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おも詩ろ荘コミュのガチンコ道場(合評室)

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 参加者の方から自作についての批評、感想を受けたい場合はこちらで作品を披露してください。
 投稿される方、また批評される方は以下の点にご留意くだされば、管理人としてはありがたく思います。
 (以下、特に初めて投稿される方、必ず最後までお読みいただきますようよろしくお願いいたします)

?投稿者はお覚悟のほどを。
  忌憚のない批評、感想を読んだ方に述べていただきたく思っています。創作に携わるものとして凹むこともあるかもしれませんが、その点お覚悟の上ご投稿くださいませ。

?批評者は相手を尊重の上に。
  このようなコミュニティでの合評や講評というものは、本来相手の顔を見て行うべきものだと管理人は考えています。文章上の意見交換はどうしても字面の印象が残ってしまいがちです。
 いかに辛らつな意見を述べる場合であっても、投稿者の人格否定をするような文章はおやめください。
 
?投稿者はのんびりと。
 まだまだ入居者の方は少ないです。投稿してもすぐに感想、批評が得られないかもしれません。気長にお待ちください。
 
?投稿者は新作を。
 感想、批評についての返信は特にいらないと思いますが、それを受けて推敲された新作を当コミュ「おも詩ろ荘作品集<おおかみさんの部屋>に発表いただければ、嬉しく思います。(個人のお部屋持たれている方は、そちらに掲載いただいてももちろんけっこうです)

?管理人は努力を!
 ここを盛り上げ、皆さんにいっそう切磋琢磨してもらうためにも管理人は入居者を増やすように努めること!

 以上ご留意くださいませ。

☆当トピについて管理人よりあらためての付記☆
   〜〜投稿者は真摯な態度でご返信を〜〜
 このトピックスは詩作において自身を成長、向上させたい、また自作改稿のためのヒントを得たい、そのためには辛らつな批評を受けることもいとわない、と思われる方が集まる場所です。
 でありますので、こちらに投稿された方はコミュのトップ文に記載した「馬耳東風・自己完結型」の批評に対する返信は特におやめください。以下のような返信を例としてあげておきます。
  ・「別に〜でもかまわないと思うのですよね」
  ・「別に伝わらなくてもいいのです」
  ・「〜を意図して書きました。分かりにくかったですかね?」
  ・「私には私の考えがあります」
                 等。
 もちろん全ての意見や批評を参考にしなくてはならない、と言っているわけではありません。
 投稿される方も批評される方も「礼に始まり礼に終わる真剣勝負の場」と捉えていただければ管理人としてはとても嬉しく思います。

 作品に対して批評を書く場合、どういうふうに書いてよいのか分からないという方もおられるかもしれません。
 当コミュは「書き手」が集まる場所です。「批評しなくてはならない」と、あまり身構えられずに「ここは疑問に感じた」「自分ならこう書くかもしれない」「この一行には度肝抜かれた」というようなスタンスで作品についての感想・批評を述べられて十分かまわないと考えています。

 以上、言わずもがなのことを述べました。
 「ガチンコ道場」あらためまして・・・
 押忍!

(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=43131702&comm_id=3726869
 上記アドレス「ガチンコ道場二号館」となっております。当コミュ込み合っている場合はこの二号館をご利用くださいませ。) 

コメント(421)

> yardbirdさん

押忍。批評していただきありがとうございます。いや、いや、せっかく盛り上がっているようなガチンコ道場を一気に興醒めさせたんじゃないかと思って、どきどきしていましたが救われる思いです。

さて、yardさんの「語法としてはモダニズムそのまま」や「北園克衛に似ている」という(点)ですが、北園克衛を名前ほどには作品を多く読んでいないので、似ていると言われれば残念ながら「そうなんだ」と思う以外にありません。不勉強でした。

しかし前者の「モダニズムそのまま」という(点)は、「そのまま」という語にはいささか違和感をもつも、思い当たるふしがないともいえません。もちろんモダニズム詩を下敷きにした、という意味ではないけれども。

ひとことで言うと徹底していないということと受け止めていますが、言葉を置く場合の追求過程で甘いもしくは弱いということでしょう。課題ですな。

方向性がバラバラというのは、ちょっとなんと言ってよいやら(笑)いや、否定しているのではなくて、こういう仕方は、割合やっていることで、どちらかというと好きと言っていただいた方のものを書く時も、姿勢としては通底していると思うんですね。だからありがたいやら困ったやらで。
まあ、それを作品の言葉のうえに表しえていないということからの批評ですね。
精進します。ありがとうございました。



 たぶんとんちんかんな寸評になるのですが、思い切って(笑)。

 こういう「感じる」作品というのは、どこかで視覚的であってほしいと思ってるのです。そこを糸口にして、パーっと世界がほどけて広がっていったりするのじゃないかと思ってます。
 
