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戦後の社会科学史コミュのエリートと大衆。

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エリートと大衆。

ギリシアのアテネでは、大衆による民主主義は衆愚政治に堕した。

そこで、プラトンは哲学者である王の独裁政治を理想の政治とした。

イギリス・ピューリタン革命の指導者=クロンウェルは、国王を処刑し議会制民主主義の共和国を作ったが、議員が、金権腐敗に陥ったので、クロンウェルは、議会を解散させ、自分が独裁者になった。

議会制民主主義はブルジョワ独裁になり、プロレタリア独裁は官僚独裁に変質するとして、イタリア・ファシズムを支持したのがロベルト・ミヘルスとパレートである。

カール・シュミット、ハイデガー、マックス・ウェーバーの最も優秀な弟子のオットー・ブルンナーもナチス党員になった。

私の知人のネパール共産党(毛沢東主義派)のシンパは「ネパール人は教育水準が低い馬鹿なので、ネパールには毛沢東のような独裁者が必要だ」と語った。

民主主義とエリートの指導を両立させる事を考えたのは古代ローマ共和国の指導者である。

平民全員が参加できる市民集会(下院)と、エリート集団である上院(元老院)の二院政の政治機構を作った。

行政を行うコンスルは市民集会における選挙で選ばれるが、上院議員は、大衆による選挙で選ばれるわけではない。

上院議員が、新しい上院議員を、ローマの共和制と民主主義の発展に貢献した者の中から選ぶのである。

市民集会は「護民官」を選挙で選び、護民官は上院の決議に対する拒否権を有していた。

こうした共和制を破壊したのが、奴隷制大農園の発展による、小農民であったローマ市民の没落、市民軍の解体、常備軍の創設であった。

こうした制度を復活させたのがレーニンである。

前衛党はエリートだけの集団であり、大衆の選挙によって党員が選ばれるわけではない。

ソビエトは大衆の評議会(会議)であり、ソビエトは、前衛党の方針に対する拒否権を有していた。

民主主義とエリート主義が、ここに見事に統一されたのである。

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