ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

法華経コミュの法華経に救われた!!

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
私は、金縛りや頭痛などに苦しんでおりまして、たまたま除霊を行っているという
白蓮山 立正寺 下館別院を訪ねました。
http://www.cmacs.jp/32323/rissyouji/

そこで除霊を行ったのですが、そこの住職の話によると人間には因縁というものが存在し、
私たちは、先祖代々からそれを受け継いでいるというのです。ですので、過去に自分の先祖が
悪い事をしたら現在でもその因縁は私自身に降りかかってくるものという考え方になります。

確かに生きている以上は、私も人を傷つけたりして因縁を生み出している訳ですから、
それは現実的な視点で受け止める事実だと納得出来ました。

住職と一緒にお経を唱えて、心を清めましたらなんか心の中がすっきりとしたのです。
自分は東京に六年も居た事もあって欲望の中で、深く人を傷つけたりもして来ました。
人と沢山争ったりもしてきましたし、それは自分自身がビジネスという
しがらみの中で人間の本来の心を見失ってしまっていたからだと思います。

法華宗は、有名な詩人であり童話作家の宮沢賢治も
信仰されていたらしく、「アメニモマケズ」の詩には、
南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経と書かれてあります。
決して欲は無く、怒らずそして人の為に生きて行くって素晴らしい考え方で、
現代の砂漠で人間が見失っている考え方であると深く私は共感をしました。

凶悪犯罪などが増える一方で今の時代の健全さってこういう宗教の力も
必要だって私は本当に感じてしまいました。

除霊を行ってからというもの、頭がすっきりとして、人との関係の
ありがたみを強く心に刻み、人って字の支え合いっていうものを
強く感じる事が出来る毎日です。

宮沢賢治のような素晴らしい人間にはなれなくとも、その人生に感動をし、
自分自身を少しでも変えていける力にはなれるとは思います。

法華経の教えを深く心に刻んで、清き人生を続けて行きたいと感じています。
私は除霊で知ったぐらいの浅い知識でしたが、皆さんの救われた話などもございましたら
聴かせていただけたら幸いです。宜しくお願いします。

コメント(12)

除霊ですか。

法華経というより日蓮宗には密教があります。

そこでは木剣という数珠を巻いた木札で九字を切り、除霊等を行います。

その術を得るには、百日行という厳しい修業をして体得します。

しかも、三段階に分かれていて、全てを体得するには計三百日かかるんです。

凄いですよね。

某新興宗教では闇修業なるものがあり鬼や獣、たまには神や仏まで呼び出すようですが…

私は、残念ながら体得も修業も霊的な体験もありませんm(__)m

しかし、法華経の力は感じてます。

基本は縁です。これは不思議に思うし、有難く感じます。

そして、自分に向き合える。人を思いやれる。心を落ち着かせる事が出来る。

なぁんだと思うかもしれませんが、以外に出来ない事です。

もし興味があるなら、教団等に入らず、御自身で勉強してみたらいかがですか?

染まっていない心で法華経に触れると、私達には感じれない何かを得れるかもしれませんよ。
☆ひでひで☆さんへ
法華宗って日蓮宗とも言うんですよね。密教でそんなのがあるなんて初めて知りました。
除霊って修行のような心で行うものだと思っています。私の場合はずっと正座をして、
ご焼香をしながら住職とお経を唱えるものでした。足がしびれてほんと辛かったです。
でもその百日行ってものはもっと厳しいものなのだと想像します。
私は大塚 日正の「難有って有り難い」という本を一冊読んだぐらいの浅い知識ですが、
頭がすっきりした事は間違いが無く、これからも人生の中で法華宗の教えを思い返したりして、
強く生きて行こうと考えております。
自分に向き合える。人を思いやれる。心を落ち着かせる事。
なかなか出来ないから人間って苦痛が多いのかもしれないですよね!!
そこに泥中の蓮のような素晴らしさを見つけて生きて行きたいです。
染まりたくないです。でもやっぱり真実は苦行あってこそなのかもしれないですね。
自分は法華宗だけ専門に勉強をしたい訳ではございませんが、
教養として自分の栄養にして行きます。素晴らしい知識をありがとうございます。

> 207 a.k.a 号室の病人さん

法華経を心の栄養に。良いと思います。

正に私の心の栄養ですからね。(^o^)

密教の話ですが、法華経の日蓮宗には「日蓮密教」と言うカテゴリがありますよという事で、密教=法華経=日蓮宗ではありませんので、お間違い無きよう。

「法華経だけを勉強したい訳ではありませんが」とありましたが、それで良いと思いますよ。

宗教は仏教だけじゃないし、仏教は法華経だけじゃない。

選択肢は一杯あります!