 そのきっかけになるのがこの作品の場合(ぷるるん)なのではないかと思うのですが、逆にそこで閉じてしまってるような印象を持ちました。

 でも逆に「何が」(ぷるるん)しているのか具体的な叙述をすると、もっと閉じちゃうかもしれないですよよね。
 抽象的なイメージで提示されてるんだけれど、(ぷるるん)してる言葉にできないなにものかをはっきり感応できたなら、もっとこの作品を「感じる」ことができたのではないかと思います。

 好きです(ぷるるん)。(ぷるるん)は釣り針で言うところの「返し」の部分だと思います。それがしっかり食い込んだだけに「ああ、このまま見事釣り上げられたかったなあ」と思った次第であります。
ぎょうざ良く焼き?
つゆだくみたいなものだろうか?
失礼、今王将にいます。

はっきり言って、まったく分からん。
王将のチャーハンについてるスープ。
お湯にとろみがついてる奴。
熱いと味が分からん。冷めると美味い。
それか?いや違う。

1050円か。安い。
チャーハン、餃子、紹興酒。

分からない詩はいくらだ。
分からん。

あらゆる愛を技に変えてゆく!
(くるりの詩のパロディー)

ああ、技だしたい。
(スーパーフライのパロディー)

技じゃない。
ハートだよ。

失礼しました。
> 大怪獣コヒモンさん



読み違えと言わないまでも、あまりに読みを深くされてしまって、恐縮しているルウです。

今回は特にメタレベルの詩を狙って書いたというわけではないのですが、詩を書く時には「挑戦」なり「実験」なりを意識することもしばしばあるので、そこのあたりを汲み取っていただけたのかな、と思っています。

憎むだろう(か)

の箇所を、

憎むだろう/憎むだろうか

と書いていただけたのは嬉しいところです。意味としては同じなんですが、心情的な流れとして、憎むだろうが先にあり、それに対する疑いや迷いがあとから生まれるということで、今回のような表記を採りました。

「つぶやき」や「語り」ですが、こう書いていいのかはわかりませんが、例えば常套句として「目が語る」とか「風がささやく」という言い回しがあるように、事象の動き、ここでいうと滴や雨音やひとの足音やらも、「つぶやき」や「語り」と捉える見方の癖があるんです、個人的に。

だから、主として前半は見たまま、感受したままの様子を書いていった部分が多い。とはいえ、詩は概ね言葉の世界なので言葉としてどう置いていくかという(点)では脳に汗をかきました(笑)

説明すれば説明のつく作品ですが、挑戦(実験)の狙いも内容もとるにたりるとは言い難い内容なので、ここでばらすのはいやん。そのうちこっそり。

ありがとうございます。



  ルウさんの「ダンス」について

 車に乗っていて、道を進んで徐々に景色が変わっていく場面を思い浮かべました。天気も良くなって、都会から自然の豊かな場所へたどり着いた。

 と、私の読みがどこまで合ってるのかわかりませんが、作者はそんな状況だけじゃなくその高みを目指したかったのだとは、多少文学を嗜む者としては十分わかるのですが、この作品に関しては終始はぐらかしただけで終わってしまっている感じがします。

 (ぷるるん)の扱いは難しいですね、言葉にけっつまずかされた感覚を覚えたのは初めてかも知れない。(ぷるるん)が無いほうがすっきり読めるんですがこれがぴったりハマるような使い方を検討していただければ、私は楽しみながら惑わされていけるだろうなと思います。
> けいきょうさん

そんなに(ぷるるん)を連発したらいけませんわよ。なんつって。押忍。
ありがとうございます。

ぷるるん、てなにやら官能チックではありませんか?
(ぷるるん)にポエジー感じたんです(笑)最初に(ぷるるん)を書いた後で。

ちょっと厚めのつやつやした唇とか、若いひとの肌つやとか、ゼリーとか。(ぷるるん)て感じがします。
弾力もありそうで。

こういうのを擬態語とか擬音語とかいうんですかね。もともと、ある状態や動きを表すための語だから、文字としては他の文字と同じく止まっているのに、文字が既に動きをもっていると思うのは私だけでしょうか。

で、おっしゃる通り、抽象的ですが多義的でもある(ぷるるん)を使わせていただきました。とはいえ、第一テーマではありません。

それから、(ぷるるん)は振動します。震えたり揺れたり。フロントガラスに落ちた雨の水滴がまさにそうでした。しかし、震えたり揺れたりするのは水滴のみにあらず(笑)
最初の(ぷるるん)と次にくる(ぷるるん)とは同じ(ぷるるん)でも位相が違うのですよ、ふっふっふ。それならそれでわかるように書けという話ですが、書いてしまったら面白味が減る気がしたんです、見た目の。
やっぱり見た目も大事。

(ぷるるん)て内部に水分を含んでいる「動き」だから、一語で十分視覚的な気がします。全体を視覚的にするとしたら、前提からそっくりやりかえなければならないですよ(泣)

要するに成立の核心にものっそ触ってくれるコメントをしてくださったわけでもあります。
怖いなぁ。


ありがとうございます。



> しましんさん

技とハート。両方ですよ。

> みりんさん

批評ありがとうございます。

私は携帯で打っているのでパソコン画面でどう見えるのかよくわかりません。ごめんなさいです。

で、句読点が語法を破って…という箇所ですが、そのあたりは今回狙って行なったことです。これがイメージを掴みづらくするだろうという意識も十分にありました。

こういう仕方をしなくてもイメージや意味を解することが難しい作品は多々ありますが、それは語の結びつけかたに心を砕いている場合が主であると思います。
また、今回そういう仕方もしているとは思っています。

ですから、みりんさんのご指摘はまさに当を得たことなのです。とはいえ、わかりづらくすることを狙いにしたのではないことを重ねて書いておきます。可能性として十分に予測しえたという意味です。

分からない詩もあれば分からる詩もある。それでいいと思いますし、そういうものかもしれないと思っていますし、ぼく自身分からない詩はたくさんありますから。

ただコヒモンさんではないけど、分からない詩の分からなさに対するつっこみをしている舞台は雑誌には公表されていないことが多いように感じますし、公表するためには読み手は先に分からないものを読んでおかなければ、公表されたものを読んでも取り残されてしまうという現象が起こるんじゃなかろうかと考えます。どこかに分からない詩の分からなさを暴くような取り組みがあれば、現代詩のなかで言われてきた分からなさも払拭できるんじゃないかと思うんですが。
(でもまあ、それはちと難しいことでしょうね。)

それでも分からないとすっぱり言ってくださることはありがたいことです。
アクションに対するリアクションがあることはとても。感謝、感謝です。



> 佳貴さん
> きっちょむさん

押忍。押忍。ありがとうございます。トランプでいえばお二人の読みを足してシャッフルしたみたいのが今回書いたものだと言えばそれ以上のことは言わずもがな、お腹いっぱいです。

>佳貴さん

論理的なことはね、詩じゃないひとがやってくれればいいと思うんだ。詩は論理だけで書くもんじゃないって思うから。まあ、そのぶん、「わからないけどわかる」ってとこを外したら厳しいかも〜。


>きっちょむさん

「はぐらかし」の辺りは考えが至りませんでした。そうですね、そこはyardbirdsさんのみならず批評をいただいた皆さんの根っこの集約なのかもしれませんね。

おお!それを考えると課題満載ではないですか!!!くるたのしいなぁ(泣き笑い)

精進、精進。




しましんさんの王将のは作品なのか投稿作品への感想か微妙ですね。(タイトルもないし)この合評室のレスの合間に挟まることで「今王将にいます」「はっきり言って、まったく分からん。」がすごく生きています。

 『何も考えたくない私の話』


 (細胞の分裂する速度をあやつることなど不可能である)

  暗示

 ここはあまりにも暑い
 私は、
  つらくない。
  つらくない。
  つらくない。

 それでも噛んだ氷はにがい

 母がため息をつくたびに歳をとっていく
 弟はとても素直に昼夜溶けてる
 私たち生きている
 のはなぜなのでしょうね、とか
 (細  分裂              可能である)
 (単なる歯科検診で一万円も払えないです)

 たったいま
 そしてまた
 どこかで花が咲いたのだろう
 火曜日が、もしかしたら水曜日もほころぶのに
 私がうなずく前に
 肯定されているものたち
 (保険証再発行の為、健康保険資格等喪失証明書の提出をお願い致します。)

 私は、
  こわくない。
  こわくない。
  こわくない。

 (     行 為、 康 険   喪失      を 願い  ます。)

 私がうなずく前に
 どうしても勝手に。











_____________

ご無沙汰しすぎておりました
押忍
 ではきっちょむさんの『何も考えたくない私の話』

 うーっむむ…感想を述べるのがたいへんに難しい。作品が難解とかいうのではないレベルでムツカシイ。

 断絶された私という存在が、私が抱えている不安、おそれといったものがひりひりと胸に迫ってくる。そういう意味ではこの作品は成功しているのだと思う。
 特に四連目、五連目がよいと思った。明確な力で言葉が選ばれているように思いました。
 ただ、三連目、七連目が「詩以前のことば」のような気がする。だけど、この言葉だからこそ、この作品が「痛み」を伴って迫ってくるのかもしれない。うーん、でもこの三、七連はもう少し言葉を練ってもよかったんじゃないかなあ。

 ちょっとお名前出して恐縮なんだけれど、じゅらいちさんの名作「風強い」などは、苦悩や痛みをどこか戯画化していて、そのことにより詩として昇華されており、書き手、作品に寄り添えるのだけれど、この作品の場合はその点において物足りなさを感じたのです。

