南無阿弥陀仏の教えでは救われません!
〜人々を救えるのは南無妙法蓮華経のみ〜
(※注
「南無妙法蓮華経」なら、どの宗教でも人々を救えるのかというと、そうではありません。「南無妙法蓮華経」の題目を唱える宗教はたくさんありますが、日蓮正宗以外の異流義は大聖人の正意(しょうい)ではないので、何の功徳もなく、成仏もかないません。
本門戒壇の大御本尊から離れた宗教は、利益がないばかりか、むしろ不幸になる原因を作ることになるのです。
その中でも 【創価学会】 は、最も悪質な邪宗教団であり、事実、全ての会員が不幸になっています。)
【南無阿弥陀仏の教えでは救われない理由】
「念仏はあきらめの教えです」
念仏を称(とな)える宗教では、この世は苦悩に満ちた穢(けが)れた土であり、死後に阿弥陀仏によって西方(さいほう)極楽浄土に往生することだけを願いなさいと教えます。
これでは、目の前で悩み苦しむ人に対し、「あなたは今の世では救われることがない」と突き放しているようなもので、とても人々を救う教えとはいえません。
「念仏は釈尊の真意ではありません」
釈尊(しゃくそん)は、三十歳で悟りを開いて仏となり、八十歳で入滅されるまでの五十年間にさまざまな教えを説かれました。そのうち、最後の八年間に『法華経』を説かれました。
釈尊は法華経を説くにあたり、「今まで四十余年にわたって説いてきた経々には、真実を顕(あらわ)していない。これらの教えは、人々を法華経に導くために仮に説いた教え(方便)である」(趣意・無量義経 法華経23頁)
と明かされました。
念仏では、方便のお経である『阿弥陀経』などを依経(えきょう)としています。したがって、念仏の教えは釈尊の真意(しんい)ではないのです。
「法華経こそ真実の教えです」
釈尊が法華経において、自ら「真実の法とは、法華経ただ一つである」(趣意・『方便品第二』法華経一七四頁)と説かれているように、法華経こそが真実の教えであり、釈尊仏法における最高の教えです。
さらに釈尊は、自身の滅後二千年以降の末法(まっぽう)時代に至ると、「自分の教えの力は無くなり、そこに新たな仏が出現し、一切衆生を救済するであろう」と予言されました。
この予言どおり、末法の仏として出現されたのが日蓮(にちれん)大聖人です。
「すべての人が救われる教えは、南無妙法蓮華経です」
日蓮大聖人は、法華経の肝心(かんじん)・南無妙法蓮華経を唱え出だされ、御本尊を顕されました。
末法の人々はこの御本尊を信じ、南無妙法蓮華経の題目を唱えることによってのみ、真の幸福を得ることができると説かれたのです。
すべての人が救われる教えは南無妙法蓮華経なのですから、勇気を出して正しい信仰を選び、我が家の繁栄(はんえい)と幸福を祈るとともに、先祖の追善供養を行ってまいりましょう。
「宗旨(しゅうし)を替(か)えたら、先祖が迷うのではありませんか?」という人がいますが、そのような心配はいりません。
あなたが南無妙法蓮華経の教えに帰依し、日蓮正宗寺院において追善供養することにより、先祖の精霊(しょうりょう)は正しい御本尊の功徳によって必ず成仏できるのです。
(※注
阿弥陀仏を本尊とする宗派には、法然の浄土宗(鎮西流・西山流)、親鸞の浄土真宗(本願寺派・大谷派など)、一遍の踊り念仏の時宗(じしゅう)などがありますが、この文章ではそれらを統括して「念仏」と表現しています。)
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