私は法華経に「出逢って」しまった、という感じでしょうか(*^.^*)

しかし、幼少期は母親の影響で新訳聖書でしたしね。

除霊は御住職と読経するとありましたが、正座は痺れますよねぇ。お疲れ様でした。

私は霊的感覚は解らないのですが、読経で頭がスッと楽になる感覚は解ります。

日々のお勤めとして、口語約と漢詩を抜粋して読経していますが、小一時間程かかります。

無論正座ですから痺れますし、慣れた事でも継続していけば辛い時もあります。

しかし、終わった時の充実感とスッキリ感は大なり小なり必ず感じます。

除霊とお勤めは違うかもしれませんが…^_^;

共に心豊かになれたら良いですね♪

丁寧な御説明ありがとうございました。
どうも (゚∀゚)!

それは 本当にすばらしい ことですね( ´∀`)bグッ!

妬み 貪り 怒り 愚か このような法の中の悪をことごとく 根絶させるもの
それは なにか? 

法華経である。 


貪り=その人が善と思っているもの
怒り=その人が悪と思っているもの
愚か=人間の持つ 無明の闇


この娑婆世界のあらゆる教え あらゆる書物をもってしても 法華経の持つ功徳と威力には
遠く及ばない それどころか 法華経の威力を地球に例えるなら その他のものは 砂粒もしくは
原子の一個ですらもない。

悪業は絶えず  三毒 もしくは 妬み と言ったものから 生まれてくる

汝よ
法華経を受持して 他人のために説くべきである 
そうすると
法華経をまとって 他人のために解く事ができるだろう
これは 本当に難事です。 至難です。

汝よ 難事を成せ! 

と 釈尊に言われているような気がしました。 

というのも 法華経を説く とは 法華経を説くことにあらず 
というのも 法華経をはじめに説いたら かえって疑い みんな三悪道に堕ちるからです
それゆえ

釈尊は方便力を使いました。 

毒には毒を 解毒作用のある教え 
解毒作用が効いてきたのを みれば 
それを 観て 
法華経を説く 

ゆえに 法華経を説く人 
これは 悪世にあって 無二の法を説く人 
と 呼べるだろう。

法華経の功徳は この上ないものだが 
その反対に 法華経の 謗る 悪業は これまた 最凶 最悪 のもととなるだろう。

私は思い出す 

かつて 法華経をそしり 苦しみが増し かつ 苦しみを持って苦しみを制しようとした時
三毒は盛んになり 煩悩は増し 我欲にまみれ 怒りと憎しみをもって 自分自身を飾った。
友は 去ってゆき 詐欺 暴虐 暴力もまた 盛んになった 

大苦悩の檻の中で もがき続けて はやく死にたい と そのようにばかり 考えていた、、

だが 無量の劫の後 またもや 法華経を見聞きする
チャンスが訪れた、、

これは 例えて言うならば 
何億年かに一度の周期で 地球の周りを回る 星に似ている
何億年かに一度 地球から肉眼で見える 星があって ちょうどそのタイミングを 
逃さずに その星を見に行く 観測者に 似ている

法華経もまた そのようであって その時に ほんの一瞬でも 心のなかで 法華経を称えれば
次第次第に その周期が 短くなり もはや 悪道に堕ちなくなるような そのようなものですね。 

今振り返ると そのチャンスに 法華経を称えた時から 変わったなあ と 思う今日この頃なんでつ。

ーーー如来寿量品ーー
以悪業因縁  過阿僧祇劫 不聞三宝名 
ーーー

その人がその人らしく 最高の大輪の花を咲かせることができる教え
それが 法華 法華経 なんだと 思っている。


(゚д゚)/ハイ
Arukiさん
私自身都内でビジネス的な事を行っていた経験があり、気がついたら怒りの感情で
周りが見えなくなり、自分が大切にしている価値観にも気づかずに盲目になっていました。
その状態がまさに「煩悩は増し 我欲にまみれ 怒りと憎しみをもって 自分自身を飾った。
友は 去ってゆき 詐欺 暴虐 暴力もまた 盛んになった」という部分に当てはまります。
そして精神不安定になって出会ったのが法華宗でした。毒には毒をとありますが、
まさにその通りで「願いよ叶え〜」みたいな甘い神頼みではないと感じています。
自分の心が変わらなければ自分は変わらないので、自分に厳しく自分の中に法華宗の教えを
入れるのが最良の手段であると思います。悪人が聴いたら気持ち悪くなるぐらいの良い教えで
あると信じています。だから毒なのでしょう!!最高の大輪の花を咲かせる事が出来るのかは
まさに自分次第ですよね!!花を咲かせるのにこんな透き通った綺麗な水を自分の中に注ぐ
事が出来るのが有り難いです。