 あと、カッコの表現については、これも横書き表記で損をしている、持ち味が損なわれていると思いました。どうしようもないことなんですけどね…。

 渇望と拒絶の混沌を、きっちょむさんの作品から感じることがあります。きっと書き手としてそのままでよいのだと思います。ただその二つを作品の中で上手く飼いならすことができたなら、もう一段ステップを上がることができるのだろうなと思います。

「元気出せ〜っ!いくぞー!1、2、3、ダーッ!!」

とまあワタシなんぞは、思わず無遠慮承知でそんなことを書き手に言ってみたくなる、そんな詩であるなあ、ということなのであります(笑)
きっちょむさん
『何も考えたくない私の話』 

拝読いたしました。
作者の日記で近況の一端をしる者として、先入観なしには読めないのですが、ここは敢て…

全体として感じるのは、世間の流れ(スピード)についていけない作者の心情です。細胞云々、健康保険証云々の反復に見られる文字の欠落は車窓から流れる景色然としている。

つらくない。
こわくない。
の反復は多重否定で肯定を表している。

何か批評というより、プロファイリング擬きになってきました。私にはこの詩を批評する資格はないようです。

兎も角、詩が書けるということは良い兆しではないでしょうか?

失礼しました。
>けいきょうさん

苦悩や痛みを戯画化して作品に仕上げることは今までしたことがないので、新しい試みとして面白そうだと思います。

渇望と拒絶を飼いならすというのは非常に難しそうな課題であります ある効果を狙って構成するというより自然に発生してくるものをぱくぱく掴んで並べてる感じなので、もっと自分の作品を分析してみようかしら。

>しましんさん

そうなのですよ、詩が書けるのはいいことです。客観的な自分をそばに置くことができたのだと思います。まだ何もしていないけど。

>ペリカンさん

私自身でさえはっきりと「この作品はこんな効果を狙っています」とは言えないのですがペリカンさんの批評をみてなんとなく「うん、当たってるなぁ」と感じたので、より自分の作品のことを知ることができた心地です。


お三方ありがとうございました。
レスポンスを活用し改稿致します

  『熱射』

 つまんないねって
 言ったら友達減るから黙ってペダルこぐ
  これだけ暑いんだからふらついてもいいよね(いいよ)
 前かご揺れてCDケースがカタカタ鳴った
 こうして私の死体は轢かれ、
 ないまま

 だって右手を空っぽにしても左手の握力強くするだけで行くところがない
 そういえば出勤のときバスの中でこれ派手に事故ればいいのにとか思ってたけど
 座るのはいつも後ろの席だった

 「これすっごく良いから!とにかく良いから!」って
 CDよこしてくれた友達のことは好きだけど
 このアーティストには意地でも心を開かない
 だって眉毛かいてない
 日焼け止めも塗ってない
 貯金も増えないし
 君が恋しくて震えもしない!

 この鼻をむやみに痒くする遊び
 熱がひいて
 全てのめまいを手放せば生まれる
 新しい表皮
 歴史は動かない
 地面は焼けこげたまま
 めらめら痛い







__________________
連投失礼します
押忍  (_´Д`)_
 きっちょむさん『熱射』

 好き、嫌いっていう分け方をしたら、すごく好きな詩。
 世界に拒絶される自分、世界を拒絶する自分が、前作よりはっきり描写されていると思います。

 引っかかったのは三連目の一〜三行目でした。この連の最終行に説明的ストレートに繋げすぎているのではないかと感じました。次の四〜六連が生きてるだけに。
 そしてこの最終行はきっちょむさん持ち味の「反逆のブルース」。もしかしたらここが引っかかる方いるかもしれないけれど、改稿するにしてもここは残してほしいなあ。残すべきだよ。(笑)

 夜10時も過ぎて、勤め先からえっちらおっちら自転車こいで寮に帰ってる自分を思い出しました。わたしにとってそういう感懐を抱くに足る作品です。

 
↑「四〜六連」→「四〜六行」です。失礼しました泣き顔
>けいきょうさん
今回は戯画化を意識したので作ってて楽しかったです。成功しているのかはわかりませんが。

そうですね 私が世界を拒絶しても、世界はいやでもついてくると思っていたのですが、思い上がりだったかも知れません。
三連目の一〜三行目は、もうちょっとひねったり長めにしてみようかしら。
「反逆のブルース」ってのは嬉しいです。元ネタはもちろん西n…おっと誰か来たようだ。

ありがとうございます(´ω`)
佳貴さん

>練ったものじゃないですよね。
>発散的でぬるいストレス解消みたいなものな気がしました。

製作にかけた時間は普段とかわらないです。
発散的でぬるいストレス解消、ってのは間違っていないですが、
それを目的にしたわけではありません。あくまでも作品として昇華させようとしていることはご理解ください。ガチンコ道場をなめているわけではありません。

>苛つくと電話してきて感情的に愚痴るヒステリーな女が見えるイメージが湧きました。

女々しさを狙ったのである意味成功ですが面白さにつながらないと意味がないし失敗か……検討します。

興味がないとか付き合いきれないとか、言いながらも
最後までお付き合いいただき感謝します。

有難うございました。

きっちょむさん「熱射」


これ、佳いですね。しばらく読んでいない間に佳くなった気がします。「しばらく見ないうちに成長したのぉ」と親戚のおっちゃんのセリフみたいに思ってしまったんですが、ひとつの詩にも育つってことがあるんでしょうか。

通常詩の言葉としては選ばないようなフランクな語をもってきて、表面的なところで終わらせないっていうのは難しい作業だと思います。ちょっとできないですね。

3連は初見では惰性的な印象があって、違和感があったんだけど、数週間をおいて読み返すとここがすごく活きてるんです。アクを感じる部分というのはプラスにもマイナスにもなりうるんですね。

友達と歌手との対比、って感じでしょうか。友達との関係はリアルだから、付き合いというものがあって抜き差しならない、歌の言葉は生きてる感じがしない。
女性には外に出れば化粧のひとつもしなきゃならないし、なにかと折り合いをつけなきゃやっていけないややこしさもあるわけだけど、そういうことも含めたナマの部分に触れないで言葉だけ過剰になって人心を動かそうなんていうのにはちょっと頷けない、そんな批評めいた印象も受けました。

そういう歌(あるいは詩でもいいんだけど)の「つまらなさ」を「すっごくいい」と言われると参るわけですよ。ぼくなんかどうしていいんだかわからなくてブルーになっちゃう。鼻だって掻いちゃいます。

一方で起こった事実として動かしようのない歴史が厳然とある。この日常と歴史との間のリアリティの遠さは誰にでも少なからず通じているんじゃないでしょうか。なんとなく気持ちの悪いヒリヒリした感じとして。

以上、お粗末ながら。



>ルウさん

少なくとも今までとは質の違ったものを背負いながら作っている感覚はあります。
おっしゃるとおりアクがありますし、お三方の批評をみるかぎり万人受けするものではないということを改めて感じました。

フランクで表面的な詞(詩)に対して否定的だからこそ、
>通常詩の言葉としては選ばないようなフランクな語をもってきて、表面的なところで終わらせない

ということを成功させたいという思いがあり、このような言葉選びになりました。

有難うございました!
>ペリカンさん

約束どおり狙撃しに参りました。よろしくお願いします。押っ忍。


初読の感想。スケールでかっ。ちょっと読み込まないと全体把握できないぞ…っと今さっきまで一生懸命に図解しておりました。失礼ながらいまひとつ飲み込めきれてない感じもありますが、以下、吉兆夢的解釈。批評も自己解釈を元にしてるので、まったく的外れだったらスミマセン('-':)ゞ

まず世界観。
此岸と彼岸、その間を流れる河は「三途の河」というよりは生者必滅を司るいわば「理」そのもの。「宇宙」や「白い糸」という言葉から「銀河(天の川)」なんかもイメージできる。(ただ、「天の川」が西から北に流れてるかどうかはちょっと分からず…)
童心は対岸の「死」に対してさまざまな想像を膨らませる。「死」は恐怖である、しかし「死」があるからこそ人は懸命に生きようとする、とも言える。かくして人は「幻想する死(=白い雲)」から「生」の動力を手に入れ、それぞれの「命の軌跡(=白い糸)」を紡いでゆき、やがて命尽きる(=太陽に焼き尽くされる)と、「星の光」すなわち銀河の流れそのものに還ってゆく、と。

…しかし、以上の解釈をするとこんな疑問点が出てくる。

1、死を恐れるのは「童心」に限定する必要があるのか?
 子供心に限らず、大人も老人も含んだ方がスケール的にしっくりくる、と勝手に思ったり。

2、「白い糸」の集合と「銀河」の違いは?
 これは完璧に私の解釈の穴。「白い糸」は燃え尽きて塵になってはじめて星の光、すなわち銀河の一部になる。けれど私の読みだと、第4連の

>無数の白く細い流れが
>西から北へと長い尾を曳きながら

ここで既に、天の川と同一視してしまっていました。「細い流れ」だから別物と捉えるべきなのだろうか。

3、「白い雲」の位置づけとは?
 「死とは幻想」(第3連)→「白い幻想」(タイトル)→「白い雲」(第2連)の連想で、「幻想する死」=「白い雲」と解釈しましたが、このという比喩が作品中でいまひとつ座りが悪い気がしました。たぶん糸紡ぎのための綿花から来てるとは思うのですが、あおいそら〜しろいくも〜みたいなイメージに引っ張られて、やや明るすぎる。もし、私の解釈通りだったらもう少し抑え目の方がいいかも。

