いろいろな資格とってそれで何とか自分を補おうとしてたのかもしれない。これ見てくれる?」
 そう言うと慶子先輩は1枚の写真を滑らせてきた。写っているのは黄色い安っぽい振り袖を着た確かに不細工な女の子だった。
 「それが本当の私。20歳成人式の時の写真なの。」
 「あとでみせてくださいよぉ。慶子おねぇさまぁあ〜。」
 「ええ、女の子にみせる方が勇気はいるわね。でね、派遣の仕事を探してがんばってがんばって仕事してたら、信用していた私の上司が2億円の使い込みで捕まったの。」
 「そんな事があったのか?」
 慶子先輩は顔を上げると少し淋しそうな顔をしてつぶやいた。
 「もう8年前かK物産の経理部長の使い込み。新聞に載ったでしょう?」
 「え!あれって慶子お姉様の仕事だったんですか?」
 「あはは違うわよ。あの事件があって今の所長に拾われたの。そのときに一気に整形して、それからも大きな事件と関わるたびに少しずつ整形を繰り返して、この仕事を続けているの。」
 「そんな・・・。淋しいです。パス解析終了しましたよ。東郷さん。」
 「こちらは、弓削のパソコンに送っておいたから。」
 「弓削さんのパスわぁ。あの人あんな簡単なパスやめてほしいのよね。プロとして。東郷さんのもそれほど複雑じゃないけれど。」
 七河嬢は俺のパソコンのパスまで調べ上げているらしい。たぶんクレジットカードの暗証番号なんて全員のを調べ上げているだろう。決して敵には回したくないタイプの人間だ。
 「2ちゃんで、この中かから検索かけられないのかなぁ〜〜。スレの中を検索ってむりっぽい?だめぽい??あああああぁぁぁぁ。この煩雑な感じが嫌いよぉ〜〜。っでもって・・・あった。それからUGだとこのへんのサイトが良い感じかなぁ。いっそのこと携帯の方のUG潜るかぁ?あった、あった。」
 「見つかった?」
 「うん。まぁ、そのおやっぱり。最初の被害者は今回の調査対象の被害者だわ。」 
 「加害者ならともかく、被害者って言うんで赤字になるくらい搾り取られるって話は聞いた事がないぞ?」
 「そりゃそうかぁ。だと関係ないのかなぁ。でもぉ、やくざやさんだとしたら、加害者を捜してやるからお金をよこせみたいな感じでぇ。」
 「それでも自己破産宣告するまで貢がないだろう?」
 「それも、それっぽいか?」
 取りあえず話はそこで落ち着いた。
 「こっちはと、裏サイトかぁ。で?これ誰のパスなんだ?」
 「よくわからんが、商品開発部長兼専務取締役って言う部署のえらいさんだ。」
 「凄いところ突いてきますねぇ。冴子嬢は。」
 「なんで?慶子お姉様。」
 「ちょうど今回の調査部署だから。」
 「ふぅん。ってことは私が今お姉様から聞く事はタブーだけどもしかしたら近い将来、ここの会社のこの人物が新聞に載るかもしれないんですね。」
 「調査が黒ならばね。そういうことになるわね。」
 「この緊張感がたまらないですよぉ。犯罪犯罪万歳。」 
 俺は何も言わずに黙々と裏サイトを調べた。不倫の話から、今回彼女が関わったであろう事件の噂までそれこそ内容は煩雑だった。俺はなぜか慶子先輩の名前を探した。何件か不倫の噂が立っている。スパイ系の話は載っていなかった。まずはその事に安堵を覚えた。あとは黒田という人物だ。秘密の接待のお誘いなどは見つかったが、これと言って確証になるものはなかった。ただ、この黒田らしき人物、どうも書き込み好きらしくいろいろなところに書き込みがある。そう言う意味では良い印象は受けなかった。それとこれだけ書き込みしている人物への書き込みが有るとも思えなかった。どうも空振りにおおわったようだった。
 「慶子先輩。裏サイトにはそれらしき話は載っていません。ただ・・・彼書き込みが多いですね。技術開発部の”Q田”って彼じゃないんですかねぇ。」
 「多分そうだと思うわ。よく仕事中にパソコン開けてるから。こそこそしているから何となくわかるのよ。」
 「そう言う人間の話はあまり載せないですよね。本人見てる確率が大きいわけですから。」
 「それもそうね。だったら裏サイトも信用には足らないか。」
 「そうですねぇ。」
 ふと外を見るとうっすらと明るくなってきている。時計を見ると朝の5時半過ぎだった。なんだかんだで12時間以上働いてる事になる。俺は一度帰って寝ると宣言した。
 「私も。一度帰るわ。久し振りに買い物なんかもしたいし。家事もたまっているから。」
 「はいは〜〜い。お姉様は今夜は?」
 「さぁ?わからないけれど来るとしたら夜になってからね。報告書は作らないといけないから。」
 「東郷さんは今日は何時出勤?」
 「相当眠たいから、午後になると思う。事前調査の話はないから仕事は夜中の方が都合が良いし。」
 「んじゃ、それまでに調べておくから今夜もよろしく。」

 どっちからと言う事もなく、朝のマクドで食事という運びになった。俺としては少しでも早く寝たかったのだけれど、断る事も出来ないような気もした。