ひでひでさん
法華宗一筋なストイックさが逆に自分を苦しめたという事ですね?人間というのは人の数だけ
考え方があるように全てを肯定する事が出来ないというのが生きているうえでの苦しみでも
ありますよね?私もビジネス的な所でそれは感じました。自分を通そうとすると逆の人間は
離れて行くものです。だからこそ人の立場で物事をとらえるという事が大切なんだと感じます。
「難有って有り難い」という私が読んだ本には、自転車のロードレースの大スターの
ランス・アームストロング選手の話が出てきますが、彼は、自分が進行性のガンになってから
これが子供だったらどうだろうと小児ガンの子供達の事を考えました。そして賞金のほとんどを
小児ガンの治療や研究のために寄付をしました。そして奇跡が起こりました。ガンに冒されて
いるにも拘わらず、以前よりさらに強くなり、連戦連勝を続け、なんとガンが消えて
しまったのです。人の為になるというのは人の気持ちを受け入れる事から始める事だと
感じています。ただひでひでさんの場合は、法華宗にストイック過ぎて最愛のものを
受け入れる事さえ出来ない状態だったのだとおもいますが、コメントを見る限り深い知識を
持っていますので、そこはある意味熱い方なのだと思いましたが、熱すぎると逆に
失うものって多いのだと思います。私もビジネス的な考え方のせいで精神が毒され
多くの大切な考え方を失いましたので、これからは法華宗の教えで取り戻そうと思います。
その為にまずは全てを否定せずに受け入れて見ようと考えています。
> 207 a.k.a 号室の病人さん

法華経一途。今の私はそうですね(^_^;)

妻が霊友会に10数年盲信していて、離婚と霊友会で比べたら霊友会だった…。
という事を言いたかったんですが…言葉とは難しいですね。

私<信仰…。その事実は重く、愛は信仰に勝てないと言うトラウマを覚えました。

ある人に、要はいかに自分に振り向かせるか、と言われましたが、その状況下に置かれた人で無ければ解らないと思います。

愛していれば全てを受け入れられる。それはケースバイケースだと思いますよ。

私がここまで法華経に浸かったのは、離婚後の自己の安寧の為です。

全ては苦である。その苦から逃れる為には、原因を知り、それを取り除かなければならない。その為には8つの道がある…

私が法華経に求める『声聞』としての修行です。

あなたの様に、全てを受け入れる。それは六波羅蜜の『菩薩』でしょうか。

霊友会は菩薩道で先祖供養プッシュでした。

法華経を勉強していくと、その菩薩道=先祖供養プッシュに疑問を感じる筈です。

感じなければ、それは十二因縁による『縁覚』かもしれません。

声聞、縁覚、菩薩。3つの乗り物。どれも最高の乗り物に繋がっている。

しかし「仏の智恵は、声聞縁覚の知る所では無い」とも言っています。菩薩は六波羅蜜の中に智恵が入っていますから大丈夫です。

人には仏性があるけれど、レベル差がある。だから3種の乗り物を用意しました。自分にあった乗り物を欲しなさい。

しかし、他教団は解りませんが、霊友会には選択肢は無く、皆で菩薩道。

法華経で折角入り口を3つ用意してくれてるのに…って思いませんか?

自分が求めているのが菩薩道では無く、声聞だったんだ!と気付いた時、心が楽になりました。

そして、先般書いた色々な事に後悔したのです。

盲信は、そのコミュニティーの中では最強です。しかし、あなたの言う通り…沢山の犠牲が伴います。それを貫けば愛や家族すら手放さなければならなくなる。

私は、それを伝えたい…。

もし自分に向かい合いたいなら、全てを受け入れるという大きな目標では無く、宗教や教義を抜きにして隣人を思い受け入れてみませんか。

私の様に、全てを失ってから信仰に安寧を求めても、決して遅くないと思いますよ。
> 207 a.k.a 号室の病人さん

もう1つ。

法華経に安楽行品というものがあります。

多分、在家として法華経を学ばんとする人には一番辛い内容です。

菩薩の行処(行ずるべきこと)は忍耐にゆるがない、教えに従う、しなやかに語る、粗暴にならない。

これならなんとかなるかも…って感じでしょ?

