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悪魔の映画辞典コミュのトピック版【 ね 】

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[ネー1]ね・あせ【寝汗】眠っているうちに(びっしょりと)出る汗。盗汗。病気や疲労、または恐ろしい夢を見たときに起こる。

発熱や全身倦怠感、体重減少などとともに寝汗が続いたら、進行するリンパ節腫脹がないかを念入りにチェックする。
結核や真菌症やリンパ腫の可能性があるためである。
しかし映画においては良心の呵責に耐えられなくなった人間に、悪夢として見舞われるときに登場する。
ニュース・ショーを見ていたら、民生委員のオバサンが老人を殺してカネを奪った容疑で逮捕されていた。
捕まる前にテレビ局の人間に「刑事さんがね、(そんなことして)うなされることはないのかって言うんですよぅ。なんでそんなこと言われるのかね、こっちが教えて貰いたいですよぅ。」と笑っていた。
いまやもっとも恐ろしいのは怨霊ではなく、生き御霊だよ。



[ネー2]ね・おし【寝押し】《名・他サ》衣類などをふとんの下に敷いて寝て、折り目をつけ、またしわなどを伸ばすこと。

俳句の友人であるIさんがこんなことを書いておられた。「びんびんに糊付けされたセーラー服の自慢の衿がしんなりとなり、また毎晩寝押ししてスカートの襞を整えていたのに、梅雨の時期ともなると雨でガバガバに伸びる。だらしのない制服姿に中身まで弛んだようで情けない気持ちで過ごした学生時代」であると。
そういえば、ズボン・プレッサーが出る前に、ズボンの折り目をつけておこうとテレビのドラマで見てマネをしたことがある。
しかし、このとき、自分の寝相が悪くて、あずり倒して、朝見たら何本も折り目がついていたことにショックを受けた。いまやズボンもセーラー服のスカートも形状記憶プレス済みで、悩まされることもないんだろう。
このことは脳みその皺が薄く乏しくなっていくこととシンクロしているのだと、国会で青島幸男が言っていた。


[ネー3]ネクタイ 男の洋服でワイシャツのえりのまわりに巻いて結ぶ細い帯状のかざり布。

それにしてもフランク永井は最後まで細いネクタイを絞めていたなぁ。
70年代はネクタイはほんとうにヒラメのようにひらぺったくて不恰好だったよね。
流行は繰り返すというが、ヒラメだけはいやだなぁ。
そういえば、ボクは粗忽だからネクタイやズボンをすぐに汚してしまう。
拙句「ネクタイを肩へ預けて桃啜る」は生活の失敗から妻の怒声にまみれて出来た泪の句なんダヨ〜ン。



[ネー4]ねこ・じた【猫舌】熱いものを飲食できない舌。
    
「猫の舌」というギリシャ映画がある。成人映画で、白黒作品である。
高校1年のときに菜っ葉服を着て勤労青年に変装して、地元の映画館に入った。
この頃は3本立てのうち、ポルノは1本だけで、映画青年としては併映のマーティン・リット監督ジョン・カサヴェテスとシドニー・ポワティエ、ジャック・ウォーデン共演の「暴力波止場」が見たいからだと弁護していた。
いまも見てみたい映画だよ、「猫の舌」。
出来がよかったんだ。同じ白黒ではR・L・フロスト監督の「アニマル」第1作も見たい。
あれを超えるポルノはないんじゃないのか!



[ネー5]ねこ・またぎ【猫跨ぎ】魚が好物の猫でも跨いで通り越すの意で、まずい魚を言う。
    
以前真剣にロマン・ポルノかピンク映画の脚本募集に応募しようかと考えていたときがあった。
そこがバカな夢想青年の最たるものなのだが、優勝したら親の顔に泥を塗るかも知れないと、自粛してしまった。
だが白状するとタイトルは決まっていた。
「猫跨ぎの女」というのである。



[ネー6]ねはん【涅槃】?一切の迷いを超越した不生不滅の悟りの境地。?死ぬこと。とくに釈迦の入滅。
    
「涅槃で待つ」といって沖雅也は投身自殺した。
しばらくの間、流行語にもなったよね。
実相寺昭雄監督の「姑獲鳥(うぶめ)の夏」で、笑えないギャグが多い中で、声を挙げて笑ったところがある。
堤真一扮する京極堂が永瀬正敏に骨壷に入れたものを勧めるのである。
「仏舎利はどうだい」
ビックリして永瀬は見つめたあと
「何だ、乾菓子じゃないか」
丁度骨のような白い乾菓子をぽりぽりを齧るのである。
仏舎利とは釈迦の遺骨のことだが、憑き物落し(エクソシスト)の京極堂が言うから笑えるのである。
隣の若いカップルがなんだよ、このオッサン・・・と睨んでいた。
ギャグも味わうには知性が必要なんだよ、関口くん!



[ネー7]ねり・べい【練塀】土と瓦を積み重ねて築き上げ、上を瓦でふいた土塀。
    
練塀といえば映画では「練塀小路の河内山」である。
時代劇でよく出てきたが、最近は撮影所のパーマネント・セットばかりで、とんとお目にかかれない。
すると「姑獲鳥(うぶめ)の夏」で素晴らしい坂道と練塀がでてくる。
最初はロケかと思ったが、これは間違いなくスタジオのセットである。
塀の一部が崩れたまま、中の墓地が見えている。
昭和30年代のボクの町には、戦争で壊れたままになっている、こういう塀がいくつもあった。
その光景を見たのはもう一回ある。
阪神大震災における長田である。
家をなくして住居を求めて田舎に行ったまま、そこに住み着いて還ってこない・・・。
こういうところも似ている。
彼らが戻ってきて初めて復興なのだろうが、背に腹はかえられない実例である。



[ネー8]ねん【年】《名》?とし。一年。?「年季」の略。「−が明ける」
    
「主さんえ、年季(ねん)が明けたらきっと行きます断りに・・・」というのは落語における遊女の言い草である。
これは「お返し」と「仕返し」くらい違うことだ。



[ネー9]ねん・りん【年輪】?樹木の横断面に見られる同心円。?年々変化し、築き上げられる歴史。
    
以前作って、いろいろな人から褒めてもらえた句がある。
季題は12月の風物詩である京都の「顔見世」であった。
その句は「顔見世や年輪といふ声の艶」というのである。
自分でもなかなかいいなぁと思っていたら、なんのことはない。
遥か昔、先代の渋谷天外が書いた芝居に「わてらの年輪」というのがあったのである。
人間の発想というのは、真似をしたとかというのではなく、心のどこかに少し引っかかっているホクロのようなものが出てくるのだと思う。
それを艶ぼくろにするか、泣きぼくろにするか、ここに個人の感性の面白さがあるのではないか。
シナリオ・ライターは大いに古典や欧米の映画を見ることだ。
なんかのときに、ぽんっと、艶ぼくろが映画の表情に加わるのだよ、関口くん!

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