 「東郷君的には彼はどう?」
 「黒か白かですか?」
 「それだけじゃなくって、ほかの面も併せて。」
 「自分から結婚したい相手とは思えませんねぇ。まぁ、俺が女だったらですけれど。」
 噂によると、くそまずいらしい珈琲を飲みながら話に答えた。
 「どういうところが?」
 「根が暗そうです。」
 「あはは、それ当たってるわ。根暗で有名なのよ。だからこそ今回の件は私は白だとは思ってる。大胆な事が出来るタイプじゃない。」
 「それに、俺には結婚自体のヴィジョンがつかめない。自分自身の結婚はあきらめてますし、ましてや女じゃない。わからないですよ。」
 「ついでに年も若いしね。」
 「そんなに変わらないじゃないですか。2歳しか違わない。」
 「それはそうなんだけどね、30過ぎているのと過ぎていないのではずいぶん違うのよ。特に女の場合はね。」
 「そんなもんですかねぇ。」
 俺はこれ以上は眠くて仕方がなかったので、よく聞いてはいなかった。いろいろ話をしたような気もするが適当な相づちをうったような気がする。とにかく6時半には俺は地下鉄に揺られて、7時には小さいながらも我が家について、7時半には眠りについていた。

 その日の出勤は夜からにしてもらった。もちろん事情は説明してある。先輩も話をしたらしく、所長は彼女の結婚の話も含めて仕事にして良いという話だった。
 午後7時の出勤。オフィースにはいると七河嬢が待ちかまえていた。
 「遅すぎるんじゃない?東郷さん。」
 「すまない。」
 「東郷君。朝はごめんね。」
 「今日は、私暇だったからもう全部やってしまいました。」
 「全部って?」
 「どぶさらいもやってしまったという事です。」
 それにしては七河嬢は機嫌が良さそうだった。何か事件にぶち当たったに違いない。
 「で、何が見つかりましたか?」
 「まず、お姉様の結婚話ですが賛成は出来ませんね。個人的に何にお金を使っているのかわからなかったので、ちょっと探偵さんにお願いしました。彼は薬やってるようです。頼んですぐにわかるような頻度ですから量も多いでしょう。無駄遣いが少ない割に貯金も少ない。使途不明金があると言う事なので少しだけお願いしたですよ。」
 慶子先輩は既に話は聞いていたらしく、それほど落胆しているようにも見えなかった。
 「この場合、薬って言うのはどれだけお金がかかるかわからないですし、大きな弱みにもなりますから容疑の方も消えないですね。限りなく黒に近い灰色です。こんな男ならもっとましなのをいくらでも紹介しますから、この男はやめておいた方が良いというのが私の結論です。」
 慶子先輩の方をのぞき込むと、目をそらされてしまった。いつの間にか後ろに篠田所長が立っていた。厳しい顔をしている。よほどの事があったらしい。
 「もう一件ですが、これは強請ですね。」
 「強請?」
 「そう。家族構成から割り出して一人一人どぶさらいをやったです。そしたら、1人目の孫を殺した可能性がある別の孫の存在が確認されました。ネットカフェ連続殺人事件について調べてみたのですが、1人目の孫と仲の悪い現在高校生の孫がいる事がわかりました。性別は男。名前は18歳未満だから少年A。嘘です。名前は西川洋二。この西川君とっても馬鹿で、ブログに今回の殺人を記録していました。警察でもブログ事態は追っていて、誰のブログなのかまでつかめてないといった状態です。ただ警察も馬鹿ではないのですぐ見つかってしまうでしょうが。ブログ自体は何本もプロクシを通していて、時にはネットカフェからやっているようですが、多段串外しなんて私にとってはお遊びみたいなものですから、相手が限定されているなら尚更ですね。ここからは、想像でしかないのですがこの西川君、一人で考えてやったのではないんじゃないでしょうか?その相手が後藤興産の人間とつながっていた。金になると思った後藤興産は西川君のおじいちゃんの会社。つまり今回の依頼対象、株式会社かのう実業を強請った。」
  
 俺は、篠田所長の方を見た。一体彼女はどうするつもりなんだろう?腕を組んで首を回していた。コキコキという音が聞こえる。
 「所長。どうしますか?」
 「ゴルゴ。何馬鹿な事聞いてるんだよ。」
 「馬鹿ですか。」
 「うちは探偵事務所。依頼のあった結婚相手の調査については代金をもらっているから、なんなら最悪結婚詐欺に持っていく方法をお教えする。殺人事件については金もらってる訳じゃないし、そもそも探偵事務所が仕事以外の事で有名になって仕事が増えるわけがない。警察だってすぐこの少年Aにはたどり着くさ。」
 「警察でもマークされてるみたいで、一度話を聞かれています。逮捕されるのは時間の問題でしょうね。」
 もしかして警察の調書まで調べたのか?最近の調書はワープロ書きで配るためならメールも使うと言う事か?
 「ということは。」
 「秘密厳守、信用第一の探偵事務所がやる事じゃないよ。殺人事件の解決はね。但し、報告書には要注意という事を明記しておく。早く回収しないとあるものもなくなってしまいますよ。と書いておくのが筋だろう。」
 それはそうかもしれない。俺の中にはまだ警察官だったときの気持ちが抜けていないのだろう。あれだけ嫌だった事があっても。

 「それにしても、2件とも胸くそ悪い話やなぁ。「竹葉亭」にぱーっとウナギでも食べに行くか?」
 そう言うと篠田所長はアドレスを開いて、早速今夜の予約を入れていた。
 「今回はご苦労さんやったなぁ。冴子ちゃん。あんたの好きなウナギやさかい好きなだけたべや。それと、インテリも呼んださかい仲良うやるんやで。」
 「なんで〜〜〜?どうしてあんなの呼んだのよ。所長。」
 「最初におかしいと気がついたんはインテリやってきいてるで。あれは悪党やけどほんまもんの悪とは違う。あれはあれで使い道のある男なんや。わかったか?冴子。返事は?」
 「わかりました。」
 俺は心の中で、日常だって日常とは違うもんだと変な事を考えていた。

    第2話「日常」END
第3話 「強請」

 俺は意味もない週刊誌に目を通していた。スポーツ新聞はもう読んでしまっていた。それにしても女性週刊誌というのは本当と嘘が混ざり込んで、それでも売れるんだろう?と不思議に思う。ネットを徘徊して知った話とちょうど半分ずれる。新聞やテレビの話ともずれている。俺は雑誌を手にしながら変な気分とめまいに襲われた。
 ここは、大阪市内K区にある神経クリニックだった。最近大きな改装をして客も増えている。神経クリニックといってもピンキリだ。俺が通っているのは最初に警察を退職してから紹介されたクリニックとは違う、そこそこサラリーマン御用達のクリニックだった。待合室にはオルゴールの音楽がかかっている。もちろんCDか有線だろう。少し前にはやったポップスをオルゴールアレンジしたものだ。
 とにかく、ここで待つのは苦痛でしかない。俺は他人が見たらうろんだろう目を回りに向けた。クリニックが大きくなったせいか客も増えたような気がする。ただ、今までのサラリーマン率がちょっと低くなったような気もした。中には2日以上風呂に入っていない事が俺の嗅覚でわかる人間も多い。俺は何となく違和感を覚えた。
 サラリーマン連中が早く呼ばれるのに、俺の順番は後回しにされているらしい。先生との話が長いのもあるのだろうが、このあと処方箋の前に予約してある保険のきかない「カウンセリング」のせいもあるのだろう。俺の月2回の休みはこのクリニックに費やされる。もちろんクリニックが終わってから出勤しても良いのだが、ここに来ると1日働くよりも体力を使ってしまうのだ。
 「東郷さん、2番診察室にお入りください。」
 「やっとか・・・。」
 思わず声が出る。さっきからうろうろしていた風呂に入ってない連中は薬だけもらって帰るようだった。俺もたまにそう言うときもあるけれど、少しでもよくなればいいという願いにも似たものを持っていつもの診察室に入った。
 
 「どうですか?」
 でっぷりと太った、高そうなスーツの上に白衣姿の主治医がめんどくさそうに画面を見ながら顔も見ずにたずねてきた。
 「どうって、変わらないですね。」
 「嗅覚は?」
 「それは生まれつきですから。」
 「では、味覚は?」
 「それは・・・。」
 そこまで言ったところで、もう良いというふうにパソコンを打つ手を止めた。
 「先生。俺は大丈夫なんでしょうか?」
 「何か気になる事でもありましたか?体の不調とか。」
 「いいえ。そうではなくって、鬱はいいんです。躁が怖くって・・・。また知らない間に暴力とか使ったりとか・・・。」
 主治医はこっちを見ながらうなずいた。が、そこから感情を引き出す事は出来なかった。 「自覚があるなら、それほど酷い事にはならないでしょう。いつもの薬を出しておきますから、ゆっくりなおしていきましょう。まだ若いですし。ゆっくりなおしていきましょう。」
 決まり文句のような診察終了の合図だった。
 「はい。」
 俺はすっきりしない心のまま待合室に戻った。時計を見ると時間は13時半。15時のカウンセリングの時間まではまだあるし、朝から何も食べていない。処方箋がでるのを待って、適当な店でせめて香りの良い珈琲を飲みたいと思った。処方箋はそれほど待たずに出てきた。これはカウンセリングのあとでもいつもの処方箋薬局に持っていけばいい。
 ビルが建ち並ぶなかにある珈琲専門店に落ち着く。ここにもたいした週刊誌は見つからない。こう言うときにはノートパソコンでもあった方が良いのかもしれない。けれど病院内で使うには気が引けるし、こう言うときぐらい落ち着きたい気分だった。
 何種類もの珈琲の香りが混ざり合って、自分の前にカップが置かれるまで落ち着かない。しかし、これは生まれつきだから仕方がない。昼飯は食べる気にはならなかった。ゆっくり40分以上珈琲の香りを楽しんで喫茶店を出た。ビル自体が禁煙なので、この喫茶店も禁煙で落ち着く。ただし、遅めのランチをのべつ暇なくうわさ話しながら食べているOL達の化粧品の臭いは我慢できないときもある。
 カウンセリングの時間10分前に同じビルのフロアの別の扉を開けた。わざわざ、カウンセリングを別に扱う必要はないんじゃないかと思うのだけれど、そう言うシステムになっているのだから仕方がない。ちなみに1時間で5000円也。これだったら、どこか肩でももんでもらう方が良いかもしれないと思う事もあるけれど何となく通ってしまっている。
 「こんにちわ。」
 白っぽいストッキングに白衣姿のカウンセラーは俺の苦手な美人という奴だった。しかも綺麗な足を組み微笑んでのご挨拶だ。中にはこの美人と話をするために5000円払う奴もいるのかもしれない。俺はいつも心の中でそうつぶやいてから腰を下ろす。
 「こんにちは。」
ここに来ると鬱になる。理由はわからない。静まりかえった重厚な部屋。美人のカウンセラー。全てが悪い要素なのだろう。なんなんだこの重圧感は?と聞きたくなる。当然出てくる声も当然低くなる。俺は自分の声が嫌いだった。顔や体格に匹敵した低い声。この外見全ての所為でどれだけの人間に怖がられた事だろう。だから、いつもは少し無理をしてでも高い声を出し、軽いしゃべり方を心がけている。それがここに来ると全部無駄になるのだ。
 「お仕事はいかがですか?」
 カウンセラーの話はいつもここから始まる。調子がどうという事より、このカウンセラーにとっては仕事の事の方が大切らしい。美人である事を隠すように赤いセルフレームの眼鏡をかけている。その眼鏡を少し押し上げながらこちらの目を探るように見上げるのがこのカウンセラーの癖だ。
 「仕事は・・・。」
 つい最近仕事先で起こった事を考える。とてもじゃないがはなせる話でもない。「連続殺人犯がわかりました。同僚がハッキングして犯人の目星をつけましたが警察には言っていません。職場先の同僚の結婚はぽしゃりました。理由は相手の男が薬をやっていたからです。」こんな内容を言えばおかしい人だと考えられるだろう。当たり障りのない話をする。
 「仕事は、順調とは言えませんが、職場の上司が考えてくれる人なのでなんとかなっています。」
 「そうですか。」
 「ええ。ただ、なんて言うんでしょうか。職場における事で悩みといえば正義って言う事でしょうかね。」
 「正義、ですか?」
 カウンセラーは眼鏡のフレームを指先で上げた。
 「ええ、職場における守秘義務ですか?そういうのと、自分の正義感との間でつじつまが合わなくなると言うか。そう言う感じですね。」
 「それは職場に疑問を感じていると?」
 「いいえ。決してそう言うわけではなく。そうじゃないんです。でも話せない。」
 「前の職業は警察官だったとか?それが関係していませんか?」
 カウンセラーだけに鋭いところを突いてくる。話を変えなければと俺は天井を見上げた。
 「そうですね。ただ、俺の場合警察官といっても派出所勤務で道を聞かれたりとか、落とし物調べたりとか、そう言う事の方が多かったですから。それほど関係しているとも言えないかもしれません。」
 もしかしたら俺の目は泳いでいたかもしれない。
 「話、変わってもいいでしょうか?」
 「ええ。何か不都合な事でも?」
 「いいえ。先生にちょっとお聞きしたい事が御座いまして。」
 「なんでしょうか?」
 そう言いながらまた眼鏡のフレームをカウンセラーが押し上げた。ペンを取ってカルテの方を向いている。何かを書き込む気はないらしい。
 「最近。ここの医院の方のお客さんが変わったような気がするのですが?」
 「そうでしょうか?私はカウンセリングのみ担当しておりますので、医院の方の事はわかりかねますが?」
 「そうですか。」
 「どう変わったと感じましたか?」
 「どうって、そうですねぇ。こういう言い方をしていいのか悪いのかわからないのですが、サラリーマン的なお客さんが減ったというか・・・。そう言う感じです。」
 まさか、何日も風呂に入ってない客が増えたとは言えない。
 「カウンセリングに関しましてはそう言う事実は御座いませんね。」
 いつもならこういう話は答えが返ってこないのに不思議だった。けれどこれ以上追求する事も出来なかったので、そのまま今度は今不安に感じている事への話にすり替わった。
 俺が本格的に、この医院がおかしくなったと感じるのはカウンセリングを終了して薬をとりにいったときだった。
 薬局の間違いで入っていたのだと思われる薬があった。俺は毎回薬の内容はあまり聞いてない事が多い。いつもの薬だと思っていたら、1粒ずつ袋に入れられた錠剤が1日3回14日分入っていた。薬の名前を見れば俺でもなんの薬かわかるCG202の刻印。リタリンだった。この薬、去年だったか一昨年だったかナルコレプシーという特別な病気以外の処方を禁止されている。そして、最近では覚醒剤よりもその筋では高い値段で取引されているという。俺の病名は躁鬱および自律神経失調であるからしてでる事はまずない。まだ鬱病の薬だった頃に飲んだ事もあるしまだそのころの薬も残ってはいるが、今処方される薬ではあり得ない。そして、午後からの患者だろうか?どうも職についていなさそうな男がこの薬を大量に処方されているのを見た。これはどう見ても違法な臭いがして俺が逃げるようにクリニックから自宅にではなく、篠田探偵事務所に足を運んだ。
 「あれ?今日はお休みじゃなかったんですか?」
 事務所を入ると経理の佐藤女史が声をかけてきた。自分の机の前を見ると今日はコンピュータ調査部門に誰もいない。もしかしてきて良かったのかもしれないと思った。そう思わなければ救われない感じがした。
 「ええ。ちょっと気になる事があって。」
 そう答えて、ミドルタワーの電源とパスワードを入れる。一応タイムカードを押して珈琲を入れて戻ると、浮気調査中のはずの野々村さんという古参の探偵が近寄ってきた。この野々村さん、うちの篠田探偵事務所としては中堅に属する。しかしながら、それまで探偵事務所を転々としていて、一時期は自分で事務所を持っていたほどなので古参に入ると俺は考えている。
 「ああ、ゴルゴ、東郷くんやったかいなぁ。」
 白髪交じりの頭をかきながらやってくるのは野々村さんは好々爺といった風情だ。この人普通にはない特技がある。とにかく目立たないのだ。サラリーマンといわれればサラリーマンだし。それも中小企業家窓際族といった風情の。警察官といわれればそう見えなくもない。とにかく何だと名乗っても話し終わってみるとどういう顔だったか覚えていない。どんな話をしたかとか、どういう話し方だったとかという印象も残らない人なのだ。ヤクザに話をしに行くときなんかは、腕の見えるか見えないかあたりにシールの入れ墨をしていく。すると、覚えているのはその入れ墨の柄だけという事が少なくない。そう言う、ある意味探偵には重宝される人だった。だからといって本人が没個性かというとそうでもないのが面白いところでもあるのだが。
 「ええ、東郷です。何か?」
 俺はさっきの病院の名前がどこかのサイトにのっていないかパソコンを駆使しているところだった。ちょうど3つ珈琲を入れてきてあったので一つ手渡して話を聞いてみる事にする。もちろん手を止める事は今のところない。
 「ちょうど良かった。ちょっと調べてほしい事があるんや。」
 「事件ですか?」
 「今やっとる浮気調査や。わしゃぁどうもパソコンとかそう言うのが苦手でなぁ。」
 「いいですよ。何を調べればいいんですか?」
 「それがな。何件もまわっとるっていう旦那の奥さんなんやけどなぁ。浮気はやっとるんや。ところがそれが、パソコンサイトの出会い系つうやつらしいんや。せやさかい、いつも相手が違うし、時間や場所も違う。それでやなぁ。まぁ旦那としては、ちゃんとそのサイトがわからんと納得せんわなぁ。けど、わしはそういうのがわからん。で、頼みなんや。」
 「出会い系サイトを調べればわかるんですね。」
 「そうやねん。」
 これならば奥さんのパソコンに進入すればわかる。但し、有料サイトも多いのでその辺は注意しないといけない
 「どや、むずかしいか?」
 「そうですねぇ。大丈夫だと思います」
 「一応なぁ、ここのサイトに夢子という名前で入っているのはわかってるんや。」
っそういうと1枚のメモを渡してきた。
 それだったらもっと話は早い。サイト同士はつながりがある事が多いし、同じハンドルネームを使う事も多いからすぐにわかるだろう。全部でなくてもいくつか引っかかればいいのだ。
 「それだったら、すぐわかると思いますよ。ちょっと先調べてみましょうか?」
 「ええんや。ゆっくりで。今回の依頼者はちょっと待たせた方がええと、わしはおもってる。その方が納得しよる。そういう依頼人や。それよりそっちは何調べてるんや?」
 俺はこの件を話そうどうしようか迷ったが、話をしてみる事にした。

 「というわけで、ちょっとその病院がどこかとつながってないか調べてるところなんですよ。やっぱり自分の行ってる病院ですからねぇ。気持ち悪いじゃないですか?」
 「それはそうやし、その話所長が聞いたら喜びそうなネタやなぁ。」
 「所長が?お金になりませんよ?」
 「金にはなる。」
 「なんでですか?依頼人がいないやないですか?」
 「あほう。あの所長がなんでコンサルティング会社なんて経営してると思ってるねん。全部そう言う話ネタに強請りかけるためやないか?」 
 「それ、犯罪ですよ?」
 「せやかて、病院がシャブの代わり横流ししてるならそれも犯罪やろう?」
 「まぁ、そうですが・・・。」
 「そう、犯罪や。ええネタつかんだなぁ。ゴルゴ。」
 いつから聞いていたのか今日も最悪なファッションセンスの篠田槙所長が、事務の女の子に入れさせたらしい珈琲と吸いかけのジタンを持って、にじり寄ってきた。
 「ほんまに、強請かけるんですか?」
 「それは結果次第やなぁ。実は私の知ってるところが流してないリタリンが出回ってるってので困ってるらしい、もしかしたら依頼になるかもしれん。そうでなかったら、コンサルティング通して強請りかけていい相手かもしれん。どっちに転んでも悪くない話や。」
 「シンドウコンサルタントがヤクザまがいの事をやるって話は本当だったんですね。」 シンドウコンサルタントというのが篠田所長が裏経営してる会社の一つだった。
 「シンドウコンサルタント言うたら有名やで?篠田所長の事は知られてへんけど、新堂弁護士事務所っちゅう、その筋専門の弁護士事務所があってな。兄貴はその筋の弁護士。弟はコンサルティング会社とは名ばかりのその筋そのものや。」
 「野々村。話すぎやで。まぁ。ゴルゴやさかいかまわへんけれど、新人なんかにしゃべるんやないで。」
 「所長、えろうすいまへん。つい、よく見る顔やさかい油断してもうて。」
 「らしくないなぁ。野々村。この際やからついでに言っておくと、ゴルゴ。私は警察もヤクザも嫌いや。けど、腐った警察ほど嫌いなもんはあらへん。なんせ、腐っても極道は金払いよる。腐った警察は金まで踏み倒しよるんや。世の中どうなってるんかわかったもんやない。」
 俺は、前から知っている話ではあったがちゃんと所長から聞いたのははじめてだったので、自分が嫌われているような錯覚に陥った。けど、それさえも察知されているらしく、篠田所長は俺の肩をたたいて続けた。
 「何も、ゴルゴの事が嫌いや言うてるんやない。腐った極道の方が腐った警察よりはましやというてるだけや。気にするんやないで。それよりも、その病院一度洗った方がええなぁ。こういう事こそ野々村に頼み。あんたは、浮気調査の方をやるんや。今聞いてたら1件わかってるって話やないか?次の浮気までには時間もかけるやろうし、芋づる式にひっぱるんやったらこっちの仕事はゆっくりでええ。とりあえず、そこの病院に野々村がはりつくんや。」
 「はい。所長。」
 「あいよ。所長さん。中にははいらん方がええんか?」
 「せやなぁ。ゴルゴ。その何日か風呂に入ってなさそうな人間言うのは、ひと目でわかるんか?」 
 篠田所長は何か考えているようだった。
 「そうですねぇ。普通の通院客はサラリーマンだとすぐわかるか、親が付き添ってるんで、そうでない人間探せばすぐわかると思います。」
 「だいたいどんなかっこした連中や?」
 野々村があごをなでながら聞く。俺は出来るだけ詳しく思い出そうとしたが一番に思い出すのがあの独特の臭いで、服装などには気を遣っていなかった事に気が付いた。ただ、 「タイプとしたら首切られたばっかりの派遣社員のようなタイプとはちょっと違う。だからといって段ボールハウスに住んでるような感じもしない。今日は寒かったですから黒っぽいダウンジャケット姿なんかだったような気がします。割とまともな服装だったような気がします。」
 「わかった。ほんなら。ちょっと着替えて行ってくるかなぁ。そこの病院は何時までや?」
 「夕方6時半までです。」
 「そうか。ほんなら明日の夜には1回報告入れに来るから。所長。」
 「ああ。待ってるで。」
 「それから東郷くん。病院の経営状態と、さっきの出会い系調べといてな。」
 「わかりました。」
野々村は来たときとは反対に、足取りも軽く事務所を出て行った。浮気調査より乗る仕事なのだろう。ちょうど5時15分前になり佐藤女史が帰り支度をして一緒に事務所を出て行った。残ったのは、お茶汲み兼一般事務の女の子西田色子と、所長だけになった。

 「色子ちゃん。今日ははよ帰り。もう客はけえへんし仕事もそれほどないやろう?」
 篠田所長が追い払うように西田嬢に言った。西田嬢はまだここに勤めてから日が浅く、一般募集で入ってきた事もあり、所長は全くと言っていいほど信頼を置いていなかった。こう言うところの所長の態度ははっきりしている。まず美人は雇わない。次に歳が行きすぎているのも、若すぎるのも、結婚しているのも雇わない。まだ結婚の可能性があって、しかもその可能性が薄いほどいいという。その方が、話を拾ってくる事は多くても広げてくる事は少ないらしい。友達も少なく、出来れば地方から出てきている方がいいという。そう言う女性は仕事にしがみつくらしい。
 俺は西田嬢が帰っていくのを見ながら、所長とふたりかと思うと少し気まずい気分になった。
 「ゴルゴ。まだ時間あるかい?」
 「ええ、今日は休みにするつもりでしたけど、病院って言うところは行くと疲れてしまうので、そのあとの予定は入れない事にしてるんですよ。」
 「そうかい。ならちょっとつきあいな。」
 そう言うと篠田所長は奥の自分の部屋に入ってからグラスと煙草、それにあまり見た事のないブランデーを持ってきた。氷は一応事務所にあるのでそれも用意しているらしい。
 「つまみはろくなものがないねぇ。あんたチョコレートは持ってないのかい?」
 「チョコレート?」
 「バレンタインあっただろうに。もらえずかい?」
 「そう言えば佐藤女史と西田嬢から小さなつつみをもらいましたね。それと、七河嬢からも何かもらいましたけど。」
 「もてる男は違うねぇ。」
 「出しましょうか?」
 「かまわないんだったらほしいところだねぇ。」
 俺は机の引き出しの中から二つの包みをとりだした。一つは真っ赤な包装紙にハートがあしらってあって、どう見ても600円以下という品物だった。もう一つはチョコレート色の小さな包みで開いてみると木の箱に入った高そうなチョコレートが入っていた。俺自身、バレンタインというイベントにはほとんど縁がなかったというよりも、義理以外にもらった事がなかったので、木箱に入ったチョコレートには少しびっくりした。
 「これは木箱の方が冴子お嬢だね。」
 「そうだったと思います。」
 「義理の本命と言うところか。」
 「違いますよ。」
 即座に否定する。
 「それよりやるだろう?結構いいのが手に入ったんだ。」
 俺は少し首を振った。飲酒は医者から止められているのだ。
 「まだだめなのかい?けど、ここは探偵事務所で酒場じゃない。やばくなったら、ちゃんとあたしが止めてやるからちょっとつきあいな。」
 こう言い出すと所長を止める事は出来ない。俺はパソコンの手を止めて、ゆっくりなめるようにブランデーに口をつけた。
 「あんたとはいろいろ話をしときたくってね。長いつきあいになりそうだし。もうかれこれ何年ものつきあいでもあるんだから知っておいた方がいい事もあるからね。」
 久し振りのブランデーは甘くて苦かった。所長は木箱のチョコレートには手をつけずに、どこからか自分用のチョコレートとチーズまで持ち出してきていた。ただ所長室で飲むのではなくパソコンの前で飲めるというのは、所長と目を合わさずい済むのでずいぶん助かった。俺の病気の中に人間不信という奴も含まれてはいるのだ。
 「俺はどうしてこの事務所に拾われたんですかねぇ。」
 俺はグラスを回しながらつぶやいた。目はパソコンのモニターから外さない。
 「あんな事があったからねぇ。いいたくはないがわたしゃ、あんたと同じで親戚に警察のイヌがいるんだよ。それも血統書付きのね。」
 「俺の事は調査済みというわけですね。」
 「してないわけがないだろう?ゴルゴ。」
 「だからその呼び方やめてくださいよ。」
 「かっこいいじゃないか?わたしゃ好きだけどねぇ。で、使えなくなったあんたが家に引きこもってるという話があたしの親戚の家で問題になったと。ただそれだけだよ。調べなかったのかい?」
 「どうでも良かったですからね。ただ、家から出る事が出来てほっとしたくらいで。」
 警察ともつながりがあるとは聞いてはいたが、親戚であるとかそれなりに上の人物であるとかという情報は錯綜していて、俺自身が興味がなかった所為もありはじめて聞いた話だった。
 「今はそれなりにやっているのかい?」
 「どういう意味でですか?」
 「暮らしは成り立っているのかいという意味だよ。」
 「成り立ってますよ。一人暮らしで気楽なもんです。感謝してますよ。」
 「そうかい。それはよかった。ところでお嬢はしばらく奈良の家だから、もしここに来るのが嫌だったら自宅で仕事したっていいんだよ。弓削の奴は嫌いだろう?」
 俺はもう一人の弓削というコンピュータ班の人物に殆ど会った事がない
 「七河嬢何かあったんですか?」
 「この前の、ネットカフェ連続殺人事件の件で浮き足だっちまって、役に立たないから一度奈良に返したんだよ。奈良の家でも、こちらにあるマンションで生活してると思っているからね。まさか、ほとんど泊まり込みでマンションももぬけの殻。ネットカフェでシャワーと仮眠の生活だと親御さんが知ったら目も当てられないよ。」
 「そう言えば、この前の事件のときはじめて七河嬢が沢山の人の前でしゃべるの聞きましたよ。少しびっくりしました。」
 「そうだねぇ。よっぽど興奮してたんだろうねぇ。」
 所長がジタンの煙を吐き出した。
 「七河お嬢とは、もともとほとんど話した事有りませんからね。」
 「何を言ってるんだい?お嬢はあんたとは、あれでも話をしているんだよ。吉本慶子。この前の長期で潜入やる美人覚えてるかい?」
 「ええ。吉本先輩にはお世話になった時期がありますから。」
 「あの吉本慶子は、お嬢にとっては特別な存在なんだ。だから良く話をする。あと女やったらなら何とか話も出来る。けど男と話をするのはよっぽどの事がない限りあんたとだけだよ。どうだい?このチョコレートの重みもます話だろう?」
 「男性嫌い?」
 「むしろ男性恐怖症だね。あんたとは、元引きこもりって事で同情相哀れむってところもあるんだろうけどね。あのこの引きこもりはあんたのとは比べものにならないよ。何せ中学校もほとんど行かなかったらしいからね。」
 「それでパソコンにかじりついてたんですか?」
 「らしいね。あのこはねぇ。徹底した一匹狼で、ハッキング、クラッキングその他諸々全部自分で勉強して一人であそこまでのスキルになった。」
 そう言うと所長はグラスを飲み干した。俺は飲むのが怖くてなめるだけにしていた。
 「最初に引きこもりになった理由はわからない。けれど、あの子が奈良の旧家のお嬢様だって話は本当だよ。ただ家でももてあまし気味だったらしくてね。ある時ハッキングで捕まりそうになったのをうちで面倒見るって事で入れたんだ。腕の方は確かだったからね。それで、うちに来てまずやった事が弓削の追い出し。まぁ、どこがきにくわんかったのかは別として、弓削って言うのはグループでハッキングやってた奴だから、お嬢の前では全く歯が立たなかった。だけどここをやめて働くところが見つかるでもなし、ってことで自宅で細々とお仕事するという立場になったわけだ。弓削にしちゃぁ当然面白くない。だからお嬢が気に入ってるあんたの事もたぶん大嫌いだと思うよ。」
 「大嫌いですか。言われるとやっぱり堪えますねぇ。」
 「ああ、だからお嬢だって奈良の実家で遊んでる訳じゃないんだから、お嬢の仕事をそっちに回してもこっちは問題ないんだ。それとも外回りやるかい?どっちにしろ好きなようにしな。あんたの外回りはその顔と体格と声だけで成り立つからね。用心棒にはもってこいだな。」
 「明日来てから考えますよ。弓削さんとも出来れば上手くやっていきたいのも事実だし。」
 「そうかい。わかったよ。今日はこの辺で帰りな。明日は忙しくなるよ。」
 
 翌日夜遅くに野々村さんから電話で浮気調査の方のネット関係だけ聞かせてほしいと電話があった。そのあと、所長と電話を替わったが所長は少し嫌な顔をしながらも「好きにしな。」といって電話を切った。
 弓削とはその翌日に初対面した。耳と唇にピアスをつけ、髪を金色に染めている。これではまともな仕事はないだろう。俺は特別何かをされる事はなかったが、何かあると携帯電話で昔の仲間なのか、今の手下なのかに連絡を取り、回ってくる仕事はどぶさらいの底の底の仕事だけになった。殆ど話をする事もなかったが、七河お嬢のパソコンにふれようとして警報を鳴らしたのは少し笑ってしまった。
 野々村さんはしばらく事務所に来なくなった。10日もたった頃だろうか?夜遅くに暗い顔をしてやてってきて、「所長いるかい?あんたも聞いた方がいいかもしれんな。」といって、所長室に俺を連れ込んだ。野々村さんも弓削の事はあまり好きではないらしく聞かせたくなかったのかもしれない。

 所長は自分の机の前の椅子ではなく、簡単な応接セットの方に腰掛け西田嬢に珈琲を頼んで新しいジタンの封を切った。野々村さんもセブンスターを取り出す。火をつけ珈琲が運ばれるのをまった。
 「ありがとう。今日はもう帰ってええで。時間やろう?片づけはこっちでしとくさかい。」 所長はそう言ってまた西田嬢を帰らせてしまった。珈琲をすする音が響いて野々村さんが出したのはボイスレコーダーだった。
 「まぁ。浮気はしとった。けど、ほんまに浮気やない。売春やったっていうのが浮気調査の結論や。ただなぁ、なんで売春瀬名あかんのかがわからんかったさかい、この奥さんとやってみましたんや。当然経費で落とす気はない。それにええ女でもあった。満足はしたけど、好きでやってるのと違うのが丸わかりやったさかい話を聞いた。これが話の内容や。」
そう言うとボイスレコーダーのボタンを押した。細々とした会話が聞こえる。
『なんでこんな仕事しとるんや?こうやってみたら顔も悪くない。服もそれほど悪いもの着てるわけでもない。ただ金儲けにしては安いんとちがうんか?』
 『ばれる人にはばれるんやねぇ。』
 後ろがざわついている、どこかバーか居酒屋で録音しているのかもしれない。俺は黙って続きを聞いた。
 『夫がね。お金をくれへんのよ。そう言うても生活に困るとかそう言うほどけちやないんやけど、うち子供がおらへんのね。夫のせいやってわかてはいるんやけど、それはどうでもいいって思ってるし、うちも夫の事がそんなに嫌いでもないねん。』
 『ほな、なにのお金に困ってるんや?』
 『うん、近所づきあい。』
 『近所づきあいなんかあらへんのが最近の習わしとちゃうんかいな?』
 『子供がいなくて、その代わりにちょっと良いマンションをかったんやけどそれが間違いやったんや。大きなマンションで、H沿線駅からも近くて環境も良い。でも、そう言うマンションにはボスみたいな女がいるんや。特にうちは子供に逃げられへんさかい、夫の役職とかも知られてしもたらつきあいに参加するしかないんや。今月は京都で会席。来月は大阪で観劇。2週間に1回は飲み会と称して、サプリメントやらなんやらよくわからないもんをかわされる。それを断ると、つまはじきにされてゴミもまともに出されへん。けど、夫はそう言う事がわからへんねん。』
 『そうか・・・。そう言うお金を女が使うのは贅沢という訳か?』
 『まぁ、それもあるんやろうけど、夫は私より15歳も上やからそれこそほかの男に夢中になるんと違うかってそれを気にしてるんやと思う。何人か探偵みたいな人も雇ったみたいや。だから、なるべくわからへんように出会い系使って、安くても1度きりでいい人を捜してこうやって稼いで、見たくもない芝居見て、飲みたくもないサプリメント飲んでるんや。わたし、あほやなぁ。』
 話はまだ続くようだったけれど、篠田所長が苦虫をかみ殺したような顔をして「もうええ。止めて。」といった。
 「報告書はどないしますか?」
 「そうやなぁ、報告書渡しに行くときは私も行くわ。あんたと私で、なんでこんな事になったんかぐらいは少しは言ってやらんと奥さん気の毒やさかいな。」
 「それはありがたい。私はこういう話はどうも苦手でなぁ。」
 そう言って野々村は頭をかいた。
 「ところで野々村、もう1件の方はどないやった?」
 「あっちの方が手間はかかったんやで。東郷君。」
 俺は意外な気がして、野々村さんの報告を聞いた。
 「あそこの病院はなぁ、昔からずーっとそのリタリンちゅう薬を出してたんや。禁止になってからもずーとな。」
 俺には初耳だった。今までそんな感じがした事がなかったからだ。
 「あそこの病院で、リタリンをもらう条件があったんや。」
 「条件ですか?」
 「そや、条件や。その条件言うのが保険のきかないカウンセリングを受ける事やった。どうも保険のきかないカウンセリングって言うのは儲かるらしいな。」
 「俺も受けてましたけど、別に普通のカウンセリングでしたし、リタリンの話なんか出た事有りませんでしたよ。」
 「だから、ほしかったらカウンセリングを受けろ。ほしくなくてもカウンセリングは儲かるからやる。そういうこっちゃ。サラリーマン相手が多かったみたいや。ところがこの前東郷君が行ったときに何が起こったか言うと、レセプション書き間違えよった。医療事務が新しい女の子に変わって、東郷君はサラリーマンでカウンセリングを受けている。当然リタリンが目当てで処方されていると勘違いした訳や。」
 「だったら、あの薬だけもらって帰ってた連中って言うのは?」
 俺は身を乗り出した。
 「まぁそうあせらんと。」
 「はい、すいません。」
 「あれはなぁ。その事を知ったK大学の学生がやってたアルバイトや。」 
 「それって?」

 「とあるK大学の学生が、そのクリニックでリタリンが手にはいる事を知った。どうもそのリタリン言う薬はわしにはわからんけど元気がでるんか?」
 「まぁ、そうですかねぇ。」
 「処方してる事と、カウンセリングと抱き合わせにしている事を黙っておくから、これからカウンセリングと抱き合わせでなくても指定した人間には毎日出してほしい。そう言って強請をかけた。病院側としても、患者が増えるのは悪い話やない。それも確実に金が支払われるとわかっている患者が増えるのはな。」
 「でも、それやったらもっと金持ちそうな患者が増えるのではないでしょうか?」
 「それがそうでもない。あそこへ来てた連中。あれは全員生活保護受給者や。生活保護受給者は医療券っていうのがあって、申請しておいたらどれだけ医者にかかっても地方自治体が面倒を見る事になっている。生活保護受給者の方にしてみれば、ちょっと電車に乗って病院で薬もらって、その薬を渡せばちょっとしたアルバイト、それも税金がかからないアルバイトになる。おいしい話や。で、K大の学生はその薬をどないしてたと思う?」
 「さぁ、普通にヤクザに売りつけてたんですかねぇ。」
 「それやったら、こんなにむなくそ悪くない。学生らは自分が家庭教師のアルバイトしてる家の子供に飲ませるために、親にその薬を売りつけていたんや。親は集中して勉強し始めた子供に俺だけでも金を積むって話や。所長、世も末ですなぁ。」
 所長は珈琲を飲み干してから立ち上がった。
 「K大の学生っていうのは誰かわかってるンやろうなぁ?野々村。」
 「それはばっちりです。だてに何十年探偵稼業やってませんで。」
 「だったらそっちは決まりやな。依頼のあった件として処理して、大学生にはぎゅーっと大人用のお灸を据える。それで決まりや。野々村、今回はご苦労さんやったなぁ、それにしてもどちらも強請。ほんまに世も末や。ゴルゴもそれでええな。」
 俺に何が言えるだろう?
 「俺はかまいません。」
 「それと、ゴルゴ。今度ちゃんとしたクリニックを紹介するさかい、そっちへ病院を変えるか?」
 「出来れば、そうしようとは思います。所長が目をつけたという事は、その病院自体危ないでしょうからね。」
 俺はふっと口元で笑った。野々村さんの方を見ると、冷め切った珈琲をやっと仕事が終わったという風に眉間にしわを寄せて飲み干していた。

       第3話 強請 END

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