4、「白い糸」を紡ぐ主体は?
 「宇宙」「大河」「糸車」と来て織姫様を思い浮かべ、最終連の

>どこかで誰かに巻き取られ

で、「白い糸」=「赤い糸的なもの」!?としばらくウンウン唸っていたのはさておき。この一文がずっと引っかかっていて、人生とは自身の手で紡ぎだすものなのか、それとも神なる絶対者によって決まってしまうものなのか、ペリカンさんも難しい命題を突きつけてくるなぁと…(笑)
 ただ、このテーマも含んでしまうと全体的にテーマ過剰で作品の軸がぶれてしまう気がする。

以上、細かい突っ込みでした。
最後に表現的なところを話しますと、第3連の「死」の記述をもう少し全体に散らせて馴染ませてみてはどうでしょうか。ここの連がどうしても重く感じられてしまいました。
また、全体的にまだまだ説明的な感じがします。同じフレーズを何度も使うより、いろいろなモチーフを利用してイメージ豊かな言葉で読ませて欲しい。例えばここ、

>冷たい硫酸を飲み干すような

いいなぁと思いました。だからこそ、

>内側を焼く冷徹な叙景

は余計に感じました。こういう必殺の言葉をもっとたくさん欲しいです

さて、最後はちょっと力尽きてしまいましたが、果たしてペリカンさんの喉袋は撃ち抜けたでありましょうか。……だだちゃ豆鉄砲ですが…。
それではコンテストのご健闘をお祈りしております。押忍。
>ペリカンさん

 一読、A.ランボーの傑作「酔いどれ船」を連想しました。ペリカンさんが、ランボーをお好きかどうかわかりませんが、また「酔いどれ船」はすでにお読みになったことがおありかもしれませんが、もしお読みになっていなければ、お読みいただければ必ず資するところがあると思います。

 さて、ランボーがいかに素晴らしい詩人であっても、その作風を踏襲すべきだなどということを言うつもりはまったくありません。その前提のうえでお聞きいただきたいのですが、「酔いどれ船」では、最終部で作品の雰囲気ががらりと変わる、大きく転調する部分があります。そこまで奔放なイマジネーションでさまざまなものを高らかに歌い上げてきたのが、突然に静謐な、悲しみに満ちた一節となり、終わってゆきます。

 コンテストに出す最終の推敲をするというときに、このような作品の根本構造についての意見は場違いだとわれながら思うのですが、「酔いどれ船」の、小林秀雄の言う「近代詩史上最大の転調」でなくとも、どこかに少し流れを変えるものをもってくれば、作品により豊かな雰囲気を付け加えることになるのでは、と思ったしだい。


蛇足:小林秀雄訳のランボーは名訳の誉れ高いものですが、こと「酔いどれ船」に関してはまったくお勧めできません。原文が脚韻を踏んでいるからでしょうが、擬古文調で書かれており、今読むとじつに古色蒼然たるものがあります。現代詩文庫「ランボー詩集」または岩波文庫「フランス名詩選」のものがおすすめ。

蛇足の蛇足:あと数日で仕上げようというときに、そんなものを読んでいる暇はありませんよねー。参考にならない意見でごめんなさい。

押忍。ルウです。携帯なのでいちいち戻りながら読み、書くというふうになりますが、ちまちまと書かせていただきます。


第一連。

私は遠い夜の底を渡り歩いて
静かな流れの岸辺に佇んでいる
どこかで廻る滑車の軋みの
澄んだ音色を聞きながら


まず「私」は「遠い/夜の底」を「歩いて」いるのですが、「どこから〈遠い〉」んでしょうか。

〈現在〉という「いま、ここ」を起点にして「遠い」のであれば、とうに過ぎ去ってしまった時間、という解釈もできるし、「本来いまあるべき時と場」から「遠い」とすれば、ちょうどアストラロ・トリップみたいに、精神だけが、日常的な拘束や制約の範疇に属さない異空間にある、とも考えられるわけです。
または、個人としての「私」の意思の届かないグローバルなものを夢想していないとも言えない。

もちろん「私」を生活の主体である個人としての「私」とする場合において、ですが。

で「夜の底」であるかぎりは暗さの最下層、行きついたかのような、まあ、これ以上にはないところですね、そこを「歩いて」いる。「夜の底」なんてありふれて、そこらの歌詞にもしょっちゅうでてくるんで、既に喩としての効力をもつかどうか厳しいところですが、イメージしやすいことはたしかですね。常套句の力とでも言うべきか。

で、二行目なんですが、
一行目で「底を歩いて」いるはずの「私」は「静かな流れの岸辺に佇んでいる」んです。「底」から「岸辺」に戻ったんでしょうか。それとも「底」には川(のようなもの)が流れていて 、ちょうど谷底を流れる川の岸辺、みたいな感じなんですかね。とすると、川のようなものである限りそこにも「川底」があるわけだから、一行目の「夜の底」にはまだ深い層があることになる。そう考えるとかなり深いところへ下降している印象にもなって、瞑想的だなと感じます。

それと、「底」に対して「歩いて」や「流れ」という、縦ー横の関係がでてくる点で立体的になっていますね。

しかし読む側としては「底」「岸辺」の関係から空間感覚を狂わされる感じは残ります。それと「歩いて」から「佇んで」の関係では、継続的というよりも並列的に語られているように読めて、時制の狂いも感じる。

こういう語と語の細部の連関で像の把握が乱されるのは、詩を読む喜びのひとつですが、じわじわときますね。

三行目では「どこかで廻る滑車の軋みの」とあって、ここでも方向感覚や空間構造が不明にされているんですね。で、四行目で「澄んだ音色を聞きながら」とくる。「軋みの/澄んだ」は佳いですね。「軋み」はどちらかというとあまり良い音ではない。ドアの軋みは錆びていたり朽ちていたりして快感の対岸にあるけど「澄んだ音色」とすることで、差異に幅がでてきます。しかも「いつから」聞いているのかわからない。

このように「いつ」「どこ」というのが全くわからないまま第一連は終わっています。むしろ一連を通じて不明性が書かれているというか、四行を費やして書かれていながら輪郭が虚ろで漠然としている。まさに「幻想」のありようを体現している語り口とも言えますね。





第二連の、

指で白い雲を絡めとったら
そこから一本の白い糸を紡ぎだす

ですが、一連においては「私」がでているのですが、ここでは「私」がでてこない。というところで、「絡めとった」のは何者かという疑問が浮かびます。

しかも「白い雲から」だから、第一連の「私」が佇んでいる「夜の底」と地続きだと考えると、――また、「夜の底」を字義通りに「夜」と受けとると――どうにも噛み合わない。「夜」と「白い雲」では時制が合わないから。しかし、そもそもなにかの「幻想」のなかにあるとすれば、「私」が主体であっても成立しうるわけです。

まあ、「岸辺に佇んでいる」というわけだから、位置として「雲」には届かないんで、他者を主体にもってきたいところですが、であるならば、「指で」の前には主体が隠されていることになりますね。それは何者か。

とはいえ、なぜに「白い雲」なんでしょう。「白い雲/白い糸」で重複させることで類縁性を暗示するためかな。「雲」にこだわると〈流れる〉〈浮かぶ〉〈一定でない〉〈縛られない〉という連想ですね。この〈とらえどころのなさ、頼りなさ〉を「幻想」に絡めたかったのか、あるいは「糸」をひきだす糸口として選んだのか。というのも、

紡ぎだされた糸は風に流され
無常の大河に流れ込むだろう

とあるように「流れ」の体系のようなものができあがっているからです。
「風に流れる雲」
「流れる糸」
「大河の流れ」
第一連でも
「静かな流れの」
とあるように、流れっぱなしなんですね。どこまでも流れているし、流れていく。このモチーフはこの先もつづきます。

ついでに書いておきますと、第一連に触れて「過ぎ去ってしまった時間」と書いたのですが、その記憶もまた、〈時の流れ〉のなかであたかも「幻想」と思われるように流れさっていくし、浮かんでは消えていくものです。
もの皆「無常の大河」へ流れ込む。

幻想的といえば幻想的といえますが、童話的ですね。「無常の大河」は過剰じゃないかと思います。





次の連は不可解です。内容ではなくて、なぜ必要なのかがわかりません。恐らくこの連は、行わけ連構成の詩型のなかに入れなければならない必然性があったんでしょう。けれど、これを抜き書きして独立した散文詩として提出してもある程度成立しうるんじゃないかと思うんです。

逆に全体のなかで際立って浮いているような印象があるのがこの連でした。

それと「乾いた風」というのもいかがかと。


しかし「『死』の幻想」が「昏い宇宙へ流れ」と繋がっていくのでしょう。以下は、「無数の白く細い流れ(=糸)」として消尽していく過程が美しく流れていますね。

「長い尾を曳いて」は、「糸」との類縁関係にあるだろうし、「西」は『死』や「日没」との関係で、燃え尽きてしまうから、『死』や「冷たさ」に近い「北」(極北)へと伸びるのでしょうか。その冷たさが「星の光」に重なって、作品世界に清澄な空気を反映させているように感じます。この連が最も明度が高いんじゃないかな。

(ここでやはりぼくとしては「白い糸」を記憶や思念といったものに位置づけたいですね。生の営みのなかで収められた記憶や感情や像など)


ですが、次の連は考えものです。
二行目は残念ながらいただけません。一行目で言い切っている分だけに説明過多。
それから、

「全く新しい銀の帆船」
とか
「果てしない旅路に船出する」
というのはあんまりです。読み手を中学生以下に絞るとかならわかりますが、甘ったるくて脳が胸焼けしそうです。前の連の佳さを打ち消してしまっているように思えてもったいない。
ぼくが選者ならここでやめますね。ぜひとも一考をお願いしたいところです。




すべりこみセーフでしょうか?
一読して違和感を感じたところを挙げます。
タイトルは個人的にはやぼったい感じがしました。
それと、第三連の二重括弧は必要ないと思います。
言葉自体に力があるのであえて強調する必要はないかと。

以下、気になった連について。

一連目の「遠い夜の底」から二連目の「白い雲」にうつる飛躍感がとても気持ちよかったです。
二連目の最後の連、「無常の大河」は
大きな川が空に浮かんでいる情景がイメージできました。
白い糸は上昇している。

三連目は最も挑戦的な連です。
この言葉と言葉の歯車の少し咬み合わないかんじは
意図して紡いたものと判断します。
ここの違和感が
「幻想」の言語化として好意的にとらられるか、
落とし所がないちぐはぐな感じとして捉えられるかは
読む人次第かな、とも。
その分あたれば大きいのでは。

五連目はいまいちピンとこなかったです。
せっかくここまで白い糸の浮遊感が保たれているのに、
硫酸や帆船という言葉に重苦しさを感じてしまいました。
やや説明的すぎる印象も受けました。

四連目と最終連のつながりには矛盾を感じます。
白い糸は焼き尽くされて還っていったのに、
行き着く先は誰かの糸車の中?
四連目はマクロの世界。
最終連はミクロの世界といったところでしょうか。

それならば、
宇宙の糸と糸車に巻き取られる糸に接点を感じさせたほうが、
世界観が断絶せずに締められると思います。

以上です ご武運を!

「茨木?」

 そして昨日の罠(わな)のなかに忘れたいくつもの本のページと 砂のなかでつめたい塩を呼吸するヒトデたちのやわらかな予報に 肉体の映画のきれいな細部のような きのうの丘に映ったまばゆい青空に 実験室のほそいフラスコのなかでしずかに燃える火に けれどきりだされた縞のある石に 風にゆれるあかるい幻燈の艸と しずくにみちた林のなかで空を夢想するひばりの心に そしてかきみだされて地面におちた虹色の化石と やせた星座の渦のなかからふたたび生まれた あたらしい芽のひかりのなかに ほそい指でかぞえる貝殻とミドリムシの ちいさな胸の空洞にうまれたすみきった条件に
 

 あのふかい谷の水辺でオオカミの飲んだしろい水に 浅い川をながれる小鳥の汚れに似た一枚の枯れ葉から またははじめて風のふいた南の街から それともゆるみはじめたみどりの枝のさきから飛びたつ すきとおった蝶から 浅瀬でさわぐ魚たちの無数の口からはきだされた泡と 不満なリスに齧りとられたかたい樹皮は あるいはエボナイトと昆虫のひそやかな同性愛のような あの にがい種から搾りだされたやわらかな季節の予兆は そしてその望みのかなった樹脂の音符のなかで 朝日にきらめく埃にだれかが黄色いうわぐすりをかけて 春の画からのびる他人の手にうすあおい花が咲き 藪の中ではかぞえきれないほどのあたたかな尻が育ち そしてうまれた あふれる川べりの草と川にならんだちいさな泉のなかに 花のはいった紙袋がなげこまれて

 
 もし ちいさな貝の風にみだされた積乱雲のなかの 正午のなめらかな皮膚とつめたい地下水のながれに テーブルのうえでゆっくりと熟してゆく果実と ふきげんなモグラの眠りの置かれた場所は けれどちいさな手仕事のなかにある珊瑚でできた水中の階段にも 真昼の砂浜にすてられたはためく帽子と それとも風のなかに倒れるほそい潅木は 腐った梨にとまった銀バエの考えは 午前の港にならんだ清潔な窓枠の間隔と けれど落下するカメレオンの悪意が はげしい驟雨のなかから赤く割れた舌をとりだし はだしの鰐と あたらしい少女の胸にすきとおった水がながれ それから片足をなくした命令が 順序よく形をととのえ あとには傷ついた木々のひそやかな治癒と それからはじまる 夕方の空のながい劇のような休暇が 


 そして きのうの壁に貼られたかすれた名前は吹きちらされて しろい下着をつけたまっすぐなろうそくの足あとは もし七時の時計に落ちた舗道の小石のいくつかが それともつめたい床におかれた椅子から離れてゆく子午線が 夢からさめたきいろい猫のやわらかな挨拶の形式に ピアノで書かれた童話のなかを通ってゆく休止符が そして水の湧きだす場所で死んでゆくちいさな羽虫は けれども誰もいない朝にあかるい街から届いた手紙に 露で洗われたあたらしい魚座の準備は そして倒された椅子の青いためいきはようやくしずまり 風のなかで生きかえった野茨の棘のふかい呼吸に いま透明な樹液のなかを季節がゆっくりとめぐり そして高く
 たちあがる背中のように高くなった空に 


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