そして偉大な求法者は、3つの乗り物の優劣にも、何事にもとらわれず、男女の区別もしません。

ここまでは行処。なので、まだ良いとして…

親近処が辛いんです(汗)

求法者達は、世俗の権力者、異教徒や呪術、世俗の本や歌を楽しむ者、極端な思想者、ギャンブルや遊びにふける者、猟師・狩人・性的不能者、自己の平安を求める声聞、増上慢な僧侶、女性の身体や快楽を求める女性、在家の女性信者、年少の弟子etc.に近づいてはならない。と世尊は文殊菩薩に言っています。

…厳しい…難しいですよね、これは。

法華経は綺麗事だけを言っている訳ではありません。

私のような自己の安寧を求める声聞や、元妻の様な熱心な在家の女性信者も本来NGだと言っているんです。

だから、法華経を心にとどめるなら、一部だけを見るのではなく、全体を見て欲しいんです。

一度でも構わないですから…。

基本的に、在家の法華経系教団の一般的勤行は一部チョイスです。

しかも、漢詩なら漢詩だけ口語約なら口語約だけ、と言う狭く小さなものです。

それでは都合の良い所しか見えません。

私を法華経一途とけなしても構いません。

しかし、それは真実を知りたいと言う探求心から始まった事。

これもカテゴリでは執着心になるので、本来NGなんでしょうけど…

しかし、自分で学び、練り、悩み、心に留める。

それは必ず自分にとってプラスになる筈です。

心病んでいるなら尚更だと思いますよ(自体験)。
ひでひでさん
六波羅蜜を見ましたが、宮沢賢治の人物像がそこにしっかりと浮かびました。
私の勝手な解釈ですが、菩薩って宮沢賢治のような人間の事を言うのでしょう!!
そして先祖供養プッシュに疑問を感じない私は、十二因縁による『縁覚』です。
過去から存在する因縁はしっかりと今私を苦しめていると感じますしね!!
だからこそもっと人を思いやれる清らかな人間になりたいと考えています。
確かに私のような一度除霊を行ってその教えが法華宗だったという、狭い視野では
見えない世界は沢山あると思います。ひでひでさんとこうやってコミュニティーで
やり取りをしている時点で声聞なのでしょう!!安楽行品に従って生きて妻を失うまで
本気なら間違いないと思います。でも一つ疑問なのはそこまで自分を追いつめて
手に入ったものとは何なのでしょうか?むしろ手に入れる事よりも大切なものって
いうのが存在するのでしょうか?私は法華宗の教えから綺麗な精神を取り戻して
人間関係を充実させて人の為になる関係の中で楽しい人生を過ごして行きたいという
考え方です。それも欲なのでしょうか?それを欲とは呼ばないし、そういうものが
ベストなのだと私は思います。
> 207 a.k.a 号室の病人さん

貴方は綺麗な心ですね。

法華経を知るという事は、決してストレートに受け止める事が出来ない真理と、真正面から向き合う事だと思ってます。

一般的に、法華経は最上の教えで真理であると言われています。

仏教の基本理念は『縁起』です。先般書かせて頂いた縁覚は正にその道と言えると思います。

しかし貴方の言う通り、私がストイックなまで声聞を貫けば、一般生活など不可能です。

盲信は個人の充足は生めども、実際は周りに迷惑をかけ、実社会では孤立してしまう可能性が大きいと。

それは新興宗教に盲信だった元妻から、実体験しました。

元妻は新興宗教でしたので、法華経とはいえ、良いとこ取りの教義です。

先般書かせて頂いた安楽業品も口語訳で読んではいたでしょうが、現代語訳のように解りやすくなってはいません。

何が言いたいかというと、法華経はちょっとでも読誦しただけでも功徳はあるが、それで満足してはいけない。内容をしっかり把握する必要がある、という事なんです。

見たくないものは見ないでは無く、見て下さい。

そして、考えたり思ったりして下さい。

そうする事で、自分の内面に向き合う事が出来る。

そう思います。

でも御家族がいるなら、個人の安寧より、何にもとらわれない御家族との時間や笑顔を第一に思い、考えてみてはいかがですか?

共にいつか、心に安寧を。
ひでひでさん
同じ気持ちです。得るものがあるからやり取りをしていると考えています。
つまりさっきの質問の得るものとは有り難き教えであると受け止めます。
失うものがあるぐらいストイックで得られないものがないわけないですよね?
得たものから縁起が良くなるのはもう気づいています。気持ちが少し楽になりましたしね!!
まだまだ視界が狭く、見えないものが多いですが、ここでやり取りして得たものを大切にします。
それと興味があり購入した「知識ゼロからの日蓮入門」渡辺 宝陽 著 の本もこれから読みます。
何よりも専門知識がある方とコミュニティーでやり取り出来た事に感謝!!
同じく心に安寧を。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

法華経 更新情報

法華経のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング