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戦後の社会科学史コミュのモンゴルは武力ではなく包容力で世界を征服した。

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モンゴルは武力ではなく包容力で世界を征服した。

モンゴルというトルコ・モンゴル系の騎馬民族国家が、いきなり、出現したのではない。

トルコ人とモンゴル人は、2000年前には、人種も同じ、宗教・文化も原始宗教、言語も基本的に同じという「同じ民族」であった。

彼等は、モンゴル高原から中央アジアにかけての大帝国を2000年以上前から作ってきた。

匈奴、ヨーロッパを征服したフン族、突厥、ウイグルは遊牧大帝国を建設した。

ハンガリー、ブルガリアもトルコ人の国である。

フィンランド、エストニアもモンゴル人の国である。

チンギス・ハーンのモンゴル族は、ユーラシア大陸のトルコ=モンゴル系の遊牧騎馬民族を包容力で同化しつつ、雪だるま式に拡大していった。

他民族、他部族を同化する場合には、自分達の言語、宗教を押し付けるのが、ヨーロッパ人、日本人の「やり口」である。

モンゴル人は自分の宗教、言語を押し付けなかった。

ロシアを征服したモンゴル人は、ボルガ流域のブルガル人の宗教であるイスラームに改宗し、ブルガル人の言語であるトルコ語のネイティブになり、

モンゴルの宗教、言語を捨てた。

こうして、ブルガル人とモンゴル人は完全に同化した。

キリスト教徒のロシア人に対しては信仰の自由と自治を認め、モスクワ大公国とロシア正教会を保護した。

後のロシア帝国があるのは、モンゴルの「お陰」である。

モンゴルは、中央アジアの大帝国=ホラズム、イラクのバグダードのアッバース朝、満州族の「金」、南宋をも包摂しようとしたが、

文化レベルが高く、歴史的のもプライドが高かった、これらの諸国は、モンゴルによる包摂を拒否したため、武力で征服された。

中東のモンゴル帝国もイスラームに改宗し、ペルシア語、トルコ語のネイティブになった。

自分達の宗教、言語を暴力によって押し付けたスペイン、ポルトガル、朝鮮を支配した日本とは、モンゴルの支配が、全く、異なるものである事は明白である。

東洋における支配は、支配される者に譲って支配するというものであった。

オスマン・トルコ、ムガール帝国、清朝が典型的である。

モンゴル帝国も東洋的な帝国であった。

コメント(1)

そうらしいですな。モンゴル学(?)をやってるという女性の動画をyoutubeで見た。モンゴルは併合吸収した国を優遇したので進んで支配下になる国が多かったらしい。
チンギスハーンが病に倒れなければ英国も併合されてたかも。もちろん日本も。
現在の漢民族中国というのもなかった、と。

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